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みなさんはなんでお坊さんになったんですか??

回答数回答 7
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散々聞かれた質問だと思いますが
なんでですか??

だってコンビニより多い数あるお寺で
二足のわらじの方だっていらっしゃると聞きました。

他になりたい職業はありましたか?
今他になりたい職業ありますか??

2015年5月18日 2:12

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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悟りを開いて 多くの人を悟らせたかった

私は学生時代に深く悩むことがありました。
肉体的に強さを求めても、いつしか病や老いには勝てないことを知り、精神の強さを求めました。精神の強さは一生の宝となると感じたからです。
心が傷つくことが無くなって、悩みや苦しみが無くなるとしたら…?
これって仏教であっても無くても最高の財産であり、最高の教育であり、お金やあらゆる価値にも勝る❝宝❞だと思いませんか?
宝探しに出かける中、癒される教えを宝であると錯誤し、癒しの教えばかりを求めていました。ところが癒された翌日に、あれ?苦しくなるじゃないか、ということを体験しました。「うむむ、癒しでは持続性がない。ダメだ。」と感じて一生の救いになる教えを求めました。
一生の救いとは、一生、心に苦しみが生まれなくなる心になることでした。それが、どうやら「悟りを得る」ことでした。
禅が、そういう心を求めて、極める文化であるらしい、と知りました。
すると「苦しみというものは自分の中にしか生じない・苦しみとは思いでしかない」という単純かつまっとうな真実の教えに出会えました。
「そうか、苦しみとは自分の心の中にしか生じないなら、生じる思いから影響を受けない心になれば、一生の救いになるじゃないか!」と実に単純明白な真実に気づき、その道のプロ、悟った禅僧を探しました。居るわけがない…、探したら、げぇっ!居られました!
その方の元で、教えのままに修行していくうちに、気が付いたら、苦しみが、苦しみとして機能しなくなっていました。何故なら思いというものは、もともと、自然発生的でオフィシャルなものであって、そこに私的な取扱いを加えず放って相手にしなければ、自然に消滅するので、ネガティブ、ダーク、負の思いが生じても、ホッタラケの功徳によりて、影響を受けなくなるのです。(詳しくは当山の禅会の瞑想で)
ああ、悟りは、まやかしではないんだ、誰でも悟りは得られるんだ、と知りました。
だから私はそれを、宗教、仏教、禅というカタチではなくてもいいので、分かる人に伝えたいと思っているので、坊さんやっています。

2015年5月19日 0:03
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丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

一言でいえば「ご縁」ですね。

私の場合は、単純にお寺の長男として産まれたからですね。
勿論、子供の頃から随分と反発したり、大学生の頃はミュージシャンに憧れたりもしましたw
でも色々ありましたが、一言でいえばタイトルのようになります。

今となれば僧侶になろうと、何になろうと、別に職種が何でも関係無いと思えます。
思い通りにならない人生の中で、自分が自分として生まれたそのご縁をどう受けとめるか、それが佛教ですから。

2015年5月18日 6:03
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おきもち

昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。

自分で選びました。

 私はお寺の生まれ育ちではありませんでしたが、普通のサラリーマンを経て、親戚のお寺の後継になりました。

 仏弟子という生き方のまま生業にできる住職(お坊さん)は、素晴らしい職業だと思います。

2015年5月18日 16:15
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おきもち

和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

お坊さんは職業ではないです

わたしの場合、お坊さんという生き方を選んだといったところでしょう。仕事は仕事として、割り切って教師をしています。

はじめは父の後を継ぐ形で、消極的な動機で出家いたしました。しかし、仏教を学んでいくうちに、お坊さんとして生きていくことはすばらしいことだと感じるようになりました。特別な事でもなく、ただ幸せを追求したいだけなのかもしれません。自分が幸せになることで、みなさんにも少しでも仏教を語り伝え、幸せになって貰いたい。
そのように思っています。

仕事は生活のためにはじめました。刺激が多く、理想と現実の狭間で考えさせられる事も多いですが、今は、お坊さんも教師も前向きに捉えています。

2015年5月18日 5:52
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おきもち

“まねる”というご縁をいただいて“お坊さん”になりました!

なまけもの様、こんにちは。増田と申します。私は、在家、一般の家庭に育ちました。とても信仰熱心であったというわけでもなく、毎日のようにお寺に行くわけでもありませんでした。今のお師匠さんと会わなければ、お坊さんになっていたかわかりません。今のお師匠さんと出会い、そのお師匠さんのようになりたい、お師匠さんのような人生観を見てみたい。と思い同じレールつまり同じお坊さんになれば!と思いお坊さんになりました。もう20年経ってしまいましたが、まだまだ追いつかない背中を見てお坊さんをしております。

2015年5月18日 15:03
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おきもち

なまけもの様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「散々聞かれた質問だと思いますが」・・はい、実は、以前にこのhasunohaでもお聞きになられました方がおられまして、お答えさせて頂きました(笑)

