hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

寿命は自分で選べないのですか?

回答数回答 5
有り難し有り難し 94

小学校高学年ぐらいから毎日何度か死にたくなります。

今は特に1日に何度も死にたくなります。

でも、何か理由をつけて(飛び降りるところや首を吊るところが家の近くだと家族に迷惑がかかる等)死なない軟弱な自分もいます。

しかしながら毎日こんな沈んだ気持ちでなぜ生きながらえなくてはいけないのか。

なぜ寿命を自分では決められないのか。

難病でも生きたくて仕方ない人もいるし、生きたかったのに事故や災難に見舞われて突然無念の死を迎えてしまう人もいる。
なんの不足がなくても死にたいと思って自殺する人もいる。

なぜ自分の意思で寿命は決められないのでしょうか。

2015年4月13日 19:28

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無評価ライフ & 非思量号サイクリング

まず善し悪し、〇×評価を自分にするのはやめましょう。
評価することって、高い評価、低い評価にかぎらず、実はそのまんまのまっさらな素材、そのものの持ち味に、自分の思いのペンキを塗りたくって別のカラーに変えてしまって台無しにしてしまう行為なのです。
フランダースの犬の最終部に、ネロ君がおじいさんとの素敵な思い出を描いた絵をコンクールに出して入賞しなかった、というシーンがあります(あ、ご存じで?)。
みんな金持ちボンボン君の絵が「いいね、グレイト、サイコ―、さすが坊ちゃん」と(買収されて?)高評価して、最優秀賞になります。大人ってやーね。
ところが、後日、たった一人の審査員だけがネロ君の絵こそ一番だ、素晴らしいサイコ―だと言いました。(その場で言ってやれよ)
時すでに遅し、入賞しなかった事がショックでネロ君は凹んで、それが原因でホトケになっていましたという涙なしでは観れない最終回ですが、よくよく考えてみれば、ツッコミどころ満載です。
そもそも、おじいさんとの大切な思い出なのですから、誰の評価も無しに、その絵のままで十分素晴らしいのです。
良くも悪くも評価しない。特に、悪くだけは評価しない。
AKBであれば総選挙に出ない大作戦。
死にたいって、自分を悪く評価していることなのです。
思いっきり低評価、自分に×をつけているんです。
しばらく評価、価値判断から離れてみませんか。
あなたはアナタで素敵なのです。
だからこそ、これまで自分がインナーワールド、思いの世界の住人になってきたことを自覚すれば解決に向かいます。
ここに二つの自転車があるとします。
A 考え号 
B 現実号 
Aの考え号に乗ってペダルをこぐと、次のようなものが頭の中に充満します。
考え、評価、イメージ、キオク、推測、感情、判断…、これらって、一日中やる事ではありません。
パソコンだって、情報量が多ければフリーズしてしまいます。
およそ、心が疲れている人はAの自転車にばかり乗って、ペダルをこいでいます。
Bの現実号は、思いの世界から遠ざかれるのです。
事実をそのままにいきること。それがBの禅ライフ、非思量です。
私的な評価や思いを交えない事です。これを道元様は非思量といっています。
無評価、非思量のペダルをこいで、毎日を生きましょう。
浜松龍泉寺、掛川少林寺様での参禅をお勧めします。私も救われました。

2015年4月14日 23:59
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

つらいですね。

ゆうさま

つらいですね。寿命が決められないっていうのもしんどいですよね。

人は、生まれてこようと思って生まれてくる人はいません。
いつのころから、私ってなんだろう、死ぬってなんだろうと考えるようになるんだと私は思います。
非常に俗的表現で申し訳ないのですが、寿命が決められないのは、生まれてくるときに、よし○○年きっちり生きるぞ、といって生まれてくる人がいないからではないでしょうか。

であるので、寿命を自分で決めることはできません。

いつの間にか、あるとき自分の存在に気づき、生や死について苦悩するのが人間でしょう。
ゆうさんが、寿命や死について考え、苦しんでおられるのは人間の根本的な苦悩だと思います。
死について考えるということは生きるということにについて考えることだと思います。

どうか、命を大切にされ、生きるとはどういうことかについて問いを忘れずに生きてもらえたと思います。

2015年4月14日 10:08
{{count}}
有り難し
おきもち

広島県の山奥で御門徒さんたちと一緒に念仏生活を送っています。 できること...

