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みなさんはなんでお坊さんになったんですか??

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散々聞かれた質問だと思いますが
なんでですか??

だってコンビニより多い数あるお寺で
二足のわらじの方だっていらっしゃると聞きました。

他になりたい職業はありましたか?
今他になりたい職業ありますか??


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悟りを開いて 多くの人を悟らせたかった

私は学生時代に深く悩むことがありました。
肉体的に強さを求めても、いつしか病や老いには勝てないことを知り、精神の強さを求めました。精神の強さは一生の宝となると感じたからです。
心が傷つくことが無くなって、悩みや苦しみが無くなるとしたら…?
これって仏教であっても無くても最高の財産であり、最高の教育であり、お金やあらゆる価値にも勝る❝宝❞だと思いませんか?
宝探しに出かける中、癒される教えを宝であると錯誤し、癒しの教えばかりを求めていました。ところが癒された翌日に、あれ?苦しくなるじゃないか、ということを体験しました。「うむむ、癒しでは持続性がない。ダメだ。」と感じて一生の救いになる教えを求めました。
一生の救いとは、一生、心に苦しみが生まれなくなる心になることでした。それが、どうやら「悟りを得る」ことでした。
禅が、そういう心を求めて、極める文化であるらしい、と知りました。
すると「苦しみというものは自分の中にしか生じない・苦しみとは思いでしかない」という単純かつまっとうな真実の教えに出会えました。
「そうか、苦しみとは自分の心の中にしか生じないなら、生じる思いから影響を受けない心になれば、一生の救いになるじゃないか!」と実に単純明白な真実に気づき、その道のプロ、悟った禅僧を探しました。居るわけがない…、探したら、げぇっ!居られました!
その方の元で、教えのままに修行していくうちに、気が付いたら、苦しみが、苦しみとして機能しなくなっていました。何故なら思いというものは、もともと、自然発生的でオフィシャルなものであって、そこに私的な取扱いを加えず放って相手にしなければ、自然に消滅するので、ネガティブ、ダーク、負の思いが生じても、ホッタラケの功徳によりて、影響を受けなくなるのです。(詳しくは当山の禅会の瞑想で)
ああ、悟りは、まやかしではないんだ、誰でも悟りは得られるんだ、と知りました。
だから私はそれを、宗教、仏教、禅というカタチではなくてもいいので、分かる人に伝えたいと思っているので、坊さんやっています。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お坊さんは職業ではないです

わたしの場合、お坊さんという生き方を選んだといったところでしょう。仕事は仕事として、割り切って教師をしています。

はじめは父の後を継ぐ形で、消極的な動機で出家いたしました。しかし、仏教を学んでいくうちに、お坊さんとして生きていくことはすばらしいことだと感じるようになりました。特別な事でもなく、ただ幸せを追求したいだけなのかもしれません。自分が幸せになることで、みなさんにも少しでも仏教を語り伝え、幸せになって貰いたい。
そのように思っています。

仕事は生活のためにはじめました。刺激が多く、理想と現実の狭間で考えさせられる事も多いですが、今は、お坊さんも教師も前向きに捉えています。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

自分で選びました。

 私はお寺の生まれ育ちではありませんでしたが、普通のサラリーマンを経て、親戚のお寺の後継になりました。

 仏弟子という生き方のまま生業にできる住職(お坊さん)は、素晴らしい職業だと思います。

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おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

一言でいえば「ご縁」ですね。

私の場合は、単純にお寺の長男として産まれたからですね。
勿論、子供の頃から随分と反発したり、大学生の頃はミュージシャンに憧れたりもしましたw
でも色々ありましたが、一言でいえばタイトルのようになります。

今となれば僧侶になろうと、何になろうと、別に職種が何でも関係無いと思えます。
思い通りにならない人生の中で、自分が自分として生まれたそのご縁をどう受けとめるか、それが佛教ですから。

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昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。

“まねる”というご縁をいただいて“お坊さん”になりました!

なまけもの様、こんにちは。増田と申します。私は、在家、一般の家庭に育ちました。とても信仰熱心であったというわけでもなく、毎日のようにお寺に行くわけでもありませんでした。今のお師匠さんと会わなければ、お坊さんになっていたかわかりません。今のお師匠さんと出会い、そのお師匠さんのようになりたい、お師匠さんのような人生観を見てみたい。と思い同じレールつまり同じお坊さんになれば!と思いお坊さんになりました。もう20年経ってしまいましたが、まだまだ追いつかない背中を見てお坊さんをしております。

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なまけもの様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「散々聞かれた質問だと思いますが」・・はい、実は、以前にこのhasunohaでもお聞きになられました方がおられまして、お答えさせて頂きました(笑)

「他になりたい職業はありましたか?」・・正直、政治家になりたかったです。。

「今他になりたい職業ありますか??」・・今は、他になりたい職業が何かということではなく、「自利利他」の中道という生き方ができる生業であれば、特に僧侶にこだわらずにて別に何でも構わないかなと密かには思っております。ただ、妻子がおりますので、そこは責任を持って真剣に考えておかないといけないと存じております・・

以下は以前の同様の問いにおいてお答えさせて頂きました内容でございますので、ご参照下さいませ。

問い「お坊さんじゃなかったら?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999405.html

「・・さて、拙生は、世襲にてある意味で仕方なしに僧侶になった面もございますが、ある時から一念発起して一から幅広く仏教を学び進めて参りますうちに、やがて、仏法に携われることができ、仏縁に与れることができて、本当に良かったと心の底から思うことが多々となって参りました。そして、政治家を目指していた頃の熱い志に似たようなものを仏法への取り組みに感じることも多くなって参りました。何事もそうですが、真摯なる志がなければ、なかなか精進努力して、忍耐もして続けていくことは難しいのではないかと存じます。もちろん、拙生、まだまだの浅学菲才の未熟者ですが、より一層に皆様のお役に立てれるように取り組んで参りたいと存じております。・・」

「・・熱い志を持って取り組めること、情熱を持って打ち込めることがございますと誠に良いのではないかと存じます。また、それが仕事であるならば、尚良いこととなるのではないでしょうか。・・」

なまけもの様は、熱い志を持って、今のお仕事に取り組めておられますでしょうか。なかなかそうでないようでございましたら、少しでもお考え頂ける一つのきっかけとなりましたら幸いに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

お寺に生まれたという縁です

私はお寺の長男として生まれたので小さな頃から「このお寺を継ぐのよ」と言われて育ちました。
お坊さんになることは不思議と抵抗がありませんでした。
おそらく小さな頃からの刷り込みだと思います。
今はお坊さんでよかったと思います。
仏教はとても素晴らしい宗教で毎日充実した生活をしています。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