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逆流性食道炎になってしまいました。

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1月に胃腸の違和感があった為、検査をしたところ、逆流性食道炎と診断されました。

毎日、病気を治す為に色々な努力をしているのですが(食事やストレス発散など)
「いつになったら良くなるんだろう?」
「この努力はいつ報われるんだろう?」
など毎日思う度にストレスが溜まり、心が沈んでしまいます。
病気ができるだけ早く治るように、どのような気持ちでいたら良いでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

病気も自分の一部

仏教は「老病死」を深く考える教えです。
なぜ病気になるのか、どうしてこんなに自分が辛い思いをしなければならないのか…

病気になればみんな考えます。

さてさて、話は変わりますが、自分の内臓が日々どれだけ働いているか考えたことはありますか?

心臓は全く休むことなく毎日動いてます。胃は少しでも吸収をよくしようと頑張ってます。
腸も、多くの栄養を届けてあげようと励んでいます。

相談者さんのどの内臓も、相談者さんを生かすため必死になって働いています。

ですが、車のエンジンの故障のように、調子の悪い時期もあります。
はたまた、生かそうとしている相手からのせいで(暴飲暴食やストレス)
傷ついてしまうこともあります。

病気は、外からくる災害ではありません。
自分の内臓と同じ、自分の一部です。

このサイトに相談しているということは、仏教にも興味があるのかと思います。
「病気がご縁で仏教に興味を持つことは最高」なんて教えもあります。

この病気を縁にして、仏教の「病気との向かい合い方」を知ってみるというのはどうでしょう。
きっとこれからの人生で役に立ちますよ!!

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おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれることができればと思います。 そしてこの縁によって仏教の良さを知って頂けるととても嬉しいです。

戦わずに共存を

 逆流性食道炎は、名前はおどろおどろしいですが、そんなに珍しい病気ではありません。私も健康診断に行くと、よく注意されます。「あんた、食道赤いよ」って。

 また、お医者さんから言われた対処法は、健康な人でも実行した方がいいような事ばかりのはずです。
 あまり焦らず、病気を退治してなんとかしよう!なんて思わずに、この胃酸の出過ぎる胃と共存するつもりでいたらいいと思います。病気の事を忘れた頃完治していると思います。

 回復しても暴飲暴食や刺激物のとりすぎに注意しましょう。お大事にしてください。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

誰かを過度に意識しているかもしれません

緊張が走るところに身を処しておられるご様子。
誰か怖れている人や気を使っている人がいますね。
一方通行的な人がいませんか?
会話にならない。
威圧的な人。
あなたはその人に知らずしらずの内に気を使ってしまっているのです。
お母さんとの関係は良好でしょうか?
コミュニケーションが不足していて、その人との対話を個人的に内側で済ませてしまっておられるのではないでしょうか。
そうするとそれがストレスや緊張につながり、胃が収縮したり、逆流性食道炎につながります。
思い当たるところがありましたら、返信ください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

有り難い回答、ありがとうございます。

日顕様、光禪様、「病気も自分の一部」「胃酸過多と共存」という考えは無かったので、考えさせられました。
内蔵の静養と思い、焦るのをやめようと思います。

丹下覚元様、家族仲は良いです。
病気になった原因は仕事だと思います。
今いる職場は、仕事内容は辛いのですが人は皆優しくて楽しい職場です。
ですが、ストーカーのように接してくる年上の男性が引き金になったと思います。
あと、派遣なので将来の不安も関係があったと思います。
今は気にしないように仕事をしていますが、その男性が近くにいると具合が悪くなるような気がしてしまいます。

返信の仕方がわからなかったので、こちらに書かせていただきました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