嫁からの質問です このたび義父の遺骨を合同墓に入れることにしました 遺骨を預ける際にお経をあげず、ただ引き渡すのみというコースを選びました 合同墓を買うのにお金がかかり、お経をあげると更にお金がかかるからです すると、お金を出していない義姉が、お経をあげて欲しいと言ってきました 何を言っているかわからないお経をあげる意味って何なのですかね? ちなみに私はクリスチャンです
自在天と大自在天の違いって何なのでしょうか?? 大自在天様=ヒンドゥー教のシヴァ神ですよね?
お経とはお釈迦様の教えを広く弟子に残す為にあると聞きました。 だとしたら、この現代の日本で意味不明なままお経を聞く意味とはなんですか? そしてお坊様は経文を理解されてるものだと思うのですが、理解してるものを声に出して何度も読む意味とは? 又、お経は残された家族の心を沈める意味あいもあるとありましたが、知らない言語で何か言われても一向に癒される事はないのですが…
お坊様に質問があります。 最近、地蔵和讃を唱えてるのですが、開経偈と回向文をお唱えしても良いのでしょうか?
観音経と延命十句観音経の違いを詳しく教えてください。
初めまして。私は仏教について学んでいるのですが、付近に頼れるお寺もなくこちらを頼らせて頂きました。 私は仏壇に向けて読経をする習慣のある家庭に生まれました。(宗派は真言宗です)家族には回向と言って、こうすると御先祖様への供養になり、地獄に落ちた先祖が居ても救われると言われました。 しかし最近になり別の場で聞いた話では、お釈迦様は水に沈む石を例えに読経で他人が救われることは無いと仰ったとの事でした。 お釈迦様も様々な相手に合わせた説法をされたとの事ですが、私は今まで続けてきた事は先祖の為になっているのか今になり不安です。どうかこちらでお坊様方の考えをお聞かせ願えませんでしょうか?
私はお坊さんになりたいと思っている中学生です。 駒澤大学高校に行こうと思っています。 私の家はお寺とかじゃなくて、普通の家なので、お経を教えてもらったり作法を教えてもらったりしていません。 これでもお坊さんになれるのでしょうかまた、駒澤大学高校の仏教専修科で教えてもらえるのでしょうか。
身内が亡くなった時に読経していただいたのですが、その中で名前(具体的には名字)を間違われたのですがちゃんと供養できているのかとても気になります。 当時、読経の後にお坊さんにお話ししようとしたのですが、親戚に止められてしまいました。振り切って質問すればよかったと後悔しています。 普通ではない亡くなり方だったので、出来ることはしっかりやりたいと思っているのですが、読経で名前を間違えられても効果はあるのでしょうか。。 教えてください。よろしくお願いします。
初めて質問させていただきます。 なぜ、耳でお経を聞くのでしょうか?文字ではなく、声に出して読まれるのは何故ですか。 それらはどんな効果があるのでしょうか? お経を読んでいただく際の心構えを教えてください。 葬式や法事など…お経を耳に入れる事は、私にとって非日常の事になります。 一つ一つの言葉の意味はわかるようでわかりません、漠然と「最後は仏様のところに行くんだろうな…」と思いながら、葬式の時は故人に思いを馳せ、時には眠気と戦ったりもしてしまいます。 一昨年、祖母が亡くなりました。祖母の葬式の際、父親は最前列で船を漕いでうとうとしていました。 父親は喪主ではありませんでしたが、祖母の一番近いところに住んでいたので、車を出したり通夜でご遺体と過ごしたり、とにかく疲れていたのだと思います。私は、父がお経を聞いている間に休息が取れているなら、安らかに睡眠が取れているなら十分だと微笑ましくなりました。 しかしそれは私の考えであり、実際には父は「早く終わってくれ」と思っているのかもしれません。 ありがたいお言葉を、故人の前で私たちに聞かせてくださっているのは理解ができます。批判の気持ちは全くありません。 聞く人間により、状況によりお経を聞く気持ちがばらばらになっているのも事実だと思います。(もちろん一人一人が違う視点を持った人間なので当然だと思います。) 長い間、この儀式が続いているということはやはり効果があるからで、一言で済むかもしれない(とても失礼なことを言っているのは承知ですが)ことを、長々とお伝えいただくのはやはり意味があってのことなのだと思います。 タイトルに戻るのですが、どのような気持ちでお経を耳に入れたらいいのでしょうか? 正解というのはあるのでしょうか? ・故人のこと、生死について考えさせられる ・安らげる、眠くなる ・だるいと感じる人もいる ・時間的な拘束で、現世から引き離す(?) ・パワーを感じる ・意味を理解し、有り難がる 全てが正解ならば、それはそれで納得します。 母親が先日難病を診断され、近々お葬式をやるかもしれません。こう言っては悪いのかもしれませんが、唯一無二の葬式ですので、後悔のないようにのぞみたいです。 面倒な疑問かもしれません、失礼だったら申し訳ないです。まとまりのない疑問ですが、ご回答頂けますと幸いです。
