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芥川龍之介の『蜘蛛の糸』っておかしくないですか?

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こんにちは。

昔、芥川龍之介の書いた『蜘蛛の糸』という小説を読みました。
お釈迦様がガンダダが救おうとして結局救われないという話だったと思います。

しかし今思い返すとあの話は少し変だと思いました。
あの話ではお釈迦様は極楽浄土にいて、そこから糸を垂らしてガンダダを救おうとします。
しかし仏教では解脱したら輪廻が終わり、無に還るだけだと説いているので、浄土にお釈迦様がいるのは場違いです。
そして調べてみると極楽浄土というのは阿弥陀仏の浄土なのでお釈迦様がいるのはやはりおかしいそうです。

またお釈迦様が人を物理的に助けるというのもおかしな話です。
お釈迦様は神様ではありません。(仏教的には神さまよりも上の存在(?))
あくまで現世で弟子たちに教えを残しただけです。

この作品は日本人に誤った仏教感を植え付けていると思いませんか?
もちろん作品の演出だと言えばそれまでですが、日本で古くから信仰されている宗教だからこそ日本人は仏教を正しく認識する必要があると思います。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

じゃぁ、あなたが救ってあげればよい。

こんにちは。
先日もクモやカタツムリやブリトニー(ゴキ)を助けて、私の蜘蛛の糸は現在シンドラー社製のエレベーターになっておりますソリャネーダロー丹下と申します。
言わんとされること、よくわかります。
日本には仏教がいろいろな形で伝わってきています。
メインは仏教文化が広まったということなのでしょう。
だから、この現代になってからようやく仏教の真意が見直されつつある。
私もそういう意味では仏教の伝来は「これから」だと思っております。
キリスト教も、仏教も、その教えの内容を分かりやすく伝えるために、創意工夫されたのでしょう。
蜘蛛の糸もその一つです。
もう、亡くなってしまってますんで、死人に口なしですから何も言えませんが、有名な人が自己流の理解で仏教を解釈されて、わかりやすいだろうという名義で導く先が本当に明確にならないうちに仏教の説話を説くと、人によっては救われても人によっては救われないということが起こります。
用は、副産物は副産物なので、一番大事なのは、あなた自身が本当に救われるとよいと思います。
説く人は、本人が自覚があるなしにかかわらず「導く先」がある程度決まっているものです。
本当は覚っていない人は、導く先がないのです。だから、問題が生ずる。
本当に、仏教・仏道によって自己が明らかになったのであれば、きちんと導く先が決定する。
宗派の思想を超えて「ここだ」というところが明確になります。
そこがいまだ明らかならざる人は迷うことがあるのでしょう。
厳しく言えば、本当は仏説とは言えない部分もあるでしょう。
ですが、それによって楽しんだり親しんでいる人もいるのでしょう。
後は仏教を求める人の要求力のレベルが深いかそうでないかの違いです。
私があなたに求めることは、批判精神をさらに転化、昇華させてきちんと救われる内容を持った実効性のある仏教に出会い、在家出家の立場にあまりこだわらず、本当に人が救われる内容をもった教えをあなた自身がまず会得されて、それを説いてゆかれるとよいと思います。
世の中では政治の批判や芸能人の批判は多いです。
仏教に対しても批判的な意見も多いです。
私は、その程度では甘いと思います。
その間違っている相手を救ってあげることです。
その人を責めても、お互いの進歩になりませんので、導く先がより明確になって、その良さを分かち合えるとよいのでしょうね。

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おきもち

こんにちは。
 文部科学省は、宗教がお嫌いなようで、手を合わせて「いただきます」といわずに、笛の合図で給食を食べさせている学校もあるとか。そんな中、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は国語の教科書にばっちり使われています。つまりこの作品には宗教的な要素は無いと文部科学省からお墨付きをもらっているといえましょう。
 ですので「蜘蛛の糸」の仏教的世界観に目くじらを立てる事はないと思います。
 一方で、このお話は仏教的に大切な事を伝えていると思います。最後の場面で、カンダタは「このくもの糸はおれのものだ」と叫び、そのとたんに糸はカンダタの上で切れます。お釈迦さまは、カンダタに「これはあなたの糸です」などとひとことも言っていません。カンダタはたまたま糸を見つけただけなのに「おれのものだ」と主張したのです。愚かさ、むさぼり、怒りの気持ちが糸を切ったのです。これは仏教の教えに通じると思いませんか?
 確かに細かい所を見れば、おかしい所もあるかもしれませんが、全体を読むと実は仏教の大切な所を説いているお話だと思いました。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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聖教読みの聖教読まずあり 聖教読まずの聖教読みあり