医療機関に相談を。寿命は生かす縁。

自殺者の9割は、自殺したときの精神状態が「うつ」であったという研究もあるそうです。
ですから、自殺願望が何週間も続くようなら、「うつ」の可能性があるので、心療内科やカウンセラーなどを受診してみてはどうでしょう。
「うつ」のせいでそのような思いが出ている可能性があるから。
さて、寿命とは、あなたを生かす因縁(条件)の総称だと思います。
空気も食べものも寿命の一部。脳出血で倒れた患者を生かそうとする家族の存在も、寿命。
あなたを生かそうとする力が地球や人々やあなた自身の中にある限り、望んでなくても生かされてしまう場合がありますね。

2015年4月15日 22:33
{{count}}
有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

寿命を決めるとは死ぬということ?

仏教は輪廻を説きますから、死んだらまた生まれます。
この世の行いによって来世が決まります。
良い行いをすればいいところへ生まれますし、悪いことをしていれば悪いところへ生まれます。
六道輪廻といいます。

この命を終えることは自分の意思で出来るかもしれません。
しかし、輪廻は終わりませんから次のいのちが始まります。
始まった次のいのちが地獄にいたならば、死ぬ意味がありません。

輪廻のループから解脱し、仏になるのが仏教です。
どうせ死ぬ人生ならば解脱することが確定してから死んだ方がいい。
人はみな死にます。
来世がよきところへいけるよう仏法を聞きましょう。
するとこのいのちもいいのちだったと喜べるようになります。

2015年4月16日 12:02
{{count}}
有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「縁起」論

ゆう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自殺願望をお抱えのご様子・・ご心配申し上げます。

この世を厭われるお気持ちは、仏教では「出離心」として仏道を歩み始めていく上での大切な気持ちとなりますが、自殺はやはりいけないこととなります。

どうして自殺はいけないのか・・このことに関しましては。これまでにも下記の各問いにても少しく扱わせて頂いて参りましたのでご参照下さいませ。

自殺・自死について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319870.html

『・・心が煩悩や無明(根本的無知)に支配された状態においての自殺だけは決して勧められない・・』

次に、「寿命は決められないのでしょうか」・・ということについてでございますが、仏教では「運命論・宿命論・決定論」は排斥されることになるため、その範疇に入ることについては、やはり否定されることになります。

では、仏教ではどう考えるかと申しますと、「縁起」論で考えることとなります。

まず、全てのモノ・コトというものは、様々な因縁(原因と条件)によりて成り立っており、永久永遠に変わらない実体として決定されてしまうようなモノ・コトはあり得ないと考えます。

それは、更には、縁次第においては、結果を変えられるということにもなりますが、簡単には、不摂生をすれば、幾らでも寿命は縮めることはできますし、健康に留意して過ごしていれば、延ばすことだって可能になります。もちろん、災害や事故などは避けようがないかもしれませんが、しっかりと防災に気をつけていたり、不注意を減らすなどで結果を変えることもできないことはありません。どうしょうもない不可抗力によるものであれば仕方がないかもしれませんが、それも縁なるものとなります。

とにかく、この人生、そしてこの後生をより良い結果としたいとなれば、縁をできるだけより良いものへと変えてやっていく努力が必要となります。悪いことばかりを考えて日々を過ごしていては、良きご縁を迎えることは難しいこととなります。無理にはあまり申せませんが、少しでも明るく元気よく前向きな気持ちをお持ち頂けましたら有り難くに存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

2015年5月4日 15:32
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

晃倫さま
ありがとうござます。
死を思うことは=生きることを考えることなんですね。毎日死にたいと思っている私は逆にもしかしたら「生きたい!もっとよりよく生きたい!」と心の中で叫んでいるのかも知れませんね。

覚元さま
今回もありがたいお言葉ありがとうございます。

ぜひ覚元さまのお寺に行って幸せに生きる事とはどうゆうことなのか?というお話を伺ってみたいと思ってます。

道元さまの説いていらしたお話は、心理学の療法でも取り入れられているものですね。悪いことを繰り返し考えるクセをなくし、今のことだけを考えるレッスンです。道元さまはとっくの昔にそのことを考えていらしたんですね。すごい!

