仏教の教えについて
こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。
以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。
これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。
これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?
その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。
論理的思考を重視する面があります。 考えすぎてしまうことが欠点だと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご返信ありがとうございます(書き直し)
誰の教えかなど存じません。仏教はそういうものです。釈尊直説など素人論。全ての経典は釈尊の滅後100年以上経ってから明文化されており、それまでにおよそ20の部派に分裂しています。ゆえに原始経典と呼ばれる経典群でさえ、厳密には「釈尊直説である可能性が高い」のであって、100%釈尊直説を確証できるものではありません。仏教学部生なら常識です。
むしろ南北を問わず、星の数ほどの僧侶が学会で議論し、諸説を深め、修行と研究を重ねた結果が仏教を構築しました。ほとんどの入門書で仏教の根本思想のように紹介されている、かの十二縁起でさえ、後世に整理されたものです。その2500年にわたる精査の賜物が仏教における真の信頼性であり、引き出しの豊かさです。歴史上には淘汰された教えが無数に存在します。宗派として成立するに至らなかったものも含めて。新興宗教はともかく、現存する伝統仏教の宗派なんてホンの一部です。
もっと言えば原始経典には来世を考えるなという教えと、来世のために云々という教えが共存しています。その上での釈尊直説であり、あるいは1つの山を目指す云々ということですからね。
自未得度先度他にいたっては僧院仏教に対する復古主義ですよ?と言っても分からないでしょうけど。本当に何も分からない…当然です。数字を覚えた程度で四則演算も知らん人間には微積分は理解できません。そこに辛さを感じるのは自惚れですし、1年間の講義で扱いきれないような内容を千字の回答で納得させろというのは厚かましいにも程があります。分からんもんは分からんなりに分からんまま止めて一歩づつ進むしかない。性急に結論を求めるのは心の弱さでしかありません。
また、こんな釈尊直説ガーみたいなことを学んだって悟りには何の役にも立ちゃしません。そこを理解しようと頑張っても詮無きこと。現にあなた、今、泥沼にハマっているでしょう。だから勉強したって救われないと皆言っているのです。
宗派を選ぶのは大切です。でも、程度の問題です。いつまでもフラフラするようでは困りますが、「その教えに賭ける」なんてのは大学受験を人生のすべてだと思っている受験生のように盲目的です。この辺の心構えについては先のご質問に回答しています。
『宗教なき時代を生きるために』
肩の力、抜けきってないですね。
抜こうと思って抜けるもんでもないですから、仕方ないといえば仕方ないと思います。
まだ「選ぶ」つもりでいるのも、うん、そうですよね。仕方ないと思います。
決して是認はしませんが、黙認したいです。
ということで、何をどれだけ読んでもたぶん今のすけのじさんにはためにならないと思います。
それでも、たぶん、
森岡正博
『宗教なき時代を生きるために』
法蔵館
みたいな本が、何らかの方向を指し示してくれるかもしれない、と思います。
なぜそう思うかというと、わたしがそうだったからです。
読むべき時に読む本に出遇えてないのかなあとも思います。
橋爪大三郎なんて読んだらだめです。(ファンの方、すみません。)
高橋源一郎は『さようなら、ギャングたち』と『ニッポンの小説 百年の孤独』と『官能小説家』をまず読むべきです。エッセイはその後にしてください。(ファンです。)
あとは、遠藤周作の『沈黙』です。
もう読んでいるでしょうか。
自分の話として読んでみてください。
そして、テーラワーダの人と話していて、ほぼ全否定された本ですが、
中村元の『バウッダ』は読むべきです。