法華経に魅了され、法華経を読み続けていますが、一つだけ気になる点があります。 譬喩品の後半には、法華経を誹謗した者は来世において身体に障がいをもつことや、病人になり死に至ることや皮膚病になることなどが書かれています。 実際にこのような状況にあり苦しんでいる方々がいる中で、法華経のこの部分を理解することがとても難しく、苦しいです。
色々思い詰めて、開眼供養された聖天様の香合仏をお迎えする事になりました。 キャンセルにも結構なお金もかかりますし、これもご縁だ、と小さいお仏壇等も手配する所です。 所が、私はただのなんの縁もない一般人ですので、香合仏を普段はお仏壇に入れて祈願も含めてお祈りしようと思っていますが、エッポウにならない範囲での正しい拝み方や時に祈念したい時はどの様に向き合えば良いのか解りません… ご真言を唱えて感謝などの気持ちで居る程度なら大丈夫なのでしょうか? またその場合、正しいご真言が解りません… 私の安易な気持ちでのお迎えが良くなかったのは反省しておりますが、これもご縁と思い、活かしていきたいと思っています。 また、スペースの関係で横並びで大日如来様と愛染明王様の香合仏様もお祀りして、日にご真言を上げ、その時の気持ちで神様を持ち出すのは失礼に当たらないでしょうか?? お供え物も毎日はキツイので、腐らない様にお水のペットボトルとお酒の小さなカップ、時にお菓子(個装)を1日と15日にお供えしたいと思っています。 トンデモなおまつりのしかただと怒られるのは怖いので、こうした方が良い、や問題がない範囲のご真言などを教えて頂けたら幸いです また、専門的に教えて頂ける場合は、圧に凄く弱いので圧の強くない方の元で謝礼を払い、ゆっくり学んで行きたいとも思いますので、名乗りをあげて頂けたら幸いです それでは一所懸命何とかしようと足掻いているので、ご慈悲の中で助けていただけたら幸いです よろしくお願いします
亡くなった実父が元気だった頃に 何気なく葬儀の話をした際に、生家と同じ宗派での葬儀を希望していることを知りました。 数年後の父の急逝時に在住地近くの当該宗派の寺院に問合せましたが、 檀家の葬儀のみ受付との事で叶わず、 喪主の兄の知人である他宗派のご住職に葬儀を引き受けて頂きました。 無事に葬儀は済み、現在も法事でお世話になっており感謝しています。 ですが、私としては父が希望していた生家で慣れ親しんでいたお経を一度でもという思いが消えません。 私が個人的に読経をその宗派の方にお願いすることは失礼でしょうか? 私の在住地にはその宗派の寺院が 幾つかあること、 実家とは離れているので 兄やお世話になっているご住職の 耳に入ることはないので 実現できないものだろうかと 考えております。 また、檀家でなく一見の人間からの 依頼で読経をお願いする事は可能なのかも併せて教えて頂けると幸いです。 仏教用語その他の知識がないので、 間違い失礼等ございましたら申し訳ありません。 どうぞ宜しくお願い致します。
小さい頃から、お坊さんが読経される時、どうしてあんなに大きなお声で朗々と続けて出来るのだろう?と不思議に思っています。 読経中のお姿を後ろから拝見すると腰の辺りがブワッと膨らみます。そして長く唱えられます。 一瞬でグワッと息を吸われるのですか? どのようにしたら息を吸う時に前も後ろも膨らむのですか? 一緒に唱えていても私は息が続かずに苦しくなりますし、お腹は前しか膨らみません。 お坊さんの真似がしたいです…(-_-;) ごめんなさい、とりとめのないことを…(-_-;)
お世話になります。真宗大谷派の嘆仏偈、三誓偈などの偈文を読む際、息継ぎの箇所がいまいちわかりません。何行目で区切るとかありましたら、ご教示いただきたいと思います。正信偈草四句目下だと、4行一息でとか言われるようですが。よろしくお願いいたします。