しかしながら、思考の経路を変える訓練とはなかなかに辛そうですが、ネガティブ思考におちいりそうになったら覚元さまの言葉を思い出すようにしてみます。今のことだけ考える!!

願誉浄史さま
ありがとうございます。
寿命は1人では決められない。なるほどと思いました。
今私を思い留まらせているのは、
家族の存在です。私は家族に生かされているのですね。
いつかああ生きててよかったなあと思えるのもきっと家族のこと(例えば子供の就職が決まったり、結婚したりなど)かもしれませんね。
私は家族に生かされているのかもしれません。それは大変な幸せなのかもしれないと思いました。

釈心誓さま
輪廻はとても怖いです。
私は実は1度死にかけたことがあり、心拍が異常に下がったそうです。

その時の様子は全く外の呼びかけなぞ聞こえず、
自分はただ寒くて真っ暗ななかで、ものすごいスピードで底なしの中を落ちていく感覚でした。
その底なしの暗闇を今でもはっきりと覚えています。
きっと地獄というものがあるとしたらいわゆる閻魔様がいて、灼熱の地獄とかそういうものというより人間の本能で恐怖と感じる感覚を死んでしまってからも味わい続けると言う事なのかもしれません。

英俊さま
ありがたいお言葉を頂いていたのに、お礼が遅くなり申し訳ありません。しっかりと拝読させていただきました。「悪いことばかり考えて日々を過ごしていては、良いご縁を迎えることは難しい。」というお言葉、一年近く経ちましたいま、まさにトレーニング中です。自分の考えが良くない方に向いたら
それに気づき、考えを明るく持って行くその繰り返しの途中です。おかげさまで最近は希死念慮もほとんど姿を現さずに少しずつ良い方に向かっているような気がしています。
貴重なお言葉ありがとうございました。

「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

辛くて死にたい。

 タイトル通り心身の不調が続く日が多くなってきており、死ぬことを考え始めています。  今まで頑張ればいつか良くなると信じて色々と頑張ってきました。しかし、あまり改善はしません。そんな状況に疲れました。そして、最近「そもそも死ねば苦痛から解放されるし、生きることをやめた方が良いのでは?」と強く感じます。  もちろん、私が死ねば残された人は苦しむかもしれませんがそれもその人にいつかは訪れる死が救ってくれると思うのです。亡くなった父も死によって救われたでしょうから苦痛に対する根本的解決を目指すなら生きることをやめる以外の方法はあるのでしょうか?  また、私は家族以外に心を許せる人が現在居ませんし結婚もしていません。年々段々と年老いていく家族を見て恐怖を感じています。このまま生き続ければ私は本当に一人ぼっちになって今よりもっともっと辛い苦痛が待ち受けていることが確定していると感じます。もうあんな辛い喪失体験をこれ以上重ねられる自信もないし、そんな未来に耐えられないと思います。 それならばまだ自由に身体が動く今の内に決着をつけてしまった方がまだ良い選択な気がするのです。  また、こちらのサイトでこういった死にたいという考えをお持ちの他の方の質問も拝見しました。その際に、「家族が悲しむ」や「様々なものによって生かされている命だから」という回答を拝見するのですが、そういった正論を見ても考えを変えることができない自分の器の狭さにも絶望しています。とにかく自分がもう楽になりたいという気持ちで頭がいっぱいです。また、ただ「死にたい」という漠然とした気持ちではなく、明確な悩みがある状態での死を希望する気持ちがありますので、心の病気ともちょっと違う気がするのです。この悩みを解消するには時間が必要なこともわかっています。でも、もう頑張りたくない。自分が怠け者で最低だと思います。病院にも行っていますが、症状を誤魔化しているだけで解決には至らないのも辛いです。本当に辛い時に誰にも相談出来ない状況なのも苦しくなってきました。  色々なことに苦痛を感じている自分を誤魔化すことに疲れてしまいました。もう苦痛から解放されても良いでしょうか。