どこかの「註」に『七仏通誡偈』の話が出て来ます。
諸悪莫作
修善奉行
自浄其意
是諸仏教
これを、玄奘三蔵が三句目を「自調伏其意」と訳した。
そこが大事だ、と。
余裕があれば、ケン・ウィルバーもいちおう読んだ方が良いと思います。
案外そっちが合うかもわかりません。
日本にもトランスパーソナルのすごい集団はいます。
『星の王子』さまとか、エンデの『はてしない物語』とかも、かなり良いと思います。ル=グゥインの『ゲド戦記』も。どれもフツーにたのしく読めますが、読み方によっては、かなり宗教的です。
以上、個人的な経験に基づく偏ったブックガイドでした。
ともかく、仏教は仏教書だけではわかりません。
そして、とにかく無理せず、しっかり。仏教から遠く離れることも大事だと思います。
仏教のことなんかすっかり忘れるくらいの恋をしたり、何かに打ち込んだりも、してほしいです。
わたしを含め、たぶん回答したみんなで生暖かく見守っています。
その、見守っているユルさを全否定する感じでいってください。
無量寿経も読んで欲しいです
お釈迦様が阿弥陀如来を紹介なさったお説教を「無量寿経」と言います。
無量寿経では「修行しなさい」とも「出家しなさい」とも説かれません。
阿弥陀如来という仏様は全てのいのちを仏にする能力をお持ちの仏様で、全てのいのちを対象に一方的に救いのはたらきをなされてますよーというお説教です。
それを聞いたお弟子様はとても驚き喜ばれます。
浄土真宗はこのお経を拠り所にしています。
阿弥陀様にお任せして、命尽きると同時に浄土に往生し成仏させていただく宗教です。
私の側にはやることが全くないので、とても楽な宗教ですね。
何もする必要がないという宗教もあるんです。
阿弥陀如来にお任せしている人はただ報恩の想いをなして生活をしています。
世界的にみてもかなり異質な宗教だと思います。
あと、浄土真宗における「悟り」は、お釈迦様や阿弥陀様と同じ仏様のことですから、仏様(悟った人)は今はおられません。
他宗はどのように考えておられるのか分かりません。
追記
仏になることを確約されたいのちを今生きているということですから、ただただよかったと安心して生きていく人生です。
浄土真宗は常に臨終を意識しています。
少し語弊があるかもしれませんが、言うなればいつ亡くなってもおかしくない末期の病人が寝たきりのまま救われていく教えです。
阿弥陀如来は、最も仏になれないであろういのちに合わせて救いを完成なさっておられます。
ですから、自らの能力を信じ、自らの足で成仏を目指して歩む人には届きにくい教えであるとも言えます。
※最後に歎異抄は宗門内でも限られた方だけが読むべきお書物とされてきました。
信仰の要が定まらない人が読むと間違って理解されてしまう恐れがあるのでカミソリ経典とも言われます。
ですから個人的には現代における歎異抄の位置付けは少し違和感があります。
また清沢満之氏は尊い僧侶ですが、念仏者の中において極めて稀有な方です。
ですから清沢氏だけをクローズアップすると浄土真宗とかなり毛色の違った宗教になってしまう可能性があります。
「へぇーこんな真宗僧侶もいたんだなぁ」という感じが丁度いいと、私は思っています。
拙お勧めについて
すけのじ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お礼を少し拝見しまして・・
テーラワーダ、マインドフルネス、仏教3.0・・と幾つかのキーワードが思い浮かびました。
前回の拙回答にて述べさせて頂いておりますように、「ある特定の宗派の教義や、ある一面の教義にとらわれてしまっては、それこそがセクト化による独善・排他性に繋がり、カルト化しての弊害があるのではないか」という懸念を述べさせて頂いておりますが、意外にも上記において挙げさせて頂いているものにも、実は、「セクト化による独善・排他性」の懸念が見え隠れしているものもございます。
もう一年以上前の拙考になりますが、関連として少しくご参照下さいませ。
#勝義方便メモ No.10
http://togetter.com/li/719545
もう一つは、禅系統にもご興味がおありとのことでしたが、あまりにも「無分別」や「無念・無思・無想・無観」を重視するような神秘主義的な禅定思想方面には、正直疑念を持っておかれながらに学ばれるのが良いかとは存じます。
