お経を読む蛇腹の本は宗派のお寺でお金をお渡ししたらいただけるのでしょうか。 最近はネットで検索すると通販であったりしますが、私の宗派(西山浄土宗)が見当たりません。近くのお寺と連絡が取れず、遠方ですが、総本山に問い合わせをしてます。しかし、連絡が取れておりません。失礼をしてしまったのでしょうか。 余談でお経本が必要になっている理由ですが、家族が亡くなり、勤行を曽祖父などがしておりましたが、非常に古くめくるだけで破れてしまうためです。
いつもお世話になっております。 我が家の仏壇は浄土宗のものです。上段に阿弥陀様、法然上人、 善導大師をお祀りし、中段には祈願寺(真言宗智山派)のお護摩札を お祀りしています。また、経典も、浄土宗信徒日常勤行式と、祈願寺の 護摩経典が手元にあります。 新型コロナウイルスが流行する前は訓練の休みの日に祈願寺まで赴き お護摩に参列していたのですが、現在は入堂規制が敷かれており お護摩に参列することはほぼ不可能です。 そこで自宅の仏壇で護摩経典を読みたいのですが、その際のお作法 や読み方等はどうすればいいのでしょうか? 経典の順序を改変したり、たとえば開経偈の後に四誓偈を上げ、 その後護摩経典を上げて、浄土宗の経典の終わりのほうを続けるなど… ご教授のほう、よろしくお願い申し上げます。
私の質問はお坊さんアンチのように思われるかもしれませんが、これからもお坊さんにはお世話になっていきたいと思っておりますので、不安を解消したく質問をさせていただきます お坊さんはお施主様の法事で何を思って、お経を読んでいるのですか? ただお経を読んで、法話をする作業になっているだけのような気がしてしまっています。 さらには「供養します」「供養してください」供養供養言いますけど、結局の所「供養」ってなんなのですか? 宗派問いません、この質問を見て逃げるような和尚様の言葉はいりません なんなら丁寧なお言葉で書かなくても大丈夫です!! お坊さんであっても一人の人間です、私も過度な期待はしておりません、実際に思っているお言葉をください!! ハスノハにいる和尚様方を信じております 誠に我儘で勝手ですがよろしくお願いいたします。
家に、神棚をお祀り(中にお札を祀り)しようかなと考えていまして、色々調べてみると 作法が多くて無理そうだしきちんとお世話的なことしないと祟られそうなんですが、最低でも何をすれば大丈夫なんでしょうか? 家では仏様(開眼した仏像、祈祷してもらったお札)に仏教のお経を毎日上げさしてもらっているのですが、神道の祝詞などはお経で済まさせてもらってもよろしいのでしょうか? お供物は、出来るだけ毎日上げことは努力したいのですが、たまに用事が忙しくてできない場合は、「すみません、今日は、出来なくてすみません」とお唱えしたら大丈夫でしょうか? (今お祀りしていただいてる仏様にはそうしています) こんなこと言って結構不安に思うなら やめた方がいいと思うかも知れませんが、それでも僕は神棚もお祀りさしていただきたいです と勝手ながら考えてます。神様は、(天照大御神様は)どんなご利益あるのか守護していただけるのか?教えてください!あと自分をもうひとおししてください!背中を押してください! 本当に、不安です、、、ですけどきちんとお祀りさしていただきたいです! 長くなりましたが御返答の方、どうぞ宜しくお願いします。
今度身内の三回忌があります。 ですが、コロナ禍ということもあり 家族だけで手を合わせ、お坊さんにも来ていただかないことにするそうです。 自分たちでお経をとなえるとすれば、どのお経をよむのがよいでしょうか?
以前ネットの動画でお坊さんが「お経はラップだ」と言っていましたが、お経というのは仰々しく読むのではなくテンポよくリズムに乗って読むものなのでしょうか?
家で祀ってる観音様やお寺のお堂で、般若心経を唱えると楽しい気分になって笑いたくなることが何度かありました。 良い事なのでしょうか?
毎朝 お仏壇に般若心経と観音経と阿弥陀経を 読経しております。毎日のことなので3つとも完コピしております 意味は、完璧ではないですが、理解しております。 通勤電車や普通に外を歩いているときも 無意識にお経を読んでしまいます。(お経を読むのが心地良くてすきなのでついついお経を読んでしまいます 満員電車なんかはかなり落ち着くので…) この事を知人に話したら 外でお経を唱えると未浄化霊がよってきてしまうからよろしくないよと言われました 知人が言うには修行もしてない私が心でお経を読むだけでも未浄化霊が寄ってきてしまうし あなたにその未浄化霊を成仏させてあげる力もないので外では読まない方がよいとの事でした。 修行とまでは、いかないですが年に4回くらい 寺で指導していただいて滝行しております。 外でお経を素人が読むのはそんなに?危険なことなのでしょうか??
