hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

神祇不拝とは

回答数回答 4
有り難し有り難し 273

本願寺派の門徒です。真宗では弥陀一仏に帰依する立場から、神棚を祀ったり祈祷占い等を受けたりしない決まりごとのようです。
ですが、わたしは地元の神社のお祭りには氏子として協力しますし、正月には当然のように神社に初詣に行き1年の健康を祈願します。子供の成長を願って七五三詣にも行きました。
門徒としてはこういう態度はやはりよくないのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

否定せず、頼りとせず

ご質問のタイトルを見て、すごい質問が来てしまったと驚きました。
そして回答者陣を見て、よく回答している者の中では私だけが浄土真宗なので、お答えせねばと思いました。

さて、おっしゃる通り浄土真宗では、神棚を祀ったり神社にお参りすることを積極的に肯定していません。親鸞聖人も和讃(わさん:七五調の詩)で…
「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀つとめとす」と詠まれています。
(意:悲しいことだ、僧侶も一般の方も、日の善し悪しを気にし、天地の神をあがめ、占いや祈祷にたよっている)

ですが一方、関東滞在中に鹿島神宮に参詣したり(所蔵されていた書籍を見たかったようですが)、帰京の際には箱根権現に参詣されたとしています。

当時は今のように寺と神社がはっきりと分かれておらず融合している部分もあり、親鸞聖人ももっとゆるやかな感覚を持っていたのではないでしょうか。ただ、上記の和讃のように、迷信や占いに振り回されないで欲しい、という願いを持っていたのだと思います。

僧侶によって温度差はありますが、私は神社のお参りや初詣、良いのではないかと思います。私も先日、お檀家さんを連れて鎌倉に行きましたが、臨済宗のお寺と鶴岡八幡宮をお参りしました。

もちろん手を合わせることもします。しかし私が頼りとするのは阿弥陀仏だけなので、そこで願い事を念じたりはしません。「御利益がありそうだから何でも信じる」ことはしません。

私の感覚としては、他宗派や他宗教へのお参りは「隣の国の王様に、敬意を表して挨拶する」という感じで、そして「自分の国の王様(阿弥陀さま)に、絶対の忠誠と信頼を敬愛とを捧ぐ」と考えています。
この例え、伝わりやすいでしょうか?

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

仏教はフトコロが大きい

私は禅宗の僧侶ですが、友達にはクリスチャンの方や他宗派の方も、同級生では創価学会を信仰している方もいます。
ですが私にとって彼らは皆友人です。
よく同じ宗教同士で争っておられる国などをみますと、仏教は争いがなくて本当に良い宗教だと思います。

さらに素晴らしいのは日本人の高い宗教性だと思います。
クリスマスにはキリストを祝い、
大晦日には除夜の鐘をついてお寺にお参りし、
お正月には神社へお詣りをする。
それでいてそれぞれに親しめる柔軟性がある。

食べ物でたとえるならば、そばもうどんもラーメンも同じ麺、ヌードルです。
別に麺同士で喧嘩はしていません。
舌も喉も、分け隔てなく受け入れます。

人間が心の中で競い合う心を起こした時にだけ対立が起こるまでです。
食材ですら、それぞれ個性があって、それぞれの風味や味が違います。
いまだかつて世界がラーメン一色、うどん一色に染められた歴史もありません(笑)
だからこそ、互いに尊重し合う心こそがこの現代における高い宗教性であると思います。

競ったり、争って、自分の優位性ばかりを主張し、古来より大事にされていたものや文化を破壊してしまうようなあり方では、いくら宗教の名をかたっていても、それは宗教ではなく、世俗の争いの世界です。

これは笑い話ですが、
お坊さんが着ているお袈裟はインドの服。
その下の法衣は中国の僧服。
その下の白衣は日本古来からの服。
そしてその下にはUSA産やベトナム産のユニクロシャツを着ています(笑)

拙僧の生まれ育ったお寺の境内には神社の鳥居があります。
小さい頃は何でお寺に神社の鳥居や社があるのだろう、と不思議に感じました。
境内を散策される方は、お社の前でパンパンと柏手をされてお参りをされたあと、本堂の前で静かに手を合わせてお参りもされているのです。

