hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死ぬということ、生きるということ。

回答数回答 4
有り難し有り難し 53

昨年、私は30歳で3人目の子供を出産しました。
それから数ヶ月経ち…
幸せなはずなのに毎日死について考えてしまい苦しくなります。

『今は皆で笑っているけど、いつかは永遠の別れが来る』
『死んだら夫のことも子供達のことも楽しかった思い出も全て消えてなくなる』
『子供達も私のように死に恐怖感を持ち苦しむ時がくるのかな』
『いつかは死んでしまうのに何で産まれてきたのだろう』
と、常に頭の中にあり、夫や子供達の無邪気な顔を見ると、悲しくなります。

どうしたらこれからも前向きに生きていけますか?
もともと、パニック障害があり、数年前から心療内科に定期的に通っていたのでその事を話すとろくに話も聞いてもらえず薬を大量に出されただけでした。
(授乳中なので薬は飲んでません)
私はおかしいのでしょうか?
それとも、産後に不安定になっているだけなのでしょうか?
誰にも話せず、自分でもどうすれば良いのかわからなくなりこちらで相談させて頂きました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も怖いです

マイちゃんさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。

私もマイさんと同じように、よく死について考えて恐ろしくなることがあります。僧侶という立場上、ご葬儀の場に立つことが多く、その度「自分はどういう最期を迎えるのだろう」と考えて、怖くなってしまうのです。
でも、必ずやってくる悲しい別れだからといって、恐れていてばかりではいけないな、とも思います。

仏教では「諸行無常」、つまり全てのものごとは移ろいゆき、いずれ滅することを説きます。この部分だけを見て、他宗教の聖職者が「仏教は刹那的、厭世的な教えだ」と理解したそうです。
しかしそれは間違っています。仏教は必ず死がやって来ることに目を背けずまっすぐ見据え、いずれ来るその時まで完全燃焼して生きることを説く教えだと、私は思っています。

私は「死の体験旅行」という、自分自身の死を仮想体験するワークショップを行っていますが、受講された多くの方が、ポジティブな考えに至っています。一見ネガティブに見える「死を考える」ことは、実はより良く生きるために必要なことなのかもしれません。
そうであれば、今マイさんが死について考えてしまうのも、決して無駄ではないと思います。

子育てのご苦労や産後の不安定感などが重なって、今の状況になっているのかもしれませんね。心療内科でたくさんの薬を出されたということですが、あまり多くの薬を飲むことは好ましくないと思います。他の医師などにも相談なさってみてはいかがでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

やはり私の個人の私見ですが…

マイちゃんさん。三人ものお子さんを出産されて子育てよく頑張っていらっしゃいますね。
素晴らしいです。

仏教では六道輪廻と言って命あるものは覚らなければ生まれ変わり死に変わりして六道を巡ると言われています。
だから、死が終りではありません。
全てが消えて無くなるわけではないのです。

私も子供を出産しましたが、子供が生まれて物心がつくかつかないとき、子供にこう質問した事があります。

「〇〇ちゃんは、生まれて来る前どこにいたの?」

子供は迷わず指で上を指差しました。

で、何をしてたの?と聞くと

「〇〇ちゃんはね、パパとママの所に生まれて来るの待っていたの」

と、答えてくれました。
その後月日が経ち、片言ではなく流暢に喋れるようになってから、もう一回同じ質問をっしたのですが、そのときは答えられませんでした。

これは子供の戯言と言ってしまえばそれまでですが、私は子供の言葉を信じました。
人は、いや生きとし生けるもの森羅万象は大きな流れの中で生きています。
仏の命の中で生かされているのです。

死んで全てが消えるというものではないと私は確信しています。

仏教を学んでみてはいかがでしょうか?
いろんな宗派がありますが、貴方の一番ピッタリと来る宗派を探すために
お寺を訪ねたり本を読むのも善いかもしれませんよ。

それから、産後はマタニティブルーと言ってホルモンの急激な変化で
精神的なバランスを崩しやすいといわれています。

あまりシンドイと思う状況が続くのであれば、まず、婦人科で相談してみてください。
(心療内科より先に婦人科ですよ)

