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供養は誰の為?

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はじめまして。
この夏に父が永眠しました。

実家に仏壇はあるものの、自分の家でも父を供養したいと思い、写真と蝋燭、お線香、お花、おりんをおいて毎日拝んでいます。

ただ、これは自己満足であり父の供養になっているのかと考えるようになりました。自分の中で、父にもっと親孝行したかったという気持ちがあり、その気持ちを整理するためだけではないかと。

供養とは誰の為のものなのか、なぜ供養が必要なのか、正しい供養の方法はどうすることなのか、教えていただけると幸いです。

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

菩提心をうち立てて生き方の供養をするべし

日本の供養は亡くなった人のためだけにやっているようですが、それは間違いだと思います。
お釈迦様がなくなった後、弟子たちは各地に分骨して仏舎利塔を立てて供養しました。なぜ各地に立てる必要があるのでしょう。それは、生きている人たちに向けてのものだからです。
「お釈迦様が亡くなったー、もう戒律に縛られずに自由だ―」とかいうダメ弟子もいたそうですが、仏道とは他人ごとではない。自分が自分の人生で最高の生き方をする。そのために自分自身で心の向上心・菩提心を持つ。それを亡き人への報恩感謝の供養として捧げるのです。これこそ最高の供養であり、最高の供物なのです。お釈迦様が一番に喜ばれるのはフルーツやお菓子なわけがありません。お釈迦様の教えを体解体得して、お釈迦様に代わって仏法を説いて、この世に安心安楽安穏という心の善玉菌を広めてこそ、最高の供養なのです。亡くなった人に対して、遺族らが「ああ、ネットのポチでどこの馬の骨かもわからない会社の犬となった僧侶派遣で安いボーさん呼んでポクポクしてもらって安く済んだ、これでおふくろも喜んでるだろうな、Amazon、超~センキュー。」みたいな感じの供養では、どっちも浮かばれません。なぜでしょうか。そこに宗教心が生まれないからです。そこに菩提心がないからです。菩提心とは生きている人が悟りや安らい、心の平安を求めて仏道修行を志す気持ちです。今、世界はエゴの波に推されています。北朝鮮のミサイル、一部の富裕層による世界経済支配、テロ、戦争…、
仏教の説く心と真逆の方角。エゴに向かった人間はエゴの地獄界に身を落とすだけ。自分のことしか頭にないということを示しています。
だからこそ、供養とはお寺や霊園に亡き人の骨を入れる「ハコ」を買って自分の家の供養だけするという姿勢であってはならないのです。なぜなら身内の供養だけならだれでもやるからです。やらない人すら出てきていますが。
よって供養とはお釈迦様を敬った弟子たちを見倣い、自分自身も菩提心をおこして象徴行為として菩提心の供養塔(お墓や塔婆)を建立する。仏教において墓や塔婆とは故人のためだけに建てているのではない。報恩の「菩提心の象徴」として供養塔を建てているのです。菩提心がそこになかったら魂がない。法事ということも同様です。亡き人を偲ぶとともに自身、他者にもお釈迦様の仏法を供養する。菩提心こそ最高の供養なのです。

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父への最高の供養はあなたが幸せになること。

こまちさん、こんにちは。

お父様がお亡くなりになられたのですね。お悔やみ申し上げます。
父のために毎日読経供養をされているのですね。素晴らしいことです。
父への供養は自己満足ではありません。
本当の供養は仏さまの教えを通して、あなたが幸せに、さらには人様のために生きることです。こまちさんが人様のために生きることになれば、そのこまちさんを生んだお父さんも功徳になる理屈もわかりますね。仏教は現世だけでなく、過去世も未来世も、三世に渡り幸せにしていくのです。仏壇の前で読経を通して仏さまの教えを聞き、自分が元気に幸せに生きている姿を霊界に見せることが、亡き父に対する読経供養に他なりません。

読経をすることで幸せになるのであれば、読経CDを仏壇の前で流せばいいのです。本当の読経は、その書かれた教えを実践すること。そのための仏さまに対する誓いが読経です。

