介護と仕事の両立で悩んでます。
お坊さん、知恵をかして下さい。
私には癌を患う80代の父がいます。
完治の見込みなく自宅療養中です。
仕事に行く前に朝ご飯を作り、帰宅後に晩ご飯
を作り風呂の用意など介護をさせて頂いてます。私が仕事中の時は妻や親戚に介護をお願いしております。申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです。
1ヶ月の中で通院しながら抗癌剤治療をする
事が、合計10日間あります。私や妻、親戚の方で
何とかローテーションで付き添いをしています。
家庭の事を上司にお伝えしていたのですが、私に転勤が決まりました。お仕事があるだけ恵まれているのは重々承知してます。介護でお休みを頂くことが割と多くあるので、転勤先に迷惑がかかると思い、胃が痛いです。
仕事と介護の両立は難しいのかもしれませんが、
何とか前向きに頑張れるような知恵をかして下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お互い様。
おはようございます。
質問文拝見しました。
わたしもガンの家族を送りました。
経験上、お伝えするならば
『申し訳ない』に頼らない。
これが大切です。
マーブル様が感じている以上の申し訳なさをお父さまに押し付けていることになっています。
介護や病気、障害で生活の質が変わるのは当たり前。
その中からも新たな視点や学びはあります。
迷惑かどうかはあなたが案じるのでなく会社が判断すること。
迷惑ではなくマーブル様のスキルを会社に還元できるサポート体制をつくるべきは会社。
マーブル様がすることはその器量が会社にあるかないかの見極めをすることです。
まずは、
仲間へのありがとうを大事にしてください。
ですが『申し訳ない』でなく『お互い様』でのかかわりを目指していただきたいです。
心ではダブルブッキングあれども事実にダブルブッキング無し
こんにちは。あなたの心のセコンド、丹下断平デス。(⦿皿◉メ)断て、断つんだ、私情。
まず、あしたのためその①、いや、今日の為に、今の為にその①は「ストレート」です。事実を直視。現実の実際の立っているところを直視することです。
あなたの心は今、二つのこと、時として仕事のことであれもやらなきゃこれもやらなきゃと忙しくて顔が阿修羅像、あるいはアシュラマンのようになっています。
人間やることが沢山あるように思うと心が散り散りになり、阿修羅像のようになります。ですが、その沢山の顔も手も、出どころはみな一心。鬼を描き、仏を描くも同じ筆。みなわが一心なり。
今あなたはこれもやらなきゃいかん、あれもやらなきゃいかんという割には、おいおい、俺、ちゃっかり、これを見ている、読んでいる心のゆとりや時間は持ち合わせておるないけ、と自分にぺちぺちツッコミを入れることで、正覚スイッチが起動するでしょう。
確かにオトンの面倒もみるということはある。そして、仕事もしなければならないということはあるでしょう。私は落ち込んでいたころ、大道芸人の川原彰さんという人に町中でばったり出会って、当時ものすごく悩みを抱えていたのですが、あっという間に40分の時間が過ぎていました。その芸と話術に感動したものです。YOUTUBEあり。あれもやらなければいけない、これもやらなければいけないと言っても、やっている手はどこにあるか。右手一本です。左手一本です。
あそこも行かなけれないけない。あれもダシに行かなければいけない。その体を運んでくれる足はどこにあるか。どこに着いているか。そこです。👣あんたの👣、つけ根、太もも、ひざ、ふくらはぎ。世界広しと言えども、立てるところは一か所しかない。立て、立つんだ、場。そこの場、そこの一歩。そこの場をきっちり立ってごらんなさい。ああ、俺、やること沢山あると思っておったが、それでも俺は今、この文章読んでるじゃん、ここが俺の立ち位置じゃないか!と事実をストレートに直視することです。そうすれば工場で数千~万の業務をこなす職人でも一つの手が一つの部品に集中するように、自分がその場、その場で、無心にこなしてきたこと、やれていた、できたことの可能性の無限大さと、有能性となんだかんだ言ってもやれて来た、こなしていたことに目が開いてそこに活路を見出すことができるでしょう。ですが無理はせずに。👊
専門の施設を考えてみませんか?
浄土真宗本願寺派(西本願寺)が取り組んでいる
「あそかビハーラ病院」という
仏教精神を理念とした独立型緩和ケア病棟(ビハーラ病棟)があります。
ここで臨床宗教師の研修を受けましたが
もし私がそうなったら
ここに入りたいと思いました。
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