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「お経・経典の種類、意味、唱え方」問答(Q&A)一覧

2021/10/13

手を合わせる、お経を唱える場所

 先日の質問へのご回答、ありがとうございました。 以降、毎日祖母に手を合わせ、そのときの気持ちを声に出して伝えたり、 南無大師遍照金剛と唱えたりしております。  ただ、ひとつ疑問に感じたのですが、 手を合わせる場所、お経を唱える場所は、祭壇(後飾り)の前でなくてもよいのでしょうか。 祖母の自宅に祭壇(後飾り)が設けられていて、 私の自宅からはやや距離があり、仕事と子育てがある中、毎日お参りするのは難しいです。 (そうやって理由をつけて  生前の祖母にあまり会いに行かなかったんだろうと  自分を責めてしまいます) いまは、自宅で家事の合間に台所で、仕事が終わった後に車の中で、寝る前に布団に入って、などのタイミングで 手を合わせて話しかけたり、お経を唱えたりしていますが、 こんなやり方で祖母に伝わっているでしょうか。 四十九日までは近くにいてくれると言いますが、 四十九日よりあとも、今のようなお祈りの仕方でよいでしょうか。 大好きだということ、祖母にあちらでも幸せになってもらいたいと思っていること、 祖母に必ず伝わってほしいのです。 ーー 追伸  先日の質問へ回答いただきまして本当にありがとうございました。 その後、非常に少しずつではありますが、落ち着いてきております。 初七日の後、祖母が夢に出てきて、にこにこと橋を渡っていました。 そのときはまだ悲しかったのですが、 ここ数日は、無事あちらに向かっているのだと、少し安心した気持ちです。 こちらでいただいたお言葉を胸に、僅かずつではありますが、 祖母を送り出す、供養する気持ちが芽生えてきており、感謝しております。 ありがとうございます。

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神棚、最低しなければいけないことは?

家に、神棚をお祀り(中にお札を祀り)しようかなと考えていまして、色々調べてみると 作法が多くて無理そうだしきちんとお世話的なことしないと祟られそうなんですが、最低でも何をすれば大丈夫なんでしょうか? 家では仏様(開眼した仏像、祈祷してもらったお札)に仏教のお経を毎日上げさしてもらっているのですが、神道の祝詞などはお経で済まさせてもらってもよろしいのでしょうか? お供物は、出来るだけ毎日上げことは努力したいのですが、たまに用事が忙しくてできない場合は、「すみません、今日は、出来なくてすみません」とお唱えしたら大丈夫でしょうか? (今お祀りしていただいてる仏様にはそうしています) こんなこと言って結構不安に思うなら やめた方がいいと思うかも知れませんが、それでも僕は神棚もお祀りさしていただきたいです と勝手ながら考えてます。神様は、(天照大御神様は)どんなご利益あるのか守護していただけるのか?教えてください!あと自分をもうひとおししてください!背中を押してください! 本当に、不安です、、、ですけどきちんとお祀りさしていただきたいです! 長くなりましたが御返答の方、どうぞ宜しくお願いします。

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お経について(大きな勘違い)

またよろしくお願い致します。 私は今まで、告別式等で、御坊様があげる「お経」とは 亡くなった人が迷うことなく浄土に辿り着くようにと、 お祈りをしている感じに捉えていました。 しかし、本日、NHKのテレビを見ていたら、 「お経」とは亡くなった人のためではなく、 残された人のために、あげていると聞いて びっくりしました。 これは本当でしょうか? 私は既に終活を始めていますが、 後継者等がいない夫婦なため、最終的に一人になって 自分にとって残された人という存在が無い場合は、 「お経」は必要無いということでしょうか? もう一つ、疑問があります。 よく「亡くなった人の魂を慰める」という言い方を聞きますが、 亡くなった人の魂は、今、生きている人が慰めてあげなくては いけないほど、悲しんでいるということでしょうか? この「慰める」という言い方が気になります。 以前、テレビで見たのですが 夫が病気で激しく苦しみながら息を引きとった時、 奥様が泣きながら「あなた、やっと楽になれて良かったね」と 声をかけたそうです。この気持ち、よく分かります。 たとえ病気で亡くなった人も、痛み・苦しみを持った肉体から 解放され、浄土で安らかにニコニコしていてほしいです。 だから「慰める」という言い方は、浄土でも苦しんでいるみたいで、 違和感があります。

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読経が何故供養になるのか教えてください。

お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか? 大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。 仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。 法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、 数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。 その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。 自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。 しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。 現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。 とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。 子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。 物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか? 先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。 どうか教えてください。

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