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先祖供養はどのような意味を持つのですか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 53

仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。

親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか?
血縁ってそこまで重要なのかしら?
先祖供養は儒教ではないのかしら?

いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。
この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。
血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。

個人的に家族の縁が薄いこともあり、
親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。
私の死後供養してくれるものもおりません。

しかしそんな私が死んだ時も
仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか
というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。

「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。
先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。

そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、
苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、
というように仏教的な死生観を解釈しています。

修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、
宗派によっては生前から成仏しているわけですし
浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。

死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。

それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。
そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。
お教えをいただければ幸いです。

2021年8月7日 2:16

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

門は八万四千ある

最重要トピックといいますか、多くの人にとって最も身近な門だから情報が多いんですよ。需要が多ければ供給も多い。家庭向きの本やサイトには家庭向きのことが書いてあり、大学なら仏教史や思想が多いし、修行道場いけば坐禅や仏道修行としての生活作法が多い。それだけのことです。

なぜ大切かは「そもそも仏とは何か」を掘り下げると良いでしょう。
仏とは、苦から離れた安楽なあり様です。じゃあ苦はどのようにして生じるかと言いますと、長くなるので途中式はすっ飛ばしますが、仏教では「私ガー私ガーという自分が基準点になっている考え方によって様々な苦が生じる」と考えます。

じゃあ、どうやって自分基準を止めればいいかというと、そこで各宗派の様々な修行方法が出てくるわけです。【その中の1つが先祖供養】です。

まずは近親者、そして顔を知らないご先祖さま方。さらに施餓鬼なら餓鬼仏のみんな、慰霊祭なら被害者のみんな。家畜供養なら家畜みんな。針供養なら愛用の針みんな。普回向ならあまねく一切のみんなみんな。そう、【みんなみんな】なんです。みんなみんなという生き方が、私基準の考え方の薬になるわけなんですね。

そのみんなみんなの究極…過去現在未来の宇宙みんなみんなのことを、仏と言います。
だから個人としての輪廻を解脱したら仏だし、生前から本来仏だし、仏のお導きによって私たちは生きてるんです。←仏を世界と読み替えてみましょう。

ここで、多くの人にとって一番身近でとっつきやすい最初の繋がりが、両親や先祖なわけです。(ちなみにインドとかあっちの方でも「まずは現世の両親、そして前世の両親、前々世の両親…」という風に供養します。儒教由来というのは古い風潮です。)

だから先祖供養がピンと来にくいなら、仏供養でいいんです。お仏壇に本尊さまお祀りするでしょう。それはそれでとても素晴らしいことです。

ただ、先祖供養を続けることによって先祖が身近になってくるということも往々にしてあることではありますけれどもね。親兄弟であっても、亡くなってからの方がかえって身近に感じるようになりましたという方は結構いらっしゃるんですよ。

死後の干渉については紙面の都合でこちらをお読み下さい↓
https://hasunoha.jp/questions/17875

2021年8月7日 13:39
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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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おっしゃる通りです

拝読させて頂きました。
あなたのお考えもっともかと思います。
仏教は自らと仏様との関係ですし、輪廻を離れて自ら仏となっていく道ですし、自ら仏様を信じていくことが大事ですからね。
ですから先祖供養にばかり固執することはないかと私も思います。あなたの信仰は正しいと思います。
人それぞれに親や親族との関係は違いますし、生まれも育ちも生き方も違いますからね。人によってその関係性は違っていて当然ですし先祖供養の仕方や考え方はそれぞれにあってもいいかと思います。
血縁ばかりが大切ではありません、私達は様々なご縁の中で生きていますから大変お世話になったお亡くなりになられた方々に心から手を合わせてその方々が安らかになりますようにとお祈りなさることもありですからね。
日本の仏教は中国や朝鮮から伝わってきていますから儒教的な要素も多分に含んでいます。ご先祖供養もその一因ですよね。ですから日本仏教のスタイルとして先祖供養が含まれている、或いは日本の信仰の中に先祖供養が入っていると言った方がいいかもしれませんね。
ですからそれぞれに先祖供養のあり方や考え方はあるかと思います。
ご先祖供養についてもあなた自身の今までの生き方の中でとらえお考えなさっていけば良いかと思います。
一つの考え方として私達は誰しもがつながっています。普段は他人ばかりだと思って生きていたとしても実は隣りにいる人は全くの他人ではないということです。つまりずっとずっとさかのぼっていけばみんなつながっています。実は国も世界も関係なく誰しもがつながっているのです。あなたの何十代何百代さかのぼって想像してみて下さい、或いは計算なさってみて下さい。答えは明瞭です。みんな親戚同士みんなご先祖なのです。そう考えるとちょっと見方が変わってくるかもしれませんよね。
とはいえ信仰は自分自身、あなた自身のものです。あなたと仏様との関係です。仏様を信じるあなたのものです。
どうぞご自身の信仰を深めてご精進なさって下さいね。
あなたのこれからの信仰生活がより豊かになりますようにと心より仏様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏

2021年8月7日 4:06
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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葬儀と供養の意義について

しおりさま

宜しければ下記拙論をご参考頂けましたらと存じます。

『葬儀と供養の意義について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d2c3793b56451efdff407f7090851dc1

有り難く尊い仏縁を頂く機会であると共に、悟り・涅槃へと向かうための「自利利他」の行いを積む善き機縁になるというところであります。

「・・自他共に、悟り・涅槃へと向けた善き流れに乗るための仏縁を、どう強く結び、修行、功徳に励んでいくべきであるのか、それをしっかりと考えて、様々な供養においても、できる限りに、その意義を理解した上において努めて参りたいものでございます。・・」

また、追善供養のことにつきましては、下記拙法話もご参考下さいませ。

「追善供養」


川口英俊 合掌

2021年8月7日 8:59
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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親のない人間

というところが気に入りました。親が亡くなった人はいますが、親なくして生まれた子供はいないでしょう。
死者の行く末に関して何ができるのだろうと疑問に思っておられるようですね。
藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)を買うか借りるかして読むのが面倒なら、
誓教寺ホームページの中に冊子『供養ってなに?』が無料で読めるようにしてあります。ご覧ください。
端的に言えば、ヒンドゥ教でも儒教でも故人のための供養は何となくしますが、それが効果あるのかどうかさえ、どの宗教も知らなかったようです。釈尊が、理屈とか効果の有無を教えた、と、初期仏教経典に詳しく出ています。大乗仏教の発明ではありません。と、私は以前博士論文に書きました。

2021年8月7日 7:16
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

こんなにも沢山のご回答をいただき驚きました。
有り難い限りです。
お教えをもとに考えを深めてゆこうと思います。

Kousyo Kuuyo Azumaさま
ご回答ありがとうございます。
和尚さまに肯定していただいてずいぶんと楽になりました。
否定せずに受け止めて頂いたことで、少し冷静に自分を客観視できました。
結局私は世間一般のような思いで先祖供養をできないことに引け目があり、自分を正当化したかったのだと思います。
お教え頂いたように、先祖に対しても広い視点から考えていこうと思います。
ありがとうございました。

藤本さま
ご回答ありがとうございます。
『供養ってなに?』拝読いたしました。
功徳回向によって、生者は故人に気持ちを伝えることができる、それは自業自得として自身が功徳を積むことになるという理解で良いのでしょうか?
素晴らしいことですね。
文中にありました、一切衆生にまで回向するスケールの大きな先祖供養、
このような事を漠然と考えていました。
これならば私にもできそうな気がします。

和尚さまは私の「親がいない」という表情に引っかかっておられましたが
これは便宜上と言いますか、いわゆる一般的な「家」のシステムから外れたところで生まれてしまったので(恥ずかしながら不倫の子です)、
それこそシガーラ教誡経でしめされたような親との関わりを持つことができず、
親族は私の存在を疎んじているか、そもそも認識されていないような状況でして
檀家寺や祖先の墓への接触も困難、どこにあるかも存じません。
この世に産み落としてくれたからには縁もあるし感謝もしていますが
縁の薄い血縁者よりも身の回りで助けてくれた人、それこそ今教え諭してくださった和尚様のほうが
むしろ身近に感じるという次第です。

もちろん一般的には、親は子を思い子は親を思うものでしょうから
親の死後、何とかよりよい供養をしたいというのは
時代と文化を超えた根源的な欲求なのでしょう。
考えてみれば儒教に限った話であるわけがないですよね。
しかしお釈迦様までが先祖供養を解いているとは驚きました。
お教えに感謝いたします。
ありがとうございました。

川口さま
ご回答ありがとうございます。
ブログ、ユーチューブ、拝見しました。
たいへんわかりやすく説明されていて理解が深まりました。
葬儀は故人が仏縁を結ぶ、あるいは仏縁を強固にする、
そして残された者たちは供養によって自身も仏縁を強くする自利利他行となるのですね。
意義を理解できた気がします。
お教えありがとうございます。

大慈さま
ご回答ありがとうございます。
楽しく拝読いたしました。わかりやすくご説明してくださいましたが、深い内容ですね。じっくり考えてゆきます。
先祖供養については、自分が選べなかった門が人気なのを見て焦っていたようです。八万四千のなかで、通れる門を探して進みたいと思います。
先祖供養の目的というか、先の段階のこともお教え頂いて、小さなことにこだわって足踏みしていたのだな、と自覚いたしました。
なかなか考えがまとまりませんが
ゆっくりしっかり読み解いて考えてゆこうかと思います。
ありがとうございました。

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深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 5
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