神社だからお参りしない、キリスト教だから関わらないという姿勢では、御釈迦様はきっとお嘆きになられるのではないでしょうか。
神社の鳥居もおヤシロも壊されずに今日まで残ってきたことが、仏教のフトコロの広さであると思います。
仏教の精神は、決して排他的な精神ではありません。
互いの個性を尊重し合い共存共栄してゆくあり方であると、思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

摂取不捨

信仰と習俗を同じ土俵にのせなくてもいいかと思います。

真宗門徒である前に仏教徒であること。
仏教徒であるまえに宗教を大切にする。

町内の付き合いで氏子サンのお仕事を何回かしたくらいで揺れる信心なら、それは帰依とは言いません。
真宗の教えはそんな器量の狭いものではないです。

氏子サンとしてお神輿が無事終わったり、七五三で素敵な写真が撮れたら、そのときはなんまんだぶつと手を合わせてくださると嬉しいです。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


大事にしていることが理解されないと悲しい。 必要とされないことも悲しい。...

ナツツバキ 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

宗教に関しましては、浦上哲也師と同様に相互尊重、また寛容性が誠に大切なことであると存じております。

思想・主義・宗教の対立により争いが起こり、これまでも人類は幾度となく悲劇を繰り返して参りました。

仏教においても、インド並びに伝播に伴っての各国・地方におけるもともとの土着の宗教・信仰・思想との対立が様々な弊害を生み出し、時には血が流れることももちろんでありましたし、各宗教は、時の権力との結びつきを強めて勢力拡大を図ろうとすることもあり、そのために巻き込まれていく争いも当然に多く見受けられました。

しかし、仏教にはもともと不殺生や不瞋恚、不害や忍耐の教えがあり、争いや対立は本来好まない傾向があるため、では争わずにいかにして土着の宗教・信仰・思想との融和を図り、また逆に取り込めていけるかということにも腐心していくことになります。例えば、インドではバラモン・ヒンドゥー教、中国・韓国では、儒教や道教など、チベットではボン教、日本では神道などとなります。

おおよそ傾向的には、各それぞれの信仰対象となる神や尊格を仏教の守護神・護法尊として奉ることで対立を回避していくということが言えるのではないかと存じます。その神や尊格の中には、明王、菩薩、如来といった存在にまで高められているものも多くあります。

もちろん、如来や菩薩にまで格上げされている神や尊格は実体としてあるものではなくて、あくまでも仏の教えの顕れとしての役割がそれぞれに与えられて、目的である悟り・解脱・涅槃へ向けての助けとしての存在である点には注意が必要であると考えております。

上記のことを踏まえて、拙生の考えとしましては、僧侶・仏教徒であっても、仏道修行を進めていくためということを前提として、産土・鎮守神社に安穏・安全・健康・長寿などを祈願するために参拝することは特に問題ないことではないかとは存じております。

少しなりともご参考となりましたら幸いでございます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

浦上様、川口様、ありがたいご回答賜り感謝申し上げます。
浦上様の「表敬訪問」というお考えはとても納得いくものでした。個人的な「ご利益」を期待せず、すべてを阿弥陀様にお任せする立場が定まっていれば、他の神仏とのおつきあいはおのずとそうなるということですよね。
川口様、「守護・護法の神様」であればこそ、敬意をもって接していくことは大切でありますね。それは仏の御心にもかなっているということですね。

泰庵様、丹下様、ご回答ありがとうございます。
摂取不捨、なんとありがたいことでしょう。阿弥陀様はありのままの私を受け入れてくださるのですね。神仏を大切にしつつ、お念仏合掌したいと思います。
日本では無宗教の人が増えていると聞きます。自分の信じるものが違っても、「宗教を大切にする」ということは大事なことだと思います。

