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浄土真宗の信心について

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浄土真宗に興味を持って、1年半ぐらい聴聞をしたり仏書を読んだりしているのですが、疑いが晴れません
個人差があるのは承知しているのですが、一生信心が得られないのではないかと不安です
どういう心構えでいたらいいのでしょうか?

2020年8月17日 22:36

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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのまま聞き続けましょう

ご相談拝読しました。一年程前には称名念仏についてご質問いただいていましたね。それより以前からずっと浄土真宗の聴聞を続けておられるのですね。

しかしながら疑いが晴れないとのこと。疑いの内容はどのようなものでしょうか?よろしければまたお聞かせください。一緒に聴聞していきましょう。

さて、聴聞をされていて阿弥陀仏が救いの対象とするのはどのような存在かを聞く機会も多いでしょうか。それは他でもないこの「私一人」であるわけですが、その私はどのような存在かというと煩悩の身を生きる凡夫であります。凡夫はどこまでいっても凡夫です。凡夫が凡夫でなくなって救われるのではありません。

凡夫は真実がわからないからどうしても自力を頼みとしてしまいます。その凡夫の心に阿弥陀仏の本願がはたらくのでしょう。

はるかさんのところにも既にはたらきは届いているはずです。煩悩が盛んならば本願も盛んにはたらいているのです。

もしかしたらはるかさんが得ようとしているのは信心ではなくその先の+α(いわゆるご利益的な何か)ではないでしょうか。そうした何かわかりやすいものが実感されないから信心が得られないとお感じなのではないでしょうか。

私も同じく凡夫ですから疑いが晴れないのは同様だと思います。聴聞を続けていて不安になることもわからなくなることも沢山あります。でもだからこそ、その私一人をめがけてはたらいてくださる教えであることも痛感させられるのです。

どうかあきらめず聴聞を続けましょう。疑いは恥ずべきことではありませんからよかったらまた詳しくお話をお聞かせください。

南無阿弥陀仏

2020年8月17日 23:10
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

【唯可信斯高僧説】

"聴聞をしたり仏書を読んだりしている"
結論から申し上げると、
この方法ではあなたの心配しておられる通り、一生かかっても、信心を獲得し、疑いの晴れる日が来ることはありません。

【唯可信斯高僧説】(ただこの高僧の説をしんずべし、と。)とは、おなじみの『正信偈』の最後の句ですが、「高僧」とは、すなわち本文に出てくるインド、中国、日本の七人の高僧方であり、「高僧の説」とは、つまり「南無阿弥陀仏と称えよ」という事です。【称名念仏】のないところに【信心獲得】はあり得ません。 

一にも二にも、
まずは「なむあみだぶつ」ととなえる生活を直ちに始めて下さい。

とっても重大なご質問、どうもありがとう。次が楽しみです。
なむだみだぶつ 拝
hasunoha.tenrakuin@gmail.com

2020年8月18日 0:40
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最近、【レンタルお坊さん】はじめました。 とりあえず何でも相談してくださ...

一生信心が得られないのを分かっていながら、

聞法せずにはいられない
という気持ちが尊いのです。

疑いが晴れない状態のままで
いいんです。

2020年8月19日 5:23
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和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

仏教はbelieve(信じる)ではくawakening(気付き、目覚め、悟り)です。
「信心」と言うと「信じる心」とつい連想してしまい、自分の力で「信じるぞ!」とつい力が入ってしまいます。浄土真宗の僧侶の方が「信心をいただく」と云う言い方もしますが、何かイメージし難いですよね。。 私も最初はそうだったからです。
だから私は「他力の信心をいただく」とは、ハッと「あっそうだったのか!」と気付きを感じる時ではないかと理解しました。一種の小さい悟りの瞬間です。人生はそういった気付きの連続です。暑いとか寒いとか、笑うとか怒るとかも、、、毎日がイベントです。そして私を気付かしてくれたその「ハタラキ」が「如来さまの力(すなわち他力)」ではないでしょうか?
ですから「ハタラキ」とは、貴方の人生そのものなのです。そして「ハタラキ」は貴方だけではなく無数の「縁起」で成り立っているのです。

説明が難しかったでしょうか? 

