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死後の世界を想像してしまう

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有り難し有り難し 43

私は最近、死んでしまったら今している努力や
今までの努力が無駄になってしまうのではないかと考えてしまいます。

また、死後の世界を想像してしまい恐怖心を覚え、考えた日は何にも集中できなくなってしま
います。

そして、私の生きている意味がわからなくなってしまいました。
死への恐怖心におしつぶされてしまいそうです。

この苦しさを取り除いていただけないでしょうか。
回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間であるがゆえの不安、悩みです

アメイ様はじめまして。今お抱えの苦しみは人間であるがゆえの根本的なものです。その若さでとても大事な問いに真剣にむきあっておられることに感服いたします。

死とはあらゆる可能性が全てなくなる、究極的・絶対的な不可能性です。人間は不幸にも自らがその死をいずれ迎えることを知識として学び、知っているのです。
しかし、いくら自らが死ぬことを知っていても死とは何かは本質的には知り得ません。死んだときにはもう自らはいないからです。そして誰も死から戻った人はいないからです。

死んだらどうなるのか、死後の世界はあるのかないのか。

仏教でも宗派によってとらえ方が違うかと思いますが、私は次のように考えます。この件についてはたくさんの回答を得られることを望みます。

死後の世界が有るという見方が「有の見(うのけん)」。
死後の世界などないというのが「無の見(むのけん)」。

どちらも偏った考えに囚われた邪見であると仏教は考えます。

ではどうすればよいのか・・・

あるでもないし、ないでもない。あるかもしれないし、ないかもしれない。また、わからないことは考えない。とも言えます。

しかしそれでは具体的にどうしていいかわからない。そんな人間に残された道が信仰です。
浄土真宗では浄土に往生するという信仰です。皆ともに浄土に往生するのだと信ずるのです。これは浄土という死後の世界が有るのだという「有の見」ではなく、私たちにはわからないから「おまかせ」するのだという信仰です。
(※浄土真宗の信仰・信心についての詳しい解説は省略します。)

信じることは力を生みます。信仰が生きる力となるのです。

人はみな生まれた時からずっと何かを信じて生きています。母乳に毒が入っているかもしれないと疑う赤ん坊はいません。明日世界が滅びると思って生きている人はいません。

信仰が力となり、逆に言うと信じられないということは大きな苦しみなのです。

アメイ様が生きる力となる教えと出会われることを願っております。

生きる意味については字数の関係でふれることができませんでしたが、下記も参考にしていただければと思います。
http://hasunoha.jp/questions/6187

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

この世で実現できなかった願いを叶えるのが、死後の世界

  死語の世界をどのように想像するかは、人それぞれかもしれません。あなたは、あなたの死後の世界観を持たれて結構だと思います。

  宗教においては、現世を「苦しみと汚れた世界」と捉え、来世を「清らかな、安楽な世界」と考えることが一般的だと思います。この世で願いが叶わず、悔いが残る人生だったと思うからこそ、来世に於いては願いが叶い悔いの無い生き方をしたいと考えます。つまり、多くの宗教に於いて、死後の世界は理想郷のように考えられております。キリスト教で言う「天国」、仏教で言う「極楽」「浄土」がそうですし、民俗宗教で言う「常世の国」「ニライカナイ」もそうだと思います。

   ですから、伝統的には「死後の世界への恐れ」では無く、「死後の世界への憧れ」が存在していたと思います。下記の坂村真民さんの詩も、死後の世界が美しい安楽の世界であるという前提に立って書かれています。味わってみてください。

老いること       坂村真民

老いることが
こんなに美しいとは知らなかった
老いることは
鳥のように
天に近くなること
花のように
地に近くなること
しだれ柳のように
自然に頭のさがること
老いることが
こんなに楽しいとは知らなかった

安らぎ

帰ってゆく処が わかっているから
あんな いい顔になるのだ
あんな いい目になるのだ
あんな安らぎの姿になるのだ

乗托
 
さあ
皆さん
み仏の車に
お乗りなさい
そして
すべてを托して
お行きなさい
こんな楽しい旅が
ほかにありましょうか

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有り難し
おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

私個人としては

私個人としては、
人は皆お釈迦様のように覚りに至ることが目標であります。
しかし生きている間に覚りに至ることができないかもしれません。
たぶん私を含め殆どの人はできないでしょう。
ですから、命が尽きたら阿弥陀仏に極楽浄土に連れて行ってもらって、そこで引き続き覚りに至る修行をするのです。
また、極楽浄土には先に行っているご先祖様達もたくさん居ます。
私の弟も居ます。
彼らと会えるのも楽しみと思っています。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
まだ若いので知らないことだらけですので
貴重な意見として参考にさせていただきます。
頑張って教えを探してみたいと思います。

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