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「空」とはどういう意味でしょうか?

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有り難し有り難し 66

分かりやすく教えて下さい。
物質はあるのに空であるっていう意味がよく分かりません。
こちらの思い一つで物質の意味が変わるというようなニュアンスでいいのでしょうか?

「空」だと知ることに何の意味があるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ドーナツの穴

ドーナツの穴みたいなものと言われます。あるけど無い、無いけどある。

ドーナツが大きければ穴も大きい、小さければ穴も小さい。オールドファッションの穴より、チョコファッションの穴の方がちょっと高く見える(^^)
私たちが感じるもの見ているものは、実はどれも周りからの影響を受けています。シャ家族さんから見れば私は僧侶だし、女性から見れば男性、子どもから見れば大人、動物から見れば人間、、、、
つまり、絶対的な「私」はいなくて、常にいるのは相対的な「私」です。それのこと空(くう)とか空性といいます。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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この身心がいつでも 空ぜられている ことを知る

空っていくら理論を知った分かったからといっても、あまり実生活に役には立ちません。
こういう仏教の道理というのはアタマで知識的に❝知る❞事ではなく、自ら覚する、直証する、じかにそのものになるライドオンすると良いでしょう(^

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話  自己を明らかにするために絶対に必要なこと 「非思量」 ...
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智慧の開発における最大の要諦が「空と縁起」の理解

シャ家族様

hasunohaに参加させて頂きまして以来、この問答にていよいよ500回答となりますが、この間、拙生の取り組んで参りましたテーマとも言えますのが、まさに「空」、そして「縁起」でございました。

仏教は、「智慧と福徳(方便)」を両輪として、確かに修習していくことが求められます。その中でも、智慧の開発における最大の要諦が「空と縁起」の理解となります。

「物質はあるのに空である」とは、般若心経の「色即是空」のことを言及されているのではないかとお察し致します。しかし、それは、次の「空即是色」という理解も併せて行うことが必要となります。

もちろん、「空と縁起」の理解は、非常に難しいですが、とにかく、私たちは、般若心経の中にも出て参ります、「顛倒夢想」の中、あるいは難しい用語となりますが、「倶生諦執」、「有染汚無明」、「二(人我執と法我執、倶生我執と分別我執)我執」の中にあり、常に誤った認識状態で、モノ・コトを実体視執着してしまい、それで迷い苦しむことになってしまっております。

「空」というのは、つまり、無実体・無自性・無自相ということなのですが、要は、そのモノ・コトが、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているモノ・コトとして有り得ているのかどうかということであります。もう少し詳しく述べるならば、他に(例えば、要因や条件等に)依存せずに独立自存として成立しているものが果たして有り得るのかどうかということを考えてみる必要がございます。

更に分かりやすく述べるならば、もしも、他に依存せずに独立自存として存在するものがあるならば、一応、この宇宙の始まりと言われているビッグバン以前からも、それはそれとして存在していなければならないのであります。もしも、シャ家族様のその現在の心身が実体として有るとするならば、その現在の心身そのものが、ビックバン以前から実体として有るということにもなります。しかし、もちろんそんなことはあり得ないのですが、その理解を一つ一つに及ぼしていくことで、これで間違いないという心底からの了解が必要となります。

字数制限の関係上ここまでにて、関連の過去問答も是非ご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/空と縁起

川口英俊 合掌

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ストレートにいえば、満ちている

「空」は、竜樹尊者に深く説かれて以来、それを表そうとして、
さまざまな言葉や動作が生まれたものだと思います。

好雪片々、別所に落ちず
雪のひとつひとつ、おちるべきところにおちている。

こういった禅語などもまた、空を表すものと心得ます。

小生が題に述べたのが、小生としての「空」になります。
物質に物質としてのいのちが満ちみちている。
ゆきのおちたところに、ゆきが満ちみちている。

これらのもとには、おしゃかさまの「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」
といった、教えがあって、それをあらわそうと試みて、
「空」
と置いたものだと思うのです。

ただし上記のこれらは、あくまで小生の感じるままのものであります。

空を感じるか、あるいは知ることに意味があるかどうかというのは、
仏教においてはそれこそ「意味」を得ないのではないかと思います。

なにくそと 雪割り芽吹く 福寿草

この福寿草に、ほとけが満ちている。
福寿草といういのちが、「いのちにみちた」ときに、「空」である。
それでいて、福寿草である、それを「空即是色」というのではないか。

小生は、それをいかに自身で「感」じることが出来るか、というのが
修行なのだろうと思い、禅宗に身を置くゆえに坐禅をするものであります。
自分にも、ほとけとしてのいのちが満ちているはずだ、と信じて、
ゆっくりと呼吸をして、すわるのです。

合掌

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おきもち


質問者からのお礼

御礼が遅くなして申し訳ありません。
皆様のご教導を何度も読ませて頂きました。
少し「空」が分かったような気になってまいましたが、それもまた間違っているのかなとか思ってしまいます笑
丁寧にお答えいただきありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

思うだけでも罪になる

私はどこの宗派に属しているわけでもありませんが、色々な書物を読むことが好きで、高校大学がカトリック系列であったため、聖書やキリスト教関係のものも少し読みました。祖父母は浄土真宗なので、般若心経も小さい頃から暗記するくらい読んで唱えて、大学院では国文学としての密教も少し学びました。どの教えも尊く、かつ興味深いのですが、中でもキリスト教の教えに「思うだけでも罪である」というのがありました。ここでの「思う」は、悪いこと、憎しみを思うことを指します。 確かに、「思う」だけで心におさめられることもありますが、「思」へば、それを実行してやろう(例えば、機会があったら悪口を言ってやろうとか。)という気にもなります。仏教(宗派は忘れてしまいました)にも似たような教えがあって、「良いことも悪いことも、思えばエネルギーがそちらに動いて、そのとおりに物事が進むようになる」とも。 ですので、何かマイナスの考えが浮かぶと「あー、ダメダメ。そういうこと思うのやめよ」と、なるべく自分に言い聞かせますが、なかなか思考はコントロールできないですよね。やはり、悪く思ってしまうこともあります。お坊様方は、自身の心の在り方を、どのように受け止めていらっしゃるのか、修行などによって、我々凡人よりも少し克服できるものなのか、伺ってみたいと思いました。

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