hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死への恐怖がぬぐえません

回答数回答 5
有り難し有り難し 118

この前、精密検査をして結果が出る間
不安で不安ですごくうろたえました。
(ほとんどパニックでした)

自身のあまりの「生への執着」に驚いています。

ネットを見ると、私より若い方々が余命宣告うけて
それでも強く受け止め、戦ってらっしゃる姿を拝見します。
ホントに心から尊敬します。

自分よりも家族の為に生きれば、恐怖は薄まるのでしょうか?
(一応、そのつもりでしたが…)
それとも、もともと無だからそれに戻るだけなのでしょうか?

どのように考えれば、住職さまのように心穏やかに死への恐怖を
克服できるのでしょうか?

これからの人生、うろたえるコトなく過ごしていきたいです。

難しい言葉ではなく分かりやすい言葉で
アドバイス頂ければ幸いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恐れる人へも、恐れない人にも、死は確実に訪れます

一休宗純師は臨終に際し「死にとうない」と呟いたそうです。

命あるものはみんな、死が怖いのです。死にたくないのです。
(完全な悟りを開いた阿羅漢者と、強力すぎる我見を持つ生命は例外です)

しかし、死を恐れようが、恐れまいが、いずれ確実にその時は訪れます。

仏教の修行に「死随念」というのがあります。
「自分は死ぬんだ」ということを強く念じる修行ですが、わざわざこんなことをするのは、私たちがその簡単な事実を忘れているからに他なりません。

私も、あの人も、どんな人も、必ず死ぬ。
そう心から理解できれば、つまらない対立、悩み、時間の浪費はなくなるはずです。
本当に大切なものは何かに気づき、やるべきことを行い、限られた時間を必死に生きるはずです。

今回検査を受けられて、ご自分の命について、本当にさまざまなことを考えられたと思います。ぜひその思いを忘れず大切にしていただきたいです。

自分の恐れや弱さを真正面から受け止めた人は、他の生命に対する慈しみを育てることができます。
『すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺させてはならぬ。』(法句経)

寿命の長さはその人の業により、選ぶことはできません。
しかし生き方と心のありようは選ぶことができます。いまこの瞬間から変えることができます。

そういう私も、最期の瞬間に恐怖を手放すことはできないかもしれません。
それでも、この世で授かった時間を精一杯生きた。人間に生まれた甲斐があった、と満足して逝けることを願っています。

Haruさまのお心が安寧でありますように。

{{count}}
有り難し
おきもち

死ぬまで死なないから大丈夫

あなたがいくら死ぬまで死の事を考えても生きている間は絶対に死にません。
昨日寝たときに寝た事を覚えていなかったでしょう。
死ぬ時も同じです。
今日も試しに死ぬことをとことん考えてみてみてください。
それは単に生きている間に死の事を考えただけであって、それでもこの体は生きている、ということが分かるはずでしょう。
生きている間に他人の死を観たり聞いたりすることができても自分の死だけは体験できません。
あなたは死を恐れているのではない。
あなたが死を思う時に付随するネガティブなイメージで自分を苦しめているだけです。
それは死に対する明確な認識、イメージが無いからです。
埼玉なら一度坐禅会にいらしてください。
死の恐怖を乗り越える事で人は格段に強くなります。
あなたにとって価値のある事となりましょう。
失うことを持つものは弱い。
失うことを無くすことはできます。お待ちしています。

{{count}}
有り難し
おきもち

逃げるのではなく、真正面から向き合うことです

人は歳を取ることを嫌がり、死ぬことも嫌がります。

歳を取るということは、生きているから取れるんです。いや、生かされてあるからこそ、歳も取らせていただけるんです。歳を取らずに済む方法は死ぬしかないにも関わらず。

では、死にたくないと言うが、死なずに済む方法はひとつだけ、生まれないことです。といっても、この文章をお読みのあなたも、書いているボクもすでに生まれてしまっているのから不可能です。

死は必然です。いつ、その瞬間が来るかは誰にもわかりません。

一寸先は闇、良く聞くことばですが、これこそが「一寸先に自身の死というご縁(思い計らいを超えた出会い)をいただくかもしれない今を生かされてある」という意味です。

つまり、闇とは何があるか、どんなご縁が待ち受けているかわからないということです。

ハッキリしていることは、生かされてある今だけです。まず、その事実としっかり真正面から向き合いましょう。そこがスタートです。

あなたのご先祖や身近で亡くなった方々は、身をもってそのことを教えてくださる仏さんです。そして、その仏さんの教えに気づき、その生かされてある今を精一杯、いただいた命を大事に、無駄にせず生ききってくださいと願われてくださるのが阿弥陀如来です。

その教えと願いを聴き、いただく形が合掌であり、返す言葉が南無阿弥陀仏です。

生かされてある今を大事に、周囲にいてくださるご縁ある人々との関係を大事に、ご先祖から受け継がれてきたあなたの命を大事に、もしも一寸先に死んでも悔いのない今を生ききってください。

答えになっているかいないか、どう受け止められるかわかりませんが、ボクは生と死をそう受け取っていますし、問われればこうとしたお答えできません。

そして、それでも死にたくない、そう思う執着心から離れることができないから人は愚かであるということであり、そんな愚かな人であるから阿弥陀さんに手を合わさせていただいております。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...
このお坊さんを応援する

