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結局仏教は人間が作ったマヤカシですよね?

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ある仏教は、踊って念仏を唱えれば極楽往生ができるとかなんとか。

ある仏教を考えた人は苦行をするなといってるのに、ある人達は千日回峰◯をやり。

ある仏教を考えた人は欲を断念してこのクソ(この世界はクソです死も欲も病も苦しみも弱肉強食というルールもうえつけたクソな存在が作ったクソな世界)にまみれた世界から逃れようと考えた。
しかし今いる仏教の人達は、結婚もして死んだ人にお経を唱え、大金をもらい。

そして無知な人達は、それをありがたいと思い仏教をますます勘違いさせる。

仏教は政治に使われ、金儲けに使われ。
ナンジャコリャって感じ。

いや仏教道を貫いたとして、この世界の理をわかる仏教の偉い人はいないし、みんなを幸福にしてくれたり教えたりする仏教の人もいません。

例えば、説教みたいな形で君は考えが甘いとか言われてしまいます。その甘い考え(脳や思考回路の伝達物質やらなんやら)を作ったのはその仏様じゃね?と思うのです。
またじゃあ知能が低くて仏教すらわかんない存在に生まれた健常者って苦しむだけ?人間界に生まれたのに解脱できずに苦しむの?って感じです。

私は仏がもし存在するのなら私の全存在をかけて恨み通します。それだけ極悪非道な存在だと思います。

結局仏教って、一部の恵まれた人しか心理には辿り着けず、一部の生まれてきた親が仏教系の人が金儲けのために仏教を難しいことにして他人を説教して世の中のおかしな所をみてる若者に対して考えが甘いとかいって批判するのが仏教?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悩み苦しみの原因に対処する教え

仏とは、真理に目覚めた者という意味です。
仏様は、この世を創った神様みたいな存在であはりません。
なので、この世のありさまを仏様のせいにするのは違うと思います。

仏教は、悩み苦しみの原因を消したりコントロールしたりして、悩み苦しみやストレスを消したりコントロールする、そういうテクニックです。

実は、念仏を唱えれば極楽に往生できると思って念仏したほうが、煩悩をコントロールするのがうまくなるのです。
煩悩を消す(つまり悟る)のは難しいですが、煩悩を適度にコントロールするのはけっこうできます。
日本の仏教は、悟る(煩悩を消す)よりも、煩悩を適度にコントロールするのが好きみたいですね。

欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を消すのは難しいですが、コントロールはけっこうできます。
念仏をとなえたり、葬儀や法事の儀式に参加したりするのも、親しい人が亡くなったときの悲しみ(怒りの煩悩の一種)を適度に拡散するのにつながります。
人は、心が何かに集中しているとき、一時的に煩悩を眠らせることができます。
日本の仏教にはさまざまな修行があります。
茶道や華道さえも仏教の修行に使えます。
これらも、何かに集中することを学べます。
何かに集中する、一時的に煩悩を弱める、煩悩を適度に管理できる、日常生活の悩み苦しみストレスをコントロールできる。
あなたも、ぜひ試してみてください。
まずは、悩み苦しみの原因が煩悩であると理解するだけでもけっこうです。

