お坊さん
儲かること関係なしに、
貧乏だろうが、世のため人のためにお坊さんをやっている方は、本当にほとけさまのような存在です。しかし、ふつうに仕事をして、もっと収入を得たくはならないのですか?
それとも、やっぱり、お坊さんという仕事をしたくて、やっておられるのですか?趣味みたいなものですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
菩提心のために
あまり理由は考えたことはありませんが、学生時代落ち込んでファミコン世代で言うとディグダグぐらい地中深く掘って掘ってグダグダになっていた時期がありました。
この世に希望もなんも見いだせなかった頃でしたね。
そこから死にたいエネルギーに変わったのですが、やがてこんなことで死んでたまるか~的なエネルギーになって「本当のこととは何か、この世の真理とは何か」とか、学校や世間の勉強とは違う勉強欲・学び欲が生じて、仏教の勉強を始めたら面白くって面白くって。
ナンジャコリャー。
仏教って仏教っていう学問かと思ったら、みんな自分のことが書いてある、とゴゴゴ。
火がついて、修行道場行ってみたいという気持ちになりました。
そこからまた地獄の黙示録状態で、山あり~谷あり~で、第二次ダークグレーZONE突入。
日給200円くらいだったから、時給にすると9円くらいなのかな?生活できてりゃ、生きていけるものだということは体で覚えました。自分はともかく子供には不憫な思いをさせたくはないですがね。
立派な坊さんもおってね。救われました。
恩を感得できるといいですよ。何でも当たり前だと思っているから感謝の心が湧かん。
布団でも靴下でも携帯でもエアコンでも何でもみんな有り難いものです。
授かりに気づく。恩恵に気づく。自身を自身たらしめているものに気づく。
そうすると、今どんなにビンボーだろうとあるもので満たされる気持ちが沸くものです。
そりゃ、お金はある程度あった方がいいでしょうがね。
余ってたらご支援のほどよろしゅう。(笑)
坊さんってのは仕事でやっている人もいるんだろうけど、仕事じゃなくて生き方でもなくて趣味でもなくて坊さんなんだよ。真似とか、趣味、生き方、カタチの上でやっている内は真似事。
自分自身を絶した姿を坊さんというのだ。姿かたちがどうこうではないのです。
今年の流行語の候補に「ぼーっと生きてんじゃねーよ」みたいな言葉がランクインされていましたが(自作自演か)、ホントにそれは誰にでも言い当てはまる。
そのグダグダな周波数をガツンと自分にムチ入れ、カツを入れて、もう二度とダークなお池にはまらんようにすることです。
自分を固定視するのは自分なのです。
自分を心の一ヶ所にとどめているのも自分なのです。
自分もみんなもダメにする人間もいる。
自分もみんなもいい方向へもってこうとする僧侶もいる。
私は脱サラして僧侶になりましたが、
収入はサラリーマン時代を超えることはありませんでした。
今後も無いでしょう。
でも人生で得られるものは、
お金だけでないことがよく分かった気がします。
人生の物差しは収入だけではありません。
普通は収入を得るために自分の時間を奉げるわけですが、
収入以外の様々な苦痛も付いてきます。
抜苦与楽を旨とする仏教なら、
苦痛を伴う収入なら不要とするのが
仏教の立場だと思います。
少なくとも、
収入のためにする仕事ではないのが
僧侶です。
坊さんである事が嬉しいんですよ。
"儲かること関係なしに"
いえいえ、もちろん必要があれば収入を取りにかかる事もありますよ。
しかしながら、贅沢をしたいが為に収入を増やそうと思っても、どうせそんなご縁は思うように転がってくるわけがない、なんらかの横着な方法で無理に儲けようとしてもロクなことがない、という事をよく知っているのも、またお坊さんだったりします。
”ふつうに仕事をして、もっと収入を”
”やっぱり、お坊さんという仕事をしたくて”
はっきりしているのは、いわゆる「坊主丸儲け」という言葉ほど嘘なものはないなぁ〜という実感ですね。私の場合、普通に仕事をしていたほうが間違いなく収入も倍増するだろうし、安定したより盤石な生活を送れるようになるのは明白です。
でもねー、坊さんの仕事って、ちょっとここでは簡単に綴れないくらい、とっても痛快で楽しいんですよ。
そんなに純粋じゃない。カッコいいものではない。
お坊さんと言っても様々です。私は儲けたい気持ちもありますよ。人間ですから欲はあります。世の中そんな欲のない純粋なものだけでは回りません。お坊さんも同じです。
でもその欲が単なる欲のままに留まることをよしとしないのが仏法です。私自身から欲が無くなることはありませんが、そのことを自覚させ、常に問わせてくださるからこそのリアルな救いです。
他人に勝ちたい、褒められたいとの思いから勉強し、そんな我が身を仏法に破られ…儲けたい、楽したい、遊びたいとの思いが仏法に破られその思いは苦の枠組みの中であることを知る。
仏法に破られ破られ明かされる利養・名聞・勝他の我が身。その我が身を救うのが仏法です。我が身の欲をなくして救ってくれるわけではありません。欲まみれのこの私をこその教えです。
おっしゃるように単に儲かるだけならば別の仕事の方がいいのかもしれません。でもなんでしょう…上手く言えませんが、それでもお坊さんとして生きたいという思いを抱かせるものが仏法にはありますし、あるいは別の仕事ができるようなろくなものではないからお坊さんをさせていただいているという面もあるかもしれませんし、これもまた純粋なものではありません。
なので、なぜお坊さんやっているのか?と問われれば
「ご縁(たまたま)です」
としか言えません。一切は無我であり無常なるもの。つまり条件づけられたものです。絶対的な自由意志はありません。
私がお坊さんをしたいという思いも、させていただいてるこの今も、様々な条件によるいただきものです。
生きやすく
やっぱり学生の頃は一般企業に勤めて、社会で自分がどこまで通用するのか試したいという気持ちはありました。
お金だって欲しいです。私は地元の過疎化と戦いたいです。そのためにはいくらあっても足りるものではありません。
でも結局、仏教にはそれらに勝る魅力があるんですよね。仏教には人を優しくする力があります。3億円もらうよりは、私の直径3億人に優しくなってもらったほうが嬉しいじゃないですか。金持ちになってギスギスした所で生きるより、みんな優しいほうが生きやすいと思うんです。
それに楽しい話や感動した話があったら、人に伝えたくなりますでしょう?そんな感じでやめられない止まらないのが仏教です。教えという意味でもそうですし、頑張っているお坊さん達のことも皆さんに知っていただきたいです。
余裕(使えるお金)があればと思うことは多々です・・
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
余裕(使えるお金)があればと思うことは多々であります。
先月はお小遣い二ヶ月分の出費(交通費とお布施)で、ダライ・ラマ法王様のご尊顔を拝しに福岡まで行って参りましたため、今月は月末まで使えるお金が正直ゼロで、他にも幾つか支援の寄附を頼まれているのに、できない状態であります・・しくしく・・
どうにか、対外的に活動していくためのお金がつくれないものかと、思案はしていますが・・なかなかであります・・
たまに淡い期待の下、宝くじを買ったりしていますが。。
とにかく、私たちの目的はお金儲けとかではなく、皆様に仏教による救いや安心、癒しをご提供申し上げてゆくことであります。
もちろん、現実には家族の生活もあるため綺麗事は言えないところもありますが、何とかやりくりしていくことも修行であると考えております。
川口英俊 合掌