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仏教徒に対する疑問

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ここには沢山のお坊様がいると聞いたので見参しました よろしくお願いします
では早速質問
仏教の基本の教えは釈迦様が説いた右でもない左でもない上でもない下でもない中道で
その位置にこそ美しい琴の音を響かせる軸の位置があるという考えですよね
でも仏教の教え自体が中道の位置からずれてる気がします
たとえば教えの一つである因果関係とは良いことをすると良いものが返って来ることですよね
でも本当に良いことをすると良いことが返って来るのか?答えYESだったりNOだと中道の位置の考えから右や左や上や下にずれてしまうのでは・・・
同じように煩悩をなくして無になれば苦から逃れられるという教えも
本当に煩悩をなくして無になれば苦からのがれられるのか?答えYESだったりNOだと・・・
このように仏教の全ての教え自体がYESとNOに偏ってて釈迦様の基本の教えである中道の考えからずれてる気がします

もしかしたら私自身が白痴であり中道の考えやお釈迦様の考えをよく理解してないのかもしれないかもしれません
もしそうでしたら誰か教えてください


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道と八正道

仏教では「苦」は「悩む」事を意味します。四苦八苦より「無常観」を持ち苦から逃げる事無く受け止めることが仏道の基本です。
(中道と八正道)
お釈迦さまはお悟りを開かれた最初のお説法が「中道と八正道」です。
お釈迦さまは、釈迦族の王子としてお生まれになりお母様を早く亡くされた以外何不自由なく過ごされておられましたが日頃より人間は何故死に行く身であり苦しみ悩む事の壁に当たり30歳の時に何もかも捨てて出家され悟りを得る為に様々なく苦行をされますが中々悟りには至りません。あらゆる手段を使い果たしたお釈迦さまは菩提樹の下で何年も座禅を組まれある日突然目覚められお悟りを開かれたのです。
この事より今迄王子として楽な世界を知り、悟る為の苦行で苦しみを知る事が出来たけど悟る事は出来なかったが座禅により悟事が出来た事で「中道」の大切さを身を持って知る事が出来たのです。
楽過ぎて得るもの。苦し過ぎる事から得るもの。では悟る事は出来ない。
「両方のバランスが重要な事で悟りへの道」が「中道」と言う事です。

そのバランス「中道」を実践する方法が「八正道」のことなのです。
八正道の「正」」とは、「優れている」、「善い」、「人間の生き方として極端に走らない」、「的にかなった」とか、「バランスの取れた」と言うような意味です。ですから、八正道とは、「八つのバランスの取れた修行方法」ということです。最近では「人間が正しい生き方をするための八つの修行方法」という意味で使用されています。、
八正道(正見、正定、正命、正命、正業、正語、正思惟、正念)のこ事で、まず、物事の真実の姿を見ること(正見)が大切です。(仏教ではこれを「智慧」と言います)この智慧を得るためには、正しい精神統一(正定)が必要です。正しい精神統一をするためには、正しい生活(正命)が必要です。では正しい生活は何かというと、正しい行、をすること(正業)、正しい言葉を使うこと(正語)、正しく考えること(正思惟)です。(仏教ではこの身・口、意の三つを三業(さんごう)と言います)、三業を正し、正命を高める努力をし(正精進)、最後に、以上のことを常に忘れないようにすること(正念)で良く一般的に耳にする正念場の「正念」はこの事で仏教から来ています。

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YESとNOに囚われないのも中道

確かに中道はお釈迦様の大切な教えであります。
快楽生活と苦行生活を体験し、その結果そのどちらでもなく、穏やかな状態で瞑想し覚りに至ったと言われています。
ですから両極端に囚われないことが中道なのです。

善い行いをすれば、それだけで嬉しいものです。感謝されたらなお嬉しいですね。
この場合はYESでしょう。

しかし、善いと思ってしてあげたことが相手からすればとても腹立たく思われ、反対に怒られることもあります。
この場合はNOでしょう。

状況に寄っては、どちらにもなるのです。
YESとNOに囚われないことも中道と言えると思います。

ただ、煩悩を無くせば苦が無くなるのはYESとしか答えられないと思うのですが。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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言葉の上のこと

こんにちは。何とも若々しい質問だなぁと嬉しくなります。そして仏教に関心がある。とても良いことです。
まず簡単に言ってしまえば、あなたの問いは「言葉への囚われ」です。つまり「ハイ、と言ってもイイエと言っても、中道ではないのでは?」という事ですね。なるほど2つしか選択肢がないと、中道を歩めない。でもこれ、言葉の定義の問題。「中道とは、どちらにも偏らない事である」、この定義、イエス・ノーはあります。イエスでなければ話が始まらない。因果というのも定義です。話をするために定義が必要なのです。
しかし、実際の行為について、それが例えば良いのか悪いのかは、直ぐ一概には分からない。だからね、実際の生活においては、「多分イイコトを行えば、多分良い結果が起こる」ぐらいのものです。その場合でも、「私が行った事の結果として、何かが起こる」という仕組み自体は変わらないのです。
我々は相当、言葉に頼った生活を送っていますが、言葉は万能ではありませんね。ミニチュアあるいはデフォルメでしかありません。
でも、言葉自体の扱いも、宗教によって異なります。その辺りも当たってみると、きっと面白いですよ。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

あ~なるほど 中道ってそういう意味だったんですか 仏教について最近興味が湧いたばかりでまだいろいろ知らないことばかりなので 中道の意味を勘違いしてました(笑)
教えてくれたお坊様 有りがたや有りがたや

山口秀徹様 聖章様 佐藤良文様
私のような仏教の右も左もわかってない駆け出しレベルのど素人の質問に真面目に答えてくださりありがとうございます
はじめ中道ってのは全ての物事を中道に見てて全ての質問にYESもNOも言わないことだと思ってて
でもそれじゃあ仏教自体始まりませんよね(笑) 相当現代社会の言葉だけの情報に囚われてました
もうすこし仏教を勉強して恥ずかしくない質問ができるようになったらまたココにきます 3人のお坊様に有りがたや有りがたや

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