回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【対機説法】【応病与薬】必要に応じて
”仏教は、決定論を支持しているのですか? ”
んー。決定論を支持というよりは、決定論を包括しているというほうがまだ適当かと。決定論的な部分もあるし、予定説的な部分もあるし。
仏教の特徴的な指導方法として【対機説法】または【応病与薬】というものがあります。教えを求める【対告衆】の【機根】、つまり相手の理解力やその場のシチュエーションなどを考慮し、必要に応じて柔軟かつ巧妙に指導方針を変えていきます。だから、話の相手にとって決定論が必要であれば決定論的な立場からものを言い、予定説が必要であれば予定説的な立場からものを言います。
”他宗教徒の方々についてどう思っているのですか?”
当然ながら、いろいろだと思います。
同じ仏教内でも、他宗派が大嫌いで絶対に認めないお坊さんも少なくはありません。逆に、例えば私の場合はかなりその点は、良く言えば寛容、悪く言えば曖昧でして。
余談ですが、私の場合は「Merry Christmas !! わたしは善き仏教とも善きキリスト教徒もともに尊重します。住職」と書いた法語ポスターを本堂に年がら年中掲示しています。愛用している腕輪念珠は、虎目石の丸珠と水晶の勾玉のセットでして。これは仏様も神様も大切にしたいという私のスタイルを象徴しています。同業者から時々バカにされますが、私はおかまいなしです(笑)
観念を固定しない
仏教は「八万四千の法門」と言われます。科学者は色んな説を唱え、その時その時の定説や流行はあっても、「科学ではこう」とは言えませんね。それと同じように、仏教の論師も色んな説を唱え、その時その時の定説や流行はあっても、「仏教ではこう」とは言えないんです。
面白かったのが、1年前か2年前くらいでしょうかね。hasunohaであの世についての質問があり、色んな宗派のお坊さんが文字通り色とりどりの回答をしたんです。そしたら問答と関係ない閲覧者さんがキレて「意味が分からん!なんでこんなに全員バラバラなんだよ!打ち合わせくらいしろよ!オレオレ詐欺の末端詐欺師だってもっと話を擦り合わせて電話するぞ!」みたいなツイートしてました(笑)そのくらい多様化してるんです。
んで、本題ですが、決定論系のアインシュタインもランダム論系の量子力学(シュレーディンガーやハイゼンベルクら)の対立する両者が仏教を支持してるんです。そんな風ですから決定論を支持するもしないも自由自在です。
むしろ仏教で大切なのは応病与薬。症状に応じた心構えの組み合わせを出来るか…です。
他宗教徒については、百人いれば百通りに色々いらっしゃるでしょう。偏見は差別の種です。
因縁論
問問様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教は決定論ではなく、どちらかと申しましたら、因縁論という立場となります。
決定論において帰結されるような実体、自性も否定される立場となります。
また、決定論では、三宅聖章様もおっしゃられていますように、何をしようが全て無駄であるという虚無論に陥る弊害もあります。実際は、そうではなく、善き因縁を調えることによって、善き結果を迎えることができるというところであり、仏教では、悟りへと向かうための善き因縁を調えるための教えとしてあるのでございます。
仏道をしっかりと修して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
仏教はというと私自身浅学のため分かりませんが、少なくとも私個人としては支持しません。
なぜなら、お釈迦様は私たちに努力しなさいとお教えになりました。努力することが生きることであると。
しかし、全てが決定されていると思えばどうでしょう、努力しようという気持ちが起こらないのではないでしょうか。
ですから、私個人としては支持しません。
また、他の宗派のことについては、たとえ拠り所とする経典が違っていても、仏法僧に帰依されているのでしたら同じ仏教徒として敬っております。