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施餓鬼料金「一霊5000円」とは何ですか?

うちの菩提寺は京都の浄土宗のお寺です。
毎年、彼岸会の葉書に「施餓鬼料金 一霊5000円」と書かれたものが送られて来ます。

霊魂を否定する仏教において「一霊」とは何ですか?

お寺
有り難し 22
回答 4

質問投稿日: 2019年3月21日 0:01

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

この世での命が終わり肉体から離れた存在を霊、魂、精霊などと呼びます。もしかしたら上座部仏教などではその存在を否定しているかもしれませんが、大乗仏教やその中の浄土宗では否定していません。
どちらが正しいかというよりも、どちらが自分が納得できるか、安心できるか、ということです。なぜなら人それぞれ考え方や価値観や境遇などが違うからです。
また、施餓鬼法要とは餓鬼に供養することが、先祖供養になるという習わしです。これは原始仏教の経典の一つの餓鬼事経の一部が中国を経る中で内容が少し変わりながら日本に伝わった法要です。
ですから、あなたのご先祖様あるいは往生されている方を供養する為の施餓鬼の法要ということです。
ただ、宗教は強制するものではありませんし、施餓鬼法要も同じく強制するものではありませんから、納得できないことは無理にやらなくてもいいと思いますよ。
私のお寺のお檀家様も施餓鬼供養をされる方もいれば、されない方もいますからね。
浄土宗において大切なことは「ご先祖の皆さんと極楽浄土でいずれお会いできますように。」と念じて、「南無阿弥陀仏」とお唱えすることですからね。
なお、もちろん宗派や宗教を変えることも自由ですから、あなたの考え方を尊重してくださいね。

1ヶ月前
回答僧

大慈

意味①、意味②

他宗派ですが、「仏教において」とのことですので。
おそらく何かの本に「仏教は霊魂を否定」と書いてあったのでしょうが、実はこの手のよくある説明はかなり乱暴です。

厳密にいうと仏教は『アートマンを否定』しています。じゃあアートマンとは何かと言いますと、日本や中国には存在しない概念なので物凄く説明しづらいんです。仮にウィキペディアから引っ張ってきますと、

>本来の語義は「呼吸」であったが、そこから転じて、生命、自己、身体、自我、自我の本質、物一般の本質自性、全てのものの根源に内在して個体を支配し統一する独立の永遠的な主体などを意味する。

とあるわけですが、東洋人の思い描く魂魄のような霊魂とは別物です。でも一般人向けの本を書くのに難しい説明をしていられないので、語弊があると分かりつつ「霊魂を否定」という言葉で済ましています。
真我という訳語もありますが、それを使ったところで真我の説明を書かないといけませんし…

で、日本仏教を叩きたい人がそんな事情につけ込んで「ブッダは霊魂を否定したのに、日本仏教ガー、日本仏教ガー」と、叩いている構造があるわけです。

日本史の教科書でも、あれも嘘だった、これも嘘だった状態になっていますが、実は仏教の教科書でも人知れず同じことが起きていますのでご注意ください。

さて、では仏教で「一霊」とは何かと言いますと、「故人をあらわす慣用句」くらいに考えていただけると非常にありがたいです。

それで納得いただけないなら、こちらをご覧ください。リンクの六境や「見られる自分」のことです。
https://hasunoha.jp/questions/17875

もしくは「故人の影響力」と書くのが分かりやすいでしょうか。全ての行いには「すぐに現れる影響」「近い未来に現れる影響」「遠い未来に現れる影響」があります。生前の行いの影響は死後にも存在しています。

そういった仏教の世界観が、仏教的な救いのシステムの中で大事な役割を果たしているのは事実です。そういう所を押さえて法話を聴くと、聴こえ方が変わってきます。
しかしそれを霊と呼ぶか、アートマンを霊と呼ぶかは言葉の定義の問題です。辞書の意味①、意味②でしかありませんので、結局は文脈とコミュニケーションの機微の問題になります。だからやはり慣用句くらいに思っておくくらいが無難だと思います。

30日前
回答僧

願誉浄史

「卒塔婆1本」を「1霊」と呼ぶ

慣例的に1霊と数えたりしますが、1名のことです。
具体的には、たとえば卒塔婆1本につき五千円という意味です。
ただ、お寺によっては1本の卒塔婆に亡くなった父母2名(2霊)の名前を並べて書く場合もあるようですね。
また、卒塔婆を書かずに、供養の儀式の中で名前を読み上げるだけの場合もあるかもしれません。
生き物は、五蘊(ごうん)という五つの現象がからみあったものです。
色・受・想・行・識の五つです。
そのうち、色が物質・肉体のことです。
あとの4つは、精神(心、霊)的な現象です。
で、受・想・行・識の4つの現象をまとめて「名」と呼びます。
五蘊を、色と名、「名色(みょうしき)」とも言います。
仏教では、無我を説きますね。
誰々さんという「個体」は実体ではなく、実は五つの要素がからみあっている、台風みたいなものです。
台風の雨風は瞬間ごとに新しい雨風ですが、一応「台風何号」とか名前をつけて、一連の個体として捉えるのです。
卒塔婆に名前を書いて供養する場合も、本当は瞬間瞬間に別々の五蘊だった人間を、一応ひとくくりの名(霊)で「1名・1霊」と認識しているのです。
ちなみに、卒塔婆は元々はストゥーパという、偉い人の遺骨を納めた場所に建てた搭です。
ストゥーパを拝むとき、尊敬すべき人のことを思いだすので、拝む人の心が清らかになります。
日本仏教では、亡くなった人は皆いつかは仏様(尊敬すべきカリスマ指導者)になると考えますので、「1霊」は「1仏」でもあります。

1ヶ月前

「霊」について

kenta様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かに拙寺でも、お亡くなりになられました方のことを霊(位)として、塔婆などで、戒名の下に使います。

施餓鬼棚には、「三界萬霊有無縁等」とある位牌を祀りますが、これは、一切全ての衆生を表わすものとして「萬霊」と表記されております。この場合は、生きている者も亡くなられた者も関係なく、全てを「霊」として表すところとなっています。

肉体が滅んだとしても、連続する意識は続いてゆくものであるため、その連続する意識を「霊」として表すものになったと考えられます。そういう意味で、前世の死後が今世であるため、連続する意識と考えれば、生きている者にも使えることにはなります。

また、死後、「中有」にある者は、我々、粗い認識器官では捉えられないのですが、その意識が身体のようなものを成す「意成身」の状態となるため、その「意成身」について、特別にも認識できた者(私はできませんが・・)により、それが「幽霊」と呼ばれるものとなったことも考えられます。

最近は、監視カメラやドライブレコーダの急速な設置により、事故現場を録画しているカメラも多くあり、残念ながら事故により亡くなられてしまわれた方から出ていく影を捉えている映像が公開されているものも実際にあります。

それらを幾つかネット上にあるものを観まして、「意成身」はやっぱりあるのだと、拙生は改めて納得した次第でございます。

「連続する意識」をまあ、「霊魂」と表現するのですが、あくまでも、実体として成り立ってはいない「空」ではあるものの、「縁起」によりあり得ているものとして考えるところとなります。

川口英俊 合掌

26日前

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