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人に為に生きる僧侶となるには

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こんにちは。私の実家は江戸時代より続く寺です。小さい頃より家を継ぐのが楽しみで、僧侶になることに今は迷いはありません。現在は大学生活を楽しんでいますが、卒業後は家を継ぐ予定です。僧侶になったからには人の為に生き、悩み苦しむ人の為に身を削る覚悟でいます。その為には辛苦をいとわないつもりです。

ただ、その様な僧侶となるためには今何をすべきか、勉強をしておくべきか、最近の寺に求められていることは何なのかといったことが自分の中で不明確になりつつあります。

現役の僧侶の皆様、人の為に生きる僧侶となるために今何をし、勉強しておくべきか。そして、今の寺(僧侶)に求められていることは何かご教示頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

プロフ拝見しました。経済的に可能なら宗門の大学への編入学をお考えになってはいかがでしょうか。仏教学が全てではありませんが、(たとえ逆方向に行くとしても)やはり思想的な基礎は大学で作られます。特に最近は歴史の教科書を皮切りに変化の時代に入ってきていますが、仏教学も例外ではありません。その改革を「独学で学びました」というのと「リアルタイムで大学で見てきました」というのとでは二十年、三十年後に天と地ほども差が出てくるでしょう。

他人を救う…それは人生経験あるのみです。お坊さんの世界でも結構ですし、外の世界でも結構です。個人的には外の世界で様々な価値観に触れて欲しいと願いますが、どちらでも結構です。色んな人と関わって下さい。

今のお寺に足りないこと・求られていること。それはコミュニケーション不足です。
阪神淡路大震災で最もたくさん駆け付けたボランティア団体はお坊さんです。東日本大震災から『ひと段落ついた』と見なして活動を切り上げた団体が多い中、今も継続しているのはお坊さんです。でも、お坊さんはお寺にこもって葬式ばっかりやっていることになっている…

全国33万カ寺のうち、半数近くが財政難で、大多数がいわゆる中流なのに、ぼろ儲けしていることになっている…世界中で仏式葬儀が行われ、生老病死に向かい合っているのに、日本だけでやっている金儲けという事になっている…まだまだ挙げ足りませんが、全部お坊さんが説明してこなかったからです。一番大切な『自分のモノの見方をブチ壊す』ということを伝えてこなかったからです。だから日本人は政治も悪い、教育も医療も坊主も年寄りも若者も外国人も日本人も悪い悪いと愚痴り続ける…これじゃ誰も救われない…人気取りではなく、世俗に迎合しない、本来のアウトローとしての仏道を説かねば前に進まない…

でも結局は何をすべきかなんて自分で見いだすことですよ。目の前に人がいて、あなたがいて、関わり合う…そこで初めて何をすべきか決まります。そこに情報ではない活きた仏道が成就します。頑張ってください。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

人の数だけ生き方はありますが、

ガリレオさんの道はご自身で決めるしかありません。
だから、なるたけ多くの道(経験)を知ってから決めるべきです。

私はお寺の生まれ育ちではありませんが、
サラリーマンの経験は今役に立っています。

そんな私のアドバイスですが、
大卒後、ぜひどこかに就職してください。
座学では得られないことが、
その実践・実学で学べるはずです。
そうすれば、
自分が何をしたいのか、
何をすべきなのか、
何ができるのか、
が見えてくると思います。

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和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

人のためには重たすぎる

人の為にやらんことです。
ただ純粋に行為することで、結果的に人のためになってればいいんです。
ラーメン屋は人のためにラーメン作るんじゃない。
自分んで本当においしいラーメン作ったら結果的においしいと言ってくれた人いた。行列ができた。その人を満たせるものがそこで提供された、という事です。
ここでいうラーメンとは何か。
学んでいく中で、感じ取ってみてください。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

