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死への恐怖がぬぐえません

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この前、精密検査をして結果が出る間
不安で不安ですごくうろたえました。
(ほとんどパニックでした)

自身のあまりの「生への執着」に驚いています。

ネットを見ると、私より若い方々が余命宣告うけて
それでも強く受け止め、戦ってらっしゃる姿を拝見します。
ホントに心から尊敬します。

自分よりも家族の為に生きれば、恐怖は薄まるのでしょうか?
(一応、そのつもりでしたが…)
それとも、もともと無だからそれに戻るだけなのでしょうか?

どのように考えれば、住職さまのように心穏やかに死への恐怖を
克服できるのでしょうか?

これからの人生、うろたえるコトなく過ごしていきたいです。

難しい言葉ではなく分かりやすい言葉で
アドバイス頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恐れる人へも、恐れない人にも、死は確実に訪れます

一休宗純師は臨終に際し「死にとうない」と呟いたそうです。

命あるものはみんな、死が怖いのです。死にたくないのです。
(完全な悟りを開いた阿羅漢者と、強力すぎる我見を持つ生命は例外です)

しかし、死を恐れようが、恐れまいが、いずれ確実にその時は訪れます。

仏教の修行に「死随念」というのがあります。
「自分は死ぬんだ」ということを強く念じる修行ですが、わざわざこんなことをするのは、私たちがその簡単な事実を忘れているからに他なりません。

私も、あの人も、どんな人も、必ず死ぬ。
そう心から理解できれば、つまらない対立、悩み、時間の浪費はなくなるはずです。
本当に大切なものは何かに気づき、やるべきことを行い、限られた時間を必死に生きるはずです。

今回検査を受けられて、ご自分の命について、本当にさまざまなことを考えられたと思います。ぜひその思いを忘れず大切にしていただきたいです。

自分の恐れや弱さを真正面から受け止めた人は、他の生命に対する慈しみを育てることができます。
『すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺させてはならぬ。』(法句経)

寿命の長さはその人の業により、選ぶことはできません。
しかし生き方と心のありようは選ぶことができます。いまこの瞬間から変えることができます。

そういう私も、最期の瞬間に恐怖を手放すことはできないかもしれません。
それでも、この世で授かった時間を精一杯生きた。人間に生まれた甲斐があった、と満足して逝けることを願っています。

Haruさまのお心が安寧でありますように。

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青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

死ぬまで死なないから大丈夫

あなたがいくら死ぬまで死の事を考えても生きている間は絶対に死にません。
昨日寝たときに寝た事を覚えていなかったでしょう。
死ぬ時も同じです。
今日も試しに死ぬことをとことん考えてみてみてください。
それは単に生きている間に死の事を考えただけであって、それでもこの体は生きている、ということが分かるはずでしょう。
生きている間に他人の死を観たり聞いたりすることができても自分の死だけは体験できません。
あなたは死を恐れているのではない。
あなたが死を思う時に付随するネガティブなイメージで自分を苦しめているだけです。
それは死に対する明確な認識、イメージが無いからです。
埼玉なら一度坐禅会にいらしてください。
死の恐怖を乗り越える事で人は格段に強くなります。
あなたにとって価値のある事となりましょう。
失うことを持つものは弱い。
失うことを無くすことはできます。お待ちしています。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

逃げるのではなく、真正面から向き合うことです

人は歳を取ることを嫌がり、死ぬことも嫌がります。

歳を取るということは、生きているから取れるんです。いや、生かされてあるからこそ、歳も取らせていただけるんです。歳を取らずに済む方法は死ぬしかないにも関わらず。

では、死にたくないと言うが、死なずに済む方法はひとつだけ、生まれないことです。といっても、この文章をお読みのあなたも、書いているボクもすでに生まれてしまっているのから不可能です。

死は必然です。いつ、その瞬間が来るかは誰にもわかりません。

一寸先は闇、良く聞くことばですが、これこそが「一寸先に自身の死というご縁(思い計らいを超えた出会い)をいただくかもしれない今を生かされてある」という意味です。

つまり、闇とは何があるか、どんなご縁が待ち受けているかわからないということです。

ハッキリしていることは、生かされてある今だけです。まず、その事実としっかり真正面から向き合いましょう。そこがスタートです。

あなたのご先祖や身近で亡くなった方々は、身をもってそのことを教えてくださる仏さんです。そして、その仏さんの教えに気づき、その生かされてある今を精一杯、いただいた命を大事に、無駄にせず生ききってくださいと願われてくださるのが阿弥陀如来です。

その教えと願いを聴き、いただく形が合掌であり、返す言葉が南無阿弥陀仏です。

生かされてある今を大事に、周囲にいてくださるご縁ある人々との関係を大事に、ご先祖から受け継がれてきたあなたの命を大事に、もしも一寸先に死んでも悔いのない今を生ききってください。

答えになっているかいないか、どう受け止められるかわかりませんが、ボクは生と死をそう受け取っていますし、問われればこうとしたお答えできません。

そして、それでも死にたくない、そう思う執着心から離れることができないから人は愚かであるということであり、そんな愚かな人であるから阿弥陀さんに手を合わさせていただいております。

合掌

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真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...

