hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人に為に生きる僧侶となるには

回答数回答 6
有り難し有り難し 130

こんにちは。私の実家は江戸時代より続く寺です。小さい頃より家を継ぐのが楽しみで、僧侶になることに今は迷いはありません。現在は大学生活を楽しんでいますが、卒業後は家を継ぐ予定です。僧侶になったからには人の為に生き、悩み苦しむ人の為に身を削る覚悟でいます。その為には辛苦をいとわないつもりです。

ただ、その様な僧侶となるためには今何をすべきか、勉強をしておくべきか、最近の寺に求められていることは何なのかといったことが自分の中で不明確になりつつあります。

現役の僧侶の皆様、人の為に生きる僧侶となるために今何をし、勉強しておくべきか。そして、今の寺(僧侶)に求められていることは何かご教示頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

プロフ拝見しました。経済的に可能なら宗門の大学への編入学をお考えになってはいかがでしょうか。仏教学が全てではありませんが、(たとえ逆方向に行くとしても)やはり思想的な基礎は大学で作られます。特に最近は歴史の教科書を皮切りに変化の時代に入ってきていますが、仏教学も例外ではありません。その改革を「独学で学びました」というのと「リアルタイムで大学で見てきました」というのとでは二十年、三十年後に天と地ほども差が出てくるでしょう。

他人を救う…それは人生経験あるのみです。お坊さんの世界でも結構ですし、外の世界でも結構です。個人的には外の世界で様々な価値観に触れて欲しいと願いますが、どちらでも結構です。色んな人と関わって下さい。

今のお寺に足りないこと・求られていること。それはコミュニケーション不足です。
阪神淡路大震災で最もたくさん駆け付けたボランティア団体はお坊さんです。東日本大震災から『ひと段落ついた』と見なして活動を切り上げた団体が多い中、今も継続しているのはお坊さんです。でも、お坊さんはお寺にこもって葬式ばっかりやっていることになっている…

全国33万カ寺のうち、半数近くが財政難で、大多数がいわゆる中流なのに、ぼろ儲けしていることになっている…世界中で仏式葬儀が行われ、生老病死に向かい合っているのに、日本だけでやっている金儲けという事になっている…まだまだ挙げ足りませんが、全部お坊さんが説明してこなかったからです。一番大切な『自分のモノの見方をブチ壊す』ということを伝えてこなかったからです。だから日本人は政治も悪い、教育も医療も坊主も年寄りも若者も外国人も日本人も悪い悪いと愚痴り続ける…これじゃ誰も救われない…人気取りではなく、世俗に迎合しない、本来のアウトローとしての仏道を説かねば前に進まない…

でも結局は何をすべきかなんて自分で見いだすことですよ。目の前に人がいて、あなたがいて、関わり合う…そこで初めて何をすべきか決まります。そこに情報ではない活きた仏道が成就します。頑張ってください。

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
このお坊さんを応援する

人の数だけ生き方はありますが、

ガリレオさんの道はご自身で決めるしかありません。
だから、なるたけ多くの道(経験)を知ってから決めるべきです。

私はお寺の生まれ育ちではありませんが、
サラリーマンの経験は今役に立っています。

そんな私のアドバイスですが、
大卒後、ぜひどこかに就職してください。
座学では得られないことが、
その実践・実学で学べるはずです。
そうすれば、
自分が何をしたいのか、
何をすべきなのか、
何ができるのか、
が見えてくると思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
このお坊さんを応援する

人のためには重たすぎる

人の為にやらんことです。
ただ純粋に行為することで、結果的に人のためになってればいいんです。
ラーメン屋は人のためにラーメン作るんじゃない。
自分んで本当においしいラーメン作ったら結果的においしいと言ってくれた人いた。行列ができた。その人を満たせるものがそこで提供された、という事です。
ここでいうラーメンとは何か。
学んでいく中で、感じ取ってみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

まずは自分が救われるための道を求める

人を救いたいと思ったら、自分が救われる道を追求しなければなりません。
この人について学びたいと思える、正師を求めることです。

準備というより思い立ったらすぐに行動。今から信頼できる師を見つけることです。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

