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生きようにも生きられない人達は

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お願い致します。 仏教では「人生は修行」と、キリスト教では「耐えられない苦難は与えない」と言います。しかし世界には過酷な悲惨な状況下に於いて命を落とす人達が多くいます。赤ん坊や幼い子供であっても容赦のない状況があります。修行でも 耐えられる苦難でも無く 生まれてきた意味さえ見つからないと思うしか無いような。 長い間の疑問です。お教えいただきたくよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そういう人を無くすためにこそ仏という人格者が必要なのです

この世は人間の理想や願いや求めとはまるで無縁な状態としてあります。
古代インドでも赤子がワシに連れ去られてしまったり、戦争で多くの若者たちが亡くなったり、お釈迦様もお母様を早くに亡くされました。現代のインドでは、いまだに女性たちがひどい立場に置かれています。
日本でもTVをつければ犯罪ニュースが後を絶ちません。まさに自分の願いや求めとは無縁な在り方としてこの世の中が存在しています。
かの大震災や大津波、こんにち、あたかも虐待されるためだけに生まれてきたような可哀想な子供たち…。涙なくして語れません。
それがこの世の思い通りにならないという姿、苦しみ、苦という様相です。
だからです。だからなのです、だからこそ!人間がこの世の理不尽や苦を無くして、すべての人たちを救ってあげたい、苦しみを軽減してあげたい、悩みを無くしてあげたい、という慈悲心が生ずるのです。
それが仏教のみならず、あらゆる宗教に通ずる人間本有の宗教心です。
これが他者を憐れむ心、慈悲心です。あなたの質問もそこに通ずるはずです。
そして、その慈悲心をこを広めて、この世に存在するすべての人々が全ての命を尊重し、共存して、争いなく平和に暮らしてゆける世界をつくりだすべきなのです。

なぜなら慈悲心に対する精神こそが、エゴ、暴力、非人間的な精神だからです。
「宗教なんかいらない」といわれる時代です。
隣の国、中国はどうでしょうか。
人から宗教心を取り上げた結果、道に倒れる少女も観て見ぬふりをする人間国家を作り出しました。
それを笑う今の日本はどうでしょうか。仏教国でも、神道国でも、宗教国家でも何でもありません。だからこそ私は仏教や宗教が無くなっても慈悲心は無くしてはいけないと思っています。
世界がエゴという名の宗教国家となりつつあるからこそ、犯罪、事件は絶えません。
だからこそ、そういう生き方を改めなくてはならないと思っています。

これをご覧になられて、エゴや我欲の恐るべきことを知って、慈悲の心を持とうと思う方が増えて頂ければ私たちは、この世の人間の世界の闇を少しずつ、明るくしていくことができます。
生きようにも生きられない人たちを無くす、そのためにこそ、慈悲の心を広めてゆくべきなのです。これは私どもだけでは、到底不可能です。是非ともみな様にもご協力、お力添えをいただきたいと思います。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

すべての人が救われるのが仏教だ(大乗)

秋の夕日様
こんにちは、真宗大谷派の釋理薫です。

>世界には過酷な悲惨な状況下に於いて命を落とす人達が多くいます。
赤ん坊や幼い子供であっても容赦のない状況があります。
修行でも 耐えられる苦難でも無く 生まれてきた意味さえ見つからないと思うしか無いような。

お釈迦様は人が生きていくということの仕組み(四聖諦 苦しみとその原因と、苦しみがなくなった状態とそうなるための手段)を示されました。
そして、お釈迦様自身は「精進(努力)しなさい」とおっしゃったのです。

しかし時代が下り、秋の夕日様のおっしゃるように努力できる状況にない人やそもそも赤ん坊や幼い子供はどうやったら救われるのかということが疑問になってきました。
それで生まれたのが「すべての人が救われるのが仏教だ(大乗)」という教えです。

日本では、空海さんの「即身成仏(そのままで仏になる)」や最澄さんや日蓮さんの「一乗思想(みんなで同じ乗りものに乗るようなもの)」、私の宗祖である親鸞さんやその師の法然さんの「浄土往生(すべての人が必ず浄土に生まれ仏になる)」などが広まりました。

浄土真宗では、「すべての人が救われてくれ」という阿弥陀仏の本願のあらわれである「南無阿弥陀仏」のお念仏によって、どのような状況にあろうともすべての人が浄土に往生する(倶会一処)と伝えられています。

「すべての人が救われるのが仏教だ(大乗)」というのは、日本の仏教の根底にあります。
そのなかで「救われるとは何か」「どうしてそう言えるのか」などは宗派により解釈がわかれますので、縁のあったお寺で聞いていただけたらと思います。

すべての人が苦しみなく安楽に生き、そして死んでいけますように。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...