有り難し有り難し 27
回答数回答 1

転職で死にたくなるほど不安になる時

8月に8年間勤めていた会社を辞め、9月より転職します。 転職理由は、スタッフと人間関係で誤解がある事を上に伝えても聞き入れてもらえず異動になってしまい、収入減になり体調を悪くしてしまい、会社に不信感を持ち転職に踏み切りました。 一応、今より条件の良い転職先が決まり、後は9月入社するだけなのですが、 ①また人間関係でつまづいてしまうのではないか ②しっかりと家族を養っていけるのか(8月に2人目の子供が生まれます) ③転職をした自分はまた何か悩みが出てきたら転職を考えてしまうのではないか この上記の不安が頭の中につきまとい、前を向かなきゃと思う反面死にたいという思いがよぎり頭が痛くなる時があります。 もちろん家族の大黒柱として次は何があっても辞めず、定年まで勤め上げようと思っております。 しかし、ふとした時に周りの同世代と比べ、転職をした事への劣等感から弱い気持ちが出て来出てしまいます。 2人子供がいる身として、このような弱い気持ちではいけないと思うのですが、このような気持ちを断ち切り、前を向く為にはどのような心構えで過ごせば良いのでしょうか。 死にたいと思うのはいけない事だと重々承知しております。 この不安を拭い去りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

有り難し有り難し 24
回答数回答 3

満たされているのに早く死にたい

人生においては満たされています。波はあれど幸せな部類に入るよう努力してきました。 もうずっと昔から「死んだら今世クリアだから、早く死にたい」という気持ちがあり、困っています。 仏教や精神世界について学ぶことが好きで、自殺することが業と繋がることは理解しており、能動的に自殺を考えることはありません。 ただ、人生をゲームのように捉えており、「今世の課題をクリアするために、生かされてるうちは面倒だけどとりあえず無理のない範囲で善行を重ねて心を豊かにして生きていれば、そのうち死ねるからそれで今世はゲームクリア!肉体脱出できるのが楽しみ!」みたいな感じの認識です。 無意識的に強くそう思い込んでいるようで、日常生活に支障が出ることがあります。 例えばですが、物質的な執着心がなく、親しい人にお金をあげるように貸してしまったり、何かにつけ問題が多く振り回されるような相手を恋人にしてしまい(振り回されているようで、それを望んで楽しんでいると思います)悲しい思いをしたりしています。 それでも私は懲りずに、死ねないならせめて日常がぐちゃぐちゃに壊されてしまうことを望んでいるようです。 本当に生活に不満はありません。収入も働き方も望んだとおりになっていますし、物質的にも満たされており、問題はあれど愛している恋人もいます。所謂、雑誌の中のような暮らしです。ですが、私はこの生活を今すぐ全て捨ててもいいと思うくらい物質や社会的地位に執着がありません。恋人や人間関係のことはまだ学びが残っている気がするうちは捨てられないのですが、基本的に天国に持っていけないものにそれほど執着できないのです。 一番問題に感じていることは、この生きることをゲームのように認識していることが根深く、そのため自分も他人も特に幸せになれないような、そして自分には損になるような選択を無意識にしがちなことです。私が楽しんでいるときはだいたい破滅に向かっています。 これは何が原因と推測され、どんな解決法や考え方があるのでしょうか。また、多くの人は生きることをどういった認識で暮らしておられるのでしょうか。 長くなりましたか、読んでくださってありがとうございます。 もし何か思うところがありましたら、ぜひご返答がいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る