「自利利他」

ガリレオ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

素晴らしいお志、尊く、有り難くに存じます。

ただ、「人の為、人の為」と、あまり気負われなくても構わないのではないかとは存じます。

拙生も若いころは、何とか仏教を活かして世の為に、人の為にと、福祉活動、地域社会活動、まちづくり活動、ボランティア・奉仕活動に躍起になっていた頃がございます。

拙プロフィール「これまでの主な活動歴」の項・参照
http://www.hide.vc/profile.html

かなり並行して色々な取り組みに頑張っていました。

しかし・・ある時、ふと壁にぶつかり、一旦、全ての対外活動を休止しました・・

その要因は、簡単に申しますと、「世の為、人の為」ということではなくて、「輪廻に迷い苦しんでいる全ての有情、衆生の為」へと向けて、まずはもっとこの凡俗なる未熟者における自己修養の必要性を実感したというところでございます。

これから仏教を学び進められていかれる中で、仏教には二つの真理として、世俗諦と勝義諦の二諦ということについても学ばれることになるでしょう。

この二諦においては、菩提心(悟りを目指す決意)としての「世俗菩提心」と「勝義菩提心」というものもございます。その後者の菩提心を起こす必要性に迫られるに至ったという感じでございます。

とにかくまずは、己の迷い苦しみ、無明・煩悩を対治することについて取り組まないと、他の者たちの迷い苦しみ、無明・煩悩を対治することも難しいこととなります。そうでなければ、効くかどうかわからないような薬を、他で無責任に試すようなものとなります。確実にその薬が効くという確信を得れる自分をまず確立させることが大切になるのではないかと存じております。そうすれば、自ずと他を利益していけるようになっていくのではないかと存じております。(自利利他)

hasunohaへの参加、お待ち申し上げます。

発菩提心

すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの真髄に至るまで
私は帰依いたします

智慧と慈悲を持って精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる菩提心を生起いたします

この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

人の痛みや苦しみに寄り添う

ガリレオ様の「人の為に生きる僧侶となる」という志は、大変尊いものです。ぜひ僧侶となってもその気持ちを持ち続けてください。

私自身住職を拝命し2年目の未熟者ですが、毎日どうすれば「人の為になるのだろうか」と、ガリレオ様と同じように悩みながら生きております。しかし、普段の生活の中では、「この人の為に何ができるだろうか」と今目の前にいる方、一人一人の為にできることを考えております。
実際僧侶としてたくさんの方と関わっていると、本当に悩んでいる方や苦しんでいる方が、いかに多いことかがわかります。自分にはどうしようもない理不尽なこともあれば、自分の至らなさを痛感することも多々あります。恐らくこの先も悩みながら生きていくでしょう。

全ての人を1人の僧侶が救うことはできません。また、人を救うのは「法」であります。辛い思いをされている方がいらっしゃったら、その方に少しでも寄り添って、「法」をお伝えするのがいいのではないでしょうか?

「法」とは何か、それは仏様の教えでございます。もし、可能でしたら、ご自坊の宗派の宗門大学へ編入されてはいかがでしょうか?そこでしっかり学ばれたら良いと思います。現在の大学を卒業してから
編入することもできます。僧侶になるための方法は、宗派によっていろいろと違いはございますが、編入することも一つの手段だと思います。
僧侶になってからも、毎日が学びの場です。好きなだけしっかりと大学で学ばれ、僧侶になるための土台をしっかり作っておいてもいいかもしれません。

人の痛みや苦しみに寄り添って歩んでいく僧侶になるため、一緒にがんばりましょう。  合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土宗の僧侶です。一緒に悩みましょう!
このお坊さんを応援する

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

僧侶になり、お坊さん便に加盟したいです

 現在60です。  最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。  まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。  どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。  そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。  僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。