まずは自分が救われるための道を求める

人を救いたいと思ったら、自分が救われる道を追求しなければなりません。
この人について学びたいと思える、正師を求めることです。

準備というより思い立ったらすぐに行動。今から信頼できる師を見つけることです。

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「自利利他」

ガリレオ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

素晴らしいお志、尊く、有り難くに存じます。

ただ、「人の為、人の為」と、あまり気負われなくても構わないのではないかとは存じます。

拙生も若いころは、何とか仏教を活かして世の為に、人の為にと、福祉活動、地域社会活動、まちづくり活動、ボランティア・奉仕活動に躍起になっていた頃がございます。

拙プロフィール「これまでの主な活動歴」の項・参照
http://www.hide.vc/profile.html

かなり並行して色々な取り組みに頑張っていました。

しかし・・ある時、ふと壁にぶつかり、一旦、全ての対外活動を休止しました・・

その要因は、簡単に申しますと、「世の為、人の為」ということではなくて、「輪廻に迷い苦しんでいる全ての有情、衆生の為」へと向けて、まずはもっとこの凡俗なる未熟者における自己修養の必要性を実感したというところでございます。

これから仏教を学び進められていかれる中で、仏教には二つの真理として、世俗諦と勝義諦の二諦ということについても学ばれることになるでしょう。

この二諦においては、菩提心(悟りを目指す決意)としての「世俗菩提心」と「勝義菩提心」というものもございます。その後者の菩提心を起こす必要性に迫られるに至ったという感じでございます。

とにかくまずは、己の迷い苦しみ、無明・煩悩を対治することについて取り組まないと、他の者たちの迷い苦しみ、無明・煩悩を対治することも難しいこととなります。そうでなければ、効くかどうかわからないような薬を、他で無責任に試すようなものとなります。確実にその薬が効くという確信を得れる自分をまず確立させることが大切になるのではないかと存じております。そうすれば、自ずと他を利益していけるようになっていくのではないかと存じております。(自利利他)

hasunohaへの参加、お待ち申し上げます。

発菩提心

すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの真髄に至るまで
私は帰依いたします

智慧と慈悲を持って精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる菩提心を生起いたします

この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

人の痛みや苦しみに寄り添う

ガリレオ様の「人の為に生きる僧侶となる」という志は、大変尊いものです。ぜひ僧侶となってもその気持ちを持ち続けてください。

私自身住職を拝命し2年目の未熟者ですが、毎日どうすれば「人の為になるのだろうか」と、ガリレオ様と同じように悩みながら生きております。しかし、普段の生活の中では、「この人の為に何ができるだろうか」と今目の前にいる方、一人一人の為にできることを考えております。
実際僧侶としてたくさんの方と関わっていると、本当に悩んでいる方や苦しんでいる方が、いかに多いことかがわかります。自分にはどうしようもない理不尽なこともあれば、自分の至らなさを痛感することも多々あります。恐らくこの先も悩みながら生きていくでしょう。

全ての人を1人の僧侶が救うことはできません。また、人を救うのは「法」であります。辛い思いをされている方がいらっしゃったら、その方に少しでも寄り添って、「法」をお伝えするのがいいのではないでしょうか?

「法」とは何か、それは仏様の教えでございます。もし、可能でしたら、ご自坊の宗派の宗門大学へ編入されてはいかがでしょうか?そこでしっかり学ばれたら良いと思います。現在の大学を卒業してから
編入することもできます。僧侶になるための方法は、宗派によっていろいろと違いはございますが、編入することも一つの手段だと思います。
僧侶になってからも、毎日が学びの場です。好きなだけしっかりと大学で学ばれ、僧侶になるための土台をしっかり作っておいてもいいかもしれません。

人の痛みや苦しみに寄り添って歩んでいく僧侶になるため、一緒にがんばりましょう。  合掌

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浄土宗の僧侶です。一緒に悩みましょう!

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

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師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

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師僧との関係と僧籍について。

この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。 私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。 それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。 ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。 2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。 近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。 その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。 総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。 そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

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