私は最低な孫(娘)です。
私は、数年前に仕事でのストレスから鬱病を患ってしまい、その仕事も辞めて暫くは家で休養しておりました。
その際、仕事を辞めてしまったので勿論収入も無く貯めたいたお金も携帯料金等で使用したため無くなってしまいました。
其処で、今回私が後悔して仕方ないのが…
鬱病を患って休養していると言っても、収入が無くなってしまい、携帯料金等の支払いが出来ない時に…私は黙って祖母や母親の貴金属を売ってしまい、其で携帯料金等を支払ってしまいました。
その事を話せず仕舞いになってしまって、祖母は亡くなってしまいました。
未だに、祖母や母親にこの事を話せていない事に後悔してばかりです。。
私は、この先…どうしたら良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
魂は生きていつもそばに居る
お仏壇、お位牌、写真なんでもいいからその目の前に正座して今すぐ正直に丁寧に謝りなさい。
体が無くなったらといって存在まで否定されたらおばあちゃんが可哀想。
見えなくったって居るのに。
見えなくったって居るのに。
婆ちゃんは知ってたと思う
まずはストレスの本質を知りましょう。
終わったことは「ない」。
今目の前に現実に「ない」。
あなたは「ない」ものを継続的に「ある」と錯覚的に思い込んでいた。今もそうでしょう。
あなたに限らず、誰もがそうです。今目の前に無いものを「ある」と思い込む。
それがストレスや迷い、煩悩の根源です。
すでに現実として生じて起こっていないものを、ずっと今もあるかのごとくに心のディスプレイに映して(生じさせて)それを相手に、あなたの心の中のスタジオにズラリと悪く評価する評論家を並べる。
自分を責めている評論家たち。
その正体をよく見極めてください。
あなたの事を一番悪く言って、責めたてているのは誰ですか?
あなた自身のはずです。
婆ちゃんに悪いことをして、今もずっと後ろめたい思いをして引きずっている。
今日を明るく生きられない。
自分をネガティブ地獄の沼に突き落としている。
それは誰がやっていますか?
お婆ちゃんですか?会社で嫌な事をしたあの人ですか?いいえ。
あなた自身なのです。
人生は悩むも苦しむもみんな自己責任。みんな自分持ちなのです。
自分のストーリーを一度投げ捨ててみてください。
私があれをしたからこうだったんだ。
私がいけないんだ
私が、私が、私のせいで。
私は最低だ、私は最低だ、これから先もきっとずっと後悔だ。
その物語は誰が作っていますか?
それも全部あなたなのです。
仏教はそのマイストーリー、自分の作り上げた妄想地獄から抜け出す生き方なのです。
事実に思考を上塗り、上乗せする。それによって、事実が捻じ曲がる。
そこから自分をすくいあげるのはあなた自身。
自分の物語を全部捨てなさい。
そこではじめて真のお婆ちゃんとの語らいができる。何をすべきかがわかる。
あなたは、あなたの中のお婆ちゃんとしか語っていない。
もっと、確かな声を聞きたければ、あなたがずっと握っているお婆ちゃんへの物語を一度手放すことです。
そこで、あなたはお婆ちゃんと真実の語らいができるでしょう。
自分の中の「きっとお婆ちゃんはこうだろう」はあなたの、想念。あなたの独自の想念。
そこの自覚を持つことです。
あなたはもっともっと大きな愛に包まれている。
少しずつ、出来る範囲でお返ししていきましょう
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数年前に仕事でのストレスから鬱病を患ってしまい、その仕事も辞めて暫くは家で休養
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ここ数年間、つらい思いをなさっておられるのですね。鬱病は症状が顕著に表れる病気では無いので、周囲の人間はなかなか本人のつらさをわかってあげられません。でも、お祖母様やお母様はあなたの側で、あなたが鬱病に苦しんでいる様子をみて来たと思います。お祖母様やお母様はあなたの辛い状況の事は理解して下さっていると思います。
一般論で言えば、受けた御恩には、恩返しをする。迷惑をかけたら、穴埋めをする、償いをするということになります。
