後悔の念から抜け出す方法?
最近苦しんでいます。長いこと生きていると、良い事悪い事色々ありました。全てが過ぎた事であるので、ある程度は仕方ないと思いつつ、時には反省し時には励みにし生きています。
ただ、どうしても自分でコントロール出来ない、幾つかの後悔の思いがあります。過ぎた事はどうしようもない、と分かっていてもどうしても抜け出せないのです。
どうしたら切り替える事が出来るでしょう?後悔している事、母親への親不孝、元妻への愚行、息子への愛情不足です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切に生きていくことで、少しずつ 背負っている荷物をおろして
そうですね〜いろんな事がありますよね。
この世は、思い通りにいかないことばかり。後悔の念は、誰にだってあるでしょうね。
きれいさっぱり、忘れることは出来ないと思います。自分の行ったことを、背負っていくしかありません。
もし、許されるのであれば、お母様や、元妻、息子さんに、反省の意を伝える機会があれば、お相手も ラクになられるかも知れません。でもそれが、こちらの気持ちだけを押し付けることであれば、返って身勝手に受けとられるでしょう。
難しいですね。あなたが、これから先 、そういう私であったと振り返りながら、大切に生きていくことで、少しずつ 背負っている荷物をおろしてもらえたらなと思います。
あなただけではありません。
私もあります。今この時も昔の恥や後悔は記憶に蘇り、嫌になります。でも時間が経つとなんでもなくなります。おなか空くし、トイレにも行きたい、hasunohaの回答を書かなくてはいけない(笑)。
斉藤一人云く「2年前の悩み覚えていますか。覚えていませんね。それは時間が解決してくれるからです。時間を味方につけましょう。・・・」
人は年を経て過去を思い出す
きよまささま。
浦上哲也と申します、よろしくお願いします。
若い時の失敗などを、ある程度の年齢になってから まざまざと思い出し、悔やむ方があるようです。私の知る70代の方も、ずっと忘れていた20〜30代の過ちを最近思い出し、苦悩していらっしゃいます。
私はその方やきよまささんに比べ若輩ですのでまだ実感はありませんが、ある程度の年齢になれば様々な後悔に襲われるのではないかと、恐れています。
でも、その後悔や反省が無い人間は、深い悩みも無い反面、救いも無いのではないか、と思います。なぜなら、深い慚愧(ざんき)は人を成長させるものだからです。
きよまささま。苦しいかもしれませんが、ご自身の慚愧に向き合い、そして可能であれば「母親への親不孝」「元妻への愚行」「息子への愛情不足」などの当事者に懺悔なさってはいかがでしょうか。
以前にも「慚愧」ということについて書かせて頂いています。
参考になりますでしょうか。
http://hasunoha.jp/questions/50
切り替えなくてもいいのでは?
きよまささん,ご質問ありがとうございます。
後悔の念をコントロールできない、切り替えたいとのご相談と受け取らせていただきました。
後悔はきっと多かれすくなかれ、誰でも抱くものだと思います。
浦上さんも書いておられますが、「慚愧」の念と言い換えることもできます。
浦上さんがリンク先でお示しの阿闍世のお話、参考になりますよ。
慚愧があるからこそ人なのです。
非常に苦しいものですが、そこから「人」になるといってもいいかもしれません。
突き放すような言い方ですが、
あなたが後悔の念を持つのは、あなたが救われる因をお持ちだということだと思います。
その後悔をかみしめ、味わってください。
人間は泣きながら生まれ、泣きながら死んでいくもの。
あなたは、人間の現実を生きているのだと思います。
後悔、反省、慚愧からの次のステップ
きよまさ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
きよまさ様が、心から後悔なされて反省しておられますこと、回答者の皆様もおっしゃられていますように、誠に大切なことでございます。
特に「慚愧」の念を持つことは、仏教的にも重要なことで善い行いとなります。
「慚愧」に関しましては下記問いにても扱わせて頂いております。
http://hasunoha.jp/questions/178
