「空」「不空」「虚空」の違いとは?
特に、「不空成就如来」などの「不空」は「むなしからず」という意味だとよく書かれていますが、そもそも「空」が「虚しい」という概念ではないはずと思うので、ピンとこなくてモヤモヤします。
尚、「虚空蔵菩薩」の「虚」もこれまた「むなしい」と読みます。が、なんとなく広い宇宙が思い浮かび、イメージしやすい気はします。虚しさというと悲しみや侘びしさというものがついてまわり、「空」とはそういうものをも包括した(超越した?)概念だと思っていたので、そもそも「空」の字の前に「不」や「虚」がつくことが腑に落ちません。
どうかご教授いただければ幸いに存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私なりに
言葉の解説は私にはできませんが、空は空っぽということではなく満たされきった今の様子がある。しかし掴みようもないし、掴む必要もない。
一秒前の様子ですら残しておくことはできない、という真理を表している言葉。つまりその様子そのものではなく、それを限りなく近く表現したもの、しかしそのことズバリではないただの言葉という道具なのです。
無常というのもなんとなく虚しさ、打ち消し的ネガティブに捉えることもできる言葉です。
後追いすればそれだけ余計なこと。
今ここにある事実をダイレクトに生きていれば空であり、無常であり、悟なのだということ。
満たされきった様子の裏には手放しきっている様子もある。昨日食べたカツ丼の味が今も残っていたら今朝のコーヒーと混ざりますから、手放し切ることと満たされ切ることは同じなのではないでしょうか。
学者さんではないので言葉の解説はできませんが私なりに感じていることを答えさせていただきました。
仏道は言葉をいくら理解しても救われない道です。あまり言葉に振り回されず、ご自身で実践されることをお勧めいたします。
仏教用語と日常用語の意味の違い
はじめまして
虚空蔵とは次元を超えた様々なものが納められた蔵です。
虚空とは「何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所としての空間」「仏の智慧や仏道修行に必要なものが揃っている場所」という意味の仏教用語です。
日常用語と仏教用語のニュアンスの違い故に疑問を持たれたのかもしれませんね。
一般に虚と聞くとむなしい(空虚)や弱い(虚弱)や嘘(虚言)、素直(謙虚)というイメージがあるかもしれませんが、仏教用語の虚空や虚空蔵の虚には「むなしい」という意味はありません。
他には「無学」等が有名ですね
学が無いのか、学ぶ事が無い(学びきった)のかで意味は正反対になります。
仏教用語でしたら後者になります。
無学位という修行上級者(聖者)の位もあります。
空について書きますと書ききれなくなりますので一言だけ……
不空については少し難しいかもしれませんが、中論、中論八不偈についてもし機会あれば触れてみてください。
分からなくても奥深さに触れていただければ嬉しく思います
日常語と仏教用語では同じ単語や文字でも意味が異なる事が多々あります。
また、同じ仏教用語でも経典や論書に出てくる場所によって意味が異なる場合もあります。
それらを踏まえて仏教に今一度触れていただきましたら、最初は戸惑われる事もあるかもしれませんが、より発見や味わいが多いかと思います。
参考になれば幸いです
合掌
漢字で考えると分からなくなることも
虚にむなしいの意味もありますが、それは漢字の意味です。原語がどうだったかを考えずに、漢字の意味だけ取って考えるとわけが分からなくなるかもしれません。
空(くう・からっぽ)がサンスクリット原語のシューニャの訳語であることが多いです。
不空は、空の否定形、からっぽではない、で、よいと思います。
しかし、アーカーシャ(空間)という別の言葉を訳すために、当時は空間という言い方がなく、虚空と訳したりしていました。つまり、原語は「こくう」で一つの単語なので、漢字が二つ使ってあってもそれは「空」と違うことを示しただけです。「虚と空」とか「むなしい空」などと言うつもりではなかったということです。
漢字は表意文字と言って文字自体にいろいろな意味がありますので、外国語を訳したときは、元の漢字の意味にあまりとらわれずに原語の意味を探るようにした方が良いと思います。
質問者からのお礼
邦元様
お忙しいなか、さっそくありがとうございました。言葉に振り回されずに実践が大事ということ。日々気持ちが悩みでいっぱいになると悩みと向きあっているつもりでお経だとかの字面に気をとめる事で、本当は悩みから逃げていたのかもしれません。お経を唱えたり、興味のある分野に疑問を持ち調べている間は問題から離れられている気がしますから。はっとさせられました。感謝申し上げます。
慈蔵房様
お忙しいところご丁寧にお教えていただきありがとうございました。今の時代、ネットで浅く広く色々と調べることができるが故に、「仏教」「仏道」に関するお経や書籍に触れる前の「心構え」や「踏まえる事」をわからずに手を出してしまいがちなんだなと気付かされました。無知な素人が恥ずかしい質問をしてるというのに優しくご指摘くださった上で「中論、中論八不偈」の存在までお教え頂き、とても嬉しく感じました。感謝申し上げます。
では……本日も仕事へ行って参ります!!
慈照様
お忙しい中私の質問に目を止めていただきありがとうございました。
お経や関連書籍を読む上で、また疑問を感じた時に理解しやすくなるヒントをご教授いただき、ありがとうございます。
腑に落ちないときには元語、サンスクリット語で意味を探ってみようと思います。
こちらのサイトで紹介されている書籍などにも触れながら、納得できたとしてもそこで終わらさず、それらが血や骨や肉となり、まぁるい心であれるように精進いたします。感謝申し上げます。