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私は最低な孫(娘)です。

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私は、数年前に仕事でのストレスから鬱病を患ってしまい、その仕事も辞めて暫くは家で休養しておりました。
その際、仕事を辞めてしまったので勿論収入も無く貯めたいたお金も携帯料金等で使用したため無くなってしまいました。
其処で、今回私が後悔して仕方ないのが…

鬱病を患って休養していると言っても、収入が無くなってしまい、携帯料金等の支払いが出来ない時に…私は黙って祖母や母親の貴金属を売ってしまい、其で携帯料金等を支払ってしまいました。
その事を話せず仕舞いになってしまって、祖母は亡くなってしまいました。
未だに、祖母や母親にこの事を話せていない事に後悔してばかりです。。
私は、この先…どうしたら良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

魂は生きていつもそばに居る

お仏壇、お位牌、写真なんでもいいからその目の前に正座して今すぐ正直に丁寧に謝りなさい。
体が無くなったらといって存在まで否定されたらおばあちゃんが可哀想。
見えなくったって居るのに。
見えなくったって居るのに。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

婆ちゃんは知ってたと思う

まずはストレスの本質を知りましょう。
終わったことは「ない」。
今目の前に現実に「ない」。
あなたは「ない」ものを継続的に「ある」と錯覚的に思い込んでいた。今もそうでしょう。
あなたに限らず、誰もがそうです。今目の前に無いものを「ある」と思い込む。
それがストレスや迷い、煩悩の根源です。
すでに現実として生じて起こっていないものを、ずっと今もあるかのごとくに心のディスプレイに映して(生じさせて)それを相手に、あなたの心の中のスタジオにズラリと悪く評価する評論家を並べる。
自分を責めている評論家たち。
その正体をよく見極めてください。
あなたの事を一番悪く言って、責めたてているのは誰ですか?
あなた自身のはずです。
婆ちゃんに悪いことをして、今もずっと後ろめたい思いをして引きずっている。
今日を明るく生きられない。
自分をネガティブ地獄の沼に突き落としている。
それは誰がやっていますか?
お婆ちゃんですか?会社で嫌な事をしたあの人ですか?いいえ。
あなた自身なのです。
人生は悩むも苦しむもみんな自己責任。みんな自分持ちなのです。
自分のストーリーを一度投げ捨ててみてください。
私があれをしたからこうだったんだ。
私がいけないんだ
私が、私が、私のせいで。
私は最低だ、私は最低だ、これから先もきっとずっと後悔だ。
その物語は誰が作っていますか?
それも全部あなたなのです。
仏教はそのマイストーリー、自分の作り上げた妄想地獄から抜け出す生き方なのです。
事実に思考を上塗り、上乗せする。それによって、事実が捻じ曲がる。
そこから自分をすくいあげるのはあなた自身。
自分の物語を全部捨てなさい。
そこではじめて真のお婆ちゃんとの語らいができる。何をすべきかがわかる。
あなたは、あなたの中のお婆ちゃんとしか語っていない。
もっと、確かな声を聞きたければ、あなたがずっと握っているお婆ちゃんへの物語を一度手放すことです。
そこで、あなたはお婆ちゃんと真実の語らいができるでしょう。
自分の中の「きっとお婆ちゃんはこうだろう」はあなたの、想念。あなたの独自の想念。
そこの自覚を持つことです。
あなたはもっともっと大きな愛に包まれている。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

少しずつ、出来る範囲でお返ししていきましょう


数年前に仕事でのストレスから鬱病を患ってしまい、その仕事も辞めて暫くは家で休養

ここ数年間、つらい思いをなさっておられるのですね。鬱病は症状が顕著に表れる病気では無いので、周囲の人間はなかなか本人のつらさをわかってあげられません。でも、お祖母様やお母様はあなたの側で、あなたが鬱病に苦しんでいる様子をみて来たと思います。お祖母様やお母様はあなたの辛い状況の事は理解して下さっていると思います。

 一般論で言えば、受けた御恩には、恩返しをする。迷惑をかけたら、穴埋めをする、償いをするということになります。

仏教では「回向」という考え方があります。回向とは、自分が修行や徳行によって得た成果を、他者のために差し向ける事ことを言います。祖父母や両親の存命中に完璧に御恩返しをすることはなかなか出来ません。出来なかった分は、自分の子や孫に、そして社会全体に還元して行くことです。
   でも、取敢えず御祖母様には、既に常在師のご回答に有るように、お仏壇でもお墓でもいいですから、心込めて手を合わせお詫びの言葉を伝えましょう。(周囲の方に言葉を聞かれたくなかったら、心の中でそう念じましょう。)