「仏教全般」問答一覧

三毒の瞋恚について

少し、仏教(日本の仏教、大乗仏教?かわかりませんが)を調べてみたのですが、三毒という概念が出てきました。そこの怒り、瞋は世の中を悪くする毒だという考え方に触れました。 ですが、私が思うにこの毒こそ、今の世の中に必要な薬ではないのでしょうか? 今のしらけきっている世の中では本当に救われる存在に対して別に心動かさない。私と関係ないという愛のない空気が漂っています。そんな中だからこそ、ちゃんと憎むべきだと思うのです。不正や、不義を見つけ、恨み、ほかの不正、不義に怒り、徳をかざすもの(徳の騎士)達の闘いこそが、この世の中に血を通わせると思うのです。確かに多くの人達が死ぬでしょう、正義もみつからないでしょう。ですが、不毛なものではないと思うのです。その痛みを知ったからこそ愛を求め、与えることができるのではないのでしょうか。転じて、少し仏教ディスをしますが、なぜそういった熱い魂を毒と切り捨て、平穏という退廃を望むのですか?それは持っているもののみ、自身の苦しみに気づかずに他人を傷つける愚者を増やすだけではないのでしょうか?それでは真に救うべき絶望に抗い、戦う者達に失礼ではないですか?そのものらは心の安寧のために戦っていると?一度、絶望したものは死ぬまで安寧とは無縁の人生を送るでしょう。そんな者達に安寧は残されていると?彼らはただ絶望と戦い、苛烈に人生という闘争の中、死ぬことだけが救いだと思うのですが、どうでしょうか?

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

学ぶ方法が知りたい

仏教をもっと知りたくて、ネットを活用していたところ、 hasunohaさんを知りました。 過去のQ&Aを拝見させて頂くと、 実際の僧侶の方々のお答えの方が難しい言葉を並べた活字より、 私には馴染みやすいような気がします。 (以下はプロフィールと重複しますが) 縁あって(しかもまったく別件で2度)、真言宗に関わるようになり 30年近くになります。 その頃は少しずつ、作法等を教わったのですが、 2年ほどで絶縁したため、基本を知らず、現在に至ります。 昨年、不思議なご縁の下で ホントに自分がやりたい事は何か?を 時間を掛けて自分に問い、 やはりご縁のあった仏道を進みたい。 今世に生まれた意味を知りたい。 そして少しでも人様のお役に立つのなら・・・ まずは 読んでるお経の意味を知るべきよね、 仏教用語的な言葉の意味も知るべきよね、 と、ネットで検索三昧。 そうなるとどんどん拡大してしまって、 真言宗ってそもそも・・・ 父方は浄土真宗でお寺さんもすぐ近く。 浄土真宗ってどんな考え方なの? 大日如来、阿弥陀様やお釈迦様って? などいろいろと知りたいことが増えてしまいました。 言葉が適切かはわかりませんが、 効率的な学び方を教えて頂きたくてこの場をお借り致しました。

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

お金を積まないと成仏しないのでしょうか

先日同居していた独身の伯母が亡くなり、甥姪に遺産が分配されることになりました。 その相続人の中にMという従姉がいます。 Mは3年前に亡くなった伯母の一人娘なので600万円、私は姉と2人姉妹なので300万円ずつ分配される予定です。 私と姉は父が遺した莫大な借金のせいで自己破産して苦しい生活をしていたので伯母の遺産は生活を立て直す最後のチャンスだと思っています。 ところがMはある新興宗教にハマっていて(ネットで検索すると○○寺詐欺と出てくる有名な新興宗教です)、伯母と私の両親の供養をするから私と姉に600万払えと言ってきました。 Mが傾倒しているお寺の住職さんが 「伯母と私の両親が私と姉がお金を出さないので成仏できずに苦しんでいる」 と霊視で言われたと言うのです。 私の両親は檀那寺のお坊さまにきちんと供養していただいています。 なのでそれを断ると私たち全員地獄に堕ちると脅してきました。 そもそも亡くなった伯母はその宗教を嫌っていたのに、Mが勝手に自分が傾倒しているお寺で永代供養をすると言って遺産の中から800万払えとも言っています。 お骨もそのお寺(かなり遠方です)に持って行くと言っていて、私は伯母が何の縁もない土地に葬られるのが気の毒です。 伯母は祖父母が入っている納骨堂に入るものだと信じていたはずなのに、Mが勝手にお骨まで持って行くのが伯母に申し訳なく思います。 何百万円とお金を払わないと死者は成仏できないのでしょうか。 Mは生活費を削って借金をしてでも払えと言っています。 私の家は浄土真宗本願寺派でMがハマっているのは真言宗系の新興宗教です。 地獄の沙汰も金次第なのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 36
回答数回答 2

