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仏教の本質

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仏教の本質とはどのような教えですか?

宜しくお願い致します❗


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

仏教の目的は「成仏」することです。
成仏とは,仏になるということです。

ですが、本質はと聞かれれば、この世に多種多様な苦しみがあっても、それに振り回されることのない自分をつくることということでしょうか。

何者にも囚われず、自分自身が常にニュートラルな状態と言ったら解りやすいかも知れません。

仏教ではこれを「中道」と言います。

仏の世界は果てしないものです。
この世で我々が目指せるとすればそのあたりまででしょうか・・・

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縁起など他にもいろいろ言えるでしょうが、ここでは七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)をご紹介します。

諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く(なく)
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自(みずか)ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

七仏通誡偈は、仏教で釈迦以前に存在したとされる六人の仏と、釈迦を含む七人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされている偈(定型詩)で、『法句経』などに収録されている。 上座部仏教及び禅宗に於いて特に重んぜられ、禅宗では日常の読経にも取り入れられている。(Wikipediaなどを参照)

心が清らかなら、悪はなさないようになりおのずと善をなすことになるので、心を清めよというのが仏教の本質であるということができます。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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キーンコーンカーンコーン

たとえば学校のチャイムが鳴ります。
キーンコーンカーンコーン♪
それが鳴れば、絶対に、誰にとっても「その通り」になる。
キーンコーンカーンコーン♪
老若男女とわず、洋の東西をとわず、宗教宗派を問わず、かならず、その通りになる。
「私にはキーンコーンカーンコーンが❝おーれーはジャイアンー♪❞と聞こえる人は絶対にいません。現実のチャイムの音は厳密には文字にすらできませんし、人間によって文字化も意味づけもされていない状態です。
もし、そういう風に聞こえる人がいたとしたら、それは思いの上で、二次的な取扱いを起こした世界、自分独自の世界で聞いている姿であって、仏法の世界・法界のままとして聞いている姿ではないのです。
キーンコーンカーンコーン
万人が等しく、見えた通り、聞こえた通り、その通りになる。
そして、そこには、良いも悪いもついていない。
向かえば、ただ、そのことがあるだけ。
人間は、第一次点では、みな平等に、出逢っている、触れている出来事を享受している。
そこが、万人の共通ルール(仏法)なのです。
だれもが、ここに気づいて、自分の思いを重ねる以前の世界「いま・ここ・そのこと」に気づけば、自分の独自の思い方を離れて「救われる」のです。

どんなことも、いま、目の前の、そのことに出逢った時は、ただ、その通り。
自分の好き嫌いの思いや、価値判断を加える以前の世界としての それ です。
一切が、その通りのそれで、THIS IS IT で THIS IS THIS です。
ところが、現実の世界では、学校のチャイムが鳴ると、多くの人が、
その音を聞いた直後、即座に「個人の思い方の上でだけ」各自の中で異なる。
「ああ、もう休み時間終わりか」「よし、頑張るぞ」「ああ、眠い」
これがセカンド・ワールドである人間世界です。
ファースト・ワールドである仏の世界は、平等にキーン、コーン、カーンコーン🎶
そこに何の善し悪しもついていない。
ファースト・ワールドのまま、過ごしてください。
キーン、コーン、カーン、コーン♪
これ、仏教の根本にして、本質なり。
この世の本質が仏教であり、根本です。
我かくの如し 汝もまたかくの如し
いつでも 目前の世界は それが ただ そうある
その事をチャイムの音にたとえてお話を致しました。
はじめに言葉ありきは人間の世界。
はじめに事実ありきは仏陀の世界。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
お悩み相談は「08020659278」まで。どなたでも無料。 救われた方...
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仏になる為の教えです

仏教ではさまざまな智慧や戒律などが説かれます。
それら全て「仏になる為の教え」です。
『頑張ってよりよい人間になりましょう』ということは目的ではなく(過程としてはありうるのかもしれません)、あくまで『成仏』を目的とした宗教です。

仏教を学ぶということは仏になる道を学ぶことであり、仏教を信仰するということは仏になる道を歩むことです。
仏へ成る方法は沢山あって、「どうやって仏になるのか」その方法の違いが宗派の違いだと言えるでしょう。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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四諦(したい)です。

四つの諦(真理)、四諦が仏教の骨格です。
苦諦くたい、集諦じったい、滅諦めったい、道諦どうたいの四つです。
苦諦(生きることは苦しみ・不満の連続だ)
集諦(苦の原因は煩悩だ)
滅諦(煩悩を滅すれば苦を滅することができる)
道諦(煩悩を滅するための方法がある)

最後の道諦は、仏道修行のことです。
四諦の原理に基づいて、仏教を学び実践するのです。
つまり仏教とは、悩み苦しみをなくすために煩悩をなくす方法論・実践論なのです。

煩悩をなくすためには、誤った認識に気付く必要があり、そのために説かれるのが、苦・無常・無我や、涅槃寂静(煩悩がなくなった涅槃こそが究極の平安である)、縁起・空、十八界・五蘊(ごうん)などの教えです。

仏教で目先す善とは、苦悩をなくす方向、煩悩を弱める方向のことです。
仏教で止めましょうという悪とは、煩悩を強化し苦悩を増やす方向のことです。
悪をやめて善を行えというのも、煩悩をなくして苦しみをなくすようにせよ、という意味です。

悟りとは、煩悩がなくなること。
煩悩は細かく分類すれば無数にあるし、一番大雑把に3つに分類すれば、欲・怒り・愚かさの三毒煩悩となります。
また、煩悩を大きく10種類に分類することができ、10種類の煩悩は消えてゆく順番(悟るときの順番)も決まっているそうです。
たとえば、悟りの第1段階と言える預流果(よるか)の悟りでは10種類の煩悩うちの3つ(有身見・疑・戒禁取)だけが消える、らしいです。
消えた煩悩は二度と復活しないそうです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「智慧と慈悲」

