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過去の自分を恥じている

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有り難し有り難し 40

お忙しい中ありがとうございます
タイトル通り過去の自分の行いを恥じています
何かお言葉を頂けると幸いです

今年の6月に出産し男の子の母親になりました。
子供が産まれた事で自分の小学生の頃の事を
思いだし考えるようになりました。

8歳くらいの時、同じクラスで同じマンションの
女の子の事が嫌いでたまりませんでした。
いつも担任の先生がその子に付きっきりで、
(その時はわかりませんでしたがいま思えば
この子は発達障害かダウン症だったと思います。)
なぜこの子は特別扱いされるんだろう?という
思いから始まりこの子の全てが気に入らなくなり
嫌がらせをしていました。
同じマンションなのに一緒に帰らない、
クラスの子と一緒に悪口を言う、
など叩いたりはしませんでしたが言葉の暴力で
その子を深く傷つけました。
私がその子だったら苦しくてたまらないと思います。
同時期に私も男の子から悪口を言われたり
イヤな思いをさせられたりしていたのに、
自分も同じ事をしていました。

その後、私は引っ越しこの子と関わる事は無くなりました。
自分が嫌がらせをする事は無くなりましたが
学校や職場で仲間はずれにされたり、
言ってる事を信じてもらえず怒られたり、
教師から目の敵にされたりしました。
以前自分がやった事が返ってきたのかもしれません。
途中から人間は悪人と善人の両面持ち合わせてると
思うようになったので自分がやられる分には気にしなくなりました。

ただ出産してから再びその子の事を思いだし
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もし自分の子供がその子の様な目にあったら、
悔しい、悲しい、許せないという気持ちで
苦しくてたまらなくなると思います。
障害があっても自分の子供が1番可愛く大切。
きっとその子の親御さんはそう思っていたと思います。
人の親になって初めて人の苦しみに気付きました。

私のような人間が親でこの子は幸せだろうか?
私はこの子を真っ直ぐ育てる事はできるか?
私が傷付けた子は今どうしているだろう?

そう思うようになりました。
過去は変えられませんが自分の行いが
恥ずかしく罪悪感でいっぱいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去の罪は懺悔し、菩提心をもって世の報恩行を勤め浄化される。

人間生きているだけで無料の罪を犯しているものです。
ある言ことをした。
申し訳なかった。
その心が生じたのは自分に向き合えた素晴らしい力です。
今その子に懺悔して、その罪が許されることがない場合があります。
また、生きていれば今後も何らかの形で誰かを傷つけてしまうこともありましょう。
ただ本当のことを言うだけで、誰かが困るということもあるのです。
それでもちゃんと誠実に生きていくべきであるのが人生です。
仏教では利他行を説きます。
自分の持っている力で相手にできることをしてあげる。
この世の為に何か為になることや役に立てることや、相手が困っていることに力を注ぐ。
世の中に金持ちは沢山います。
ところが彼らはその財力も能力も全部自分たちのためだけに使っているとします。
それをずーっと続けているとしたら、いくらお金持ちさんでも心の貧しい人と言われざるを得ません。
あなたはその人以上に何らかの能力で恵まれているはずです。
その力をもって、世の中に人が幸せになれる善玉菌を活性化させるべく、力を注いでください。ハスノハの坊さんたちもみな無料無報酬でそういう活動をやっております。
お気持ちというシステムが導入されたようですが、裏話ですが、まずほとんどの方がお返ししません。実に現金な世の中です。(笑)
別にお金をくださいということではないのです。それがこの世の現実。もちろん、喜捨してくださる方もおられるそうです。だからと言って、お金お金したらビジネスライクになって他のお悩み相談と何ら変わりません。だから、こちらは一切要求はしません。ただし、人間として人間性を向上させていこうという気持ちがある人は、今から生き方が変わるということ。
生きていくうえで、大切なのは結局、この世を幸せな世界にするしかないのです。
その為にもあなたもこの世の中にできることをする。
あなたに菩提心の花が咲くことでしか、あなたの罪も消えませんし、この世もよくならないというわけです。いじめをしてしまって悪かったと思うならば悪かったと思うだけでは今後誰もすくわれませんし、その子もいいじめられ損です。
もうお分かりと思います。
あなたがこの世の中を罪滅ぼしや報恩感謝の気持ち、菩提心をもって良い世の中づくりに貢献することこそ、大切なのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

素晴らしい宝物を手に入れましたね

今になり気づけた。とても大きな宝物を手に入れましたね^ ^
お子さんという宝物と共に、温かい心を手に入れることができたのですね。

過去の経験は学びにつながります。今のあなたは過去を引きずることもなく、生活する力があります。しっかりお子さんに愛情を注ぎ、つつ分け隔てなく他の人のことを大切にする姿を背中で見せていたら大丈夫ですよ。思いやりは自分のものだけではなく、人に与えてください。子供はそういう親の姿を見て、差別をしない本当に豊かな人に育つのだと思いますよ。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

邦元様 丹下覚元様

お忙しい中お言葉を頂きありがとうございました。
お礼のお返事が遅くなり申し訳ありません。
確かに子供を授かった事で色んな事を教えてもらいました。
自分がした事を忘れず思いやりを持って人と
接して生きていこうと思います。

人から悪意を向けられたり否定されたりする事も
ありますがそこでムキになって応戦などせず
広い心を持ってしっかりと自分というものを
持ち家族を大切にします。

煩悩スッキリコラムまとめ