「他になりたい職業はありましたか?」・・正直、政治家になりたかったです。。

「今他になりたい職業ありますか??」・・今は、他になりたい職業が何かということではなく、「自利利他」の中道という生き方ができる生業であれば、特に僧侶にこだわらずにて別に何でも構わないかなと密かには思っております。ただ、妻子がおりますので、そこは責任を持って真剣に考えておかないといけないと存じております・・

以下は以前の同様の問いにおいてお答えさせて頂きました内容でございますので、ご参照下さいませ。

問い「お坊さんじゃなかったら?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999405.html

「・・さて、拙生は、世襲にてある意味で仕方なしに僧侶になった面もございますが、ある時から一念発起して一から幅広く仏教を学び進めて参りますうちに、やがて、仏法に携われることができ、仏縁に与れることができて、本当に良かったと心の底から思うことが多々となって参りました。そして、政治家を目指していた頃の熱い志に似たようなものを仏法への取り組みに感じることも多くなって参りました。何事もそうですが、真摯なる志がなければ、なかなか精進努力して、忍耐もして続けていくことは難しいのではないかと存じます。もちろん、拙生、まだまだの浅学菲才の未熟者ですが、より一層に皆様のお役に立てれるように取り組んで参りたいと存じております。・・」

「・・熱い志を持って取り組めること、情熱を持って打ち込めることがございますと誠に良いのではないかと存じます。また、それが仕事であるならば、尚良いこととなるのではないでしょうか。・・」

なまけもの様は、熱い志を持って、今のお仕事に取り組めておられますでしょうか。なかなかそうでないようでございましたら、少しでもお考え頂ける一つのきっかけとなりましたら幸いに存じます。

川口英俊 合掌

2015年5月18日 16:52
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

お寺に生まれたという縁です

私はお寺の長男として生まれたので小さな頃から「このお寺を継ぐのよ」と言われて育ちました。
お坊さんになることは不思議と抵抗がありませんでした。
おそらく小さな頃からの刷り込みだと思います。
今はお坊さんでよかったと思います。
仏教はとても素晴らしい宗教で毎日充実した生活をしています。

2015年5月18日 13:00
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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

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禅の心

以前、代々ご家族の血縁でお寺をされている長男のお坊さんとお付き合いさせて頂いておりました。 私は、小さい頃からずっと日本の文化が 好きです。行動や意味、全てに想いが詰まっていると思うからです。禅もそうだと思います。宗派や教えは違いますが、修行する意味、教えの意味、そこにある想いは一緒だと思うのです。 彼は継ぐ決心が出来ず、実家のお寺を離れて大学生をしている時に出会いました。彼のお父様にお会いした時、すごく違和感を覚えました。言葉では表しにくいのですが、冷たい…ドライな感覚です。彼もお坊さんになる決心をして、修行に行くまでの期間、その違和感に似たものが私の中でどんどん大きくなっていきました。偏見の言葉や、権力には敵わないなどの発言も多くなっていきました。お父様そっくりでした。 お別れした後、周りの方からは「私達には分からない世界だからそれは仕方ない」「私達には分からない重圧があるのだろう」と。 それが私には納得がいきません。生きていくだけで辛い事、苦しい事が沢山あります。それはお坊さん一般人関係なく平等にあるものだと思います。 お寺の世界とは、一般の世界とは違うものなのですか?今まで自分が信じてきたものが分からなくなる時があります。

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坊主と乞食はどう違いますか?

挑発的なタイトルで申し訳ありません。もっとマイルドにしたかったのですが、字数の関係でできませんでした。決してお坊さんを馬鹿にしてやろうとか、悪口を言ってやろうとかいう気持ちはありません。むしろ日々尊敬しております。なのでそこの所をご理解いただけたら幸いです。 本題に入ります。 まことに、大変失礼な質問だとは思いましたが、心の中にふと思い浮かんでしまいました。 仏教書を読んでいたら、「仏教の出家者は一切の生産活動を放棄して修行に専念しなければならないので、一般の人たちからお布施をもらわないと食べていけません。」とありました。 その部分を読んだ時に浮かんだことは、「お布施をすることによって、お布施をした人にはなんのリターンがない。これでは乞食に施しをするのと同じでないか?」ということです。 もちろん、お布施をすることによって功徳が積める、物惜しみに打ち勝つことができるというのは分かっているのですが、現代人にそんなことを言ってもそれが何だよ?と鼻で笑われるでしょう。もし私が誰かに「坊主と乞食って何が違うの?笑」と聞かれたら私はなんと答えればいいのでしょうか? ちなみに身近なお坊様(そこそこ名のある立派な人です)にこの質問をしたら「違わないんじゃね?」とのことでした。ハスノハのお坊様方はどうお答えになりますか? 大変罰当たりな質問だと思います。このことで私の身に不幸が起こったら甘んじて受けるつもりです。しかし、後学のためになんとかお答えしていただければ幸いです。

有り難し有り難し 59
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