有り難し有り難し 59
回答数回答 2

田舎の寺を継いだが辞めたい

はじめまして。 地方の田舎の寺を親から継いだ40代独身です。 20代で修行を終え、最近登記も済ませ、住職となりました。 姉(独身)と父(もう高齢化してきてます)と私の3人でやってます。 母親は檀家の紹介でお見合いし、父と結婚。しばらくアパートで暮らしてましたが、姉が産まれ、しばらくして、弟である私が産まれました。 その後、寺に入ってほしいと祖父母からの要望で、田舎の寺で祖父母と同居となりました。 母はそこそこ有名企業で収入もよく、当時結婚が当たり前の時代、相手はほかにもいたというのに、なぜ寺なんかに嫁いだのか・・・。 私らの子育てがあったので、仕事をやめ、寺で生活してましたが、慣れない祖父母との同居生活、加えて急に来る檀家の対応等で精神疾患となりました。 どうしても無理だと思った母を見かね、父は私らを連れて寺を出ることになりました。寺から1時間程度離れた別の場所に家を建て、そこで私らは育ちました。住所変更も済ませ、学校などもそちらの地元を出ました。 その後、私は専門を出て就職したのですが、父が病気にかかり、寺を継いでやってくれと頼まれまして、仕事をやめ、そのまま修行を終え、寺に入って住み込みで約10年ほどやってきました。 田舎の檀家寺になりますので、近辺のほとんどが昔からの檀家です。 付近の住職死亡後誰もやらなくなった無住の寺を代務でいくつも抱えており、その負担が私に全部来るようになってます。 朝でも夜でも電話もなく、いきなり急に来る檀家が多く、毎回相当なストレスを感じてしまいます。少しでも出れなかったり、いないと、なんでいないんだ?どうなってるんだ?と怒鳴る檀家もいて、もう寺にいたくないとさえ思うことが多いです。 葬式が入れば、戒名いらない、葬式だけ1日でやってくれ、寺に親が昔勝手に建てた墓があるから仕方なく、住職を呼ばないと納骨ができない・・・そんな感じの檀家がほとんどで、毎回対応するのがものすごい大変です。 今はまだなんとか父がいますので、いろいろ聞きながら、私が檀家の接客電話担当、姉は裏方で主婦みたいな感じでやってます。 もう姉も私も結婚は難しいと思ってますし、檀家は全部あわせると400件ほどおり、次はいったいだれがやるのか・・・。 できることなら私と姉はやめて、寺から出ていき、よそから住職呼んで継いでもらいたい・・・甘い考えなのでしょうか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

鬱病でも仏門に入りたい

今年24歳になります。色々とあり発達障害、鬱病の診断を前々からされています。 もともと10代の頃から、おばあさんになって自分のやりたいことが出来なくなったら仏門を学んでみるのもいいかもしれないと思っていました。 通信制の学校を卒業し、やっとやりたいことをみつけ、SNSや動画を作ったり個人で活動をしていましたがメンタルも体調もよくならずやっと3年続けて折れてしまいそうです。 こんな自分を変えたいと思い、筋トレを始め、たまに仏教や神様のことについて調べて、自分を愛す、諦める、という方法を試したつもりでしたが 自分はだめだ、という固定概念が覆せずやりたい事、今まで楽しかったこともダメになってしまい これでは人を笑顔にするのはおろか、自分のことも幸せには出来ないと嘆いてばかりです。 バイトを始めれば人間関係が上手くいかず、働かなければ罪悪感に苛まれ、休むこともままならない中、 修行僧を募集しているお寺さんがあることを知りました。 ここで2つ疑問があります。 自分は、仏教について趣味程度の知識しかなく、学校にて学んだことはありません。 精神病について悩んでいる方も迎える、と言ったお寺さんがあることも知っていますが 自分を変えるため、自分のため、と言った理由でも、履歴書をちゃんと書いて、ゆくゆくは人の為に祈りたいと仏門に入ることは許されるのでしょうか。 また、大学に入って学ばなければ修行僧としての受け入れは、やはり難しいでしょうか。 まずは家でやれる写経や座禅、やってみました。 近くのお寺では説法会?など予定が何年も前からずっと更新されず体験出来ていないのが現状です。 頭の硬い私にはなかなか効果がでず、悪い言い方になりますがいっそ 厳しい世界でシバいて だめならシバかれた経験を生かし自分に強く生きていきたいと思っています。 女の体として生まれたので壁もある世界かもしれませんが、頑張りたいと想ってもいいのでしょうか。 お坊さん本職の方から意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