南無不可思議光如来
合掌 

2020年8月18日 22:28
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東京在住の浄土真宗本願寺派の僧侶・前住職です。仏教は、私たち生きとし生ける...

生きてるときは、娑婆での都合もあるからその都度、迷いも悩みもあって当たり前。

棺桶の中にひとつだけもっていくなら、南無阿弥陀仏。
そう思えるときが増えるといいな。

2020年8月18日 10:30
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ハスノハみたのも何かの縁。 手の届く範囲は救いたい。 浄土真宗僧侶...

浄土真宗に興味をもっていただきありがとうございます。

信心に心構えは必要ありません。
ただ「南無阿弥陀仏」と口に唱えること。
それが他力の信心です。

疑いは空を覆う雲のようなものです。私たちが「晴れよ!」と願っても雲は動きません。当たり前ですね、雲は私たちの努力や願いとは関係なしにそこにあるのですから。

晴れていたら最高!でも、晴れずとも雲の下が明るければいいじゃないですか。疑いは晴れずとも、きっと何か心に響くことがあって教えを学んでいるのでしょう。

私も疑いの心で聞くことはあります。納得いかない気分になることもあります。ずーっと同じようなこと聞いて、なんの役に立つのかな?と思うこともありました。けれども、そういう疑いをきっかけに聞くことで、教えがより深まることもありました。

疑いを除いても良いことはない気がします。逆に鼻もちならない人間になるかもしれません。実は、自分がこうやって相談者様に話していることも、ちょっと上から目線で自分自身やだなぁと思います。そういう自分がいることを教えてくれたのも南無阿弥陀仏の教えがあったからこそだと思ってます。

心構えができてないからこその教えです。これからもともに、どうぞそのままの心構えで聞法精進してまいりましょう!

2020年8月19日 16:01
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1979年名古屋市生まれ。 真宗大谷派の僧侶です。

質問者からのお礼

みなさんありがとうございました。
疑いが晴れないでいいというのも、念仏を生活に組み込むというのも、参考にさせていただきます。ありがとうございました。

「浄土真宗」問答一覧

浄土真宗と日蓮宗の違いについて知りたい

よろしくお願いします。 私の父方の家は浄土真宗、母方は日蓮宗です。 私自身は幼稚園からキリスト教の学校に通わされました。 いかにも宗教感に鈍い日本人の家庭といったところでしょうか。 しかし、親も高齢になり、自分は長男でもあるため、家を継ぐことになるのですが、肝心の仏教の教えが全くわかりません。残された仏壇に対してどういう風に毎日向き合えばいいのか、どのような決まりがあるのか、無知な状態です。本を読んでも今まで葬式くらいの時しか自分は関わっていなかったため、自分一人になった時、どのようにすればいいのかわかりません。 親は毎日、仏壇にお供え物をしてお祈り(表現が正しくないと思いますが) しています。南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏とか念仏を唱えていますが、 私はきっと人に教えてもらわないと意味が理解出来ないと思うのです。 どういう風に仏教を勉強してこれから向き合っていけばいいのでしょうか。 浄土真宗と日蓮宗の教えとは何でしょうか。宗派が違っても仏教はうまくやっていけるものなのでしょうか。それともうちの家が特殊なのでしょうか。 キリスト教ではカトリックとプロテスタントはかなり教えが違い、結婚生活を続ける上でどちらか一方に合わせるということを聞いたことがあります。 あと、非常に失礼な質問かもしれませんが下記教えてください。 親は時々身延山というところでお守りを買ってきています。有名なお寺なのでしょうか。 また、元嫁の母(義母、キリスト教)に、私の家は仏教ですよ、といったところ、仏壇に誰を祭っているのかと聞かれ、私は答えられなかったのでその質問をそのまま私の母に伝えたところ、誰を祭っててもいい、失礼な質問する人ね、とかなり怒っていました。その怒りの要因についても私は理解できないままです。 長くなってしまいましたが、もうアラフォーですが、自分のルーツと向き合うためにも仏教について少しづつ学んでいきたいと思います。 よろしくお願いします。 親も宗教観を押しつけるようなことはしてこないのでこちらからも質問はしにくい部分があります。