  お母様にお詫びする場合、お母様があなたの病状をどれくらい理解しどれくらい寄り添って下さっているか、これらの状況を考慮して、時期を見てお詫びしましょう。無神経に「激励」したり高圧的に「罵倒」されたりする方でしたら、しばらく経ってからの方があなたの鬱が軽くなってからの方が無難かもしれません。あなたの健康が回復してから、お母様には少しずつ埋め合わせをしていかれれば、よろしいかと思います。

 気持ちの整理をつけるのも大変かもしれませんが、まずは心と体をやすめ、療養にお努め下さい。

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個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

自らの罪を認め、正直に伝えましょう、今度ではなく今日明日

まずは現在体調はいかがでしょうか

お婆様は亡くなっておられるとのことですが、お墓があればお墓の前で、家に仏壇があるならば仏壇の前で、それも無ければ何もないところに向かってでもいい、心からお婆様を思い出して謝ってください

少し、私の話をさせていただきます
私は小さいころにウサギを飼っておりました、名前は「ゼクス」でした。以後は「彼」とします。彼は家に来た頃からとても人懐っこく、すぐに家族の一員となりました

3年ほど経った夏、父の実家へ帰省しました。そこは海沿いの村ですので、彼も連れて海で遊び、彼を砂浜にリードで繋いだままお昼を済ましその後車へ戻って父の実家へと帰りました
ケージへ入れて車に乗せるとき、だるそうにしていたので遊び疲れたのだと思い疑いませんでした。今でもあの時のことをずっと後悔しています

家に着きましてケージを開けたとき、彼は二度と動いてはくれませんでした、目を開けてはくれませんでした、脱水症状でした。
何故当時の自分にその可能性があることを疑うことが出来なかったのか、何故もっとこまめに水をあげることが出来なかったのか、当然のことなのに何故あのとき・・・
今でもずっと後悔しています、そしてこの後悔が消えることは無いでしょう、自分が彼を殺したのだと思っています
それが私が背負い、これから先においても背負い続けて行かねばならない業なのだと思っています

業とは我々が犯した罪です。過去から現在、そして未来に渡って犯し、これから犯すであろう罪です

「広懺悔」という経文の中では「はてしなき過去より、めぐりめぐってこの身に至るまで」の無数に及ぶ罪を佛様へ懺悔致します。そして「これらの罪は永遠に断って二度と作ることはありません」と誓います

ですが人間は弱い生き物です。どれだけ気を付けていても人を傷つけてしまうこともあれば魔が刺すこともあるかもしれません

まずは自分の罪を告白してしっかりと懺悔してください
私も頭を下げても帰ってきてはくれない彼と過ごした日々があります、ですが懺悔し続けなければおれません

貴女も謝っても後悔の念が晴れることはないかもしれません、お婆様の目を見て謝ることも出来ません
それでも、それでも謝ってください、懺悔してください、自らの業であると抱えて強く生きましょう

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おきもち

いいえ、素敵な孫、娘です。

本当に辛い思いをなされましたね。

そう思ってくれる貴女にお祖母様は、喜んでくれているはずです。

お母様も、解っておみえのはず。

子どものため、孫のため なんともおもいませんし、精一杯してあげること、逆に喜びでもあります。

大したことではなかったはずです。

貴女が、苦しい思いをしている姿を見ることの方が、辛かったはずです。

良く、気がつかれ、そこまで思われましたね。

素晴らしいです。

お母様には、いつの日かそんな話しをされ、一言あやまってみたらいかがですか。

大丈夫です、お祖母様はあなたの事を仏様の国から護り、優しいココロをお持ちの貴女を、喜んでくれていますよ。

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

質問者からのお礼

お返事が遅くなってしまい、誠に申し訳ございません。。

皆様の叱咤激励のお言葉、本当に有り難く心と身に染み渡りました。

此から心を改めて、母親や社会的に恩返し出出来るようになり、恥ずかしくない人間として生きていきます。

こんな私に、有難いお言葉を…本当に有難うございましたm(__)m

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