得度に関して

私は、海外在住50代の女です。真言宗にて得度をうけたいと考えています。尼僧になるのが、目標ではなく これから仏道の道を歩み、学んで行きたいという決意です。自分でできる限り調べておりますが、女の得度については情報がなかなか見つからずにいます。師となって頂きたい方がおります。お遍路の大雨の中避難先ののご住職です。もし受け入れていただけるのであれば、年に一ヶ月くらい 住み込みで勉強させていいただきいと思っています。お手紙にて思いの丈をお伝えしたと思っているのですが、このように突然見ず知らずの一度お会いしただけの私のようなものが、このようなお願いを送って失礼はないのだろうかと一歩踏み出せずにおります。私の住む街の寺院名を仮にAとBとさせていただきます。 寺院Aには、ご住職にお願いしまして、お掃除をさせていただいております 週末外庭とお掃除、その後依頼されて納骨堂(期間限定)のお磨きをさせていただいており、2年が経過しています 特に感謝の言葉をお声がけいただくこともなく、自分自身の修行であり感謝の言葉を期待すべきでないと言い聞かせています。一度、ご住職に仏道に進みたいと相談したものの、写経に参加しなさいという回答のみでした。 寺院Bの先生は、私が得度を受けたいと思っている師の元で、修行をされています。それがわかったのは、その寺院にて避難させていただいていた同じ時に、いらっしゃいました。 この先生は、少しずつですがこの寺院にて学んで行ってはいかがでしょうと行ってくださいました。実際、専修学校にいくお金を今工面できないために、日本に行けない間は、こちらで学ばせていただこうと思っています ただ私は、どちらの檀家でもありません。同宗派とはいえ自分の寺院を一つにするべきとと思うのですが、いかがでしょうか?寺院AもBもご住職は、日本語でないため、日本本語の話す師のもとで得度し、前進していきたいと思います。 師を日本にもち、寺院Bの先生に学び 寺院Aにてお磨きさせていただいたいと思うのは、欲張りなのでしょうか?また、現実的な金銭的なお話ですが、得度をお願いする際に、どれくらい用意しておくべきかアドバイスいただけますでしょうか?、またその師には、毎月、または毎年お礼として上納するのでしょうか? まとまりのない文章で失礼いたします。 ご意見をお聞かせいたけましたら幸いです。ありがとうございます

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

女性の在家の出家を認めてくれますか?

禅の独自の方法で集中的に在家修行をして、3年以上になります。6年前に大学院在籍中に、気づきの瞑想の型を習得し、研究で理論を創造し、理論を実践の内容とし、禅の独自の方法として理論を修行に応用化させました。 今の境地を顕すなら、宇宙の理を見ることができるようになりました。私がどういう仕組みで、どういう自然の流れで生かされているのか、理解できるようになったのです。この真理の構造を知る事によって、他者や物理的法則がどういう意識、又は秩序の構造か、知る事も可能になりました。 今、困っているのが、食欲が減退し、ご飯は無理矢理食べています(死にたくないからです。)、睡眠欲が完全に無くなり(今、書いている時間帯まで眠れません)、性欲も気持ち悪くなってから、追求しなくなりました。他者に配慮したり、他者のペースに迎合すると、忽ちに気力が無くなってしまいます。この時、呼吸も乱れて、身体に力が入らなくなり、動けなくなります。今は、生きるのに思うようには行きません。 出家したら、自分の主体が乱れるのも危惧していますが、このまま一人で暮らせば、誰も加護してくれない場合、私は生きていけるのか、漠然としたシコリがあります。出家の本来の意義は、生きるか死ぬかの狭間で、世に殺されない為、即ち、世との軋轢で自殺しない為にあると、ささきしずか先生の本で見たことがあります。私は、日本社会の隅っこで、唸り続けながら、死ぬしかないのでしょうか。出家するしかないのではないか、といつも思っていますが、何故か今は、念仏して拝みたい欲に駆られて、仏様の側に居たい気持ちでいっぱいです。誰か、助けてください。

有り難し有り難し 32
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