では、お身体をくれぐれもお大事になさってくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
このお坊さんを応援する

人生の意味は仏様が明確にお説きくださいます。

人は人生に空しくなることがあります。
それは人生の意味が分からない、理由がわからないからです。
「人は何故生まれ、死んだらどうなるのか」
人間の知恵では絶対に答えがでません。
かっこいい格言は世の中にいっぱいありますが、どれもただの人間の知恵です。
妄想や希望、道徳的観測による格言なのです。

いのちの事は真を知っておられる仏様に聞くしかありません。
それはお釈迦様です。お釈迦様がお説きくださったお経です。

お釈迦様は、私たちのいのちは輪廻していることを教えて下さいます。
そして、その輪廻は今の行い(業)が来世のいのちを作っているんだとおっしゃるのです。
これを「自業自得」と言います。

人が生まれてくる理由は前世の行いの結果です。
五戒という戒律を守ると来世で人間に生まれることができます。
だから今人間に生まれているということは前世が五戒を守った結果です。
私は、『前世の尊い行いの結果によって人間に生まれることができた』ということです。
人間に生まれることは滅多にない僅かな確率で、とても凄いことです。

そして、人間に生まれたら、更に『仏になる』という大チャンスがあります。

人間はいつか死にます。
死ぬということは来世が始まるという事です。
その来世が仏であるならこれほどの幸せなことはありません。
逆にその来世が地獄であるなら、今の人生がどんなに幸福でも空しいものであります。

是非、このいのちで仏になる教えを聞きましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
このお坊さんを応援する

未来 それは未だ来らざる事

未来という言葉を希望的に読むのでもなく悲観的に読むのでもなく
そのままダイレクトに考察してみましょう。
❝未来❞とは
いまだ きたらず
いまだ きたらざること
まだ きてもいないこと
おこってもいないこと
めのまえにありもしないことです。
あなたが相手にしていることは少なくとも、実際に起こった現実ではありません、よね?
まず、この肯定しがたい事を、あなたがキチンと肯定しないと、迷妄の雲は去りません。
「え、でも、いつかくるじゃないですか?」
大丈夫です。それ↑、その思いも、いま、現実に実際リアルタイムで起こっていることではないですよね。
人間は、現実でないことを相手にしている時は、思いを相手にしていることが❝確実❞なのです。
確実に思いを相手にしているのです。
だから、現実を相手に生活している人は、あなたのように悩みはありません。
あなたも現実を相手にされていた時は、目の前を生き切って、迷いも入る余地すらなかったはずです。
人間が恐怖することの99%は頭の中で、実際に起こっていないことなんだ、と認識してみましょう。
あなたが相手にしている事が、現実ではなく、自らの思いの中、マボロシを相手にしていた、という事に目覚めて頂きたいのです。
私にも妻子がいますし、どちらが先にさようならをするか分かりません。
仮に妻子が先に死んでも、私は、私の生として生き続けることになります。
何故なら、他人も、家族も、自分の体も、世界そのものが、
自分の願いや思いとはまるで無縁な在り方として活動しているからです。
そうなったらもちろん辛いでしょう。
ですが、辛くなる前から、その痛みを恐れているだけなのではないでしょうか。
今日もお寺には、先立たれた人たちを弔い供養するべく、というより、故人さまと生きている人と同様に面会、再会、お参りに来られる方々が全国に大勢おられます。
死は終わりではないのです。
ちゃんと続いている人たちが沢山、健全に生活していますから安心してください。
もしそれが無かったら、みんな愛する人たちの後を追ってしまいます。
諦める、明らめる、とは、真実のすがたを悟る、ということです。
思いの世界の自ら作り上げた恐怖の世界から抜け出して、ちゃんと大丈夫な世界を生きましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

過去と幸せな今について

はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