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無我とは

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無我とはどういう意味ですか?


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「   」

簡単に申しますと、
俺が、私が、、、の「我」が破られた状態。

自我(エゴ)がふと消えた、あるいは消えている時がそうだった気がする。
自分と自分以外の他の誰か、何かとの境目が無くなった感じ?

でも、単にぼーっと呆けているのとは明らかに違う。

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無明の対治

問問様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「無我」とは、「空」と同義となりますが、全てのモノ・コト、存在、事象、現象、それら全てにおいては、そのものそれぞれを、そのものそれぞれたらしめているような、独立自存の何か実体的なもの(自性)が、そのものそれぞれの自体の側にあるかと言えば、そのようなものは何らとして見当たらないということであります。

ところが、私たち凡夫においては、まるであたかも、そのような実体、自性がそのもの自体の側にあるかのように囚われを起こすことによって、様々に迷い苦しんでしまうのであります。

その最大の要因は、「無明」(根本的な無知・倶生の諦執)にあります。

ただ、上記のように理解しただけでは、「無明」を対治することはできません。

心の底、認識の深いレベルから変えていくことが必要となります。

その「無明」の対治を、仏道修行によって取り組んでいくことが求められることになるのであります。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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常一主宰(じょういつしゅさい)

無我とは、「これが私だ」「これが私のものだ」と言えるような実体的な本体はない(無自性)ということですね。

あなたはあなたとしてここにいますが、あなたを頭の先から足の先までバラバラにしたら何をもって「あなた」と言えるでしょうか?というとわかりやすいかもしれません。

心臓でも脳でも心でもありませんね。でもそれらの要素が合わさってあなたはあなたとしてここにいます。これが因縁和合(条件がととのって成立しているもの)としてのあなたです。

つまり無我として否定される「我」とは「常一主宰」としての「我」であるとまとめられています。

常であり、単一(一定)であり、主として(主体的に)、宰(つかさど)る(コントロールできる)ような「我」はどこにもない

ということです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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執着に値しない

無我とは、ゆるぎない実体がないこと、空、夢・幻みたいなもんだ、という意味です。
で、無我・無常・苦は、同じことなのです。
無常がわかれば無我がわかる、
苦がわかれば無我がわかる。

私達が頭で考えること、概念や観念は、夢・幻のように実体がありません。
そのようなものに執着すると、悩み苦しみ・ストレスの原因になります。
無我・無常・苦とは、執着に値しないという意味でもあります。
心は無常です。瞬間瞬間に変化する心は、執着に値しないのです。(人は一時の感情にだまされて失敗しますが。)
眼耳鼻舌身意にどんどん入力されてくる刺激は、実は全て苦です。強い苦か弱い苦かの違いによって、私達は苦を快楽だと錯覚しますが、本来は全て苦です。だから執着に値しないのです。(人は快楽に酔って失敗しますが。)
私達が頭であれこれ考えたことは、所詮は頭で考えたことにすぎず、無我です。真実とはズレがあったり、今考えても仕方ないことを考えてしまったりもします。私、自分という概念さえも執着に値しない。(人は自分の思い込みににだまされて失敗しますが。)

執着は悩み苦しみの原因になる。
無我だと気付くことは、悩み苦しみを減らすコツです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「掴むことが出来るもの」を持ち合わせていないということ

すべてのものは、「掴むことが出来るもの」を持ち合わせていないということが、「無我」です。それは「ものは常に変化し続けている」ということです。しかし、私たちは常に変化し続け、掴むことが出来るものを持っていないものを、掴もうとしているのです。掴めないものを掴もうとするので、そこに苦が生まれるのです。そして、その掴もうとする手をものから離せば、苦から解放されるのです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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「無」=「0」ということです。

何もないということを般若心経でも説いています。
「色即是空・空即是色」まさに諸行無常であり、諸法無我であります。

かたよらない心
こだわらない心
とらわれない心

合掌

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祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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