難聴という障害
現在29歳、難聴が発覚してから15年。健聴と、難聴、人生半分ずつ生きてきました。
年々難聴が進行し、昔に比べれば周りに隠すことなく打ち明ける事は抵抗なく出来るようになってきたものの、コミュニケーションはどんどん取りづらくなってきており、目に見えない障害が故に、なかなか理解して貰いにくい状態が辛いと感じる事が多々あります。とくに、飲み会など楽しい場で会話の輪の中に入りづらいと感じた時。本当はみんなと楽しみたいし、こういう場こそ人間関係を深める絶好の場だと思うのに、話の腰を折るのが嫌で、何度も聞き返しにくい、皆も楽しみに来てるのに通訳も頼みづらい。なので、無理して参加しても、雰囲気を乱さないように話の内容が分からなくてもニコニコ笑って相槌うって。終わった後は楽しかった事より疲労の方が大きくて。飲み会に誘われた時も正直躊躇してしまいます。どうすれば、楽しめるようになるのでしょう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
会話に加われなくても、気にしないことです。
こんにちは、曹洞宗の吉田俊英と申します。
職場の中であなただけが難聴者であれば、確かに居心地の悪さを感じてしまうでしょう。「コミュニケーションはどんどん取りづらくなって」と感じるのは確かでしょう。本当に辛いと思います。
でもね、昔に比べると聴障者や難聴者への理解は随分広がって来ていると思います。だって、公の場での挨拶や講演等に必ずと言っていいほど手話通訳者が居るようになりました。私は30年ほど前に大学の手話サークルに入り手話を少し勉強したことがありますが、この当時と比べると隔世の感がします。
極めてオーソドックスですが、こういう方法はいかがでしょうか。
職場内における難聴に対する理解者を増やすことです。いっぺんに無理でしょうが、多少時間をかければ可能だと思います。仕事を正確に行うためには、あなたへの情報伝達は不可欠であり、職場もあなたへの情報保障を行う責務があると思います。手話通訳者を常時お願いするまではいかないにしても、「聞き返し」「筆談」の理解者・協力者を増やすことです。当然、上司や同僚の理解協力が必要とは思います。
例えば、あなたの担当部署で上司等が訓示や事務連絡を行う際には、キイワードの紙を用意して示してもらう。会議の際には、筆談を取り入れてもらう。そういうことを日常化して、飲み会でも筆談を必須化していただくよう、協力していただくようにしてはいかがでしょうか?
健常者だって、飲み会ですべての方とコミュニケーションが取れるとは限りません。だから、全部の会話に加われなくても気にする必要はありませんよ。傍目から見て盛り上がっているような会話でも、実の無い会話の場合も多いんです。
難聴であるあなたを理解し、あなたの障がいに寄り添ってくれる人は必ず居ます。難聴であることを説明し、理解と協力をお願いしましょう。少しずつでもいいから、そういう理解者とのコミュニケーションに増やしましょう。元々は健常者だったから、あなたの口から発する言葉はみんなにきちんと伝わる筈です。遠慮したり、物怖じしてはダメですよ。あなたから積極的に話しかけ、相手の言葉が聞き取りにくい時は「聞き返し」「筆談」「身振り・手話」等を駆使しましょう。そうして、相手の会話をキャッチしてコミュニケーションを増やして行きましょう。
聴こえない という 授かりの中で 聴くべきことがある
最近感じていることは、人間は目でものを観る以上に目でない所で観ている。
耳で音を聞く以上に耳でない所で聴いている。ということです。
禅宗では面授といって、生身の指導者と生身の弟子との間で、面と向かった伝授を重んじます。
文字や音声、映像だけでは大事な事は伝わらないものです。
つまりは、感性を働かせることで、耳で聞く以上のコミュニケーションは可能であると思います。
あえて、この場でだけ、コミュニケーションを出逢い、発見、気づき、受信と訳します。
人と会話することは、聴くばかりではなく、全身で行うものです。
あなたが現在耳がご不自由な分、他の感性を研ぎ澄まし、磨くチャンスです。
望ましくないことも授かりであると思ってください。
そしてその授かりの中からメッセージを感受してみてください。
私は不運が多かった。悩みも多かった。その授かりを活かして、多くの人の心のとげ抜きに役立てています。
ネットでも聴覚を取り戻して感動して泣いてしまう女性の動画がありました。
今は技術もどんどん進んでいます。必ず聴覚を取り戻せるようになりますよ。
今の不運をしっかり授かってください。
そしてその孤独と苦しみと、悲しさを消化、昇華させて誰かの心を救ってあげてください。
私は不運、苦しみという闇の中で、声なき声、音なき音に耳を傾け、そこから響かせるべき音を見出しました。
苦しみの中であるからこそ、そこに響かせるべき妙音があるのです。
アナタには奏でられる能力も残されているでしょう。
静寂は悲しく、暗い静寂ばかりではありません。どうか今の時代に求められている響きが何か、聴きだして響かせて、あなたと同じ苦しみを持つ人たちの悲しい静寂に美しい響きを奏でるための試みをしてみてください。
ワシが思うに・・・。
いくらさん。飲み会や遊びを楽しみたいが難聴がどうしても障害になってしまう気持ちはよく解ります。ワシは男性ですが、飲み会というか懇親会の場ではたまにワシの話を聞いてくれなかったり、知り合いが少なく孤立したり、相手にマニアックすぎて面白くない話をして無視されることが多々あります。その時はどんな方法でどんなネタで責めたらいいか。一芸をした方が良いかと試行錯誤しますが、これは男性側の努力と思っております。大切なのは男性がどの女性にも積極的に楽しませること。障害や性格で話すのを止めてしまう男性は最低です。男性失格です。あなたが飲み会を楽しめないのは男性が悪い。場の空気を作れない男性たちと今まで飲み会してきたのではないでしょうか。
後は、世の中無礼講で飲み会が出来るほど甘い世界はありません。皆どこかで気を使って飲み会をしているのです。そんなあなたにワシがもっとも楽しめた方法があります。
飲み会は会話だけを楽しむ場ではありません。
幹事の隣りに座る→あいたグラスの人が居たら幹事に言って、幹事からその人に注文を聞く、ブザー役をする。空いたお皿を下げる。おかずを取り分ける。要はあなたの視覚で楽しむ。いつしかその人の好みやパターンが見えて本人より早く動けます。楽しくありませんか。ワシは色々芸をしましたが一番皆(おもてなしを受けた本人)から感謝されたのはそういった気遣いでした。付き合いで飲み過ぎた人にはウーロン茶を差し出す。これはウーロン茶が良いです。理由はウイスキーの水割りに色が似ているから、皆には水割り本人には飲んでウーロン茶と気付く。持ってきてくれたあなたに感謝感激です。但し注文は皆に聞こえないように自分のところに店員さんに運ばせて相手にあなたから持っていく。さりげなく。
終わりかけに店員さんに皆のお茶を注文するのも高等技ですが、特に京都では良いのではないですか。ここまで出来たら免許皆伝。あなたは一流の幹事フォローになりました。女子力もアップ。(ダメかな?)