しかし、私たちはこの世に生を受けた

秋の夕日さんの質問を一読し、もしかしたら秋の夕日さんご自身が今、非常に生き辛さを抱えていらっしゃるのではないかと思いました。
ご存知のように、命が誕生するということは奇跡としか思えないような確率であり、何もないところに命ができるのなら、ガラクタ置き場に突風が吹いた後にジャンボジェット機が組み上がっていることだろうと言われています。
しかし、私たちはこの世に生を受けた。
このことに感謝できれば、それだけで大いに人生に意味はあります。

「朝は眠い、しかし、起きねばならない」
多くの人にとって当たり前に思えるこの事が、できずに悩んでいる方が大勢おります。
「人生は苦しい、しかし、生きていこう」
一足飛びにこの発想にはなかなかなれません。誰もがみんな苦労をして生きる覚悟を決めようとしています。ある人は、恋人や家族を作って、支え合ったり、ある人は快楽に走ったり、熱中するものを見つけて苦しみから顔をそむけたり、乗り越えたり、自分自身ととことん向き合ったり、、、、
仏教ではその作業を修行といいます。

生きようにも生きられない人達にとって、仏教が支えになってもらえたらと思いますし、そういう方たちを救ってくださるのが御仏だと知っていただきたい、と願っております。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

わたしの戦場はどこか

秋の夕日さん、こんにちは。

仏教のはじまりをつくったお釈迦様。お釈迦様は、生まれたとき人間が遭遇しうる苦しみを知りました(四門出遊)。「生老病死」という苦しみです。
さらに、苦しみの原因の原因・・・の原因、根本の原因は「無明」であるとお気づきになりました。
「無明」とは知らないこと/分からないことは恐くて苦しい、ということです。

では、知らなければ/分からなければ、苦しくないかといえば・・・そうはいかないようです。
>世界には過酷な悲惨な状況下に於いて命を落とす人達が多くいます。赤ん坊や幼い子供であっても容赦のない状況があります。修行でも 耐えられる苦難でも無く 生まれてきた意味さえ見つからないと思うしか無いような。
わたしたちにとっても、彼らにとっても、苦しいときは苦しい。苦しいものは苦しい。分からないものは分からない。
なれば、分からないものは分からないままに、分かることから見つめてくことなのでしょう。

一体なぜ彼(女)らはそこで生まれ老い病み死んでいくのか。その事実を知った私たちはどうするか。
この大問題(禅宗では大疑団/現成公案と申します)は一つのところに集まるのでは、と考えてみました。
『わたしの戦場はどこか』
この世界において、砂上の一粒ほどの存在である私に出来ることなど多くありません。立っている場所でさえ風が吹いたら、どこかへ飛んでしまいます。
なればこそ、『わたしの戦場はどこか』。ここを考えたい。

戦う、となると、あいつが悪でわたしは正義・敵と味方・勝ち負けの論理になるかもしれませんが、そうではありません。地平線がつながっているように、地球がひとつの宇宙船であるように、みな同じ場所に立っているということです。みな同じ立場であると。
安全な場所から見ると可哀想かもしれませんが、彼らは可哀想ではありません。同じ仲間なのですから、そう思ってしまったならば思考停止してしまうのではないか。
そして、この大問題の決着点として・・・できることから手を取り合うことなのかなと。分からないことは分からないままに、分かることから始めていく。

偉そうなことを申しましたが、出来ることがあるのに私はそんなにしていません。少額の援助ほどです。
仏教も自由と平等を説きます。秋の夕日さんのおかげで勉強させていただきました。ありがとうございます。

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

「菩提心」について

秋の夕日様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

神奈川県厚木市で育児放棄により斎藤理玖くん(当時五歳)が餓死した事件がございました・・もしか致しますとこの事件のことも少しご質問の意図の中にあられたのではないかと存じます・・もしも間違っていましたら申し訳ございません。

また、先月・11月には大阪府茨木市でも岸本紗弥音ちゃん・三歳が虐待・育児放棄により衰弱死するという事件がございました・・

とにかく、どうしてこんな酷いことが起きるのか・・あまりにも、あまりにも無慈悲過ぎると涙を致しました・・

正直、この子たちに慈悲が及ばないようなこの世のありように、神も仏もないのかと思われても致し方ないと思うほどの哀れ極まる悲しい出来事でございます・・

はっきりと申させて頂きますと、秋の夕日様は、神や仏をどこか遠くにいる有り難く、尊い、畏れ、敬い、奉り、崇めて、慈悲を請う、救済を請うような存在であるとお考えではないでしょうか。もしそのようでしたら、そうではなく、仏教では、自ら自身が、秋の夕日様ご自身が、拙生自身が、それぞれ各位が、神や仏と同じような慈悲を備え、智慧を備えて、そのような苦境にある者たちを救えるように調えていくことが大切で、目指すべきところとなります。

そのように、諦めずに、一切衆生を救えるための悟りを開くまではこの仏道を歩み修していくのだという決意を「菩提心」と申します。

どうか、秋の夕日様におかれましても「菩提心」をこの機会に滋養して頂けましたら有り難くに存じております。

そして、仏法を学び修する中、悩み苦しみにある者に対して、できる限りその悩み苦しみが癒えるように、救えるように、勇気を持って利他・慈悲行にも取り組んで参りたいものでございます。それが斎藤理玖くんや岸本紗弥音ちゃんのような境涯にある者を一人でも多く救えることに繋がっていくのではないかと存じております。

