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虫など人間以外の生き物について

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人間以外の生き物(特に虫など)の命も大切にする考えを教えてください。

私は虫が目につくと大抵すぐ殺してしまいます。今まではそれで何とも思わなかったけど、ハスノハでちょこちょこ過去の相談を参考に勉強させてもらううちに害虫駆除にも気が咎める人もいて、自分の感覚を考え直そうと思いました。

でも、かわいそうだと思う気持ちがわからないっていうか….人間以外の虫とか小さな生き物の命も大切に思う気持ちがわからないんです。動物をいじめたりはしないし犬とかは好きだけど、それでも人間と同じには思えない感じです。
昔お坊様は肉を召し上がらなかったと聞いたことがあるので、基本的に生き物を殺さない考えがあるんだと思います。どうやったらそう考えられるのか教えてください。

精進料理について思い出したこと(こっちの質問はメインでないので気にしないでください)
私の親戚が仏教系の中学校に通っていた頃、修学旅行で自分達はまずい精進料理(失礼)を食べたのにお坊さん達はカツカレーを食べていたとぶうぶう言っていました。責める気がしなくて笑ってしまったけど、本当のとこ今は肉料理大丈夫なのかなってちょっとだけ知りたくなりました。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信念を作らずにやってみて

変に納得しよう納得しようとしなくていいと思いますよ。

生き物を殺してはならない(他者に害意を持ってはいけない)。これを不殺生戒(ふせっしょうかい)と言うのですが、戒律の戒で決まってるんですね。

じゃあ戒って何よ?というと、法律やルール的なものとは違います。あくまで悟りを目指すための修行なんです。
どういうことかと言うと、殺した殺さなかったという成果が大切なのではなく、実践する中で『傷付けてやろう!という心を起こさないほうが楽なんだな』と気付くことが大切なんです。

虫を見てイラッとした瞬間、そのイラッは不快なんですよね。
イラッとした瞬間その害意は虫に向かっているんですけど、同時に自分自身の心をも害しているわけです。手で壁を殴ったら壁も凹むけど同時に自分の手も痛い。それと同じです。害意も相手と自分、同時に傷付ける。誰も得をしないんです。だから害意なんか持たない方が善い。その方が人生、楽で賢い。

単純な因果関係の話です。害意を起こすとみんなイイことにならない。害意を起こさなければ、不快になる原因も発生しない。

結局納得しろって言ってんじゃんって流れの文になっていますが、「納得した上で不殺生は止めて下さい」ということではありません。今までと違う考え方に触れたことをきっかけに、「半信半疑でもいいからやってみて、やってみる中で自然と実感するものを大切にしていただきたい」ということです。

不殺生ってかなり偽善の多いジャンルなんですけど、殺す殺さないの結果論で考えるとどうしても「殺す奴は蔑視して悪く言ってやろ!(害意)」という一周まわって結局殺生な偽善になりがちですから。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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自他無二平等

なかなか難しい事だと思います。私自身もなかなかその境地に至っておりません。
仏教における悟りの境地には、自他無二平等というものがあります。
自も他も同じである、自分も他人も同じである、人間も動物も昆虫も植物も同じである、このような心境です。
だから、他の生き物の命も自分の命のように大切に感じるのです。
「我」を捨てるとも言います。
「慈悲」とも言います。
この境地に達したら、あらゆる苦しみ迷いから解脱することができるのです。
と、お経には書いてあるのですが、実践するのはなかなか難しいですね。
お互いに精進しましょうね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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モヤモヤの中を歩む-「ただ念仏」の生活(歎異抄参照)

このご質問を拝見してからずーっと考えてモヤモヤしていました。遅きに失しましたがようやく筆を取りたいと思います…

この問題、いわゆる不殺生戒についての私の考えは下記の過去質問の時と現状あまり変わっていません。とりあえず読んでいただければ有難いです。

「部屋に小さな虫がたくさんいます。どうすればいいでしょうか?」
https://hasunoha.jp/questions/23111

さて、

私たちには殺していい命と殺してはダメな命があるのでしょうか
そうではなく、殺していい時とダメな時があるのでしょうか
自分ではなく、他者に殺してもらうならよいのでしょうか
自分の認識の及ばない範囲の殺生を黙認することは問題ないのでしょうか

私たちが口にする命(動物・植物)
私たちのために命を捕ってくださる仕事(漁師・猟師・農家など)
私たちの健康のために実験にされる命(薬品実験など)

