自殺したらどこにいきますか
こんにちは。
自殺しようか悩んでいるものです。
辛くて辛くてたまりません。
でも自殺してもなにも終わらないのですか?
仏様は罰としてわたしを地獄に送るのですか?
死後の世界が怖くてたまりません。
死んだおばあちゃんのところにはいけないのですか?
教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
明日電話ください。
私が愚かにも「死にたい」と思っていた時の話です。
とにかく挫折感やら敗北感やら喪失感でいっぱいでした。
今でいう自己否定感情がMAXな状態だったのでしょう。
お酒と音楽と暗い本と孤独以外、関わるものが何もなかった。
そろそろだと思った頃、ウイスキーボトルを二日で三本開けて、胃をおかしくしたのか血を吐いた。全身が「ドクンドクン」震えて、ハァハァ言って死にたかったはずが「死ぬの…ヤバい…」と思った。
今思い返すと、死にたかったのは「こいつ(自我)」だけだった。
「こいつ」じゃない処に「本当の命」があるってこと知らなかったんです。
自分の意志の「死にたい」とは別のところで、生まれてから、たった今までずっと動いてくれていた「お命」が発動していたことに気づいた。
「こいつ」っていうのは、ちっぽけな自我。エゴ。自分のアタマ。
好きだの嫌いだの、ゆるせないだの、良いだの悪いだのを言うのが「こいつ」。
ところが、自分の本当の主人公とでもいうべき「お命」は、それとはまるで別箇。
「お命」は、死にたいとか、良いだの悪いだのを自分で言わない。
天から授かった寿命が来るまで生きようとしている。
ここを、今日一晩、よく耳を傾けてください。
自分が本当に心臓を動かそうとしているか。
あなたが呼吸をしようと思って動かしているのか。
「お命」の方が「死にたい」とか、本当に言ってるか。
「お命」は死にてえとは言ったことは一度もない。
ヤバいものを飲めば吐き出そうとしてくれる。
悪いことを考えればドラえもんの「そんなことしちゃダメだよのび太君」と言わんばかりに「苦しみ」というSOS信号を発してくれる。
苦しいでしょう。痛いでしょう。それって体と心のSOS信号なんです。
「それ以上そんなことしちゃだめだ」って教えてくれていることに気づいた。
心臓も、脈も、血流も、呼吸も、「こいつ(自我)」ではなく「お命」の方が動かしてくれている。お命は、父母から授かったが、今は自分だけの為に動いてくれている永遠に一緒のパートナーです。
人間の芯の幸せとか安らぎって「こいつ」が幸せになる事じゃない。
「お命」の方が、安らかになるように生きることなんです。
自分の息を感じながら眠ってみてください。
早めることもなく、遅くしようとすることもなく、トクトクしているのを感じながら。
死後のことを考えるより、生きてください
あなたが死んだら悲しむ人はあなたが考えているより数多くいらっしゃいます。あなたが死んだら多くの方々がお悲しみになります。生きてください。
あなたは死にたいほどの痛みを抱えながら生きておいでだと思います。私が属する浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお坊さんたちが、京都で自死・自殺相談センターを開設し電話での相談も受け付けてくださっています。そこにお電話してみてください。
電話での相談は、金曜、土曜の午後5時から翌朝午前5時30分まで、電話番号は、075-365-1616です。ホームページは、
http://www.kyoto-jsc.jp/
です。かならず相談してくださいね。
今しかできないこと、それは「生きる」こと。
hasunohaへご質問していただき、ありがとうございます。ここは生きる希望を与えてくれるサイトです。是非、何に苦しいのかを、言える範囲で構いませんので教えてください。もしかしたら私の力量では手に負えない悩みかも知れませんが、必ずや、hasunohaに登録している回答僧が答えてくれることでしょう。
今、私からかえでさんにお話しできることは、「今しかできないこと、それは「生きる」ことである。」ということです。「生きる」ことの上に成り立つ、例えば、食べること、寝ることなどは、今でなくてもできます。でも、それらを可能にする基盤にある「生きる」ことは、今しかできないことです。明日になったらしよう、などと言えるものではないのです。どうか、今しかできない「生きる」ことに目を向けることができるように、このhasunohaを活用してもらえたらと思っています。
※ご質問に対する直接的な回答ではなく、申し訳ございませんでした。
自殺してもしなくても、念仏すれば極楽浄土に
自殺したいくらい辛いことがあったのですね。
いったい何があったのでしょうか。
突然大きな問題が発生したの?
