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「空」とはどういう意味でしょうか?

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分かりやすく教えて下さい。
物質はあるのに空であるっていう意味がよく分かりません。
こちらの思い一つで物質の意味が変わるというようなニュアンスでいいのでしょうか?

「空」だと知ることに何の意味があるのでしょうか?

2015年2月23日 16:21

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ドーナツの穴

ドーナツの穴みたいなものと言われます。あるけど無い、無いけどある。

ドーナツが大きければ穴も大きい、小さければ穴も小さい。オールドファッションの穴より、チョコファッションの穴の方がちょっと高く見える(^^)
私たちが感じるもの見ているものは、実はどれも周りからの影響を受けています。シャ家族さんから見れば私は僧侶だし、女性から見れば男性、子どもから見れば大人、動物から見れば人間、、、、
つまり、絶対的な「私」はいなくて、常にいるのは相対的な「私」です。それのこと空(くう)とか空性といいます。

2015年2月25日 21:49
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有り難し
おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

この身心がいつでも 空ぜられている ことを知る

空っていくら理論を知った分かったからといっても、あまり実生活に役には立ちません。
こういう仏教の道理というのはアタマで知識的に❝知る❞事ではなく、自ら覚する、直証する、じかにそのものになるライドオンすると良いでしょう(^

2015年2月26日 23:16
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

智慧の開発における最大の要諦が「空と縁起」の理解

シャ家族様

hasunohaに参加させて頂きまして以来、この問答にていよいよ500回答となりますが、この間、拙生の取り組んで参りましたテーマとも言えますのが、まさに「空」、そして「縁起」でございました。

仏教は、「智慧と福徳(方便)」を両輪として、確かに修習していくことが求められます。その中でも、智慧の開発における最大の要諦が「空と縁起」の理解となります。

「物質はあるのに空である」とは、般若心経の「色即是空」のことを言及されているのではないかとお察し致します。しかし、それは、次の「空即是色」という理解も併せて行うことが必要となります。

もちろん、「空と縁起」の理解は、非常に難しいですが、とにかく、私たちは、般若心経の中にも出て参ります、「顛倒夢想」の中、あるいは難しい用語となりますが、「倶生諦執」、「有染汚無明」、「二(人我執と法我執、倶生我執と分別我執)我執」の中にあり、常に誤った認識状態で、モノ・コトを実体視執着してしまい、それで迷い苦しむことになってしまっております。

「空」というのは、つまり、無実体・無自性・無自相ということなのですが、要は、そのモノ・コトが、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているモノ・コトとして有り得ているのかどうかということであります。もう少し詳しく述べるならば、他に(例えば、要因や条件等に)依存せずに独立自存として成立しているものが果たして有り得るのかどうかということを考えてみる必要がございます。

更に分かりやすく述べるならば、もしも、他に依存せずに独立自存として存在するものがあるならば、一応、この宇宙の始まりと言われているビッグバン以前からも、それはそれとして存在していなければならないのであります。もしも、シャ家族様のその現在の心身が実体として有るとするならば、その現在の心身そのものが、ビックバン以前から実体として有るということにもなります。しかし、もちろんそんなことはあり得ないのですが、その理解を一つ一つに及ぼしていくことで、これで間違いないという心底からの了解が必要となります。

字数制限の関係上ここまでにて、関連の過去問答も是非ご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/空と縁起

川口英俊 合掌

2015年3月2日 8:41
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

ストレートにいえば、満ちている

「空」は、竜樹尊者に深く説かれて以来、それを表そうとして、
さまざまな言葉や動作が生まれたものだと思います。

好雪片々、別所に落ちず
雪のひとつひとつ、おちるべきところにおちている。

こういった禅語などもまた、空を表すものと心得ます。

小生が題に述べたのが、小生としての「空」になります。
物質に物質としてのいのちが満ちみちている。
ゆきのおちたところに、ゆきが満ちみちている。

これらのもとには、おしゃかさまの「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」
といった、教えがあって、それをあらわそうと試みて、
「空」
と置いたものだと思うのです。

ただし上記のこれらは、あくまで小生の感じるままのものであります。

空を感じるか、あるいは知ることに意味があるかどうかというのは、
仏教においてはそれこそ「意味」を得ないのではないかと思います。

なにくそと 雪割り芽吹く 福寿草

この福寿草に、ほとけが満ちている。
福寿草といういのちが、「いのちにみちた」ときに、「空」である。
それでいて、福寿草である、それを「空即是色」というのではないか。

小生は、それをいかに自身で「感」じることが出来るか、というのが
修行なのだろうと思い、禅宗に身を置くゆえに坐禅をするものであります。
自分にも、ほとけとしてのいのちが満ちているはずだ、と信じて、
ゆっくりと呼吸をして、すわるのです。

合掌

2015年2月25日 20:31
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

御礼が遅くなして申し訳ありません。
皆様のご教導を何度も読ませて頂きました。
少し「空」が分かったような気になってまいましたが、それもまた間違っているのかなとか思ってしまいます笑
丁寧にお答えいただきありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 49
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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徳について

徳について質問です。 徳を積む方法を知りたくて、動画サイトで、ある経営者さんの徳を積むことについてのお考えを聞きました。 ご本人に直接伺うことができないので、お坊さん方のお考えを聞かせて頂きたいです。 その方は、周りの人が笑顔になるように行動すればいい、周りの人を不快にさせるような行動はダメというような事を仰っていました。 故意に人に不愉快な思いをさせるのが良くないのは わかりますが、わざとでない場合はどうなるのでしょうか? 私は外斜視で、手術を受けたものの矯正できるギリギリ限界まで筋肉を切除しても治りませんでした。 電車に乗っている時など、自分では正面を見ているつもりでも、気が付くと向かい側に座っている人から凄い顔で睨まれていたりして ⁇ となり、後になって「あ、斜視で知らない間に私の方から相手の人を凝視したと思われたんだ」とわかるのですが、知らない人に「私、斜視なんです。あなたを見てたわけじゃないんです」と言うのも変ですし。 でも、人を不快にさせたのは事実なわけですから、この場合 私の徳はどうなるのか知りたいです。 人前ではなるべく下を向くようにしていますが、時々忘れて このようなことになります。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

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