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諦めること

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仏教の教えは、自分の感情はおさえ、他のために尽くすこと、うまくおつたえできないのですが、何事も諦めることになるのでしようか?

よろしくおねがいいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

諦とは明らかに見極めることです

諦という文字は仏教では大切な言葉です。語呂的にいうと物事の真実を明らかにし、見極めるという意味であって、途中で放り出してしまうことではありません。私の何代か前の住職の名前は立諦(りゅうたい)と言いますが、名前に付けたいほどの文字です。
では、何を明らかに見極めるかというと「人間が努力すれば報われることと、そうではないこと」を見極めなさいということです。世の中には人間がいくら努力しても、どうにもならないことがあります。お釈迦様はその代表的なものとして「老病死」をあげられました。
人間の努力ではどうにもならないことに対して、何とかしようとするところに苦しみや悩みが生まれると見抜かれました。いくら努力してもどうにもならないことは、他にも多くありますが、ここの質問で多いのは「過去の出来事」や「他人の心」です。これも自分がいくら努力しても変えることは出来ません。そこにこだわることで苦しみ悩みが生まれます。
ではどうすればいいかと言いますと、ありのままを受け入れるように、自分の心の在り方を変えるという方法があります。簡単そうですが、実際はなかなか出来ません。出来ないのは自分に煩悩があるからです。
しかしお釈迦様は煩悩を消す方法についても詳しく説かれています。そこからはご自分でも勉強して見て下さい。

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鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て20...
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あきらめる、とはちょっと違う

rinrinrinさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

rinrinrinさんは、仏教の教えは自分の感情はおさえて他のために尽くし、何事も諦めることと捉えておられるのですね。

1.自分の感情を抑えて他のために尽くす
rinrinrinさんは、利他について書いておられると拝察いたします。
しかし、仏教では利他の前に「自利(じり)」が付きます。まずは、自分を大切にしなさいと説きます。

自分が精神的に一杯になっているときに、見返りを求めず他に尽くすことはできません。
まずは、自分を見つめ直しクリアになってから他に尽くすのです。そうでなければ、「自分はこんなにがんばっているのに」とむさぼりの心が起きたり、「どうしてあなたは何もしてくれないのよ」と愚痴の心が出てしまいます。

仏教においてむさぼりの心や愚痴の心は毒であると説きます。毒を吐き続けている人に、何かをしてもらおうと思う人はいません。

つまり、自分の感情を抑えるのではなく、自分の感情を見つめてクリアにしてから他に尽くすというのが正しい解釈です。

2.何事もあきらめる
rinrinrinさんは四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)を指しているのでしょうか。
漢字であきらめると書きますが、あきらめることではありません。
困難にぶつかったときに、本当の姿を見つめて原因を追及し、正しい道を歩いて行くことを指しています。

つまり、何事もやめてしまうという意味のあきらめるではなく、今まで歩いてきた道を見つめ直して正しい道を歩くという意味です。

rinrinrinさんが、自分を見つめて正しい道を歩いて行くことができるよう祈念しております。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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明らめることです

すべてのことは、無理に抑え込まなくても、事実を明らかにすることで楽に生きることになります。
虚しいとか、我慢ということとは違います。人間の力が及ばないところで事実は流れ変化しています。昨日のことは今はもうありません。手をつけなくても消えていくのです。消そうとかしなくても、消えていく、新しものを見ようとしなくても、常に新しい今に触れっぱなしなんです。
記憶や考えは事実を歪め、事実を見えなくさせます。
考えごとをしながら車の運転していると、事故に遭いやすくなります。目の前の様子が見えなくなるのです。目を開いていても見えないほどに、妄想は恐ろしいものです。

ですから事実に目を向け、手をつけないで事実のままに生きると、善も悪もなく、損も得もなく、好きも嫌いもない、今の様子があるのです。そこでそうした価値判断を下すことが手をつけるということです。迷いの道です。

明らかにできると手をつくなくなります。見たら見た様子になる。音があれば音があったようになる。コーヒーを飲めばコーヒーの味になる。飲み終われば綺麗さっぱり消え去る。
それが救われた事実でしょう。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

大変わかりやすく教えて下さり感謝致します。

他のためにとか、自分本位になってはいけないとか、人に悲しい思いをさせてはいけないとか正しいことを言われるのですが、私自身、満たされない、報われない嫌な思いをさせられているのに、どうすればそんな思いになるのかとずっと疑問でした。

考えた結果、では自分の感情をなくすほかない、何事も自分が我慢し、あきらめることではないかと思っていました。

間違った解釈をするところでした。

ありがとうございました。

りゅうよう住職様、コメントありがとうございます。

煩悩を消すというのは大変難しいです。
自分は特に死ぬまでにできるかどうか

勉強していこうと思います。

ありがとうございました。

邦元住職様、コメント感謝致します。

明らかにすることとは、難しいことですね。
これからは、いただいたお言葉を思い返しながら、色々な場面で考えて行こうと思います。

ありがとうございました。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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