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親戚に会いに行きました。

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

2日前に相談させていただきました。親戚に会いに行きました。
叔母さんに会えました。顔は見せてくれましたが、私を見て(みすぼらしいね、何?私は間に入らないからね。)と言われました。私は、(もし親と連絡をとれる状態なら連絡とってもらいたいなと思って来ました。)と答えました。そしたら(私は間に入らないから)と10回以上続けて言われました。(わかりました。)とだけ言うより早く玄関を閉められてしまいました。
私がきたことについてはビックリもしておらず来るだろうと知っていたようでした。親から根回しもあったように感じました。一番優しくしてくれた叔母さんだったのでこんな感じだったので、後2件親戚の家に行くつもりだったけどやめました。でも、叔母さんが今も元気に生きていて良かったと思いました。
今起きたことだから整理もつかないのですが、親戚はまた別かもしれませんが、親と子の血の繋がりの意味が全くわからなくなりました。
親子って何でしょう、血の繋がりって何でしょう、教えてほしいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あせらないことです

あせらないことです。あせったところで、望むような結果は得られません。

 まず、叔母さんはどうしてあなたにこういう態度を取ったのでしょうか?他人である私でも或る程度想像できます。当事者であるあなたなら、もっとわかると思います。理由はわかっても、現実にそういう応対をされるとつらいですね。

 同じ訪問するにしても、「あまえの両親への顔をあるから、家にあげる訳にはいかないんだ。ごめんね。でも、おまえもたいへんだったんだね。」と言ってもらいたいですよね。でもね、そう言ってもらうためには、事情を理解してもらわないと無理ですよね。そのための準備と根回しが有った方が良かったのではないかと思います。

 取りあえず、叔母さんに手紙を書いたらいかがですか。
  1、突然の訪問を詫びる。
  2、「叔母さんが今も元気に生きていて良かったと思いました。」という気持ちを伝える。
  3、手紙に自分の住所を書いていない理由を簡単に伝える。

以後、寒中見舞い、桜の季節の時候の挨拶、暑中見舞いぐらいの手紙を出す。その後、「間に入らなくて構わないから、離婚の事情だけは知ってもらいたい。」と言う手紙を書く。というくらいの段階を踏んだ方が良いのではないでしょうか?そうすれば、話を聞いてもらえるくらいの段階までは、進むことはできるかもしれません。

 当然、御両親へも時候の挨拶の手紙は出し続けましょう。「返信を出すつもりはない。」という意思を元夫から言われていますし、住所を伝えられる状況じゃないでしょう。でも、手紙を出し続けることは大事です。あと10回ぐらい(この回数が妥当かどうか、保証できませんが)手紙を出してから、御両親に電話だけでも架けてみたら、どうでしょう。「声だけでも聴きたかったから、電話してみました。お元気ですか。」ぐらいで十分だと思います。
  

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個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

断られるのは、はじめからわかっていたこと

現れた現象に対処療法的に考えても
現象の根本から目をそらしていては
解決にはつながりません。
血の繫がりより愛情の歴史を重んじる事です。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

残念な結果でしたね

あまり追い込みすぎず、他の道も探りつつ、少し時間をかけて行動することも必要かもしれませんね。
ご自分もご両親も時間が経つにつれ変化があるかもしれません。
今は、ショックが大きく、お辛いでしょうから少し休みながら、ご自分の生活をしっかり立て直しながら、少しゆったりと時間を過ごされてもいいかもわかりませんね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

四次元 法華塔さま。どうもありがとうございます。確かにその通りです。
恥ずかしいです。

邦元様。
今回も回答いただきありがとうございます。
何もやる気でなくなりました。区切りをつけます。

吉田俊英様。
今回も回答ありがとうございます。
色々焦ってしまって、失敗しました。
やっぱりゆっくり過ごしながら、自分自身を
振り返ろうと思います。

今回も私のために、みなさんに回答していただき感謝しています。
自分の中で、親との関係、家族との関係は、人間関係の基礎の部分だから、大事だと思い込みすぎて
焦ってしまっていました。親と関係修復できなくて焦っていました。もっとよく考えて行動したいと思いました。
ここで質問させていただき心が救われました。うれしくて涙も出ました。ありがとうございました。

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