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死にたいです。

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死にたい、消えたい、今まで何度もそう思った瞬間はありました。
でも、そんな勇気はないし、そんな勇気があるなら今を頑張ろうと思ってきました。
3年前に弟を交通事故で亡くしたのですが、その時に、離婚して女で1つで育ててくれた母親の悲しんでいる姿を見た時、これからは私しかいない!母を守らなくては!と、心に決めて生きてきました。

なのに、今、心が折れそうです。

今抱えている問題が大きすぎて、自分の力では解決出来ない問題で、頼れる人もいなく、いつ解決するかもわからず、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。

母親は鬱病を抱えていて、頼る事はできません。
恋人は、問題の渦中にいるのですが、彼から愛や安心感を感じる事が出来ません。でも、別れる事も出来ません。

本当なら1番甘えたり、頼ったりしたい人に、それが出来ません。

特別なんか求めてない。
普通になんの不安もなく、安心して暮らしたいだけなんです。
年齢的にもこのままじゃ子供も産めないで終わってしまうかもしれない。
不安しかありません。

毎日何かにビクビクしながら生きています。
ホッと出来る場所がありません。
問題を解決する術も見つかりません。
今、心が折れそうです。

愛されたい。誰かに必要とされたい。
安心して暮らしたい。
特別なんか求めてない。
それだけなのに。

死にたい、しか思えなくなってしまった今日、こちらを知りました。
思わず質問させてもらいました。

生きる意味とはなんなのでしょう?
死にたいと思う事は悪でしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死にたい を 愛したい に。

人間の使命、人生の使命があるとすれば、それは愛のアウトプット活動です。
呼吸をするように愛を放ち、瞬きするたびにハートちゃんがあふれるような生き方になっていくことです。それは自分にやさしいく生きることであり、結果的に相手にも愛によって満たされるのです。
今のあなたは悲しいこと苦しいことが続いてとてもできないと思ってしまうでしょう。
実はその心の動かし方、毎度毎度負の方角へ歩みを進めてしまう、その心の動かし方があなたを苦しめている本当の病巣です。
それは治すことができます。そのために弟さんをもう一度家族で愛しましょう。人は亡くなっても愛を求めているのです。というより、亡くなっても旧来通りの関わりを求めていると言えましょう。それは言い換えますと、あなた方が弟さんが失われた状態にとどまってしまっていることから脱却して、愛せる存在として祀ることです。故人様を仏さまとして、導き存在、尊敬できる存在として接するよう態度が変わっていくことです。人は亡くなったらその人を我々の中において、失われた状態にさせてはいけません。
脳内で失われが優先されていると本当に故人様とは向き合えない=心が通い合わないものです。毎日気持ちよく「おはよう」が言えるようになる。お母さんに何の隠し事もなく、鬱のことや弟さんのことも何でも普通に話し合える為には、何の条件付けもわだかまりもないことが大切です。
そのためにも、あなたはあなた自身を愛するためにこそ愛のアウトプット活動をする必要があるのです。
実は、これらを通して気づいていただきたかったことは何か。
「自分の思い起こされた自分ビジョン」を優先させないことなのです。
死にたいと思ってしまうのも自分の思ったことを優先してしまう悲しい心。
お母さんは鬱だから…と思ってしまうのも悲しい心。
これからどうにもならないとあきらめてしまうのも悲しい心。
誰が一番悲しいでしょう。
亡くなった弟さんです。
本当に優先すべきことは、死でしょうか。
あなたが今日という人類史上最も真新しいこの日を新しい授かりとして生きるためには、あなた自身も旧来の負の思考を蛇が脱皮するように脱ぎ捨てなければなりません。
今日のあなたは今までのあなたではないからです。もう、いつも通りの負の反応をする必要すらないのです。どうか、仏道に救いを求めてください。
一度お二人でお寺にお越しください。合掌

