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介護と仕事の両立で悩んでます。

回答数回答 3
有り難し有り難し 22

お坊さん、知恵をかして下さい。
私には癌を患う80代の父がいます。
完治の見込みなく自宅療養中です。

仕事に行く前に朝ご飯を作り、帰宅後に晩ご飯
を作り風呂の用意など介護をさせて頂いてます。私が仕事中の時は妻や親戚に介護をお願いしております。申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです。

1ヶ月の中で通院しながら抗癌剤治療をする
事が、合計10日間あります。私や妻、親戚の方で
何とかローテーションで付き添いをしています。

家庭の事を上司にお伝えしていたのですが、私に転勤が決まりました。お仕事があるだけ恵まれているのは重々承知してます。介護でお休みを頂くことが割と多くあるので、転勤先に迷惑がかかると思い、胃が痛いです。

仕事と介護の両立は難しいのかもしれませんが、
何とか前向きに頑張れるような知恵をかして下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お互い様。

おはようございます。
質問文拝見しました。

わたしもガンの家族を送りました。
経験上、お伝えするならば
『申し訳ない』に頼らない。
これが大切です。

マーブル様が感じている以上の申し訳なさをお父さまに押し付けていることになっています。

介護や病気、障害で生活の質が変わるのは当たり前。
その中からも新たな視点や学びはあります。

迷惑かどうかはあなたが案じるのでなく会社が判断すること。
迷惑ではなくマーブル様のスキルを会社に還元できるサポート体制をつくるべきは会社。

マーブル様がすることはその器量が会社にあるかないかの見極めをすることです。

まずは、
仲間へのありがとうを大事にしてください。
ですが『申し訳ない』でなく『お互い様』でのかかわりを目指していただきたいです。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

心ではダブルブッキングあれども事実にダブルブッキング無し

こんにちは。あなたの心のセコンド、丹下断平デス。(⦿皿◉メ)断て、断つんだ、私情。
まず、あしたのためその①、いや、今日の為に、今の為にその①は「ストレート」です。事実を直視。現実の実際の立っているところを直視することです。
あなたの心は今、二つのこと、時として仕事のことであれもやらなきゃこれもやらなきゃと忙しくて顔が阿修羅像、あるいはアシュラマンのようになっています。
人間やることが沢山あるように思うと心が散り散りになり、阿修羅像のようになります。ですが、その沢山の顔も手も、出どころはみな一心。鬼を描き、仏を描くも同じ筆。みなわが一心なり。
今あなたはこれもやらなきゃいかん、あれもやらなきゃいかんという割には、おいおい、俺、ちゃっかり、これを見ている、読んでいる心のゆとりや時間は持ち合わせておるないけ、と自分にぺちぺちツッコミを入れることで、正覚スイッチが起動するでしょう。
確かにオトンの面倒もみるということはある。そして、仕事もしなければならないということはあるでしょう。私は落ち込んでいたころ、大道芸人の川原彰さんという人に町中でばったり出会って、当時ものすごく悩みを抱えていたのですが、あっという間に40分の時間が過ぎていました。その芸と話術に感動したものです。YOUTUBEあり。あれもやらなければいけない、これもやらなければいけないと言っても、やっている手はどこにあるか。右手一本です。左手一本です。
あそこも行かなけれないけない。あれもダシに行かなければいけない。その体を運んでくれる足はどこにあるか。どこに着いているか。そこです。👣あんたの👣、つけ根、太もも、ひざ、ふくらはぎ。世界広しと言えども、立てるところは一か所しかない。立て、立つんだ、場。そこの場、そこの一歩。そこの場をきっちり立ってごらんなさい。ああ、俺、やること沢山あると思っておったが、それでも俺は今、この文章読んでるじゃん、ここが俺の立ち位置じゃないか!と事実をストレートに直視することです。そうすれば工場で数千~万の業務をこなす職人でも一つの手が一つの部品に集中するように、自分がその場、その場で、無心にこなしてきたこと、やれていた、できたことの可能性の無限大さと、有能性となんだかんだ言ってもやれて来た、こなしていたことに目が開いてそこに活路を見出すことができるでしょう。ですが無理はせずに。👊

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

専門の施設を考えてみませんか?

浄土真宗本願寺派(西本願寺)が取り組んでいる
「あそかビハーラ病院」という
仏教精神を理念とした独立型緩和ケア病棟(ビハーラ病棟)があります。

ここで臨床宗教師の研修を受けましたが
もし私がそうなったら
ここに入りたいと思いました。

http://www.asokavihara.jp/index.html

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

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