回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教は変化する宗教です。
レイさん、こんにちは。
いろんな仏教の違いについて知りたいのですね。各仏教の細かいことは本やネットで調べてください。
仏教の性質を大概で言うと・・・
仏教は広まった地域・文化・時代・土地宗教に合わせて、形と表面上の思想・教えを変えることができる特徴を持っています。それは仏教は教条主義ではないからです。だからお釈迦さまの作られた形にとらわれることなく、お釈迦さまの教えの本質は何か?という目に見えないものを追い求めながら、変化してきました。だからインドから一番遠い東にあった日本に仏教が広まるとインドお釈迦さまの仏教とはまったく違った形態に変わっていきました。日本の文化にあった仏教が出来上がったのです。でもそれはお釈迦さまが作られた形としての仏教とは似ていないかも知れませんが、お釈迦様の目指された本質はこういう考えなのだという確信をすべての日本仏教の宗派は持っています。チベット仏教はチベット民族に対応した仏教として発展し、テーラワード仏教は南方仏教国の文化に合わせて発展したのです。
現在は、国際時代になりましたので、さまざまな地域で発展した仏教を知ることができます。それらを比較することによって、お釈迦さまの教えをより学ぶこともできるでしょう。それらを学ぶだけでも、仏教はたくさん学ぶべきものがあります。
是非、レイさんも興味がわいた仏教を学んでみてくださいね。合掌
出家の制度が違います
重箱の隅をつついて言い出せば際限なくありますし、逆に世間で言われているほど違わない部分も多いのですが、分かりやすい違いとしては『出家の制度』でしょう。
日本仏教では女性も出家できます。大河ドラマの直虎さんも尼僧さんでした。
しかし上座部仏教ではおおむね女性の出家制度はありません。(あちらもグループによって色々あります)
私はチベット仏教の情報はほとんど持っていませんが、ちょっとググってみた感じチベットにも女性の出家制度は無いようです。
しかし男性に限れば上座部の方が出家しやすい制度になっています。上座部では男子は一生に一度は出家しなさいという国が多く、短期出家のシステムを持っています。タイなんかは「母の菩提を弔うために3ヶ月出家させてください」と会社の上司に話すと「それは素晴らしい!しっかり修行してきなさい!」と休暇を与えてくれます。それが数年の人もいればわずか2、3日の人もいるわけですが、日本とは大違いですね。
これは捨戒、つまり還俗が制度として確立しているからです。
逆に日本仏教では戒律はシステマティックな制度ではなく、生き方そのものですから戒を捨てるという発想がありません。だから出家は何となく一生の一大事になっており、気軽に出家しにくい雰囲気になっているわけですね。
それで還俗という方面ではなく入道とか茶坊主のような在家出家方面に進化したのでしょう。
それこそ直虎さんが墨染の衣を脱いで武士の着物をまとい、井伊家の当主になってもまだまわりの人から尼僧さん扱いされてましたが、そんなイメージです。
教義的には実はさほど違いません。日本は日本で復古派と革新派があり、海外も海外で復古派と革新派があります。
比較宗教を生業とする学者さんとしては違いがあってくれないと予算も手柄も無くなってしまいますので、これまで違いばかり強調されてきました。日本の革新派と上座部の復古派を比較し、日本のお檀家さん向けと上座部の長老向けを比較し、それをそれぞれの平均値を比較したかのように喧伝して広めてきたわけです。
しかし、私は日本の禅の道場と東南アジアのタイ系上座部の瞑想寺、両方で修行しましたが、どちらも全く同じことを習いました。そして神道と習合した日本のお檀家さん向け仏教とピー(精霊)信仰と習合した上座部のお檀家さん向け仏教はよく似てるなと感じてきました。
「二諦」
レイ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教は、もともとお釈迦様の教えということになりますが、対機説法、善巧方便と申しまして、それぞれの悩み苦しみに応じて、つまり、病気の症状に応じて薬を処方するようにして説かれたものとなります。
ですから、日本内のみならず、世界においても多様な教えとしてあり得ているものとなっております。
また、仏教を理解する際には、「二諦」と申しまして、二つの真理を正確に使い分けることも求められるものとなります。
「二諦」とは、最高の真実義、最高の真理として説かれた「勝義諦」、そして、対機説法、方便として説かれた教えとしての「世俗諦」となります。
どうしても、仏教の理解というものは、「世俗諦」から入るものとなるため、それぞれの教え、説き方の違いについて戸惑ってしまうこともありますが、そこから更に一歩進んで、「世俗諦」を説かれる際にも当然に控えてある「勝義諦」も意識して理解を進めていくことが望まれるものとなります。
是非、これから仏教を修習される場合には、「二諦」について意識して進めていって頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