ウチの子どもも小さい頃は、テレビで一生懸命にアンパンマンを観ていました。ニュースを観たいオヤジからすれば、しょーもない内容、しょーもない画、ありえない設定、、、録画したものを何度も何度も見返すので、付き合わされる大人としては正直ウンザリでした。

でもね、子どもたちはアンパンマンから正義とか勇気とか、バイキンマンみたいにお友達に意地悪するとああやって制裁を受ける羽目になっちゃうんだなぁ〜って事を真剣に学んでいるんですね。

原始仏教経典も、荒唐無稽でSF的な表現オンパレードの大乗経典も、夏目漱石の『坊っちゃん』も、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』も、尾崎豊や中島みゆきや水曜日のカンパネラの楽曲でも、ドラゴンボールやワンピースやポケモンや妖怪ウォッチのセリフでも、何なら神社の祝詞でも、キリスト教の聖書でも、イスラム教のコーランでも、ヒンドゥー教のヴェーダでも、孔子の論語でも、

あなたにとって【仏説】として聞こえてきたかどうかが問題なのではないかと思います。

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おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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Kzさん、こんにちは。シマダイッセイと申します
先ず、Kzさんがおっしゃる

・極楽に居るのはお釈迦様でなく阿弥陀さまである、という事
・お釈迦様が人を物理的に助けるというのはおかしい、という事
私もそう思います。

質問を拝読した時に私は、Kzさんの仏教理解の深さに素直に驚きました
多くの人はお釈迦様も阿弥陀様も、未来仏も過去仏も一緒くたに思っているのに、です
「お坊さんで無いのに、こんなに勉強をしている人も居るのだ」と、
少し嬉しくなってしまったくらいです

…ただ、私は「この作品は日本人に誤った仏教感を植え付けている」とは思いません
なぜなら、そこには「お坊さんの仏教」と「信者さんの仏教」の隔たりがあるからです
(もちろん、その隔たりを埋める努力は惜しまないのですが、
 今ここでは「ある」ものとして話をします)

仏教が始まって以来、ずっとお坊さんたちは仏教を広めようとしてきました。
その長い歴史の中で、たくさんの書物が著されてきました
お坊さんが著したものもあれば、信者さんが著したものもたくさんありました。

お坊さんであれば漢文で書かれたお経を注釈した本などを、
信者さんであれば自身の信仰体験などを記した本などを、
それぞれの立場で、「仏教」を後世に伝えようとしたのです

そんな中で、お坊さんや仏教学者の目から見れば、
「この本を仏教の本としてしまっては間違った仏教感を広めてしまう」
とされる本も少なからずあります。私も読んだことがあります。

少し強引に例えますとその2つの関係は、週刊誌と同人誌の関係に似ています
つまり、構成・編集が行われた、キチンとした出版物と、
ファン同志の有志の集まりが作った出版物の違いです

こと仏教のような抽象概念を広めるためには、整合性のとれた「本筋」が必要です
ですが、本筋だけでは仏教は「専門家だけが味わって終わりのモノ」になってしまいます

そこで、専門家でない人たちにとって難解な仏教の興味の入り口となる、
蜘蛛の糸のような本がある事は、私たちお坊さんも歓迎なのです
その本との出会いをきっかけに、仏教ってなんだろう?と興味を起こし
その先に進んでくれればOKなのです

長くなりましたが、Kzさんの質問の私の答えは以上です

最後に、ぜひ小松左京版の蜘蛛の糸も呼んでみてくださいね!
また違った感想を持たれると思います

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嶋田一成
副住職をしています 敬称略で「いっせいさん」と呼んでください。 カ...
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あなたはどう解釈しますか?

経典も小説も結局は読む人がどう解釈するかなのだと思います。
以前にこのような質問がありました。
https://hasunoha.jp/questions/15911
解釈は人それぞれですね。
あなたはどう解釈しますか?

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

そうですね。
批判するだけでは口だけになってしまいます。
もし仏教について間違った解釈をしている人がいれば本来の仏教の意味を教えてあげようと思います。
本当の仏教が世の中に伝わるといいですね。

回答ありがとうございました。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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