生きる意味を照らす

Haruさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

ネットでご覧になった闘病者も、死を恐れていないように見える人も、実はそんなことはありません。その姿を見せていないか、あるいは死を実感したことがないので恐れたことがないだけのことです。
死への恐怖は、生命としての本能です。息を止めれば苦しいと感じる、火に触れれば熱いと感じる。修練で多少慣れることは出来るかもしれませんが、無くすことは出来ないでしょう。

ですので、Haruさんの「生への執着」は当然のものだと思います。
自分よりも家族のために生きれば、家族との別れを悲しみ恐れるでしょう。
逆に家族よりも自分のために生きても、自分の死に恐れおののくでしょう。

死を「無」だと思えば、無になりたくないともがき苦しむでしょう。
死後の世界があると思っても、この世を離れたくないと執着するでしょう。

話は変わりますが、死を思うこと、恐れることは悪いことではありません。必ずやって来る「その日」を思うことは、生きる意味を照らし出してくれます。

私が主催しているワークショップ「死の体験旅行」は元々は医療関係者向けの内容ですが、私の予想を遥かに超えて一般の方々が受けにいらっしゃいます。
ワークショップ後のシェアでは、自分の死をイメージして何を感じたのか、自分にとって何が本当に大切なものなのか、なぜそれが大切なのか、など深い気付きを得ていらっしゃるようです。
http://753an.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304172527-1

Haruさんはワークショップではなく、実際に死をイメージする日々を過ごしました。その経験は、きっと後にプラスに転じると思います。

・お礼を拝見して追伸
過分なるお言葉、有り難うございます。
なごみ庵は神奈川県。電車ですと東横線 東白楽が最寄り、あと東神奈川、仲木戸も近いです。
埼玉でも場所によっては来やすい場所です。法話会や写経会など色々しております。どうぞお気軽においで下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」

Haru様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

手術後のご様子はいかがでありますでしょうか? 誠にご快復の程を祈念申し上げます。どうかご無理なく、焦らずにじっくりと滋養なされますようにお願い致します。

そうですね・・なかなか分かりやすくというのも難しいものでございます・・

まず、死んで「無」になるわけではありません。このことは下記の問答にても少し扱わせて頂いております。

問い「朝起きるのが楽しくて仕方がない充実した毎日を過ごしたい」
http://hasunoha.jp/questions/169

問い「生きる意味ってなんでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/300

拙生は、仏教の「空と縁起」の学びを進めますうちに、少しずつ死んで「無」になるわけではない、死しても存続していく心の相続の有り様を少しばかり理解していくことができました。もちろんまだまだの浅学菲才の未熟者による理解としての程度でございますが・・下記問いにおいてもこのことを少し扱わせて頂いております。

問い「死を考えてしまう」
http://hasunoha.jp/questions/318

また、死への恐怖につきましては、これまで下記のような問いにても回答させて頂いております。

問い「生きる意味、死ぬのが怖い」
http://hasunoha.jp/questions/292

仏教の考える究極的真理のレベル(勝義諦)においては、実体としての「生」と「死」は無いと考え、世俗のレベル(世俗諦)としては、一応、「生」と「死」が有ると考えるという、いわゆる「空と縁起」ということの理解になりますが・・うーん・・やはり難しいものとなります・・

とにかく、そうですね・・死んで終わりではなく、悪事をなさず、悪業を作らずに、心(相続)のありようをできれば仏縁などの善き「縁」によりて清浄に保っていくことで、悟りへと向けてのより善き心の相続がこれからも続いていくようにとして、今の心のありようを調えていくことが大切になるのではないかと存じております。つまり、仏教の基本としての「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」ということになる次第でございます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

大桑住職様
大変ご丁寧な助言、ありがとうございます。

頭では分かっているつもりでも、心がついていけてない状態です。

未熟者で小心者の私は、徐々に死生観を直視していくしかないのかな?
と思います。(でないと不安で眠れません)

今までより善行を心掛け、人の笑顔に救われる。
出来る事はそれしかないですよね。

いろいろとありがとうございました。

天野住職さま

ありがとうございます。

もっともっと強くならなければいけませんね。

とりあえず家族に心配かけないよう無理でも笑顔を絶やさず、
心に余裕が出来たら、少しづつ生き方を模索していくしかないのかな?
と思います。

逃げずに戦う心!子供が大人になるまでは絶対に死ねませんからね!!

丹下住職さま

お待ちしておりました。

過去のご助言を拝見いたしますと、
他の住職さまたちは一般人と同じように怖がっているのに
丹下住職さまだけは死を恐れていらっしゃらない。

なぜなのか?なぜそう言い切れるのか??
ご自身が余命宣告受けてもうろたえないのか??等など
興味が尽きません。

実は直にお会いしたく、この前お寺にお邪魔致しましたが
日も暮れており、門を叩くのをやめました。

明日手術します☆
回復したら一度、お邪魔したいと思います。

その時はよろしくお願いいたします。

浦上住職さま

浦上住職さまのご助言には、
何故か涙が溢れます。

私の心情が的確に表現されています。

お寺は神奈川なのですね。

一度、お話を聞きにお邪魔してもよろしいでしょうか?

ご助言本当にありがとうございました。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

過去と幸せな今について

はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