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お坊さん

回答数回答 7
有り難し有り難し 252

儲かること関係なしに、
貧乏だろうが、世のため人のためにお坊さんをやっている方は、本当にほとけさまのような存在です。しかし、ふつうに仕事をして、もっと収入を得たくはならないのですか?
それとも、やっぱり、お坊さんという仕事をしたくて、やっておられるのですか?趣味みたいなものですか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

菩提心のために

あまり理由は考えたことはありませんが、学生時代落ち込んでファミコン世代で言うとディグダグぐらい地中深く掘って掘ってグダグダになっていた時期がありました。
この世に希望もなんも見いだせなかった頃でしたね。
そこから死にたいエネルギーに変わったのですが、やがてこんなことで死んでたまるか~的なエネルギーになって「本当のこととは何か、この世の真理とは何か」とか、学校や世間の勉強とは違う勉強欲・学び欲が生じて、仏教の勉強を始めたら面白くって面白くって。
ナンジャコリャー。
仏教って仏教っていう学問かと思ったら、みんな自分のことが書いてある、とゴゴゴ。
火がついて、修行道場行ってみたいという気持ちになりました。
そこからまた地獄の黙示録状態で、山あり~谷あり~で、第二次ダークグレーZONE突入。
日給200円くらいだったから、時給にすると9円くらいなのかな?生活できてりゃ、生きていけるものだということは体で覚えました。自分はともかく子供には不憫な思いをさせたくはないですがね。
立派な坊さんもおってね。救われました。
恩を感得できるといいですよ。何でも当たり前だと思っているから感謝の心が湧かん。
布団でも靴下でも携帯でもエアコンでも何でもみんな有り難いものです。
授かりに気づく。恩恵に気づく。自身を自身たらしめているものに気づく。
そうすると、今どんなにビンボーだろうとあるもので満たされる気持ちが沸くものです。
そりゃ、お金はある程度あった方がいいでしょうがね。
余ってたらご支援のほどよろしゅう。(笑)
坊さんってのは仕事でやっている人もいるんだろうけど、仕事じゃなくて生き方でもなくて趣味でもなくて坊さんなんだよ。真似とか、趣味、生き方、カタチの上でやっている内は真似事。
自分自身を絶した姿を坊さんというのだ。姿かたちがどうこうではないのです。
今年の流行語の候補に「ぼーっと生きてんじゃねーよ」みたいな言葉がランクインされていましたが(自作自演か)、ホントにそれは誰にでも言い当てはまる。
そのグダグダな周波数をガツンと自分にムチ入れ、カツを入れて、もう二度とダークなお池にはまらんようにすることです。
自分を固定視するのは自分なのです。
自分を心の一ヶ所にとどめているのも自分なのです。
自分もみんなもダメにする人間もいる。
自分もみんなもいい方向へもってこうとする僧侶もいる。

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有り難し
おきもち

私は脱サラして僧侶になりましたが、

収入はサラリーマン時代を超えることはありませんでした。
今後も無いでしょう。

でも人生で得られるものは、
お金だけでないことがよく分かった気がします。
人生の物差しは収入だけではありません。

普通は収入を得るために自分の時間を奉げるわけですが、
収入以外の様々な苦痛も付いてきます。

抜苦与楽を旨とする仏教なら、
苦痛を伴う収入なら不要とするのが
仏教の立場だと思います。

少なくとも、
収入のためにする仕事ではないのが
僧侶です。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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坊さんである事が嬉しいんですよ。

"儲かること関係なしに"
いえいえ、もちろん必要があれば収入を取りにかかる事もありますよ。

しかしながら、贅沢をしたいが為に収入を増やそうと思っても、どうせそんなご縁は思うように転がってくるわけがない、なんらかの横着な方法で無理に儲けようとしてもロクなことがない、という事をよく知っているのも、またお坊さんだったりします。

”ふつうに仕事をして、もっと収入を”
”やっぱり、お坊さんという仕事をしたくて”
はっきりしているのは、いわゆる「坊主丸儲け」という言葉ほど嘘なものはないなぁ〜という実感ですね。私の場合、普通に仕事をしていたほうが間違いなく収入も倍増するだろうし、安定したより盤石な生活を送れるようになるのは明白です。

でもねー、坊さんの仕事って、ちょっとここでは簡単に綴れないくらい、とっても痛快で楽しいんですよ。

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おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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そんなに純粋じゃない。カッコいいものではない。

お坊さんと言っても様々です。私は儲けたい気持ちもありますよ。人間ですから欲はあります。世の中そんな欲のない純粋なものだけでは回りません。お坊さんも同じです。

でもその欲が単なる欲のままに留まることをよしとしないのが仏法です。私自身から欲が無くなることはありませんが、そのことを自覚させ、常に問わせてくださるからこそのリアルな救いです。

他人に勝ちたい、褒められたいとの思いから勉強し、そんな我が身を仏法に破られ…儲けたい、楽したい、遊びたいとの思いが仏法に破られその思いは苦の枠組みの中であることを知る。
仏法に破られ破られ明かされる利養・名聞・勝他の我が身。その我が身を救うのが仏法です。我が身の欲をなくして救ってくれるわけではありません。欲まみれのこの私をこその教えです。

おっしゃるように単に儲かるだけならば別の仕事の方がいいのかもしれません。でもなんでしょう…上手く言えませんが、それでもお坊さんとして生きたいという思いを抱かせるものが仏法にはありますし、あるいは別の仕事ができるようなろくなものではないからお坊さんをさせていただいているという面もあるかもしれませんし、これもまた純粋なものではありません。

なので、なぜお坊さんやっているのか?と問われれば

「ご縁(たまたま)です」

としか言えません。一切は無我であり無常なるもの。つまり条件づけられたものです。絶対的な自由意志はありません。

私がお坊さんをしたいという思いも、させていただいてるこの今も、様々な条件によるいただきものです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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生きやすく

やっぱり学生の頃は一般企業に勤めて、社会で自分がどこまで通用するのか試したいという気持ちはありました。
お金だって欲しいです。私は地元の過疎化と戦いたいです。そのためにはいくらあっても足りるものではありません。

でも結局、仏教にはそれらに勝る魅力があるんですよね。仏教には人を優しくする力があります。3億円もらうよりは、私の直径3億人に優しくなってもらったほうが嬉しいじゃないですか。金持ちになってギスギスした所で生きるより、みんな優しいほうが生きやすいと思うんです。

それに楽しい話や感動した話があったら、人に伝えたくなりますでしょう?そんな感じでやめられない止まらないのが仏教です。教えという意味でもそうですし、頑張っているお坊さん達のことも皆さんに知っていただきたいです。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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余裕(使えるお金)があればと思うことは多々です・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

余裕(使えるお金)があればと思うことは多々であります。

先月はお小遣い二ヶ月分の出費(交通費とお布施)で、ダライ・ラマ法王様のご尊顔を拝しに福岡まで行って参りましたため、今月は月末まで使えるお金が正直ゼロで、他にも幾つか支援の寄附を頼まれているのに、できない状態であります・・しくしく・・

どうにか、対外的に活動していくためのお金がつくれないものかと、思案はしていますが・・なかなかであります・・

たまに淡い期待の下、宝くじを買ったりしていますが。。

とにかく、私たちの目的はお金儲けとかではなく、皆様に仏教による救いや安心、癒しをご提供申し上げてゆくことであります。

もちろん、現実には家族の生活もあるため綺麗事は言えないところもありますが、何とかやりくりしていくことも修行であると考えております。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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儲かる/儲からないという視点に立たず、少欲知足の生活している、という事です。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

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回答数回答 1

お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

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尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