修行をすると魂が扱えるようになる?
お墓を建てるときに入魂式のようなものをして頂きました。
修行をすると魂を取り扱うことができるようになるということでいいのでしょうか?
僧侶はそういう特殊な能力を身に着ける為に修行しているということでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
広島県は浄土真宗の寺院が多いですね。
浄土真宗であれば、「入仏式」や「御移徙(おわたまし)」と言いますが、僧侶の力で仏さまを入れたり移したりするのではありません。
僧侶は仏さまの力を御門徒さんの元にお取次ぎするお使いに過ぎず、特殊な能力などありません。皆さんと一緒に聞法していくだけです。
なりますよ
魂と言うのはあなたの心の作用の事。
あなたの中のあなたの大事な亡き方を想う、その心を霊やタマシイと言うのです。
そこらへんに飛んでるものではないです。飛んでたら困りますでしょ?
チャンとした修行者は心性を徹見する。自心自性を悟る。心の本来のサガというものを坐禅修行、仏道修行して見つめている。
だから心がワタクシ・エゴ・自我のカラッポの状態に到ることで無私の心、無心の中で人間が一念・思いを発生させる瞬間を感知する心眼が開かれる。だから、自分が思いに動かされる瞬間が分かる。そういう意味ではおよそ人間は思い(タマシイ)に振り回されていると言っていいでしょう。
他人様がどういう事で悩み、どんなものをつかまえてタマシイじゃとか勘違いしてるのも良く見抜ける。
だから当然、その勘違いのタマシイ、思い誤り、自分の思いにあやつられている状態の軌道修正をして正しい理性に導き、確かな明晰性、成仏、悟りに導ける。だから優れた禅者、修行者は人天の大導師と言われています。絵空事の魂を扱ってはいません。そういうタマシイであれば扱えません。
浄土真宗にそのような考えはございません。
お墓を建てた時には「建碑式」を行います。
お墓を建てて一番最初に手を合わせる儀式です。
今日からここで手を合わせお念仏申す信仰を始めますという決意の儀式と言えます
魂を入れたり、仏様を宿らせたりするような意味はありません。
真宗僧侶にはそのような特殊能力はありません。
浄土真宗では命尽きると同時に阿弥陀様のはたらきによって成仏すると考えます。
仏様となって下さったお方はお墓におられるわけではありません。
仏様は自在な存在ですから、常に私達のそばにおられお守り下さる存在です。
他宗はどのように考えておられるか存じ上げませんが、浄土真宗ではお墓は魂を安置する場所ではなく仏となられた大切な方を偲び後世に伝えていく場所です。
執着をオンオフする儀式では
お墓・位牌・仏像などの拝む対象となる物には、魂というより、拝む人の思い入れ、執着、概念が入ってしまいます。
単なる物体と思えなくなるということ。そうすると、修理や処分する際にも面倒です。
八百万の神という感覚がある日本人は、特にそうかもしれません。
なので、単なる物から拝む対象にオンしたり、逆にオフしたりするほうが、気持ちを切り替えられてよいのでしょう。
不思議な力を持ったお坊さんもいるかもしれませんが、一般的には、あくまで儀式だと思います。