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仏教の本質

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仏教の本質とはどのような教えですか?

宜しくお願い致します❗


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

仏教の目的は「成仏」することです。
成仏とは,仏になるということです。

ですが、本質はと聞かれれば、この世に多種多様な苦しみがあっても、それに振り回されることのない自分をつくることということでしょうか。

何者にも囚われず、自分自身が常にニュートラルな状態と言ったら解りやすいかも知れません。

仏教ではこれを「中道」と言います。

仏の世界は果てしないものです。
この世で我々が目指せるとすればそのあたりまででしょうか・・・

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日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

縁起など他にもいろいろ言えるでしょうが、ここでは七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)をご紹介します。

諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く(なく)
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自(みずか)ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

七仏通誡偈は、仏教で釈迦以前に存在したとされる六人の仏と、釈迦を含む七人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされている偈(定型詩)で、『法句経』などに収録されている。 上座部仏教及び禅宗に於いて特に重んぜられ、禅宗では日常の読経にも取り入れられている。(Wikipediaなどを参照)

心が清らかなら、悪はなさないようになりおのずと善をなすことになるので、心を清めよというのが仏教の本質であるということができます。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

キーンコーンカーンコーン

たとえば学校のチャイムが鳴ります。
キーンコーンカーンコーン♪
それが鳴れば、絶対に、誰にとっても「その通り」になる。
キーンコーンカーンコーン♪
老若男女とわず、洋の東西をとわず、宗教宗派を問わず、かならず、その通りになる。
「私にはキーンコーンカーンコーンが❝おーれーはジャイアンー♪❞と聞こえる人は絶対にいません。現実のチャイムの音は厳密には文字にすらできませんし、人間によって文字化も意味づけもされていない状態です。
もし、そういう風に聞こえる人がいたとしたら、それは思いの上で、二次的な取扱いを起こした世界、自分独自の世界で聞いている姿であって、仏法の世界・法界のままとして聞いている姿ではないのです。
キーンコーンカーンコーン
万人が等しく、見えた通り、聞こえた通り、その通りになる。
そして、そこには、良いも悪いもついていない。
向かえば、ただ、そのことがあるだけ。
人間は、第一次点では、みな平等に、出逢っている、触れている出来事を享受している。
そこが、万人の共通ルール(仏法)なのです。
だれもが、ここに気づいて、自分の思いを重ねる以前の世界「いま・ここ・そのこと」に気づけば、自分の独自の思い方を離れて「救われる」のです。

どんなことも、いま、目の前の、そのことに出逢った時は、ただ、その通り。
自分の好き嫌いの思いや、価値判断を加える以前の世界としての それ です。
一切が、その通りのそれで、THIS IS IT で THIS IS THIS です。
ところが、現実の世界では、学校のチャイムが鳴ると、多くの人が、
その音を聞いた直後、即座に「個人の思い方の上でだけ」各自の中で異なる。
「ああ、もう休み時間終わりか」「よし、頑張るぞ」「ああ、眠い」
これがセカンド・ワールドである人間世界です。
ファースト・ワールドである仏の世界は、平等にキーン、コーン、カーンコーン🎶
そこに何の善し悪しもついていない。
ファースト・ワールドのまま、過ごしてください。
キーン、コーン、カーン、コーン♪
これ、仏教の根本にして、本質なり。
この世の本質が仏教であり、根本です。
我かくの如し 汝もまたかくの如し
いつでも 目前の世界は それが ただ そうある
その事をチャイムの音にたとえてお話を致しました。
はじめに言葉ありきは人間の世界。
はじめに事実ありきは仏陀の世界。

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仏になる為の教えです

仏教ではさまざまな智慧や戒律などが説かれます。
それら全て「仏になる為の教え」です。
『頑張ってよりよい人間になりましょう』ということは目的ではなく(過程としてはありうるのかもしれません)、あくまで『成仏』を目的とした宗教です。

仏教を学ぶということは仏になる道を学ぶことであり、仏教を信仰するということは仏になる道を歩むことです。
仏へ成る方法は沢山あって、「どうやって仏になるのか」その方法の違いが宗派の違いだと言えるでしょう。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

