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説き上手は、いかに戒められますか

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問5366 を拝見して、思い出したのです。
http://hasunoha.jp/questions/5366

既にいったん行き詰まった、混乱した者には、何かちょっと、持たせてやらねばと思ってしまうのです。
その上つい説き【すぎて】しまうのは、全く己の弱さのなせるところなのですが。

かつて行き詰まった己を動かしたのは、偶然手に取った本でした。
支持以上の、なにか実践的きっかけのようなものが、必要だったのです。

そういえば、対機説法というそうですが(問1099ほか)、釈迦はいかに聞き、いかに応えたのでしょうか。

思索の深まる答を欲します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦様は特別ですから

私自身まだまだ無知の為、お釈迦様について回答する資格があるのか迷ったのですが、私個人としては、

お釈迦様の教えは知識だけで無く実践までがセットです。
実践によって本当に理解できるからです。
ボールの投げ方を知っているからといって、プロ野球の選手になれるわけではありません。
お経を読めるからといって、僧侶というわけではありません。
なので、お釈迦様の教えの説き方は、教えを理解するための実践、その人の苦しみを理解した上で、その人に合わせた方法、を教えているのではないでしょうか。
そして、教えられた人は実践して初めてお釈迦様の教えに気づくのです。
苦しみの原因に気づくのです。

例えば、子供が亡くなってお釈迦様に生き返らせてくださいと願う母親には、
「周辺の家からケシの実を3つ貰って来なさい。ただし、親族に亡くなった人のいない家から貰って来なさい。それができれば生き返らせましょう。」
と説きました。母親はどの家を訪ねても親族に亡くなった人がいる事を知り、子供が亡くなった事を受け入れることが出来るようになりました。
母親は命の儚さに気づいたのです。

お釈迦様はスーパーカウンセラーですから、対機説法もできますが、私達は凡夫ですから、なかなか難しいですね。
なにはともあれ、先ずは相手の話を聞いてあげることです。
何か気づく方法を与えられたらいいし、与えられなくても聞くだけでよしとしましょう。
苦しむ人に与えるためには、自らも同じ苦しみを経験し、それを乗り越えた経験が必要なのです。
経験の浅い私達に出来ることは、私達自らが経験した事や学んだ事、経典などを拠り所として、相手が自ら気づくまで聞いてあげることくらいかもしれません。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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お釈迦様に言葉などないと思うのですが?

賓兄がお二方、すでにお応えになっており、愚僧の出る幕ではないと、
思いつつ、何とも気になりお返事させていただきました。
本題とかなりかけ離れると思います。
また、奇想天外な私論の展開になりますことを、ご容赦ください。
対機説法といいますが、その人に応じて法を説くということになりますが、
ほんとにそうなのでしょうか?
応病与薬でありまして、教えを説いたというよりも、薬の処方箋をお与えくださった。
というのが私の考えです。
仏教といいますと、ともすると教えを学ぶという面が強調されがちですが、
仏教の出発点は、「そうだ仏様になろう!!」というこの一義に尽きます。
だから仏道=仏になる道なんです。世の中はみな苦しみのもとだということ「一切皆苦」と知り、
全ての行いは虚しく「諸行無常」で、
移り変わっていくのだから「諸法無我」という真理にの上に、
あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる「涅槃寂静」、
苦しみから解放される、とお釈迦さまは言ってられます。
個人によって、痛みや苦しみの原因は違います。
その苦しみや悲しみには実体がなく、真の自己に気が付いた瞬間に、
明るく開ける何かがある。
この何かに気付いたら、あとは自由自在。どこに行くのも勝手気まま。
言い過ぎたか、言葉が足らなかったとか、そんなことは問題ではないように思います。
人生の主人公であるあなたがどう考えてどうアドバイスされるのか、
言いすぎるのもあなたなのです。
それでよろしいのではないかと?
あなたは相談に乗っている様に見えて、実際は、教えを受けており、
あなたが傾聴して、お応えになったことは、言い過ぎたと思われることも、
含めて、全て仏様(拙僧的には阿弥陀さま)のお計らいに他ならない思います。
これが機法一体なんじゃないのかとふと思います。
一期一会、袖すりあうも他生の縁と申します。
その時その時に赤心なく真剣にお答えになればこれは、
もう仏さまのお言葉です。
まあ、ボロが出すぎましたので、このへんで失礼いたします。

よき指導者、相談者でいらっしゃいますね。
敬服いたします。

ご活躍を心から祈念しております。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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拙失敗談・・

ゲスト様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

聖章様も既におっしゃられていますように、釈尊は、お悟りを開かれました全知者・一切知者でございまして、全てをご存知であるため、適切な対機説法が可能であり、善巧方便により衆生をお導きになられました。

私たち凡夫におきましては、釈尊のようには無理だとしても、相手のためを思って、アドバイスをすることは誠に親切であり、有り難いことでございますが、加減が分からずに、それがかえって逆効果になってしまったり、迷惑になってしまったりということも、もちろんあり得ます。それがゆえにも、できるだけ「慎重」にと心掛ける必要があるかとは存じます。

しかし、慎重さを心掛けていても、実は拙生も一度hasunohaの回答で失敗してしまったことがございました・・下記のように謝罪文も出して、しばらく回答を自粛していた時期がございました・・

「Hasunoha」拙回答に関する謝罪につきまして(2013年06月14日)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52130942.html

誠に苦い失敗でございましたが、大事にはならずにて、誠に良かったと存じております。

聖章様もおっしゃられていますが、やはり経験からでしか分からないこともございます。良い塩梅、中道とはどのあたりになるのかを見極めつつに、慢心せずに、日々研鑽、精進努力していくことが必要であるかと存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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