虐待死などの悲劇が起きない世の中を目指して、是非共に取り組んで参りましょう。最後に、斎藤理玖くん、岸本紗弥音ちゃんをはじめとして虐待死なされてしまわれた子どもたちのご冥福を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

お2人のご僧侶さまおよりお返事をいただきまして本当に有難うございました。
しっかりと繰り返し拝読させて頂きまして胸に刻みたいと思っております。
仏教からは穏やかなで荘厳な尊さを感じています。
全ての人の救いを願ってくださる仏様の御心をもっと確かに知りたいと強くおもっています。

世界に溢れている極限の苦しみでさえ神さま仏さまは見ておられるだけでお力をもってその状況を変えて下さらないのは何故か と 若い頃より大きな疑問でありました。
ある人は「世の中全ての事は神が人に与えた自由意思」と言いましたが。

私は仏教のお教えを少しづつでも自分の中に重ねて行きたいと真剣に思っています。
ありがとうございました。

向井ご僧侶様 お返事を頂きましてありがとうございます。

「分からない事は分からないままに わかる事から見つめていく」「分かることから始めて行く」 これは 仏様の御心は分からないけれど人として出来る行いをして行くという事をお教え下さっていると思いながら拝読致しました。
学生の頃 お寺の息子さんであった先生が「大勢の人を救えなくても目の前のひとりを救うことはできる」と言われたとき心がパッと開いたように思いました。

私は日本という安全な場所にいられて世界の事を知ることが出来ているのですが ただただ命を落としていくしかない人達を知るにつけて、生まれる場所も時も選べない人間の不平等さなどを思いますと、神さま仏さまに何故ですかとお尋ねしてしまいます。
この問いを数人で先生にしたことがあります。「君たちは魔法使いを探してるのではないか」と言われました。

今でも多分私はそのレベルでの「手応えある現象」のような望みを優先させているのだと思います。しかしごく普通のごく小さな生き方の者としては常に心をよぎる思いでもあります。
ご僧侶様方より頂きましたお教えは 私が今うなづいたり感じたりしているよりはもっとはるかに深く広い意味を持つものでありますことは響いて参ります。
何度も繰り返し拝読致します。 本当に有難うございました。

丹下ご僧侶様 お言葉は大変に心に響きました。
あらゆる面での世の中の進歩の恵みを受けながらも、人間が何かの領域を超えて進んでいく恐ろしさも感じる現代は尚更宗教心を必要とされるものと思います。
尊ぶこと 畏れること を知らなければ人間は自分の都合に合ったものさしで物事を測っていくことになり、それは慈悲心とは反対のものになっていくのですね。

「人生は一度きり だから人は平和に そしてそれなりの幸せで在りたい 」というのは昔からの変わらない願いかと思います。が その願いなど遠く及ばない状況にあるところに人の心が集まれば...歯がゆさも感じます が慈悲の心が働くところに良い変化が生まれること心して参ります。

東日本大震災の際 被災地の歩くのも困難な瓦礫の中や一面何も無くなった浜に座り海に向かって祈られるご僧侶様方のお姿をテレビで毎日のように拝見致しました。
突然にこの世から去らなければならなかった人たちの無念や家族の悲しみ そしてこれから生きていかなくてはならない被災された方達の上に働きかけられるお姿にいつも胸を打たれました。

ままならないのが世の中であってもそれを軽減出来るのは人の心であること、宗教心を基とする行いの大事さを教えて頂きました。 有難うございました。

川口ご僧侶さま お返事を頂きまして有難うございました。
先日、長いあいだの疑問を質問させて頂き ご僧侶様方よりお返事を頂戴しましてひとつひとつのお言葉を何度も拝読しております。
そうしている時に虐待事件がニュースで流れました。 私の質問の中には虐待で命を絶たれる事も入っていましたので繰り返される虐待の報道にやり場のない気持ちになると同時に、今こうしてる間にも...と居たたまれない気持になりました。 本当に 今こうしてる時にもどこかに助けなければいけない子供がいるのです。

慈悲心を持つ行動が世の中の様々な状況や人の心の救いになることをご僧侶様方に教えて頂き、そして川口様に教えて頂き、心の深いところに響いております。 川口さまのお言葉にありました「菩提心」を養うということ、諦めないで行動して行くこと....なかなか難しいように思ってしまいますが心して参ります。

父は新聞に関わる職業でしたので私は子供心に世の中の事件においての人間の複雑さを感じていました。
仕事では終末にある方々の貴重な時間をご一緒致しました。
個人として出来ることは発展途上の国の子供たちの小さな力になる事でした。
しかしそういう経過の中で物事を深く知るほどに...殊に子供たちとその環境の....苦境にある人間に対して出来ることの小ささを実感しました。 焼け石に水、 自分のしてることなどは一瞬の対処療法にしかならない と。

しかし 仏様の御心を自分の中に頂いて行動していく事がなにより必要 といわれることはとてもわかるように思います。 川口ご僧侶様のお言葉の「 諦めない 」 を心がけて参ります。
有難うございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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