1962tron様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教の本質と聞かれましたら、既出の「四聖諦」、「七仏通誡偈」、「中道」、あるいは、「空」や「縁起」の教えといったものが想起されます。

そこで、あえてとなりましたら、拙生は、「智慧と慈悲」を挙げさせて頂きましょう。

悟り・涅槃へと至るためには、「智慧と慈悲」の二つを十分に備わせていくことが必要であるとされます。

「智慧」は別名では、「般若」とか「般若波羅蜜」、「慈悲」は、別名として「方便」、あるいは、「福徳」と言う場合もございます。

「智慧」は真理を悟る賢さのことで、簡単には、「空」を悟ることになります。

「慈悲」は、全ての迷い苦しみある者たち(一切衆生)を救いたいという心を養って、利他行や善徳行、功徳に励むことでございます。

例えば、大日経においては、「智慧の中の智慧(最高の智慧)は、何を原因とし、何が根本であり、何が最高の究極的なものであるのか」という金剛薩た(土へんに垂)の問いに対して、毘盧遮那仏が、「(勝義)菩提心(悟り[最高の智慧の完成]を求める心)を原因として、大悲(大慈大悲の心)を根本として、方便が究極的なものになる」とお答えになられておられます。

悟りとは、勝義知・一切知とされる最高の智慧に達することであり、「空」を完全知覚して、全てを遍くに知ることのできる境地となります。

そこに至るために必要となるのが、まず悟り(最高の智慧の完成)を目指す発起心としての「菩提心」となり、全ての迷い苦しみあるものたちを救ってあげたいという「大悲」の心を持って、善徳・利他の功徳の行いに努め励むことによって、やがて悟りへと至れるように調えていくことが大切となります。

「拙理解仏教図式No.7」
http://goo.gl/JauGML

上記拙図では、「空」を悟るための道筋について少しだけ簡単に述べさせて頂いておりますが、勝義知・一切知とされる最高の智慧の完成へと向けては、その妨げとなっている「煩悩障」と「所知障」を段階的に取り除くために、智慧の修習と慈悲の修習、双方をしっかりと進めることが、悟りへと向かうために必要であるとして、しっかりと取り組んで参りたいものとなります。

是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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三休さん
二休みも三休みもしてしまう怠け者。三休です。 最新の仏教論考はこちら...
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質問者からのお礼

毎回丁寧な解答有難うございます。
参考になりました。

仏教の本質とお葬式は関係ないようですね。

「仏教全般」問答一覧

離檀について

私の実家の菩提寺との関係にについてご相談です。 昨年末に実父が亡くなり葬儀を行いましたが、お布施の金額や住職の振る舞いが納得できるものではなく、離檀を考えております。 お布施の金額についてお伺いをたてたところ、60万円。お車代2万円×2人分を請求されました。お布施とは、そもそもお気持ちであり、金額を提示されるものなのでしょうか、また葬儀は30人ほどの小規模のものでしたが、脇導師もいらっしゃいました。菩提寺ではない近隣の寺からいらしたようです。2人必要なのでしょか? 戒名は一番下のランクで葬儀社の方も驚いていました。実家周辺の同じ宗派の寺の中でもかなり高額とのことです。 今までにも、年期法要など毎回、かなり多くのお布施を要求されています。お布施をお渡ししたときに私たちの目の前で、お布施の中身を数え確かめたこともありました。 住職として信頼できないこと、菩提寺には墓がないこと(自宅近くの公共の墓地に墓はあります)今後、これからもかかるであろう高額な費用を捻出することも難しいので離檀を考えています。 離檀の際にお気持ちはお支払いしますが、離檀料として30万円もの金額を支払う必要はありますか? (先日、49日の相談をした際に〝今後のお付き合〟と書かれた用紙を渡され)盆暮れの付け届け○〇円、年季法要お布施〇〇円 等と書かれている用紙に離檀料25~30万円との記載がありました。 嫁ぎ先もたまたま同じ宗派ですが、もっとこちらの話に耳を傾けてくださいます。地域が違えば色々と違ってくるとは思うのですが、どうなのでしょうか

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病弱でもボランティアがしたい

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私はバガヴァッド・ギーターというインドの聖典が大好きで、その中に「奉仕活動によって解脱ができる。それは行よりも有効な手段」という記述があります。私の夢は解脱とみんなが幸せな世界であり、そのためにボランティア、人助け、世界のためになる選択肢を選ぶことが大好きです。 しかし、達磨大師はこう言われました。功徳(つまり私でいう、解脱を目的としていること)のために寺を建築したり写経したりしても新たな煩悩を生むだけであり無功徳であると。これは、解脱という利己的な目的を持って人を助けたり救ったところで自分は何も得られるものがない、ということなのでしょうか。 奉仕活動によって解脱を目指すというのはシク教やヒンドゥー教的な考え方のはずで、確かに私は若い頃にいっぱい罪を犯したためその分、誰かを助けたり誰かの役に立ったりよりよい世界を作るために努力することは損得を抜きとして心から大好きです。しかし、その先で自分も解脱したいという利己的な抱きがあるのもまた事実です。 私のしていることは、解脱を目指す上で無駄なのでしょうか? 私の行いで誰かが喜びを味わったり救われたりしているので、それは決して無駄なことではないのは確かなはずです。しかし、やはり達磨大師のおっしゃられたことにも一理あるので、そこがずっと引っかかっているのです。例え自分に得が無くとも、奉仕活動自体は好きなのでそのスタンスは崩さないつもりです。 私はちゃんと正しい方向へ進めているでしょうか? よろしくお願いいたします

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