皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

こんにちは。

空即是色等に言われる空ですが、
なんとなくでの感覚ではわかるのですが、
こういうものだ、というものがはっきり言葉にできません。
言葉にするとどのようなものでしょうか?

何卒、御教示お願い致します。

仏教
有り難し 56
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

自分なしに空ぜられている ●▼■

わたしやあなたが「何かしよう」「空を知ろう、悟ろう、会得しよう」としなくても、最初からいっさいの物事がこの心身からて手放されていっている事実が空なる相です。
人間の多くは空を悟ろうとする。
●▼■
私が、自分が、…を用いて、自分が空を悟ろうとする。
それは空とは真逆のワタクシをふんだんに活用した世界であって、空を会得する事はできないスタンスです。
空とは、全自動で一切のものがそれぞれが自由な働きをしていることです。
人間の思考や想念に染まらず、それぞれそれぞれが独立分離している、それぞれそれぞれが完全全うしている様子です。
ご飯を食べていたあなたはもう無く、テレビを見ていた自分ももう既に無く、タイトルをみていたあなたももうありません。
全自動で常に勝手に更新されている事実にこちらが身を任せよう、任せまいとしても、全自動で更新され、変化流転している世界と強制完全同期している様子です。
その証拠に、今この文字を読んでいたときに冒頭の●▼■がおわっている。
全自動で手放されている。
自分なしに変化、転化されている。
毎瞬毎秒、かわらない事が無い。
そこに人間の思い方、見解も入らない。
人間の思考が間に合わないほどにすべての事実がいつも取れ立ての産地直送。
かわっていないものが何一つ無い。
※ここで言う変化、かわっているという事は思考上の事ではなく、実相としてひと時として前の様を残していないということです。
ひと時としてとどまらないものに、こちらが私見を添えない事。
それがこちらが空を全うしている様子です。
空とは人間の見解を離れたる様子。
空とは自己の無き様子。
空とは今の直面事実。
空とは空を知らなくても空ぜられ、空じている様子。
空とは前後裁断の今の事実。
空とはこの心身にものが触れて、触れた瞬間にその事の無い様子。
空とはありながらになく無いながらにある様子。
空とは自己が自己でありながら自己にあらざる様子。
空とはそれがそれでありながら拾い上げの無い様子。
空とはこういう屁理屈を離れた思考にあらざる事実のありよう。

全ては縁起し空である

まめすけ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「空」とは、簡単に申しますと「実体が無い」ということになります。

そして、「実体が無い」というのは、「(自分が認識している先の)そのものが、それ自体の側において、そのものをそのもの成り立たしめている独立自存としての永久永遠に変わらない何かがあるのかと言えば、そのようなものは見当たらない」ということになります。

これを更に言い換えますと、「因縁(原因や条件)などの他に依存しないあり方で存在しているものは無い」ということになります。

また、他に依存して成り立っているあり方のことを「縁起」と申しまして、「全ては縁起し空である」と申すことになります。

とにかく、存在しているモノ・コトにおいて、「縁起し空である」という以外の例外は一切あり得ないとするのが、仏教哲学の立場となります。

更に、「空」と「縁起」の意味を同じく捉えていくところも大切となります。

下記、拙論考の内容も少しくご理解の参考として頂けましたらと存じます。

『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392

川口英俊 合掌

仏様の智慧

拝読させて頂きました。そうですね…なかなか実感としては難しいですよね…。
全てのものごとはうつろいゆくということでしょうか。私もあなたも昨日の自分とはうつりかわっています。様々な生命を頂いて私達の身は新陳代謝をして細胞も変わっていっています。
それは世の中も世界も全てが一刻一刻うつりかわりひとときも同じことはないということです。
ですから絶対にかわらないものなどないということです。

つまり私達は常にうつりかわりゆくものであるということです。

ただそうは言っても私達はどうしてもかわらないことを受け入れることが難しいのです。どうしても自分は変わらないでいてほしいと思ってしまいます。自分の大切なものはいつでも身近にいてほしいと思ってしまいます。
そうつまり執着してしまいます。それが煩悩であり迷いであり、悩み苦しみとなるのです。

なかなか難しいですよね。
アタマでわかっても本当に心からストンと理解することは難しいものです。

ですから悟りの境地はなかなか遠いのですよね。
人のことならとやかく言えるが自分のこととなるとなかなか受け入れられない、という自分がいるのです。

どうかこれからも仏教にご興味を持って頂き、ご精進なさってくださいね!

あなたがこれから様々に学んでいかれて本当の仏様の智慧を体得なさっていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

回答僧

TAIKEN(FDN)

色⇔空

一切皆空

例えばあなたが今、この文章やら何やらをご覧になっているとき、学生時代の嫌~な思い出とかこびりついて離れないような記憶が常に頭の中を占領、牛耳っていましたか??
いませんでしたよね。
意識はここに集中して読んでましたよね。
んで、他の事を想起させるようなこういう一言を聞いてしまうとあら不思議、頭にポンと出てきた。さっきまで無かったのに。

今この時のリアルを経過している「ソレ」はそこに流動する唯一無二のもの。じゃあ私達が普段感じている実体の実態って何なのか。残念ながら私達にとっての実体は「頭の中で作ったソレ」である場合が殆ど。

だから人は、過去や経験に縛られて思いや迷いの地引網に足を取られちゃうのです。

この世の森羅万象は時間の経過とともに一期一会。
「いま掴んだ!」と思っても、もう過去の事。実際のソレは既にその先へ進んでる。
最早人間都合のある・なし認識とか、そういう話ではないのです。

だから「空」とはこの世の全てのこと。物事を認識するとき、手前勝手な「ある&なし判断」であたかも実体化したりあっさり消滅したり…人が気付きにくい盲点のような「そこ」を説いている言葉だと、私は捉えます。


質問者からの有り難し - お礼

皆様、とても分かりやすいご教示ありがとうございます。

身体がふんわり、不思議な心地です。
まだまだ何度も読み返して見たいと思います。
とても不思議な感じです。(しつこいですね笑💦

昔、よく友人と宇宙の果てや私たちの存在、誕生や今について夜中の車の中で話し合いました。
その時には必ず、
ポーンと広い宇宙の流れに組み込まれているような、
実は全てが誰かの夢の中の存在であるような、
瞬間瞬間、捲られ破り消えていくカレンダーのような
どこにもいるようで、いないような
不思議な感覚に陥ったものです。
でも決して寂しくないような。
漠然としていますが、その理由が分かったような気もします。
わたしのコメントが不思議ですね笑

皆様お一人様お一人様へ、ちゃんとなにかお伝えしたいのですが、今の未熟な私には上手くお礼以外に言葉にできません。
簡単に言葉にできないです。
ごめんなさい。

丹下様、有難うございます。

川口様、有難うございます。

TAIKEN様、有難うございます。

kousyo kuuyo azuma様、有難うございます。

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