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浄土宗信仰について

夜遅く申し訳ございません。 僕は今年26歳になります。浄土宗総本山知恩院おてつぎ運動にも参加しています。 毎日勤行は行っています。 家族親族にいつも言われるのは、なぜそこまで若いのに仏教に興味あるのか、仏教を信仰するのは年老いてからだと。 信仰の自由を知らないんですかね。歳が何歳でも、仏教、浄土宗の教えを信仰してもいいですよね。 なぜ浄土宗かといいますと、出身の高校が浄土宗系の高校であったため、浄土宗の授業がありまして、そこで興味を持ちました。 心理の学校の先生でも、融通念仏宗の僧侶をされながらカウンセラーをされておられる方がいらっしゃいます。 その先生とはすごくお話していて面白いのでいつもお話をしているんですが、僕がこの歳で仏教信仰するのはおかしいですか、と尋ねたところ、驚いてはいらっしゃいましたが、すごく受容してくださり、こちらとしては嬉しいという答えをもらえました。 しかし、まだ自分の中にはほんとにいいのかなという気持ちがあります。ひとりで法然上人二十五霊場の寺院を訪れ、参拝し、御朱印をいただくのが好きなんですが、やはりそこらへ行けば周りの目が気になります。 なんで若いのにここに来てるの、という目線を感じます。 最後に、この歳で自ら菩提寺を探し、浄土宗の教えを信仰することはおかしいことでしょうか。 長文、ご拝読ありがとうございました。 合掌

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二つの疑問

こんにちは。僕は浄土真宗を学ばせてもらっている者です。 二つの疑問があるのですが、お答えいただけると有難いです。 1,僕はよく称えたいと思った時に「なんまんだぶつ(そのまま救うぞ)」と呼び掛けてくださる阿弥陀仏のお声を聞き、「なんまんだぶつ(ありがとうございます)」と御恩報謝のお念仏を称えさせていただいていますが、浄土真宗のお坊さんは浄土宗のように朝(晩)何分と決めてお念仏を称えているのですか? 2,「考えない練習」などの著者の、元浄土真宗本願寺派のお坊さんであった小池龍之介さんという方がいるのですが、その方はヴィパッサナー瞑想を行ったことにより、僧籍を剥奪されたようなのですが、どう思いますか? 僕自身、hspという気質をもっていて、ストレス解消を目的として瞑想を行っているのです。呼吸や自律神経も安定し、とても素晴らしいと思うのですが、瞑想=自力であり、阿弥陀仏を疑っている、即ち「救われない」という思考になる方々がいるようです。 こういう方々は本願を聞き間違えているように思うのです。 瞑想を行えば救われないのではなく、「瞑想を行えば救われない」と考えるのが自力だと僕は理解しています。 阿弥陀仏の本願は「報恩念仏を称える者を救う」というものですよね。「瞑想を行えば救われない」なんて一言も書いていませんし、本願の内容を勝手に書き換えてしまっているのが問題だと思うのです。 正直僕が瞑想をしていることもあり、自分の行動を正当化したいという気持ちがあるのも事実ですが、瞑想を行うだけで僧籍を剥奪されるのかと、心底驚いて質問させていただきました。 二つ目の疑問が強調してしまいましたが、一つ目の疑問もとても重要なので、回答していただけると有難いです。

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