発菩提心について。

先日のご回答、ありがとうございました。 お陰様で、今の生活を充実させて楽しく暮らせています。 次の質問をお願い致します。 私は仏教が好きですが、ひとつ、モヤっとしていることがあります。 それは、仏になることを目指さなければいけないのか?!という点です。 悟ってしまったら楽しく無いんじゃないかなぁ?と今の私は思ってしまうんです。たとえば、素敵な異性に素敵だと思われたい欲、仲良くしたい欲、 そういうのも無くなるだろうなと。 現状は、そういう明るい欲が、生きている中での楽しみや張り合いになってる気がします。 そのようなわけで、仏教に興味持っていながら申し訳ないのですが、如来になるのを目指すということにコミットできていません。うやむやにしたまま、仏教ライフ送っています。 私が用いている勤行用の作法本に発菩提心真言も載っているので唱えていますが、 菩提心を本心から起こせていないのに 唱えてて良いのかな?とも思います。害はないのではと思うので、そのまま唱えていますが。  さんまや戒も唱えています。 如来を目指す決心はついてないよ、、だけどおつとめは好きだからするよ、という私に 何かアドバイスやヒントがありましたら、ご回答お願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

密教や色々な事にアドバイスをください

前の質問に回答くださったお坊さんにはとても感謝しています有難うございます 前に密教関係の別の方の質問の回答に 罪にはなりませんとか書かれていたのにそれを分かった上で質問してしまって 嘘をついたのではないかと不安になりました 仏様は罰を与える存在ではないことと知っていますしこの質問も前に聞いた質問を見て安心したのですがまた不安が出てきました、仏具屋さんの広告なども怖く感じてしまいます敬意を出来るだけ持ちたいのですが 回答を頂いた言葉をスクリーンショットして不安な時に見ているのですが駅などで見られたと不安になりました 私は毎日母の亡くなってしまった家族に水を渡して祈っているのですが不安で密教の事について助けてくださいと言ってしまいました、家族は仏教徒ではありません その密教道具の名前が頭にいきなり浮かび話したら駄目という気持ちが強く辛いです 歌を歌っている時にその道具の名前が浮かんできてその名前を言ってしまったかもしれません 喋っている時でもその道具の名前が出てきて言ってしまうんじゃないかもと不安になります もしかしたらもう言ってしまったかもしれません 前に管理人さんのブログに密教と検索したのですが全ての記事の写真や記事は見ても大丈夫ですか? 質問に書かれた情報とハスノハに出てきたお経の写真があったのですが大丈夫ですか? 検索などしてしまうかもしれないです 次に雑念についてです 私は教科書などで仏教などを見ていると くだらないとかニートじゃんとかくそとか綺麗事じゃんとか言葉が出てきます 車で神社かお寺に通りかかった時その頃は不安で不安でいきなり密教はクソとか汚い言葉が出てきてしまいました本心かもしれません 私は最終的には仏教を貶す気持ちは有りませんが どうしてもポロっと出てしまいます 私の祖母のことを考えた時ずっと元気でいてほしいと思っているのにお葬式の時を想像してしまいます他の人もあります 仏様の首が切れてしまう想像をしたりしてしまいます 寝る前に活発になるので「もし明日晴れたら仏様が言ったみたいなことだから○さんに会いに行く」 と言っても会いに行けず裏切ってしまったのではないかと不安になりました ご飯のお米一粒や机に落ちたものも食べないといけないと思ってしまいました 生活習慣の乱れもあり様々なことが不安になります病院にも通っています よろしくお願いします

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る