さて、そこで、後悔、反省、慚愧から、では次にいったい何ができるのか、何をなすべきなのかが問われてくるところとなります。
もちろん、同じような過ちは二度と繰り返さないということと共に、それ以上に、例えば母親や元妻、息子さんたちへとできることはないのかどうかということでございます。
皆さんご存命でありましたら、直接会ってでも、また会わずとも手紙なりででも、心からのお詫び、謝罪を表してみることも一つでありますでしょう。それによっては相手の反応次第で、既に許してくれていることもあれば、気にしていないということもありえるでしょうし、そうであれば、苦しみも相当に和らぐようにも存じます。もちろん、逆の反応もあり得ますが、それはそれで、相手に合わせて、その求めに応じた今後の対処のやりようが、より具体的なものとして明らかになるということとなります。もちろん、何ももうできないということもよりそこで明らかになるかもしれません。
一人で悩み続けていても誇大妄想の中で更に苦しみ続けてしまうことになってしまいかねません。できるだけ現実的に善処を目指していくことが必要となります。
お母様にはできる孝行を、もしも既にお亡くなりになられておられましたら、できる限りの追善供養・功徳回向を、元妻には、お詫びと誠意を示してできることでの償いを、息子さんへはこれから愛情をかけてしてあげれることを、それぞれ実行なされてみられますことをお勧めさせて頂く次第でございます。
過ぎてしまった過去は決して取り戻せません、しかし、そこにとらわれ続けていては全くこれまでと変わることもありません。問題は今、これから何をなしていくべきかであるかと存じます。
少しなりともできることについてお考え頂けますきっかけとなりましたら誠に幸いでございます。
川口英俊 合掌
輪廻で生まれ変わる来世のために
あなたは輪廻という言葉をご存じでしょうか。
今度生まれ変わってきたときに
今世で体験したことを来世に生かすためには
どうしたら良いかを考えて下さい。
母親への親不孝、元妻への愚行、息子への愛情不足。
あなたの来世の宿題です。
どうしてこの様なことになったかよく反省し、
懺悔すれば必ず良い来世になるでしょう。
あとはお相手次第です
初めまして。元妻への愚行とありましたので、謝りたいのに直接謝ることのできない状況なのかと想像いたしました。お辛いことです。
>ある程度は仕方ないと思いつつ、時には反省し時には励みにし生きています
このような考えに至るまでにご自身でかなりの葛藤があったろうと思います。よくぞこのような境地に至られました。
どうしたら、切り替えられるか、抜け出せるかとのご質問ですが、もし、きよまさ様が納得できなくても、元奥様や息子さんが許してくれるとしたらいかがでしょうか。あるいは、きよまさ様は納得できたのだが、相手が許さないと言ったらいかがでしょうか。やはり最終的に、お相手の気持ちがどう変わられるかではないでしょか。
きよまさ様が後悔してしまうのは無理もないことですが、お相手が許してくれるための第一歩は謝罪と反省です。文章を読む限り、きよまさ様はしっかり反省と心からの謝罪をなさっておられます。ですので「自分はやるだけやったのだ」、ということを胸の内に大切にお持ちください。
やるだけやったのですからあとはお相手次第です。どうぞ、ご安心ください。仮に今は抜け出せていないとしても、前に向かって確かに歩んでおられると私は感じました。
後悔している事を整理する
きよまさ様へ
誰しも生きていれば「あのときこうしておけば」なんて後悔の念が出てくるものです。
後悔している事の中で、今後きよまさ様の行動次第で
その念を変えられるものはありますか。
もしあればぜひ行動を示してほしいと思います。
もしないのであれば、これから先いろいろなことがあるとは思いますが
後悔しないように心に決めて生きるしかないのではないでしょうか。合掌
質問者からのお礼
多くの御回答有難うございました。
因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし。これは知人から教えて貰い、気にいっている言葉です。お陰様でその意味が、何となくではありますが理解出来たような気が致します。
人生って、結局自分との戦いみたいなものですかね?
これからの人生は、負けない作戦を練って生きていきます。過去の出来事・経験を元に作戦を立てたいと思います。