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

拝読させて頂きました。あなたが今死にたいほどに追い込まれて辛い状況にあることを読ませて頂きました。
どうぞこれからこの場所であなたのそのお気持ちや状況を教えてくださいね。
ここはあなたにとって安心して相談できる場所でもあるのです。
どうかあわてることなく先ずはゆっくりと呼吸をなさり呼吸を少しずつ整えてくださいね。そして少しずつ少しずつ心を落ち着けてください。心や身体もゆっくりと休めてください。
あなたの心も身体も今追い込まれてしまっていて疲れ果てていらっしゃるのではないかと思います。
疲れ果てて追い込まれてしまいますと逃げ場のない状況で八方塞がりになり何も考えることも何もすることもできなくなってしまいます。

あなたには穏やかに安心して頂くことができる場所があるのです。ここもそうですし、或いは様々な公的機関や相談窓口は沢山存在していますからね。

先ずはゆっくりと休んでください。そして改めてあなたのことをじっくりとお話しなさってください。

私達はいつでもあなたを待っていますし、あなたの味方ですからね。
どうぞあなたは決して一人ではないですから積極的にに人からのサポートを受けてくださいね。

あなたは健やかに生きていくことができるのです。あなたは大切な方ですからね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

自然法爾

水が高いところから低いところに流れるのは自然な事です。

あまりに辛いことに直面した時に「死にたい」「消えたい」という思いが浮かぶこともある意味自然な事でしょう。

それに「良い」も「悪い」もありません。

しかし水が高きから低きに流れる、つまり滝には名所や絶景とされるものとそうでないものがあります。そこには何があるかというと「価値判断」があるのです。
角度が良い、勢いが良い、周りの景色がいい、あれは良いこれは悪い…そういうのはそのもの自体、つまりは水の流れ自体にあるのではなく、それを価値づけしたり、比較して評価する人間の心にあるものです。

同じように、「死にたい」と思うのは悪い事、情けない事、避けるべき事などとあなたが思うとしたら、それはいつしかあなたがあなた自身の価値判断によって自分を責めてしまっていることになります。
ここで、では「あなた自身の価値判断が悪い」としてしまうとどこまでもイタチごっこになってしまいます。あなたの価値判断もあなただけによるものではなく時代社会から影響を受けて形成されたものです。

水が高きから低きに流れるにあたっても様々な影響を受けて蛇行するように、そう、川が海まで一直線ではないように、あなたもまた時代社会・家族・恋人など数えきれない様々なご縁に影響を受けて今に至っているということを知りましょう。

それに良いも悪いもないのです。それがいただいたご縁だったのですから。

そしてその事実に気づいたら、流れを少しずつ少しずつ緩やかに穏やかに整えていくための行動をしていきましょう。水の流れは直接水を触って緩やかに出来るわけではありません。堤防工事や河川改修工事、つまりは水路を整えてやることで流れは静まります。

あなたに今必要な工事は思いや価値や評価と向き合うことではなく、恋人との関係やお母様のご病気のことなどと向き合い、できることをするということ。そして何よりもあなたの抱える問題をここで話したり誰かと共有して不安をシェアして臨んでいくことではないでしょうか。

いつでもhasunohaでご相談ください。

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おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

その大き過ぎる問題とは一体どのようなことなのでしょうか?個人が特定されない範囲で教えてもらえませんか?

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

生きる意味(価値・理由)というもの

ひろた様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる意味(価値・理由)というものは、最初から「これだ」と決めて言えるような実体的なものではなく、因縁(原因と条件)により成り立ちうるものとなるものであります。

また、一つのモノゴトでも捉える人間ごと、更には、自分の心の状態によっても異なってくるものにもなります。

しかし、釈尊は、どんなモノゴトに対しても、また、人間の認識(特に、無明(根本的無知)・煩悩による認識)にも左右されない、平常心を保った生き方をご教示なさられておられます。

もちろん、意味は無いわけでもありません。善き因縁、それも仏教の説く善き因縁によれば、善き意味も見いだし得るところとなります。

「死にたい」というのは、無明・煩悩によるところからであられるのでありますでしょう・・

少しでも、仏教によりて、善き意味合いが見い出していけれますように調えて参りたいものでございます。

是非、hasunohaもご活用なさられて下さいませ。

川口英俊 合掌

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