13年前お葬式に行った時に聞いたお経が印象的で、「ポコポコ」と言う言葉が入っていたと思いますが、どんなに探しても見つからず、何の宗派の何と言うお経か知りたいです。 私は真宗大谷派です。
浄土真宗大谷派寺院を菩提寺にしております。 昨日大叔父の2なのかに行きました。 導師様がではお経をまず読みまして…と流れの説明があり、阿弥陀経を読まれたので、一緒に読みました所、1重のお経の最後3行程を飛ばして、2重を読み始められました。 三首引きの様な物が阿弥陀経にもあるのでしょうか? 色々な方の阿弥陀経を聞いて来ましたが、こんな阿弥陀経は初めて聞いたので不思議で仕方ありません。 どうぞご教授お願い致します。
お寺やお仏壇などで読経をしているとき、読み間違えたりつっかえたりしてしまうことがあります。 そういう場合、そのまま最後まで読み続けるべきですか? それともはじめから読み直すべきでしょうか。 読経中に読み間違えた場合の正式な作法をお教えください。
読経中、息継ぎができなくて難しいです 息継ぎをせずにだんだん声がかすれてしまうか、息継ぎをして読経が途切れてしまいます よい方法はございますか ちなみに読んでいるのは如来寿量品と方便品です
時間が遅くなってしまいお経を読む頻度がここ最近減っていて、御題目は毎日あげています お経本は少し省略して読んでも大丈夫なのでしょうか? 後お経を読んでいると、 嫌なことを思い出してしまい集中できなくなることがあります どうしたらいいでしょうか? 宗派は日蓮宗です ご回答よろしくお願いします
不躾な質問をお許しください ある書籍を見て、自分も宝篋印陀羅尼の功徳にあずかり滅罪をしたいと思いました ですが自分のような在家の分際が口に唱えても大丈夫なのか心配です どうか諸大徳のご意見をお聞かせください、お願いします
またよろしくお願い致します。 私は今まで、告別式等で、御坊様があげる「お経」とは 亡くなった人が迷うことなく浄土に辿り着くようにと、 お祈りをしている感じに捉えていました。 しかし、本日、NHKのテレビを見ていたら、 「お経」とは亡くなった人のためではなく、 残された人のために、あげていると聞いて びっくりしました。 これは本当でしょうか? 私は既に終活を始めていますが、 後継者等がいない夫婦なため、最終的に一人になって 自分にとって残された人という存在が無い場合は、 「お経」は必要無いということでしょうか? もう一つ、疑問があります。 よく「亡くなった人の魂を慰める」という言い方を聞きますが、 亡くなった人の魂は、今、生きている人が慰めてあげなくては いけないほど、悲しんでいるということでしょうか? この「慰める」という言い方が気になります。 以前、テレビで見たのですが 夫が病気で激しく苦しみながら息を引きとった時、 奥様が泣きながら「あなた、やっと楽になれて良かったね」と 声をかけたそうです。この気持ち、よく分かります。 たとえ病気で亡くなった人も、痛み・苦しみを持った肉体から 解放され、浄土で安らかにニコニコしていてほしいです。 だから「慰める」という言い方は、浄土でも苦しんでいるみたいで、 違和感があります。
お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか? 大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。 仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。 法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、 数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。 その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。 自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。 しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。 現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。 とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。 子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。 物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか? 先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。 どうか教えてください。
前回質問への回答追加で、新規で問答立てを、、とのことでしたので質問送らせて頂きます。(別のお坊様がたも、ご意見やコメントなどありましたら、是非お待ちしております) 経典に書かれているからという根拠で、 「確かなる仏縁や功徳が、過去世、現世のどこかにおいてあったのであれば、その後の輪廻転生の中において、多少の紆余曲折があっても、必ずやその仏縁、功徳による果報により、仏の道を外れずに、善き流れを進められる場合があり得る」ということを信じておられるならば、 同じように、経典に書かれているという理由で、世尊が説示なさったという、その具体的方法も信じて実行なさったら良いのでは?と思ってしまいました。 私はその一切悪趣清浄タントラという経典を読んだことがないので、その具体的方法というのが、どんな内容なのか、実行可能か不可能かも分かりませんが、 たとえば他にも、経典に載っていて実行可能なものでいうと、十一面観音や文殊菩薩など、ご真言を○遍唱えれば悪趣へは行かない、などとされる存在があったり、陀羅尼でも、悪趣を回避できる陀羅尼が載っていたりしますよね。 地獄に落ちてでも他を救ったり慈悲や布施で功徳を積めるかも!というお考えには反対しませんし、凄いなぁ、どうかご武運を・・・!という気持ちで拝見しておりますが。 単純に、回避方法もご存知ならば、回避なさったら良いのでは?と思ってしまいました。 経典Aに載ってある内容aを信じるならば、同じ経典A内の内容bも信じるのが筋通っているのでは?と。
私は家で毎日般若心経を唱えているのですが、休日になると経本に書かれているお経を全てではないですが、唱えるようにしてます。 順番は合唱礼拝→懺悔→三帰→三竟→十善戒→発菩提心→三昧耶戒→開経偈→百字偈→観音経偈→舎利礼文→般若心経→本尊真言(大日如来様、弁財天様、大黒天様)→十三仏真言→光明真言→御宝号→祈願文→回向と唱えています。 仏前勤行次第に百字偈と観音経偈を追加しているのですが、この唱え方はやはり間違ってますか? あとお経を唱える際に心掛けるアドバイス等あれば教えて頂きたいです。 よろしくお願いします。
ご住職はお経の後、必ず「せしゅふしょおおー」と言われます。 「施主不詳」の意味なのでしょうが、施主は目の前にいる私だと思いますが 何故でしょうか。これまで何十年もずっと私がお墓、仏壇のお世話をさせていただいています。 その宗派ではこのように言うのでしょうか。それとも何かの社会的差別でも存在するのでしょうか。 お坊様が、施主や、ご先祖様が不安に思うような接し方をしてよいものでしょうか。
1.十三仏真言を唱える時に印は結んだ方がよいのでしょうか? 2.僧侶でもない人間が印を結んでも大丈夫なんですか? 教えてください。