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初めての質問です。よろしくお願いします。

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漠然とですが20代の頃から、いつかはどこかの宗教の信者になって、それを心のよりどころ、自分の手本にして生きていきたいと思ってました。

そして去年、座禅を知りとその流れで曹洞宗を知りました。座禅を知ったと言っても座禅会などに参加したわけではなく、ただ、座禅に出会った程度のものなのですが、ちょうど悩んでた時期と重なり、座禅、道元禅師の言葉がその時の自分の心にすっと入って心が楽になった気がします。

私の家は分家で、宗派は浄土真宗らしいのですが、母親にそのことを伝え相談したところ、自分の好きな、信じることのできる宗派に入ればいいと言ってもらえました。

そこで神様も仏様も何もかも知らない私が曹洞宗の信者になるにはどうしたらいいのでしょう?
どうすれば信者になれるのでしょうか?

また、こんな気持ちで宗教を決めてしまって、いいものなのでしょうか?

この質問で浄土真宗から、曹洞宗に変えたいと言ってますが、決して浄土真宗をバカにしているわけではなく、ただ、その時の私に曹洞宗がすっと入ってきたような気がするだけです。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

曹洞宗は曹洞宗というラベルはありません

曹〇宗の異端児?丹下と申します。
曹洞宗でもあまり知られていないことで、最近ではあまり言われなくなったのですが、道元禅師は自らの宗派を曹洞宗じゃ、曹洞宗じゃと強く標榜していません。
おそらく曹洞宗寺院の和尚さんがたも自分たちが曹洞宗という宗派であるという意識はあまりないと思います。
宗教宗派問わずに誰もが救われる教えを説いたのが道元禅師という方です。
そういう宗派なき宗派を目指された方です。
世界に浮かぶ雲にも、曹洞宗じゃ、浄土真宗じゃ、などというラベルなどついていません。
坐禅を深めていけば、この心身にどこにも曹洞宗だの浄土真宗だというラベルなんぞついていないことが分かります。そういう「本源」「おおもと」をじかに感じてください。
自分が本当の自分になる。それが本当の意味で信者になるという事です。
お寺の檀家になるということが信者になる、という事ではありません。
自分がどの宗派であれ、心底、救われることが信じる、信(まか)せる、入信という事です。
よって私は、曹洞宗の信者ではありません。
道元禅師の教えによって、自分を知る事が出来た、自身を信じることができるようになって、安心を得た人間です。
曹洞宗の信者になるという事は、曹洞宗という宗派、団体に所属することではありません。
浄土真宗のままで居て頂いても結構です。
坐禅でもいいです。お念仏でもイイのです。曹洞宗、浄土真宗という小さな隔てを超えた❝本源❞を自らの中に感じ取ってみてください。
誤解なきよう、よーく読み返してみてください。

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ご縁を大切に

浄土真宗の僧侶です。
人は様々なご縁の中で、宗教と出会います。私は浄土真宗の寺院の長男として生まれ、初めから、浄土真宗の教えを自分の宗教として考えるようになりました。もし、私が浄土真宗の寺院の長男として生まれていなかったら、果たして、浄土真宗を自分の宗教としていたかは分かりません。(ただ現在、浄土真宗との出会いは、私自身、幸せであったと思っております。)
たとえば、私の出身地である岩手県には、宮沢賢治という童話作家がおりましたが、彼は熱心な浄土真宗の門徒の家に生を受けました。しかし、島地大等訳『漢和対照妙法蓮華経』との出会いで、法華経信仰へと傾倒していきました。(なお、島地大等師は浄土真宗本願寺派の僧侶です。)出会いとはどこにどうあるかはわかりませんし、宗教は本来、個人の問題です。ですから、ハタケさんは、曹洞宗との出会いを大切にされて全く問題はございません。

最後に、浄土真宗の一僧侶としては、是非、浄土真宗の教えにも触れていただく機会があればとは思っております。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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まずはのんびりお寺探し

心が楽になるような、そんな素敵なご縁がいただけてよかったですね。
実際にはその宗派の教えを信奉していれば既に信者なのですが、さらにしっかりとした結びつきを求められているのですよね?

曹洞宗の信者になりたいとのことですが、座禅をされたお寺、もしくはご近所の曹洞宗のお寺に伺って、住職にお会いし、焦らず気ままに気にいるところを探します。そして気にいるところがあれば、そこにお願いをすれば結構かと存じます。

そのお寺に護寺会費、檀信徒会費などの名称の年会費(金額はまちまちですので、ざっくばらんに聞かれるとよいです)を納めると、座禅会の案内や宗派刊行物などを送っていただけたりするはずです。お寺によっては入檀式などを行うところもございます。それが終わればハタケさんは信者の仲間入りです。

このような気持ちで宗教を決めてしまっていいのか、とのご質問ですが、まったく問題ございませんよ。問題どころか、素晴らしいご縁だと私は思いました。よいお寺が見つかるといいですね。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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まずは幅広く仏教を学び修していくという姿勢

ハタケ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠にご仏縁、ご法縁もご縁なるものと存じますが、大切になるのは、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任であると考えております。

このことに関しましては、以前にも下記の問いにてお答えさせて頂いております。

問い「お葬式と宗派について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017173096.html

「・・基本的には、「信教の自由」がございますので、宗教、宗旨宗派の選択も各個人の自由が尊重されるべきことでございますが、何でもかんでも自由気ままにということではなくて、宗教、宗旨宗派に対して、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切になるのではないかと存じております。特に仏教の場合は、実践思想哲学的な側面が強くございます。決して盲目的・盲信的な信仰であってはいけないかと存じております。数々の釈尊の善巧方便の教えをしっかりと学び修していくためにも、まずは仏教全体の概要の教え、基本的な法理、各宗旨宗派の基本的教義などを概観することから始められて、その中から、少しずつお決めになられていかれると良いのではないと存じております。また、その中でやはり別の教義も学んでみたいとなりましたら、それはそれで全く構わないのではないかと存じます。・・」

あともう一つは、どうしても「方便」の問題もあるということでございます。方便に関しましては、最近では下記の問いにて扱わせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「仏の教えって伝わりづらいものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1022839055.html

教えにおいて、受け入れられるものとそうでないものが出てくるのは当然のことで、それは己の理解、機根、能力の状態、境地、資糧等においても変わってしまうものになるかと存じます。

実は実際に拙生も以前では受け入れられなかったものが、最近ではスッと受け入れられているというようなこともございます。

ですので、是非、まずは特定の宗旨宗派にこだわらずに幅広く仏教を学び修していって頂けましたらと存じております。共に頑張って参りましよう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
簡単に決めてしまっていいものなのだろうかと、不安でしたが、出会い、ご縁を大切にと、その言葉を聞いて安心できました。
ありがとうございます。
また、お寺に伺ってとのことですが、ほとんどお寺という場所に入ったことがなく、緊張しそうですが、頑張ってみます。

出会いを大切にし、より深く宗教というものを学んでいきます。

回答を頂いて、また疑問がでてきてしまいました。
ここに質問を書いて回答して頂いけるのかわかりませんが、、、

お寺に所属?檀家になると、仏教のことを教えてもらえる機会があるのかなと思っていたのです。
回答を読んで思ったのですが、自分自身で学ぶことも大切なのかもしれないと思いました。
しかし、その方法がよくわかりません、、

本などを読むべきなのか、、、
一つ不安なのは、我流で仏教を勉強して、間違った解釈をしてしまわないか不安です。


改めて質問してみます。
もしよろしければ回答をお願いいたします。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