考えれば考えるほど迷宮入りしますね。やはりこれは実践の問題なのでしょうね。

私のことを言えば恥ずかしながら殺してしまっています。いや、「殺」という意識すら持たずに、命を命として見ることもなく「処分」してしまっていることも多々あります。

私のお寺は田舎でここ数年この時期はカメムシが大量発生します。見つけるたびにガムテープで丸めてポイしてます。
では、それをやめればよいのでしょうか?または罪悪感さえ持てば、懺悔すれば済むのでしょうか?
やめたところで命を奪わずに生きていけるのでしょうか。上述した様々な社会問題・構造や生きる現実の問題はよいのでしょうか。

ところで、私は浄土真宗ですが、浄土真宗では受戒をしません。仏教は基本的には戒定慧の三学と言い、戒をまもり生活を正すことによって禅定を助け、禅定によって智慧を発し、智慧によって真理をさとり仏道が完成することを目指すため戒は外せません。

しかし浄土真宗では南無阿弥陀仏という智慧から始まる仏道であるため、戒は必要条件ではなく智慧に触れたが故の個々人の宗教的姿勢として問われるものとなります。

戒を守れるのも守れないのも、私の心が良いから守れるのではなく、悪いから守れないのでもありません。縁がもよおせばどんな振る舞いをもするのが私の姿です。

どこまでも答えを握らずにこの身を問い、生きる実際の歩みにおいて確かめていくしかないのでしょうね。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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「情けは虫の為ならず」

L.M様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

チベット仏教では、虫でも、もしかすると幾度となく生まれ変わりを繰り返す輪廻の中で、どこかの過去世で自分を大切に育ててくれた大恩のある母かもしれないとして、大切にするという考え方があります。

まあ、母と限定することはなくて、もしかすると遥か昔に家族、親類、友達など大切な縁があった者であるかもしれないとして、そのような思いにて接していくという気遣い、配慮となりますかね。

苦しんでいる虫で、少し気を掛けることで助けられそうであれば(食物連鎖の過程では仕方ありませんが・・)、例えば、水の入ったコップで溺れている蝶など、そっと助けてあげて頂ければ、一つの功徳にもなります。

それが、また、いずれかの来世にて、今度は自分がその時虫だった者に助けられる縁となるかもしれません。

「情けは人の為ならず」。きっと、その情けは自分にも有り難い報いとなって返ってくるものになるということであります。あ、ここでは「情けは虫の為ならず」ですね。。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

柳原貫道様
良い考え方を教えてくださって、ありがとうございます。おじいちゃんかもしれない、かぁ….確かにそう考えたら殺せなくなります。子供の頃、なぜ虫にそんな残酷なことをするんだと祖父に叱られたことが時々あったのだけど、虫とか小さい生き物に対しては何の感情も持てなくて、罪悪感がないまま大人になってしまいました。人間は大切だけど、生き物は皆兄弟という感覚が私にはなかったんだと思います。これから虫を見て反射的に殺そうとした時、おじいちゃんかもしれないと思えば手が止まります。私にとってはこれが一番即効性があると思う、本当に良い方法です。

肉料理、大丈夫だったのですね。実は私のお坊様のイメージは日本昔話というアニメからきていたんです(蚊を殺さないシーンがすごく印象的でした)。今まで私は食べ物を得られて感謝していたけど家畜の命のことを深く考えたことはありませんでした。生き物の命を頂いたという感じ、少し意識してみます。

川口俊英様
また教えてくださって、ありがとうございます。
コップの水に虫が溺れていたら - 実際に自分の飲み物に小さな虫が浮かんでいるのを見つけたことがあるのだけど、「もう!こんな所に入ってきて飲めなくなったじゃないの」とイラっとして流してコップを洗剤で洗っていました。虫に感情なんてないと思っていたけれど、もしあの虫が人間のように考えて私を見上げたらと思えば....今までのこと、ちょっと考え直しました。

今まで私は前世とかそういう話には全然興味がなかったのですが、ハスノハでお坊様が輪廻転生のお話をしてくださったのがきっかけで生まれ変わりとかもあるのかな….と考え始めるようになったんです。見た目は虫でも大切な人の生まれ変わりかもしれないと考えれば、今までみたいに殺せなくなります。前に紹介していただいたツォンパカ大師の本はすごく難しそうでいまだに手が出せていないけれど(ごめんなさい、私やっぱり難しそうなものは苦手です….)、今回は生まれ変わりかもしれないと考えればいいんだってわりとすんなり頭に入りました。善い行いは功徳というのですね。また新しい言葉をありがとうございます。