たくさんの小さな問題の積み重ねで苦しいの?
輪廻転生を考えると、自殺してもまた違う生き物になるだけで、そういう意味では、生きることの苦しみは、「終わらない」のです。
仏教が目指す「終わり」は、仏教を学んで悩み苦しみの原因である煩悩をなくしたときに実現します。
今、人間でいることは、仏教を学べるチャンスです。
仏様が罰を与えるわけではないです。
自分自身の心にある、欲・怒り・怠け・プライド・執着心などの煩悩が、自分で自分に悩み苦しみ(罰)を与えているのです。
仏様は、煩悩をコントロールしたり無くしたりして悩み苦しみをコントロールしたり無くしたりする、そういう教えを説いているのです。
死後の世界を怖がる必要はありません。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏をとなえれば、仏様が極楽浄土に導いてくれます。
今すぐ煩悩をなくすのは難しいので、極楽浄土に行ってから仏様の指導のもとで煩悩をなくせばよいのです。
(自殺しても生きる苦しみは続きますが、仏様は生きる苦しみをなくすよう導いてくれます。)
もしも、亡くなったおばあちゃんが極楽浄土にいらっしゃるなら、あなたも極楽浄土に行けば会えます。
しかし、おばあちゃんがどこに生まれ変わっているかは、私たちにはわかりません。
宇宙にはたくさんの世界、さまざまなレベルの生き物がいて、死ぬときの心の状態によってどこに生まれ変わるか、わかりませんから。
例外的に、南無阿弥陀仏と念仏をとなえている人は、確実に極楽浄土に往けるのです。
阿弥陀仏という仏様が、念仏している人を必ず極楽浄土に生まれさせると誓っているからです。
死後(未来)の心配がなくなれば、この世というか、今・ここの現実の心配をすればよいだけです。
今の1秒を生きられれば、次の1秒も生きられるのでは。
死後のこと
かえで様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
誠におつらいお気持ちをお抱えのご様子・・
宜しければ、またその内容につきまして、できる限りで構いませんのでhasunohaへとご相談して頂けましたら有り難くに存じます。
自殺・死後のことにつきましては、これまでにも下記の各問いにお答えをさせて頂いております。
「自殺・自死について」
http://goo.gl/3ZbZUr
「死後について」
http://goo.gl/ejLMq3
「自殺してもなにも終わらないのですか?」・・仏教では常住論と断滅論の両方を否定し、また、実体論も否定することとなります。そのため、死んで、それで全てが終わり、無になるとは考えません。もちろん、五蘊(色・受・想・行・識)の作用の一つとしての色・肉体は、働き・作用を失うため、現に今生きている状態と同じとは言えません。また、肉体に影響の受ける他の作用も無くなる、あるいは弱くなりますが、肉体を失ってしまっても心相続上で他の作用を微細に保つことや、更にその心相続が肉体を持つ潜勢力(可能性)を維持し、やがて五蘊の働きをまた備えることができる場合も当然にありうることになります。しかし、「盲亀浮木」の譬えのように、まさに人身受け難しであり、例えば、再び、この地球上にて人間としての肉体を得られて、今のように生きられるとなると・・正直、奇跡に近いような確率となります。本当に頂いてある今の命をしっかりと大切にして頂きたいものであると存じております。
「仏様は罰としてわたしを地獄に送るのですか?」・・仏様が罰として悪い赴きへと赴かせるのではなくて、あくまでも己の行い(業・カルマ)が己の行き先を決めていくことになります。仏様とのご縁と共に善き行いを積めれることとなれば、それで善き赴きも望めることになりますが、ただ、仏様とのご縁というものは、善き赴きへと向けた原因や条件の一つになる場合がありうるということで、それだけが決して絶対の原因・条件というわけではありません。最も大切となるのは、あくまでも己の行いのありよう次第となります。
制限字数の関係上、ここまでにて。とにかく、これからのより良き行い次第では、必ずより良い結果も望めることとなります。どうか自殺は思い留まって頂きたいと存じております。
川口英俊 合掌