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動物や植物が仏にならない理由

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有り難し有り難し 41

仏教の教えを忠実に実践すると植物のような存在になるなと感じました。
しかし仏性は人間にしか無いとも知りました。
なぜ元から罪のない動物や植物は仏になれない(なっていない)のでしょうか。
「仏性の自覚」とは「罪を持っている」という自覚のことでしょうか?
切れ端のような知識で申し訳ありません。
気になったので質問させていただきました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

順に回答します

>仏教の教えを忠実に実践すると植物のような存在になるなと感じました。

これは勉強している途中で割とありがちな誤解で、学校のテストのように、感覚や心を0か100か、有るか無いかの二元論で考えているとこうなります。
仏教では感覚や心を例えば前五識、第六識、第七識、第八識のように細かく分けてとらえています。そこで、苦につながる組み合わせは不活性化して、安楽につながる組み合わせを活性化するよう、臨機応変にイイ感じにしていくのが仏教です。心を全否定しているわけではありません。なんなら苦も全否定しているわけはありませんし。

>しかし仏性は人間にしか無いとも知りました。

禅宗の無仏性を学ばれたのだと思いますが、この無はあくまで仏教語の無であり、国語辞典の無とは全くニュアンスが違います。「存在しない」の意味ではなく、「俺は俺、あなたはあなた」という考えかたをやめて、「俺は世界、世界は俺」なのが無であり、仏性です。つまり「仏性は無い」のではなく、「無という仏性」なわけですね。

>なぜ元から罪のない動物や植物は仏になれない(なっていない)のでしょうか。

山川草木、悉皆成仏という言葉がありまして、山も川も草も木も、本来み〜んな仏です。草は世界、世界は草ですから。
ただ、学派や宗派によっては「悟りの定義とは、煩悩を滅して悟りを得ること→植物には意識がない→煩悩がない→悟れない」ので、意識がないと悟りの定義に当てはまらないという話になります。

もっとも、「俺は世界、世界は俺」の中で、仏を「俺」の側から語ってるか、世界の側から語ってるかだけの違いなので、もっともっと深いところではどちらも同じことを言ってるんですけどね。

一言で仏性といっても、「仏に成れる可能『性』」というニュアンスと、「仏としての『性』質」というニュアンスの2通りがあります。この辺の違いもあって、なかなかややこしいですよね。

仏教を学ぶときは場合わけしないとドンドン泥沼にハマりがちですので、どこかのタイミングで宗派を決めて、その宗派の場合…で学ぶとスッキリしますよ。超宗派ごちゃ混ぜだと、パズルをはめ合わせてもそうそう1つの絵になりません。

ちなみに、そこで罪という言葉を選ぶ著者はアヤシイです。100%とは言いませんが、地雷感が高めです。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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「有情」

nekodaisukiさま

「有情」というものは、「心」の有無が重要な鍵となります。

つまり、輪廻していく存続する意識としての心があるのかどうかであります。動物には、「心」があるとしますが、植物には、心が無いと定義されるものの、もしかすると心の有る植物もあるかもしれないため、一概に全ての植物には心が無いとも言えないところとなります。(但し、心があったとしても、仏道を修することのできる条件が調っているかどうかも重要なポイントとなります。人間は、娑婆世界の衆生の中では、有暇具足と申しまして、その条件がほとんど調っている境涯となります。しかし、それも全員が全員そういうわけでもないことにも注意が必要です。また、有暇具足が調っていない衆生であっても、仏道を修せられる境涯へと向かわせるための仏縁を調えてあげることにより、やがて仏道を修せられる境涯へと至らしめられることは当然に可能なものとなります。供養をするということの意義というのも、そのようなところとなります。)

仏教の実践は、「七仏通誡偈」にありますように、悪い行いをなさずに、善い行いに努め励みて、心を浄らかに調えていくことが大切となります。

ただ、心を浄らかにするのも、何も考えない、何も思わない、無機質な状態によるのではなく、しかるべき智慧と功徳により調えていくことが必要となります。

私たち有情が、この輪廻して苦しむ原因は、無明(根本的な無知)とそれによる行いとしての悪いカルマ・業によるものとなります。

何も考えない、何も思わないだけでは、過去世からの無明、業をより善くに浄化していくことは難しいものであります。

浄化していくための実践が、大乗仏教であれば、代表的には六波羅蜜の行となります。

一切有情を救えるための悟りへと向けて、仏道を進めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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『山川草木悉皆成仏』という思想があります。

nekodaisukiさん、こんにちは。

動物や植物は仏にならないのかとうことですね。
仏教の教え、思想にも、お釈迦様から多くのお弟子さんが研鑽していくなかで、さまざまな教えの解釈があります。

日本でが法華経経典が広まったことで、法華経の教えにある『畜身成仏』『山川草木悉皆成仏』。動物も、自然もみな成仏するという思想が根底となって、さらに多くの宗派の教えが発展しています。

法華経とうお経を是非勉強してみてください。あなたの疑問に答えがあると思います。

がんばって!応援します。合掌

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おきもち

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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