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有り難し有り難し 62

こんにちは。

空即是色等に言われる空ですが、
なんとなくでの感覚ではわかるのですが、
こういうものだ、というものがはっきり言葉にできません。
言葉にするとどのようなものでしょうか?

何卒、御教示お願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分なしに空ぜられている ●▼■

わたしやあなたが「何かしよう」「空を知ろう、悟ろう、会得しよう」としなくても、最初からいっさいの物事がこの心身からて手放されていっている事実が空なる相です。
人間の多くは空を悟ろうとする。
●▼■
私が、自分が、…を用いて、自分が空を悟ろうとする。
それは空とは真逆のワタクシをふんだんに活用した世界であって、空を会得する事はできないスタンスです。
空とは、全自動で一切のものがそれぞれが自由な働きをしていることです。
人間の思考や想念に染まらず、それぞれそれぞれが独立分離している、それぞれそれぞれが完全全うしている様子です。
ご飯を食べていたあなたはもう無く、テレビを見ていた自分ももう既に無く、タイトルをみていたあなたももうありません。
全自動で常に勝手に更新されている事実にこちらが身を任せよう、任せまいとしても、全自動で更新され、変化流転している世界と強制完全同期している様子です。
その証拠に、今この文字を読んでいたときに冒頭の●▼■がおわっている。
全自動で手放されている。
自分なしに変化、転化されている。
毎瞬毎秒、かわらない事が無い。
そこに人間の思い方、見解も入らない。
人間の思考が間に合わないほどにすべての事実がいつも取れ立ての産地直送。
かわっていないものが何一つ無い。
※ここで言う変化、かわっているという事は思考上の事ではなく、実相としてひと時として前の様を残していないということです。
ひと時としてとどまらないものに、こちらが私見を添えない事。
それがこちらが空を全うしている様子です。
空とは人間の見解を離れたる様子。
空とは自己の無き様子。
空とは今の直面事実。
空とは空を知らなくても空ぜられ、空じている様子。
空とは前後裁断の今の事実。
空とはこの心身にものが触れて、触れた瞬間にその事の無い様子。
空とはありながらになく無いながらにある様子。
空とは自己が自己でありながら自己にあらざる様子。
空とはそれがそれでありながら拾い上げの無い様子。
空とはこういう屁理屈を離れた思考にあらざる事実のありよう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

全ては縁起し空である

まめすけ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「空」とは、簡単に申しますと「実体が無い」ということになります。

そして、「実体が無い」というのは、「(自分が認識している先の)そのものが、それ自体の側において、そのものをそのもの成り立たしめている独立自存としての永久永遠に変わらない何かがあるのかと言えば、そのようなものは見当たらない」ということになります。

これを更に言い換えますと、「因縁(原因や条件)などの他に依存しないあり方で存在しているものは無い」ということになります。

また、他に依存して成り立っているあり方のことを「縁起」と申しまして、「全ては縁起し空である」と申すことになります。

とにかく、存在しているモノ・コトにおいて、「縁起し空である」という以外の例外は一切あり得ないとするのが、仏教哲学の立場となります。

更に、「空」と「縁起」の意味を同じく捉えていくところも大切となります。

下記、拙論考の内容も少しくご理解の参考として頂けましたらと存じます。

『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

仏様の智慧

拝読させて頂きました。そうですね…なかなか実感としては難しいですよね…。
全てのものごとはうつろいゆくということでしょうか。私もあなたも昨日の自分とはうつりかわっています。様々な生命を頂いて私達の身は新陳代謝をして細胞も変わっていっています。
それは世の中も世界も全てが一刻一刻うつりかわりひとときも同じことはないということです。
ですから絶対にかわらないものなどないということです。

つまり私達は常にうつりかわりゆくものであるということです。

ただそうは言っても私達はどうしてもかわらないことを受け入れることが難しいのです。どうしても自分は変わらないでいてほしいと思ってしまいます。自分の大切なものはいつでも身近にいてほしいと思ってしまいます。
そうつまり執着してしまいます。それが煩悩であり迷いであり、悩み苦しみとなるのです。

なかなか難しいですよね。
アタマでわかっても本当に心からストンと理解することは難しいものです。

ですから悟りの境地はなかなか遠いのですよね。
人のことならとやかく言えるが自分のこととなるとなかなか受け入れられない、という自分がいるのです。

どうかこれからも仏教にご興味を持って頂き、ご精進なさってくださいね!

あなたがこれから様々に学んでいかれて本当の仏様の智慧を体得なさっていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

色⇔空

一切皆空

例えばあなたが今、この文章やら何やらをご覧になっているとき、学生時代の嫌~な思い出とかこびりついて離れないような記憶が常に頭の中を占領、牛耳っていましたか??
いませんでしたよね。
意識はここに集中して読んでましたよね。
んで、他の事を想起させるようなこういう一言を聞いてしまうとあら不思議、頭にポンと出てきた。さっきまで無かったのに。

今この時のリアルを経過している「ソレ」はそこに流動する唯一無二のもの。じゃあ私達が普段感じている実体の実態って何なのか。残念ながら私達にとっての実体は「頭の中で作ったソレ」である場合が殆ど。

だから人は、過去や経験に縛られて思いや迷いの地引網に足を取られちゃうのです。

この世の森羅万象は時間の経過とともに一期一会。
「いま掴んだ!」と思っても、もう過去の事。実際のソレは既にその先へ進んでる。
最早人間都合のある・なし認識とか、そういう話ではないのです。

だから「空」とはこの世の全てのこと。物事を認識するとき、手前勝手な「ある&なし判断」であたかも実体化したりあっさり消滅したり…人が気付きにくい盲点のような「そこ」を説いている言葉だと、私は捉えます。

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有り難し
おきもち

現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくても良いようなものまでも、率先して背負い込んでる。 で、結局悩んでる。自らの意志で背負い込んだのにね。 そこのあなた、身に覚えありでしょう? ほら、そうやって決めつけちゃうの、やめませんか? 立ち止まるのが早すぎやしませんか? 40代半ば愚僧の超個人的なボヤキだと思ってくだされば幸いです。 私の回答が誰かの人生の潤滑油になればうれしいな。 常にいろいろ勉強中!死ぬまで修行中!ここhasunohaも道場のひとつです! お付き合いのほど、よろしくお願いいたしますm(__)m

質問者からのお礼

皆様、とても分かりやすいご教示ありがとうございます。

身体がふんわり、不思議な心地です。
まだまだ何度も読み返して見たいと思います。
とても不思議な感じです。(しつこいですね笑💦

昔、よく友人と宇宙の果てや私たちの存在、誕生や今について夜中の車の中で話し合いました。
その時には必ず、
ポーンと広い宇宙の流れに組み込まれているような、
実は全てが誰かの夢の中の存在であるような、
瞬間瞬間、捲られ破り消えていくカレンダーのような
どこにもいるようで、いないような
不思議な感覚に陥ったものです。
でも決して寂しくないような。
漠然としていますが、その理由が分かったような気もします。
わたしのコメントが不思議ですね笑

皆様お一人様お一人様へ、ちゃんとなにかお伝えしたいのですが、今の未熟な私には上手くお礼以外に言葉にできません。
簡単に言葉にできないです。
ごめんなさい。

丹下様、有難うございます。

川口様、有難うございます。

TAIKEN様、有難うございます。

kousyo kuuyo azuma様、有難うございます。

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