煩悩をコントロールするのは、みんなが禁欲で貧乏にならなくてよいのです。
自分の収入にみあった生活をする。
日本のお坊さんは、
お坊さんでも、収入が多い人は収入にみあった高級車にのったりしてます。
借金してまで高級車に乗るのはさすがにおかしいですが。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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とても理論的な考察だと思います。
お坊さんも一度は考える所であろうと思います。
「仏教」とは字の如く「仏の教え」であり、もう少し詳しく言えば「仏に成りなさいという教え」であります。
「仏に成る」とは悟る(あるいは覚る)ということです。
悟るとはどのようなことなのかと言えば、正直なところ私には分かりません。まだ私は悟っていないからです。ただお経(昔にお坊さんが書いた本)に書いてあることは、この世の真理を知り、全ての縁起を知り、あらゆる悩みや苦しみが無くなり、過去のことも、世界のことも、手に取るように分かる、そのような境地ということのようです。
または一言で、人格の完成、とも言います。
そういうことで、仏に成ろうとすることが仏教を信仰するということなのです。
しかし、人それぞれ持って生まれた物も違いますし、育った環境も違いますから、当然、認識が違います。価値観や考え方も違います。
ですから、お釈迦様は一人一人に合わせて仏に成る為の教えを説きました。その為、お経には様々な教えが書いてあり、中には少し矛盾することもあります。
例えば、水行の苦行をしている人には苦行は意味がないと言い、また、だらけている人には戒を保って修行に励めと厳しく言ったりします。
また、ある人には修行すれば死後のことが分かると言い、また、ある夫婦には同じ信仰を保てば夫婦ともに天界に生まれますよと。
その内容は阿含経典などに書いてあるので、興味があれば一度読んでみてくださいね。日本語訳の本がありますからね。
その教えが国から国へと伝わり、伝わった国の文化の影響も受けながら、日本へと伝わりました。そのため日本の仏教はインドや中国とは違う所があるし、東南アジアの仏教とも違う所が多いです。
しかし、その目的はやはり、仏に成ること、そこは同じなのです。
仏に成るには様々な方法がありますが、基本はお釈迦様に倣って、出家して、戒律を守って、托鉢で食べ物を布施してもらい、お釈迦様の教えを聞きながら、瞑想することだろうと思います。
しかし、それができない人もいます。むしろ、できない人の方が多いでしょう。それに、手解きしてくれるお釈迦様も今はもう居ません。
では、その人達はもう仏に成れないのか?
その答えの一つが日本の仏教なのです。
ところで、哲学者ニーチェの言う「超人」は「仏」に少し近いような気がしませんか?

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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信仰の自由

拝読させて頂きました。
正しい真理を理解して苦しみから離れることを目指すことが仏教の教えです。
そのような道を歩んでいくことを望むならば仏教は信じるに値する教えかと思います。
それはそれぞれの人の生きる道であり、信じる自由があります。
もしかしたら今まで様々なことがあなたにはあったのかもしれませんけれどもあなたがそのような教えを受け入れるかどうかはあなた自身の自由であり、選択することです。
私は紆余曲折がありましたが今は仏教を信じております。

あなたがこれからの人生において信じるに足る教えに巡り会い、心豊かに安らかに生き抜いていかれますようにと切にお祈り申し上げます。合掌

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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仏教は仏陀・如来により説かれたもの

ニーチェ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教は、人間が作ったものではなく、悟りを開かれました仏陀・如来による説かれたものでございます。

しかし、その教えは相当に深遠なるものであるため、なかなか私たち凡夫において理解するのは難しいところとなります。

もちろん、理解、実践していくことは難しいことながら、釈尊が残されました言動(教典)と、確かなる仏道を歩み、高い境地に到達された先師様方の教え(論書)を頼りとして、私たちも仏教を学び修して進めていくことができるところとなります。

ところが、全くの中途半端、傲慢にも仏教を己が利得のために利用しているものがいることは、誠に遺憾であり、申し訳ないことであると存じます。

そこは徹底的に批判、検証し、特に、檀家さん、信徒さんから、おかしいものはおかしい、仏教の理にかなっていないとして、是正へと向けての厳しい対応も必要であると考えております。

しかし、現実、仏教離れ、檀家離れ、供養の簡素化、もちろん、信頼の低下などにもより、お寺、僧侶も非常に厳しい立場であるところが大半であるのでもあります。

そんな中でも、仏法を広めたい、衆生済度の聖業に取り組みたいという志を持った僧侶もございます。

このhasunohaの僧侶たちも、そんな僧侶の集まりであります。

もちろん、完全無償ボランティアにて、法務や寺務、作務の合間に、拙生も微力ながらにお手伝いさせて頂いております。

拙生など、全く大したことのできないヘボですが、真理考究、聖業に志熱い僧侶たちも必ずどこかにいることはご理解をして頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
とても哲学的な内容を含んでいて勉強になりました。
仏教からの視点では何が世界を作ったと捉えてるのか不思議です。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