本職の方に確認です
仏教の示す所は「事実がある。あとは妄想」という事で合ってますか。そしてその事実に嘘をつかない生き方を「修行」と言っているのでしょうか。
言葉の示しているものへの誤解釈があればご指摘をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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遠離一切顛倒夢想究竟涅槃
ktさま
仏教の示す所は「事実がある。あとは妄想」という事・・
かなり近いかとは存じます。
「虚妄(こもう)分別」にて迷い苦しむことになっているのが私たち凡夫で、般若心経にあるように常に「顛倒夢想」してしまっているであります。
それは、無明によって煩悩を起こしているという状態で、その状態にての過去世からの行いの因縁、様々な悪業等により輪廻することになっているということなのであります。
「事実」(真理)は、「空と縁起」ということなのであります。
「空と縁起」(真理)を理解していく智慧を開発(かいほつ)していくと共に、功徳(福徳)を積んでいくことが仏道修行となるのであります。大乗仏教では六波羅蜜の実践となります。
では、私たちの認識は、なぜ虚妄、顛倒してしまっているのか、それは私たちの認識のあり方と仏陀の認識のあり方を比較検討することでスッキリと明らかになるところとなります。
合掌
事実と思うことも妄想です。
㏏さん、こんにちは。
仏教の示す所は「事実がある。あとは妄想。事実に嘘をつかない生き方を修行」というのですかという問題ですね。
語句を素直に読めば違います。事実もこれまた妄想です。仏教は、事実も人の受け止め方に寄って変わると考えるからです。事実に対してその状況からの本質を見極めようとするための修行が仏教ということになります。
たとえば、ガラスコップがあるとします。コップ自体は事実で、これで水を飲むのが本質です。でもその人の立場が変わると事実は同じでも本質がかわります。人によってはちょうど花を飾るのに良いと花を活けて花瓶にするかも知れません。あるいは土を入れて鉢にするかもしれません。あるいは絵を描いてインテリアにするかも知れません。夫婦喧嘩の時には強力な飛び道具になるかも知れません(笑)。水を飲むガラスコップのはずなのにその人の使い方によって、さまざまに本質が変わるのです。
自分にとって、それは何なのか?と本質を追求するのが仏教の修行だと私は理解しています。仏教ではその見方を「中道」といっております。「色即是空 空即是色」はその色(形)をどう真理で見るかの法則です。色即是空の「色」と空即是色の「色」は、同じものでも違うのです。先ほどのガラスコップと同じです。
ガラスコップは飲むためのものという基本概念は日ごろはそれでいいのです。でもTPOが変わればそれに合わせた生き方をしなければなりません。今の自分にとってどの見方が一番良いのか。それは百万通りの答えから選択です。その中で人生は生きなくてはいけません。難しいですね。
合掌
質問者からのお礼
三休さん様
丁寧な回答、ありがとうございます。
染川智勇さま
丁寧な回答、感謝申し上げます。
確かにコップと名付けられたそれの使い道、様々ですね(笑)わかりやすい例えをありがとうございます。