生きる意味を照らす

Haruさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

ネットでご覧になった闘病者も、死を恐れていないように見える人も、実はそんなことはありません。その姿を見せていないか、あるいは死を実感したことがないので恐れたことがないだけのことです。
死への恐怖は、生命としての本能です。息を止めれば苦しいと感じる、火に触れれば熱いと感じる。修練で多少慣れることは出来るかもしれませんが、無くすことは出来ないでしょう。

ですので、Haruさんの「生への執着」は当然のものだと思います。
自分よりも家族のために生きれば、家族との別れを悲しみ恐れるでしょう。
逆に家族よりも自分のために生きても、自分の死に恐れおののくでしょう。

死を「無」だと思えば、無になりたくないともがき苦しむでしょう。
死後の世界があると思っても、この世を離れたくないと執着するでしょう。

話は変わりますが、死を思うこと、恐れることは悪いことではありません。必ずやって来る「その日」を思うことは、生きる意味を照らし出してくれます。

私が主催しているワークショップ「死の体験旅行」は元々は医療関係者向けの内容ですが、私の予想を遥かに超えて一般の方々が受けにいらっしゃいます。
ワークショップ後のシェアでは、自分の死をイメージして何を感じたのか、自分にとって何が本当に大切なものなのか、なぜそれが大切なのか、など深い気付きを得ていらっしゃるようです。
http://753an.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304172527-1

Haruさんはワークショップではなく、実際に死をイメージする日々を過ごしました。その経験は、きっと後にプラスに転じると思います。

・お礼を拝見して追伸
過分なるお言葉、有り難うございます。
なごみ庵は神奈川県。電車ですと東横線 東白楽が最寄り、あと東神奈川、仲木戸も近いです。
埼玉でも場所によっては来やすい場所です。法話会や写経会など色々しております。どうぞお気軽においで下さい。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」

Haru様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

手術後のご様子はいかがでありますでしょうか? 誠にご快復の程を祈念申し上げます。どうかご無理なく、焦らずにじっくりと滋養なされますようにお願い致します。

そうですね・・なかなか分かりやすくというのも難しいものでございます・・

まず、死んで「無」になるわけではありません。このことは下記の問答にても少し扱わせて頂いております。

問い「朝起きるのが楽しくて仕方がない充実した毎日を過ごしたい」
http://hasunoha.jp/questions/169

問い「生きる意味ってなんでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/300

拙生は、仏教の「空と縁起」の学びを進めますうちに、少しずつ死んで「無」になるわけではない、死しても存続していく心の相続の有り様を少しばかり理解していくことができました。もちろんまだまだの浅学菲才の未熟者による理解としての程度でございますが・・下記問いにおいてもこのことを少し扱わせて頂いております。

問い「死を考えてしまう」
http://hasunoha.jp/questions/318

また、死への恐怖につきましては、これまで下記のような問いにても回答させて頂いております。

問い「生きる意味、死ぬのが怖い」
http://hasunoha.jp/questions/292

仏教の考える究極的真理のレベル(勝義諦)においては、実体としての「生」と「死」は無いと考え、世俗のレベル(世俗諦)としては、一応、「生」と「死」が有ると考えるという、いわゆる「空と縁起」ということの理解になりますが・・うーん・・やはり難しいものとなります・・

とにかく、そうですね・・死んで終わりではなく、悪事をなさず、悪業を作らずに、心(相続)のありようをできれば仏縁などの善き「縁」によりて清浄に保っていくことで、悟りへと向けてのより善き心の相続がこれからも続いていくようにとして、今の心のありようを調えていくことが大切になるのではないかと存じております。つまり、仏教の基本としての「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」ということになる次第でございます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

大桑住職様
大変ご丁寧な助言、ありがとうございます。

頭では分かっているつもりでも、心がついていけてない状態です。

未熟者で小心者の私は、徐々に死生観を直視していくしかないのかな?
と思います。(でないと不安で眠れません)

今までより善行を心掛け、人の笑顔に救われる。
出来る事はそれしかないですよね。

いろいろとありがとうございました。

天野住職さま

ありがとうございます。

もっともっと強くならなければいけませんね。

とりあえず家族に心配かけないよう無理でも笑顔を絶やさず、
心に余裕が出来たら、少しづつ生き方を模索していくしかないのかな?
と思います。

逃げずに戦う心!子供が大人になるまでは絶対に死ねませんからね!!

丹下住職さま

お待ちしておりました。

過去のご助言を拝見いたしますと、
他の住職さまたちは一般人と同じように怖がっているのに
丹下住職さまだけは死を恐れていらっしゃらない。

なぜなのか?なぜそう言い切れるのか??
ご自身が余命宣告受けてもうろたえないのか??等など
興味が尽きません。

実は直にお会いしたく、この前お寺にお邪魔致しましたが
日も暮れており、門を叩くのをやめました。

明日手術します☆
回復したら一度、お邪魔したいと思います。

その時はよろしくお願いいたします。

浦上住職さま

浦上住職さまのご助言には、
何故か涙が溢れます。

私の心情が的確に表現されています。

お寺は神奈川なのですね。

一度、お話を聞きにお邪魔してもよろしいでしょうか?

ご助言本当にありがとうございました。

「死ぬのが怖い」問答一覧

大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

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