難聴もあなたの魅力のひとつです
いくらさん、おはようございます。
拙僧が一つ、智慧を授けましょう。
それは男は若い女性からアタックされるとドキドキします。
ならば、これを逆手に取りましょう。
あなたが気になる男性がいたら、そば近くに寄ります。
次に『難聴』であることを告白します。
例えば、
「私ちょっと耳が悪いの。あなたのお話もっと良く聴きたいからここに座っていい」
とにじり寄ります。
ここで逃げる男なら相手にしないで、さっさと次の男を狙います。
良縁は自分から求めないとキャッチ出来ませんよ。
いくら様。
お医者には、勿論掛かって居られますよね。
で有れば、補聴器をお使いなさいませ。
昔の様な其れではなく、とてもコンパクトで、割と安価なものが出て居ります。
例えば、シーメンスという会社の「ピュア」シリーズなどはお奨め出来ますよ。
以下のアドレスからご覧頂けます。
http://hearing.siemens.com/jp/jp/products/bte/pure/pure.html
一度店頭でご覧に成られてはと存じます。
ストレスや疲労などの負担を避けることも
いくら様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「難聴」の進行にお苦しみにて、徐々にコミュニケーションが取りづらくなられて誠にお辛いことでございます・・
コミュニケーションが取れないことへのストレスが、かえってより病気の進行に影響を与えないかどうかも誠に心配なるところでございます。
とにかく何より周りの理解がやはり大切になって参ります。しっかりと皆様へご病状をお伝えになられていかれる中で、それでも配慮のない方については、それまでと諦めるぐらいでないといけないのかもしれません・・
特に懇親会や飲み会の席は、ただでさえも雑然として喧騒に包まれてしまいますので、より聴き取るのが難しくなってしまいますよね・・何らかしっかりとした配慮もほしいところではありますが・・お酒が入りますと、より難しくなることもあるかもしれませんね・・
一つの提案と致しましては、雑然と喧騒に包まれるような集まりとは別に、皆さんとの人間関係の縁を深められるような機会も設けて頂くことです。もちろん、特別にというわけではなくて、幹事の方に少し配慮を頂けるようにお願いしてみられる、ご自身で伝えられにくいことでしたら、気のおける同僚、友達を介してでも構わないかとは存じます。
そして、雑然と喧騒に包まれるような集まりは、事情も皆さん分かっておられますので、もちろん参加されたいお気持ちも十分にわかりますが、かえってストレスや疲労など負担が増えてしまうのであれば、避けられることも必要ではないかとは存じております。
「どうすれば、楽しめるようになるのでしょう。」・・上記のことから、楽しめれる場作りへの理解を求められることと共に、やはり無理な場合は無理として見極められて、ストレスや疲労とならないように避けられるのが良いのではないかと存じます。
あとは、「○○障がい」・「○○症」・「○○依存症」といったものに、変にマイナスに囚われてしまわれずに、丹下様もおっしゃられているように何かのチャンスの一つであるとして前向きに捉えられるようになされていかれることもできましたら良いのではないかと存じております。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
補聴器は、難聴発覚当初からつけてます。難聴と言っても補聴器が効果のある伝音性難聴ではなく、音が歪む感音性難聴なので、効果も音を拾う程度で、言葉の発音まではハッキリ聞き取れない難聴なんです。
コミュニケーションが取りづらいというのは、本当に辛いです。人との関わり方に不便が生じる訳ですから。
曹洞宗の吉田俊英様
温かく、とてもご理解のあるお言葉で、私の言いたい事が伝わったなと感じる事ができました。
仰るとおり、私も今の職場にきて3年が経ち、始めの頃と比べて随分周りのスタッフに理解を示して貰えて、会議でもノートテイクしてもらったり、伝わってないと感じた時は優しく復唱して下さったり、大変有り難く感じる事が度々あります。
飲み会での雑談こそ、実のない内容でも共に笑って楽しんで、親睦を深める大切な場所だと思っていて、何度も聞き返したり、分からないからとブスっとした表情で空気を乱したくないとニコニコ愛想笑いしてる自分が虚しく感じる事が、辛くなってきます。筆談をお願いする勇気を持たないといけませんね。少しずつそういったことを示して行けたらと思います。