人には皆仏性があるというのは本当でしょうか?
唐突にすみません。
タイトルのとおりなのですが、私の夫はうまい儲け話に騙される事が多く、大損するたびに私も親族も振り回されて疲れ切ってしまいます。こんな事では老後も心配です。
いつになったら夫は皆に心配をかけない生き方をしてくれるのでしょうか?こんな人にも仏性があると信じていてもいいのでしょうか?
夫の仕事が長続きしないことへの怒りと不安。 老後の心配 うつ病の夫にどう付き合うか、日々の迷い。うまく対処できない自分への怒り。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏性があれば人に迷惑をかけない、ということはありませんよ。
こんばんは。亀山純史と申します。
仏性のとらえ方は、宗派によって異なると思います。つまり、性善説に立って教えを説く宗派では、本来私たちには仏性がある、と説くでしょう。一方、性悪説に立って教えを説く宗派では、本来私たちには仏性は無いのではないか、と説くでしょう。そしてどちらにしても、仏性があれば人に迷惑をかけない、立派な人なんだ、ということはありません。赤ちゃんを見てください。本来、人には仏性があるとする立場に立つならば、人に迷惑をかけながら成長していく赤ちゃんにも仏性はあるはずですよね。一方、浄土真宗では、仏性は私たちに本来あるものではなく、親鸞聖人はご和讃の中で、
「信心よろこぶそのひとを
如来とひとしとときたまふ
大信心は仏性なり
仏性すなはち如来なり」
と詠まれました。つまり、「阿弥陀さまから頂いた信心が仏性なのだ」ということですが、それでは信心を得た人は人に迷惑をかけない人になるのか、と言えばそうではないのです。人に迷惑を今までかけてきたことに気づく人になるだけなのです。
以上が私からの回答です。りくさんには仏性はあると思いますか?
仏性とは
仏性とは、仏心、良心、魂のようなものではないです。
人間の見解、理解いぜんの真実の様子。つまり目を開けたらものが見えるとか、触ったら触ったように感じるとか、香りがあれば匂うとか、音があれば聞こえるとか、そういう働きを仏性と言ったのです。
全てのものに仏性があると、私は昔教わりましたが、一つ一つにあるのではなく、そうした世の中のもの全てにこの体が触れるとそのようになぜだかわからないけどなるということが、仏性ということです。
旦那様にレッテルを貼っていい人悪い人というのは仏道とは違います。あなたにとって都合のいい人になる教えではないです。
仏縁へ向けて
りく様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「仏性」とは、悟るための潜勢力、潜在力のこと、あるいは、基礎的要因として、あくまでも悟れる可能性のあるという意味合いとなります。
仏教では、「心」を有する衆生(有情)であれば、皆、悟れることが可能なものであると考えます。
しかし、それはあくまでも可能性の問題であり、心がある、それだけで悟れるというわけではありません。
まあ、種(仏性)があったとしても、それだけでは花が咲き、実(悟り)が成らないのと同じことで、花が咲き、実が成るための因縁(原因と条件)は欠かせないものとなります。
同じように、悟るための因縁を調えなければ、悟ることはできないということであります。
悟るための因縁を調えていくのが仏道となります。
そのきっかけには、やはり仏縁が欠かせないところとなります。仏縁に気付いてもらえるようなきっかけを目指して参りたいところとなります。
一朝一夕には参りませんが、お寺巡り、霊場巡りなど、何かきっかけづくりから始められることも。(最初の入り口は現世利益的なところからでも良いでしょう。)
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
邦元さま、亀山純史さま、早速のお返事ありがとうございます。
仏性について、確かに私は仏心と曖昧になっておりました。
レッテル貼りをしたくない、そんな事はおこがましいと思っているのですが、なぜ苦しむ家族、特に目の前で泣いている両親を見て心が痛まないのか不思議なのです。
仏性があると思いますか?とのことですが、今の私は考えがまとめられずお答えする勇気がありません。もう少し考えてみたいです。申し訳ございません。
固くなってしまった私の頭を少し柔らかく考えるようお返事をくださったお二方に改めて感謝申し上げます。
川口英俊さま、お返事ありがとうございます。
種と花実の喩えが大変わかりやすく心安らぐ思いがいたしました。
今も夫は、新しい儲け話に気もそぞろ、渋る私たち家族の前で居心地悪そうにしております。
毎日うんざりですが、これも実がなるまでの耕しの状態かと思えば少し心明るくなりました。
三人の方から御回答をいただいて、最近夫どうこうより、私自身の物の捉え方や日々の過ごし方について
考えるようになりました。あまりに夫の言動のことばかり思い煩いすぎて自分の事は棚に上げて放りっぱなし
ではないかと。地に足着けなければいけないのは私ではないかと。うまく言えなくてすみません。
狼狽えることの多い日々ですが、勉強しながら日々過ごしてまいります。ありがとうございました。