私も亡き両親のために読経供養を朝晩しています。一緒に、読経供養を通して、幸せになっていきましょう。合掌

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亡き人の爲にもなり、自分の爲にもなります

 自分が行う供養について、とても謙虚な気持ちで振り返っておられますね。きっと仏様も亡きお父様も、こまちさんのそういう謙虚なお気持ちを嬉しく思って下さっているでしょう。 

 ネットで検索すれば、いろんな説明が出て来ると思います。限られた字数と私の知識の範囲では完璧な説明とはなり得ませんが、参考程度に説明させていただきます。

 基本的には、仏菩薩や先祖に真心を捧げることだと思います。
そのための具体的な行動として、いろいろな供養の説明がなされています。その一例として、三種供養があります。
  1、利供養ー 華、香、灯明、飲食などを仏菩薩や御先祖に供える
  2、敬供養ー 仏菩薩や御先祖のために経典を読んだり真言を唱える
  3、行供養ー 仏道を修行し、仏の教えを実践する

1の香華や供物を捧げる行いは仏菩薩や御先祖を荘厳することですが、同時にお供えした我々の心も荘厳されると思います。

 また、2の読経する場合、読経をすることによる功徳は読経した本人がいただけると言われています。だからこそ、読経した功徳が仏様や御先祖に振り向けられますようにと、読経の後に「回向」というものを唱えます。読経の功徳を、御先祖様に「回(めぐ)らし向ける」ために唱えるのです。供養すれば、その行為をおこなった方も功徳をいただけます。御褒美をいただくことを目的とすることは好ましくありませんが、「気持ちの整理が出来た」ことは供養をした御褒美と受け止めても宜しいと思います。

①供養とは誰の為のものなのか?
- 既に述べてますが、仏菩薩や御先祖のために行う。

②なぜ供養が必要なのか?
ー仏菩薩や御先祖へ敬意を込めるための礼儀であり、仏菩薩や御先祖の徳を敬い徳を頂戴するために行うからだと思います。
   
③正しい供養の方法はどうすることなのか?
ー曹洞宗では「威儀則仏法」という言葉をよく用います。正しい規律や作法従った生活は、仏法を学ぶ前提となるところではあるが、前提がそのまま仏法そのものである、という意味で用いられています。日々のお仏壇でのお勤めや菩提寺での年忌法要等、こまちさんの菩提寺に御宗旨に則って心込めてお勤めください。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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皆が悟りへとやがて至れるために

こまち様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お父様の御供養、誠に有り難く、尊いことでございます。

「供養」というのは、字のごとくに、「供(とも)に(仏様の教えを)養う」として、お父様、こまち様、のみならず、全ての衆生たち皆が、悟りへと向かえるためにとして、一緒に仏教の修習を調えて参りたいものとなります。

「供養とは誰の為のものなのか」・・それはやはり、皆のため、皆が悟りへとやがて至れるためととなるものとして、

「なぜ供養が必要なのか」・・しっかりと仏法を共に修していかなければ、この迷い苦しみの輪廻からはそう簡単には誰も抜けることができないからであり、

「正しい供養の方法はどうすることなのか」・・それは正しく仏教を学び、そして実践していくことであると存じております。

どうぞ、これを機縁にしっかりと仏教を学び修していって頂けましたら、誠に有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

>安穏寺様
供養とは亡き人の為にするものとばかり考えていました。自分自身、亡き人、そして仏教の為に尽くした方々みなさんの為になるんですね。ありがとうございました!

>金剛座寺様
自分が幸せに生き、人様の為に生きることが、父の供養につながるんですね。父は亡くなりましたが、供養をすることでまだつながることができる。心が楽になりました。ありがとうございました。

>洞林寺様
供養について詳しくご説明いただきありがとうございます。大変分かりやすく勉強になりました。毎朝お経を唱えたあとは、不思議な程心が落ち着きます。ご褒美としてありがたく頂戴し、今後もこの気持ちを忘れることなく続けていこうと思います。ありがとうございました。

>往生院六萬寺様
父の為の供養と考えておりましたが、まずは自分に、そして実践することで父だけでなく、仏教を受持する方々みなさんの供養になるんですね。供養は亡くなった方へするものと思っておりましたので驚きでした。ありがとうございました。

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