四諦(したい)です。

四つの諦(真理)、四諦が仏教の骨格です。
苦諦くたい、集諦じったい、滅諦めったい、道諦どうたいの四つです。
苦諦(生きることは苦しみ・不満の連続だ)
集諦(苦の原因は煩悩だ)
滅諦(煩悩を滅すれば苦を滅することができる)
道諦(煩悩を滅するための方法がある)

最後の道諦は、仏道修行のことです。
四諦の原理に基づいて、仏教を学び実践するのです。
つまり仏教とは、悩み苦しみをなくすために煩悩をなくす方法論・実践論なのです。

煩悩をなくすためには、誤った認識に気付く必要があり、そのために説かれるのが、苦・無常・無我や、涅槃寂静(煩悩がなくなった涅槃こそが究極の平安である)、縁起・空、十八界・五蘊(ごうん)などの教えです。

仏教で目先す善とは、苦悩をなくす方向、煩悩を弱める方向のことです。
仏教で止めましょうという悪とは、煩悩を強化し苦悩を増やす方向のことです。
悪をやめて善を行えというのも、煩悩をなくして苦しみをなくすようにせよ、という意味です。

悟りとは、煩悩がなくなること。
煩悩は細かく分類すれば無数にあるし、一番大雑把に3つに分類すれば、欲・怒り・愚かさの三毒煩悩となります。
また、煩悩を大きく10種類に分類することができ、10種類の煩悩は消えてゆく順番(悟るときの順番)も決まっているそうです。
たとえば、悟りの第1段階と言える預流果(よるか)の悟りでは10種類の煩悩うちの3つ(有身見・疑・戒禁取)だけが消える、らしいです。
消えた煩悩は二度と復活しないそうです。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

「智慧と慈悲」

1962tron様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教の本質と聞かれましたら、既出の「四聖諦」、「七仏通誡偈」、「中道」、あるいは、「空」や「縁起」の教えといったものが想起されます。

そこで、あえてとなりましたら、拙生は、「智慧と慈悲」を挙げさせて頂きましょう。

悟り・涅槃へと至るためには、「智慧と慈悲」の二つを十分に備わせていくことが必要であるとされます。

「智慧」は別名では、「般若」とか「般若波羅蜜」、「慈悲」は、別名として「方便」、あるいは、「福徳」と言う場合もございます。

「智慧」は真理を悟る賢さのことで、簡単には、「空」を悟ることになります。

「慈悲」は、全ての迷い苦しみある者たち(一切衆生)を救いたいという心を養って、利他行や善徳行、功徳に励むことでございます。

例えば、大日経においては、「智慧の中の智慧(最高の智慧)は、何を原因とし、何が根本であり、何が最高の究極的なものであるのか」という金剛薩た(土へんに垂)の問いに対して、毘盧遮那仏が、「(勝義)菩提心(悟り[最高の智慧の完成]を求める心)を原因として、大悲(大慈大悲の心)を根本として、方便が究極的なものになる」とお答えになられておられます。

悟りとは、勝義知・一切知とされる最高の智慧に達することであり、「空」を完全知覚して、全てを遍くに知ることのできる境地となります。

そこに至るために必要となるのが、まず悟り(最高の智慧の完成)を目指す発起心としての「菩提心」となり、全ての迷い苦しみあるものたちを救ってあげたいという「大悲」の心を持って、善徳・利他の功徳の行いに努め励むことによって、やがて悟りへと至れるように調えていくことが大切となります。

「拙理解仏教図式No.7」
http://goo.gl/JauGML

上記拙図では、「空」を悟るための道筋について少しだけ簡単に述べさせて頂いておりますが、勝義知・一切知とされる最高の智慧の完成へと向けては、その妨げとなっている「煩悩障」と「所知障」を段階的に取り除くために、智慧の修習と慈悲の修習、双方をしっかりと進めることが、悟りへと向かうために必要であるとして、しっかりと取り組んで参りたいものとなります。

是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

毎回丁寧な解答有難うございます。
参考になりました。

仏教の本質とお葬式は関係ないようですね。

「仏教全般」問答一覧

待つことは仏教でも大事ですか?