仏教に関心があり、真言宗の勤行集を買って朝夕読経するようになりました。 今大体2ヶ月目となります。 読経していると最初はとても気持ちよく感じていましたのですが、最近は読経中、後に関わらずやけにイライラしたり、悪い事を考えてしまって戸惑っています。 これは読み方が悪いのでしょうか? 回数は唱えている方ですが、特別な事はしていないつもりです。 それとも潜在意識の汚れが浮かび上がっているのか? 自分には判断ができません。 僧侶の方でも同じような経験をされた方いらっしゃいますか? 何卒アドバイスよろしくお願い致します。
不安なのでご質問させてください。 謗法に関してのご質問です・・。 意味としましては、仏法を謗(そし)り悪口を言うことですが・・・・、 やってはいけない事として、一応過去に質問サイト等で、こういう事をしたらダメという事は聞きました。 正しい佛法を誹謗すること・『法華(法華経)誹謗、並びに法華経を広める者を迫害、謗る事を言う。』事など他にも・・様々おっしゃられてる方々の書いてらっしゃる内容(と言えばいいのでしょうか?)は違います・・。 やってはいけない事だというのは質問サイト等で質問した際に様々ご意見いただいて、把握はしております・・が とても不安なのです・・。謗法はしちゃだめだと自分に言い聞かせる毎日でとても不安なのです。 なので、少しでもこの不安を落ち着かせたいので・・何かこれだけはきちんと理解しておいた方がいい事などありましたら教えてください・・。
数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。 ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。 そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。 般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。 生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。 「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。 即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。 従って仏教の救いは死後にあることになります。 しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。 それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。 そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑) 前略 その時、世尊はかように仰せられた。 比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。 まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。 後略
灌頂を受けていないと真言を唱えてはいけないと聞きましたが、般若心経や毘沙門天王功徳経にある真言も唱えてはいけないのでしょうか? 唱えてはいけない場合は真言の部分だけ飛ばして読めば良いのでしょうか?それとも読まない方が良いのでしょうか? また、この様な場合唱えても良い真言などはありますか?
僕は般若心経を家で唱えているのですが、いつもなら普通に読めるのですがたまにお前取りつかれたんかって言うくらい笑ってしまう時があるのですが、これはなんなんでしょう? 物凄く勝手な解釈で、ご先祖さまや神様仏様が喜んで笑ってはるから釣られて自然に笑ってんじゃないかと思うのですが、しょーじきな所、わかんないなぁ…と。 抑揚がツボにはまったとか、聞いたことの無いお経で面白かったとかじゃなくて、般若心経の上に何が面白くて笑ってんのか自分でもよくわからんのですよね。 あなたがおかしいだけですよ〜って言うのであれば全然構いません!皆様方のご意見が聞きたいです。 質問というか、意見が聞きたいってだけなので暇な時だったり他の真剣な悩みを抱えてる方の質問の後で全然大丈夫ですのでよろしくお願いします!