気持ちの浮き沈みが激しく、深い自己嫌悪になるときも
こんばんは。女子高校生です。
気持ちの変化が激しく、とことん凹む日・怒りっぽい日・機嫌のいい日などがはっきり自覚できます。一日の中でさえも、ささいな一言で涙が止まらなくなったり、憂鬱になったり、かっと怒りが湧くのを感じたりします。もともとプライドが高く、自分のウィークポイントやコンプレックスを突かれるとそのようになるようです。
その性質を自覚し恥じており、「他人におおらかに・冷静に」を目指してきました。幼いころに比べたら今はずっとましですし、家の外では、優しい性格だと思われているかもしれません。友人にも恵まれました。
しかし、コンプレックスが話に出るとやはりだめなのです。
たとえば母が何気なく(しっかりしたいい人です)幼いころの私のわがままな言動について思い出話をします。
すると、笑って一緒に懐かしもうとしても、笑顔が引きつってしまうのです。その場では「その節はゴメンねー、ほんとありがと!」と言えても、あとでどこか心わだかまりを感じ、兄(気弱ですが優しい人です)と自分の性格を比較して落ち込んだりします。
また、ある日母を怒らせたとき「私の嫌いな人に似ないで」と言われました。父や父の家族のことです。
母は子供に平等な人なのでそのことを言ったのはそれきりです。母も疲れていた日だったし、そもそも私がだらしないから悪いんです。その言葉自体は本当にとるにたらず、むしろ尤もなことであり、それ以来いつもは忘れています。
しかし落ち込んだ時や失敗したと思った時、急に蘇り涙が出ます。いつにもまして「母は娘を愛してくれるけど、私という人間は嫌いだろう」と思い、鏡を見れば自分の顔が父にそっくりで消えたくなります。
これを書いている今も、意味もなく泣いています。泣き虫な甘えた自分も含め、気持ちをコントロールできるようになりたいです。
どうすればいいでしょうか?アドバイスお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を大切に。
おはようございます。
オレンジピールさんの思いを聞かせてくれてありがとうございます。
お母さんの存在が大きいのですね。
お母さんから言われたことが気になってしまう。
お母さんとしては悪気はないのでしょうが、聞いたこちら側は傷ついてしまいます。
家族であるならば、、私はそのことに触れられるとすごく嫌な気持ちになる。傷つく。その程度は伝えてもいいんじゃないかなと思います。
僕にもコンプレックスはあります。
他の人には言われたくないこともあります。
自分の耐えれる限度を超えそうな場合、
「他のどんな言葉よりも、どうしてもそのことを僕に言いたい気持ちなの???
僕はそれ聞いて、すごく辛いんですが!!」
程度のことは言うようにして自分を守ろうとします。
それともう一つ、言われた時の自分をフォローしてあげてください。
嫌なこと言われて辛かったけど、その後もちゃんと頑張って毎日顔洗ってご飯食べて、学校行って偉かったね!
とか、その時の自分に、今の自分が何か言葉をかけてあげてフォローをしてあげて欲しいです。
コンプレックスについて、あんな言い方じゃなくて本当はこんな風に言って欲しかった、ということも含めて。。
うちの宗派じゃ煩悩は消し去るものではなく転じる。
時を重ねる中で別の視点で見ることで煩悩やコンプレックスとうまく折り合いをつける方法はないかと探る立場です。
人生の中ではいろいろあるけど、
オレンジピールさんの良さも心に留めておいてくださいね。
お母さんだって弱いんです
オレンジピールさん、はじめまして。
あまり自分を責めないで下さい。
自分は自分に責められるのを一番嫌います。
逃げ場がなくなってしまうから…
お母さんやお兄さんと比べて自分を弱くしてしまったのでは元も子もありません。
同じ比べるなら、良いところだけを見てあげましょう。
お母さんもお兄さんも、そしてあなたも、同じ人間なのです。
お母さんだってお兄さんだってあなたと同じなのです。
お母さんの「私の嫌いな人に似ないで」と言う言葉が全てを物語っています。
お母さんだって弱い、でも、一生懸命にその弱さを振り払ってあなたを育ててくれているんです。
お母さんにとって、あなたたちが自分を癒やしてくれる最大の避難場所なのかもしれません。
お母さんの前で大声で泣いたことがありますか?
心の内に溜まったものを吐き出したことがありますか?
怒ってではなく文句を言うのではなく、真剣に相談したことがありますか?