前の話と似たような内容なのですが、同じ職業(画家)の好きな人と疎遠になっています。 母親曰く「待て」と言われてます。 向こうの方が立場が上なので、まずは実力をつけろと言われてます。会うのはそれからでもいいだろうと。 私の中に、なんでこんなに頑張らないといけないんだ、という焦る気持ちと、 頑張って違った新しい自分という土俵でまたお会いできたらという気持ちがあります。 焦っている時、イライラして家族にも邪見にされるときがあります。 また逆におろおろしまってもっとゆっくり物事を進めなさいともいわれます。 親の言うことは正しいと思っているのにイラっとすることもあります。 でも待ちながらそれが正解だと感じることもあります。 画家の仲間が増えて、みんな同年代の人は凄く苦労されてその中でも夢に向かってひたむきに頑張っている。中には同業者に貶されている人もいる方もいますしバイトしながら、別の仕事をしながら頑張っている人も。 年上の人達は年上の人たちでライバルがいて、年下の人たちに追い上げられそうになる中、孤高に取り組んでいる方もみられます。 もっと年上の人は本当に素晴らしい絵を描くのに、それでも絵の事で悩んでいる人も見ました。 私も貶されたり叱咤されたこともありますが、励まされたり期待されたりしながらやってていて、しかも家族も一応応援はしてくれてるので救われてる方だなと思います。仲間の話をネットや現実で聴くのもためになっています。 そういう人たちを見てると、その人がきっかけで待っていた縁のパワーって侮れないなと感じました。 仕事を極めるというのは難しいですね。 もっとゆったりとした心で仕事や日常に向かい、精進したいと思ってますが、 中々できない自分に悩んでます。でももっと視野を広げて縁のパワーを広げたら、いつかまたその人に仕事を通じて出会えるんじゃないか、同業者として支えられるぐらいの力が持てるんじゃないかという不思議な気持ちがしています。 こういう待つ縁の話は、仏教のお話にもあったりしますか?

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仏教の教えを守ってるけどダメみたいです

最初に、、、別に報われたいわけではありません。 どちらかというと達観していると思います、いろいろ経験して結論として出した考えです。 仏教を勉強し、理不尽な目に会う度に疑問に感じるので質問をしたいです。 ・人の不幸には圧倒的な差がある。→どうしようもない、心の持ち方一つで変えられるものではない、不幸は不幸。 仏教修行をして執着を手放してる群発頭痛の人が幾ら心もの持ち方を変えても苦しく痛みに関しては、生まれつき健康で他人に危害を加える人よりも圧倒的に不幸である。 ・人に親切にしたり愛したり優しくしても、恩を仇で返されたり感謝すらされない人もいる。→最新の研究では人はサイコパスに魅力を感じるようです。また生まれつきの容姿や印象で好感度が変動するようです。 ストックホルム症候群や共依存など他人に優しくしない方が人は恩恵を得れる生物のようです。 ・人に与える人より搾取する人の方が富を得れる。不幸量は下がる。 →本人の認知としては搾取している気がしない人も沢山います。 というより世の中先進国は後進国から搾取していますが誰も富を彼らに分け与えません。 そして搾取した人達の方が贅沢できます。 教育を受けたいサウジアラビアの女性よりも専業主婦になりたい日本人女性の方が教育が整備されています。 食べ物を欲しがるアフリカの貧しい人よりも、廃棄する先進国の人の方が不幸ではありません。 ・感謝しても報われないが、他人を侮辱して壊す人は報われる。→感謝感謝の毎日ですが、感謝するより他人を貶す方が相手を支配できます、経営学や政治学ではよく言われてますが他人を従わせるには恐怖や暴力的な支配が有効です。 当たり前と思ってる方が気が楽です、私たちの生活にはありとあらゆる犠牲があります。小さい細菌やらが私たちの身体を守り、昆虫が生態を守り、牛さんの内臓が食べられ、低賃金の人がサービスを支え、私のような人はガス抜きにされ笑、後進国の人を搾取して。それに感謝してたらキリがありません。当たり前と思って見下してる世界に対して感謝ゼロの人の方が楽ですよね笑  ・耐え忍んで努力しても惨めに何も得られず、生まれてただ朽ち果てるのみ。→生まれつきかなりの運命が決まっていて、奮闘しても生まれつき全てを手に入れてる人に搾取される世界です。 報われなくてもいいから、少しは良い方向に向かいたい

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解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

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