仏教では「回向」という考え方があります。回向とは、自分が修行や徳行によって得た成果を、他者のために差し向ける事ことを言います。祖父母や両親の存命中に完璧に御恩返しをすることはなかなか出来ません。出来なかった分は、自分の子や孫に、そして社会全体に還元して行くことです。
でも、取敢えず御祖母様には、既に常在師のご回答に有るように、お仏壇でもお墓でもいいですから、心込めて手を合わせお詫びの言葉を伝えましょう。(周囲の方に言葉を聞かれたくなかったら、心の中でそう念じましょう。)
お母様にお詫びする場合、お母様があなたの病状をどれくらい理解しどれくらい寄り添って下さっているか、これらの状況を考慮して、時期を見てお詫びしましょう。無神経に「激励」したり高圧的に「罵倒」されたりする方でしたら、しばらく経ってからの方があなたの鬱が軽くなってからの方が無難かもしれません。あなたの健康が回復してから、お母様には少しずつ埋め合わせをしていかれれば、よろしいかと思います。
気持ちの整理をつけるのも大変かもしれませんが、まずは心と体をやすめ、療養にお努め下さい。
自らの罪を認め、正直に伝えましょう、今度ではなく今日明日
まずは現在体調はいかがでしょうか
お婆様は亡くなっておられるとのことですが、お墓があればお墓の前で、家に仏壇があるならば仏壇の前で、それも無ければ何もないところに向かってでもいい、心からお婆様を思い出して謝ってください
少し、私の話をさせていただきます
私は小さいころにウサギを飼っておりました、名前は「ゼクス」でした。以後は「彼」とします。彼は家に来た頃からとても人懐っこく、すぐに家族の一員となりました
3年ほど経った夏、父の実家へ帰省しました。そこは海沿いの村ですので、彼も連れて海で遊び、彼を砂浜にリードで繋いだままお昼を済ましその後車へ戻って父の実家へと帰りました
ケージへ入れて車に乗せるとき、だるそうにしていたので遊び疲れたのだと思い疑いませんでした。今でもあの時のことをずっと後悔しています
家に着きましてケージを開けたとき、彼は二度と動いてはくれませんでした、目を開けてはくれませんでした、脱水症状でした。
何故当時の自分にその可能性があることを疑うことが出来なかったのか、何故もっとこまめに水をあげることが出来なかったのか、当然のことなのに何故あのとき・・・
今でもずっと後悔しています、そしてこの後悔が消えることは無いでしょう、自分が彼を殺したのだと思っています
それが私が背負い、これから先においても背負い続けて行かねばならない業なのだと思っています
業とは我々が犯した罪です。過去から現在、そして未来に渡って犯し、これから犯すであろう罪です
「広懺悔」という経文の中では「はてしなき過去より、めぐりめぐってこの身に至るまで」の無数に及ぶ罪を佛様へ懺悔致します。そして「これらの罪は永遠に断って二度と作ることはありません」と誓います
ですが人間は弱い生き物です。どれだけ気を付けていても人を傷つけてしまうこともあれば魔が刺すこともあるかもしれません
まずは自分の罪を告白してしっかりと懺悔してください
私も頭を下げても帰ってきてはくれない彼と過ごした日々があります、ですが懺悔し続けなければおれません
貴女も謝っても後悔の念が晴れることはないかもしれません、お婆様の目を見て謝ることも出来ません
それでも、それでも謝ってください、懺悔してください、自らの業であると抱えて強く生きましょう
いいえ、素敵な孫、娘です。
本当に辛い思いをなされましたね。
そう思ってくれる貴女にお祖母様は、喜んでくれているはずです。
お母様も、解っておみえのはず。
子どものため、孫のため なんともおもいませんし、精一杯してあげること、逆に喜びでもあります。
大したことではなかったはずです。
貴女が、苦しい思いをしている姿を見ることの方が、辛かったはずです。
良く、気がつかれ、そこまで思われましたね。
素晴らしいです。
お母様には、いつの日かそんな話しをされ、一言あやまってみたらいかがですか。
大丈夫です、お祖母様はあなたの事を仏様の国から護り、優しいココロをお持ちの貴女を、喜んでくれていますよ。
質問者からのお礼
お返事が遅くなってしまい、誠に申し訳ございません。。
皆様の叱咤激励のお言葉、本当に有り難く心と身に染み渡りました。
此から心を改めて、母親や社会的に恩返し出出来るようになり、恥ずかしくない人間として生きていきます。
こんな私に、有難いお言葉を…本当に有難うございましたm(__)m