三宅聖章様
自他無二平等、今まで聞いたことがない言葉です。教えてくださって、ありがとうございます。我を捨てて生き物はみんな同じだと考える、私にはどうしてもできないです….。でも、お坊様でも完全にそうするのは難しいと考えていらっしゃるとわかって少し安心しました(変な安心してすみません)。慈悲については、実は今勉強中なんです。仏教で大事な考えみたいだし….でも普通に使われる慈悲という言葉の意味自体も私は多分まだ正しく理解できていないと思うので、まずそこから考えています。ちょうどあなたのプロフィール写真のような、お地蔵さまのお顔を「慈悲深そうな」と言う人がいたので、優しいっていうことかなとか色々考えていますが、多分ただ優しいというだけではないのでしょう。慈悲については、自分で考えてわからなかったら、またハスノハで質問させてください。

柳原貫道様、川口俊英様、三宅聖章様へ

追伸させてください

昔、狩猟好きな友達が、ウサギは食用にしていたけどキツネや鳥は数を競うゲームとして撃っていました。無駄に殺された大量の死骸を見て私は少し不快に感じたけれど、今思えば彼も私も根本的には生き物に対する見方が同じだったのかもしれません。今回、人間以外の生き物に対する見方を考え直すきっかけがあって、教えてくださるお坊様達がいてよかったと思います。ありがとうございました。

またまたありがとうございます。不殺生戒、これです!前にちらっと見て気になっていたけど思い出せなかった言葉。規則ではなくて、そう考えて修行しましょうということだったんですね。良い教えを聴いたからといって今日から急に虫一匹殺さない人になれるとは思っていなかったけど、ただ、今まで虫の命にすごく無頓着だったことに気がついて考え直したいって思ったんです。でも自分で考えても虫の命の重さが理解できなくて、仏教の教えで変われるかもと思って。本当のこというと、私の頭の中には人間以外の生き物は人間と同じではないという考えができあがってしまっています。そういう考えが根底にあるから友達の狩猟趣味にも抵抗がなかったんだと思います。急にその考えを変えるのは無理でも、虫を殺すのを思いとどまれる方法を見つけたかった。おじいちゃんやお父さんの生まれ変わりかもしれないと思えば殺せません。これから夏になれば蚊が出て来て絶対アースとかベープを使わないではいられないけど….でも、蚊とかそういうの以外でこれから私に殺される虫は確実に少なくなっていくと思います。私が何気なくちょっとイラっとしただけで殺すのをやめるからです。完璧主義の逆の性格なので、無理に実践ようと思っていないから大丈夫です。ただ、少しずつでも変わりたかったんです。変われると思います。

一番最後の文章、大慈様あてです。ごめんなさい名前書きそびれました。

吉武文法様
このリンクは私が前に見失った記事でした!ありがとうございます。お坊様でもモヤモヤのままなのですね。不殺生戒に完璧な答えはないのかも。私は痛みとか省みる気持ちがなくて何も考えなかったから、モヤモヤしませんでした….罪悪感がないと心に何も引っかからなくて楽だけど、ある時自分の感覚が怖くなったんです。だから、虫を助ける為というよりは自分の考えを変えたくて不殺生を実践しようと思った感じです。やっぱり人間中心だけど….。

浄土真宗は他の宗派に比べて戒への姿勢がだいぶ違うのですね。わりと自由な感じに見えたと言って失礼に聞こえたらごめんなさい、でも悪い意味じゃないです。宗派の違いは最近教えていただいたんです。一度に学ぼうとするとあっぷあっぷしてしまうけど、興味深いです。

別件のお礼も言わせてください。成仏についてわかり易く教えてくださってほんとにありがとう。以前私は霊能者に父の霊が迷っているのが視えるとか浄霊してあげるとか言われて動揺してしまったのだけど、あの時迷っていたのは私だったんだと思います。もし大切な人が死後も苦しんでいると誰かに言われて心配している人がいたら、亡き人を成仏させるのは霊能者じゃなくて君の心だよって教えてあげてください。生きている人達が故人を仏として見出し敬う考えは、故人も残された人達も救うと思います。神を信じない人も救う心の広い考えだと思う。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