宜しければ、「禅思想の批判的研究」松本史朗氏(大蔵出版)をご一読下さい。
これから大乗仏教について体系的に学ばれる基本書としてお勧め申し上げるならば、「ダライ・ラマの仏教哲学講義(苦しみから菩提へ)」(大東出版社)がお勧めであるかと存じます。
また、これから仏教を学ばれていかれる中で、特に意識して頂きたいのは、「二諦」ということの理解になります。
「勝義諦」と「世俗諦」ということになりますが、少しこのことを頭の片隅に入れておいて頂いて、都度に気にして頂けましたらと存じます。
とにかく、何事もそうですが、批判的、合理的に検証しながら、納得するまでしっかりと修習していこうとする志が大切となります。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
大慈様 ご回答ありがとうございます。初期仏教に対する私の理解が間違っていたことが分かりました。失礼致しました。私は大学の研究とは別に、個人的に仏教を勉強しておりますので、理解の誤りが多々あるかと思います。ご迷惑かとは思いますが、大乗仏教の変遷に関する私の誤りがございましたら是非ご指摘下さい。よろしくお願いします。
ちなみに、私の仏教の理解は①宗教社会学の本から②岩波文庫などの仏教本から③評論家の本から行っております。具体的には、鈴木大拙氏・宮崎哲弥氏・南直哉氏・魚川佑司氏・山下良道氏・藤田一照氏・橋爪大三郎氏・アルボムッレ・スマナサーラ氏などの著書を拝読しております。学問的に体系立てた理解は十分に致しておりません。
大慈様 ご返信誠にありがとうございます。私にはまだ分からないのですが、末法思想とは誰の考えなのでしょうか? 自未得度先度他の精神も同様です。釈尊の直説ではないのですよね? 当時の仏教界がそのような思想に覆われていたからであって、直説であるかどうかは関係ないということでしょうか? 結局、「つべこべ言わずに言われたことやれ」ってことなんでしょうが、少なくともどの宗派を選ぶのかは重要なことでしょう? どの宗派も同じ山を目指しているんですか? 本当に何も分かりません。私はまだ苦しまなければ、大慈様の言わんとすることを素直に実行できないようです。
釈心誓様 ご回答ありがとうございます。無量寿経もまた読んでみたいと思います。歎異抄は本当に感動しますね。私の勝手な理解なのですが、阿弥陀様を信じることで「生きる意味」や善悪が分かるのではなく、「生きる意味」を考えることも何もかも全て阿弥陀様にお任せするということでしょうか? 清沢満之の「我信念」を読んでいて、そのように感じました。
石田智秀様 ご回答ありがとうございます。自分なりに興味がある本を片っ端から読んではいるのですが、なかなか疑いが晴れません。おすすめ頂いた本もまた読んでみたいと思います。私は社会学を専攻しておりますので、小室直樹博士や橋爪大三郎氏や宮台真司氏の本はよく読みます。確かに学者の本ばかり読んでいても、迷いは増すばかりで救われることはありませんね。以前は素直すぎるくらい大人の話を聞いていたのですが、あることで社会に対する不信感が一気に噴出してしまい、現在はこんなに頑なな考えになってしまいました。石田様のおっしゃるように、このまま突き抜けるまで考えるしかないと思っております。また、前回の質問で失礼な言い回しがあったことを深く反省しております。申し訳ございませんでした。
大慈様 ご返信誠にありがとうございます。私はまだまだ勉強不足ですね。失礼致しました。もう少し体系的に一から仏教を理解したいと思います。伝統宗教は時の試練に耐え得たものだから、信頼するに足るのですね。一度自分自身の先入観を取り払って、素直に教えを聞いてみたいと思います。ご回答頂きまして、誠にありがとうございました。
釈心誓様 ご回答ありがとうございます。真宗で有名な本は初心者にはあまり良くないのですね。私が真宗の勉強をするときに、何かおすすめの本はありますでしょうか? ご回答いただけましたら幸いです。よろしくお願いします。
川口英俊様 ご回答ありがとうございます。やはり、他の方のご回答も拝見して流行だけである一つの教えを絶対視するのは正しくないと思いました。これから、また一から勉強し直したいと思います。ご教示頂いた本もまた読んでみたいと思います。ご回答いただきまして、誠にありがとうございました。