お母さんだって、一生懸命あなた方に気を遣って言葉をかけて下さっているはずです。
きっと、お母さんはあなたたちを愛していると同時に、一番の親友であって欲しいのだと思いますよ。
あなたが心の内を素直に打ち明けてあげたら、きっとお母さんもあなたの一番の親友になってくれることでしょう。
静かに、穏やかにと自分に勤めすぎては、内向的になりすぎてしまいます。
他人の良いところだけではなく自分の良いところもちゃんと見てあげなければいけません。
責めるのと見直すのではまるっきり違います。
嫌いな自分ばかり見ないで、良いところも認めてあげて下さい。
きっとあなたは、あなたが思うより、ずっとずっといいヤツですよ。
あなたの涙には理由があるのでは
オレンジピールさん
あなたの涙には理由があるのではないでしょうか。
“「母は娘を愛してくれるけど、私という人間は嫌いだろう」”
という一言はあなたの抱えている不安を表しているのではないかと思います。
母は立場上、娘の自分を愛している
しかし、本当は私のことが嫌いなのだろう
なぜなら
母は父が嫌い
そして、私は父によく似ている
私は幾人かの話や本を読んで
人は誰かに(主に母親)無条件に愛されなければ
存在の不安を感じてしまうのではないかと思っています。
あなたが大事なのだ
あなたの存在が喜びなのだという
無条件に受け止めるメッセージを通して
人は生きる力を得て歩んでいけるのだと思います。
オレンジピールさんは
受けとめられていると同時に
受けとめられていない
これはとてつもない
不安に駆られると思います。
お母様があなたに伝えた
「私の嫌いな人(父親)に似ないで」という一言は
強烈な存在に不安を与える一言です。
私の嫌いな夫(父)の娘である限り
私はあなたを愛さないと言っているのですから
オレンジピールさんは
お母様にとって
愛される母の娘と
愛されない父の娘を生きているから不安なのだと思います。
“母は子供に平等な人なのでそのことを言ったのはそれきりです。母も疲れていた日だったし、そもそも私がだらしないから悪いんです。その言葉自体は本当にとるにたらず、むしろ尤もなことであり、それ以来いつもは忘れています。 ”
お母様が疲れていようと、あなたがだらしなかろうと、とるにたらないことではないのです。
尤もでもないのです。忘れられない一言なのだと思います。
不安の理由を知ること
不安の理由を伝えること
言葉の真意を尋ねることが
回復に繋がっているのではないでしょうか。
リアル母親 と インナーマザー
人間というものはねぇ、実際に実際の本人に会っていながらも、本人以外の人と会っている事ってあるんでちゅよ。
それは、その相手に対して、相手+自分のイメージなのです。
しかも、本人がいない処でも、今でも、+自分のイメージって、ついて回るンざます。
たとえば、家に帰るのが遅くなった時、お母さん、怒るだろうな…って、いう時のお母さんって、リアルのお母さんじゃないでしょ。
お母さんとケンカした後、お母さんに対して、いやだなぁ…とか思っちゃう相手って、現実の本人がいない所で出てくるから、リアルの現実のお母さんじゃないでしょ。
それが、あなたの中のリアル母ちゃん・アフターイメージなのです。
リアル母ちゃん・アフターイメージは、実物じゃありません。
自分が一番恐れているお母ちゃんイメージをオプションで追加していますから、リアル母ちゃんよりも恐ろしいのです。
その恐ろしい、自分の内側のインナーマザー、インナー母ちゃんではなく、本物のリアル母ちゃんとだけ、接することです。
それによって、あなたのお母さんに対する恐れも、不安も、悩みも全部吹ッ飛びソーファーラウェイです。
世の中の多くの人がインナー母ちゃんの言いなりになっています。そこに実際居る訳でもないのに。
なぜなら母親から生まれてこなかった人はいません。
母親の影響力というのは、一生続きます。
だからこそ、私の申し上げる所のインナーマザー、リアル母ちゃん・アフターイメージを払拭し、リアル母ちゃん、リアル兄ちゃん、リアルパパ、リアル人生を見出してください。
それが、あなたの悟りです。
イメージ越しではない、ノンフィルターの「THE・世界」を味わってください。
友達に対しても、イメージ越しではなく、ラインメッセージを受けてからのアフターイメージでもなく、リアルタイムの現実のリアル友達とだけ接すれば、妄想はなくなります。
コンプレックスの正体も、自分のこと悪く言われていないだろうか…、という自分のインナー・ネガティブ・ガスですから、現実の言われていることだけを大事にして、言われてもいないことをクヨクヨ思うのはNGです。
ネガティブな思いをトッピングをさせないで過ごすことが大切です。
なぜコンプレックスを持つようになりましたか?
オレンジピールさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
オレンジピールさんは、なぜコンプレックスを持つようになったのでしょうか。
その理由はオレンジピールさんしか分かりません。あなたの心の奥深いところで泥の底に封印してしまったものがあるはずです。封印してしまったものを再び開けることは恐ろしいことかもしれませんが、コンプレックスを解消するにはオレンジピールさんが開けてみるしかありません。
もし、封印してしまったものを開けなければ、同じことの繰り返しです。封印されたものはコンプレックスのスイッチとなり、何かの拍子にスイッチを押されてしまいます。すると、オレンジピールさんは、激怒したり、涙が止まらなくなったり、自制心がなくなったりします。
オレンジピールさんが、ご自身に向き合えますように。
あなたは愛されてますよ
オレンジピール様
あなたはお母様が大好きなんですね。お母様はきっとあなたを愛していますよ。
あなたが悩まされているのは、全て過去のこと。過去のことに振り回されてしまっています。過去の話はいくらでも想像できます。一秒経てば一秒前の出来事は過去。もう二度と来ません。そんなことに思いをくっつけても仕方がない。お兄さんと比べることも同じ。なんの意味もないです。こうなるべきなんてことはありません。
今のお母さんを見ましょう。思い出話はあなたが可愛いからするのでしょう。
どんな人でも完璧な人はいませんよ。心ない言葉を吐いてしまうほともあります。 そこに執着しないでください。時は進んでいますよ。
質問者からのお礼
***中村太釈 様
回答をいただき、私は今までコンプレックスの多さや人の目が気になること自体を、性格のせいにして諦めてきたのだと気付かされました。しかし大事なのはすべての根っこなのですね。感情に飲まれる前に自己分析の日記などをつけてみようかと思います。ありがとうございました。
***
邦元 様
母との関わり方にとても悩んでいましたが、考えるべきは今やこれからの母のことなのですね。なんだか、自分がもう取り返しのつかないことをしたような気持ちでいました。過去を言い訳にして、一緒にいても嫌われる・もう仕方がないと卑屈になり、自分を磨くことから逃げてきたのではないかとハッとしました。このままでは、多くの人と関わる中で同じことを繰り返してしまいますね。
前向きに自分の内面を磨くことはできるのでしょうか?模索してみます。本当にありがとうございます。
泰庵様
本当にそうなのです。母の存在の大きさに正直戸惑っている気がします。深く傷ついたり、それに飲まれまいと大げさに反発したり…一挙手一投足に振り回され、一人空回っているような感じでいました。自分をフォローする、自分を守る、どちらもうまくできていませんでした。自分を守ろうとしては卑屈になり、ねじれた言い方で人を傷つけ、自分をも責め。また自分を肯定するのに目に見える結果ばかり求め、素直な気持ちをずっと見失っているようです。自分を大切にするというお言葉、ずっと大事にしようと思います。ありがとうございました。
小原観慈 様
お言葉を拝見しながら、母が父のふるまいに泣いていた時のことを思い出し胸が熱くなりました。父と母が互いを責め、私はどちらが本当のことを言っているのかわからないままでした。ただ二人とも大切な親で、悪口を聞いていたら自分を見失いどちらかを嫌いになってしまいそうで怖かったです。公平でいたいと思いました。それで父のことを愚痴る母にも、母を責める父にも「お互い様だ、あなたも悪い」などと、二人の苦労も知らず生意気に、責める言葉を何度も何度も言いました。それ以来私には愚痴を話そうとしません。私はもう中学生だったし、母はただ相槌がほしかっただけかもしれないのに、親だって弱いのに、私はなんて薄情で自分勝手なんだと後悔しています。
相手を責めるのではなく、自分を殺すでもなく、素直に打ち明ければよかったのですね。私は手の内を見せたくないという気持ちがどこかにあるようです。だから通じ合えないのですね…
これから母の信頼を取り戻せるでしょうか…親を悲しませたくないけれど、自分とかなり違う考え方もあり、自分を保ちながら母の本音を聞いてあげられるか心配です。でも、気持ちが整理されました。ほんとうにありがとうございます