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「生きていく」ことがとても長く感じてしまいます。

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高校2年生です。
部活にも熱中していて、友達もたくさんいて、家族の仲も良く、勉学にも困っていないのに、最近「生きている」とは何なのかを考えてしまいます。
朝起きたときに「ああ、今日も生きているな」と考えるのですが、どちらかというとそれが生きていてうれしいという感情ではなく、この世界でまた生きていくんだなという、何となくの面倒さをもった考えのような気がするのです。

何にもやる気がないというのではありません。勉強や、もちろん趣味に対する努力も嫌いでなく、しっかりやってきたから今の自分があるのだと思います。
確かに大学受験のために予備校を考え始めていて、1年間しっかりやっていけるのだろうかということがストレスになっているのかもしれません。
自分はまだ両親の半分も生きていないのだと考えると、この先とても長い気がしてくるのです。

さらに、この先それが辛さに思えてしまい、自殺してしまうのではないかという気さえします。それが一番怖いです。
もともと好奇心旺盛で、この先やりたいこともたくさんあるのに。

楽しくやっているのに、頭の片隅でこういうことを考えて1日を過ごしてしまう自分を変えたいです。どうしたらよいでしょうか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全部含めて「生きていく」ということ

こんにちは。一年ぶりのご縁ですね。どうでしょうこの一年は長かったですか?

さて、「日本財団の自殺意識調査2016」
https://www.nippon-foundation.or.jp/news/pr/2016/img/102/2.pdf
によると4人に1人は本気で自殺を考えたことがあり、自殺念慮は若年層、それも女性が高いという統計結果が出たとのことです。

振り返ると私も高校時代はそんなことを考えたかもしれません。それも「めんどくさいなあ」「もしここで終わったらなあ」という不真面目だけど割と本気でそういうことを考えるという感じで。
ですからそれってまずオカシイことではないという意識はもっておいてください。

考えや感情というのは基本的には湧き上がってくるものであり、私たちのコントロール下にはないものでしょう。
その中で楽しい感情や、興味を示す考えは生かし、死や生について考えるという部分だけをなくする、というのはちょっと難しいのかもしれません。

「楽しいなあ」も「人生長いなあ・めんどくさいなあ」も「自殺してしまうかも」も「色んな事やりたいなあ」も全部含めて「生きている」ということなのでしょう。

それが「生きるという事実」です。「思い通りにならない」とも言えますね。

ただ、このまま何もしないでいるのも心もとなく、不安でもあるでしょう。浮かんでくる思考の内、ネガティブなものは取り扱わず拡大させないよう放っておくという方法もあるかもしれませんが難しい気も致します。

それならば、なるべく楽しい事や、これから先のやりたいことについて考える事を中心としつつも、どうしても気になるようでしたら生や死についての勉強を本気でしてみるのもいいかもしれません。
仏教・宗教・哲学、色んな考えに触れ、興味をもったものについて本格的に学んでみるのもいいかもしれません。

人間は必ず死なねばなりません。その事実を見ない様にするのではなく、きちんと意識し続けているジオさんの姿勢は素晴らしいものであると思いますよ。

仏教は善と悪、有と無、生と死などの二項対立を超えていく教えです。ですから「死ぬのが恐い」と「死んでいける」も不思議と両立できる教えであると私はいただいております。

共に仏法に私のいのちの事実を学びませんか?

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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大丈夫 大丈夫

あなたは、大変素晴らしいセンスをお持ちなのではないかと拝察致します。

あなたはまだお若いのに【現在バイアス】つまり「今さえよけりゃいい」という若者にありがちな”思い込み”から、すでに卒業できているのではないでしょうか。

「人生は楽しい事ばかりではない」とすでに悟っておられるようです。
今度は、
『人生はそう辛い事ばかりでもない』ということを悟りましょう。

そのためのヒントとして、
「できない事」より「できる事」のほうの数を数えましょう。
「持っていないもの」より「持っているもの」を数えましょう。
「知らない事」より「知っている事」を数えましょう。

きっと、途中下車なんてもったいないと思えるような可能性の塊の自分を発見できますから。

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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今日の今のアルデンテを逃してはならない

今、年齢を忘れていませんでしたか?
これは若い方に聞いてもおじいちゃんおばあちゃんに聞いても同じ答えが返ってきます。
一秒一秒、自分が何歳かなんて思っていません。
いつも一秒一秒、どこに向かっていても、そこを生きているのが人間です。
咲かないつぼみもつぼみはつぼみでつぼみの真実。
すきな音楽を聴いている時も起承転結をわすれているでしょう。
私は今日は休みをもらって「シン・ゴジラ」をみています。
あまりにも早口過ぎてついていけません。
私がおじいちゃんになったからでしょうか。
何て言ってたのかを考えているうちにどんどん場面が変わっていくのがシンゴジラであり、また現実のこの世界です。
人生は年齢分の長さの乗り物です。
どんなに長い長い乗りものでも、乗っている場所って、毎日毎日その人の「一か所」しか座れないのです。
その長い長い列車に座っていますが、もうさっきの景色ではないということをお忘れなく。
地元の西武線でたとえを申し上げますと、新狭山駅を過ぎて次の狭山市にいる時にはもう前の前の駅の南大塚もその前の駅の本川越も過ぎているのです。
どんなに長い長い渋滞中もそこで息をしている呼吸は早まることも遅くなることもありません。
頭の上で前後を想定すると人間は今いるところを失います。
どんなに長いはしごにのぼっても今いるところしか歩めないのが人生ですよ。
私はお昼にパスタを頂きました。嘘です。カレーうどんです。
うどんやそば、パスタをゆでることは遊びではありません。
特に手作りの生そばを茹でることは一瞬たりとも目が離せません。
ぜひ、そばの奥深さを知っていただきたいと思います。
そばもうどんもパスタでいうところのちょっと心が残ったちょうどよい湯で加減アルデンテを逃してしまったら、それはもうコンビニの伸び伸び麺と変わりません。
今日には今日のアルデンテがあるのです。
そこを見逃していませんか。

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おきもち

大人になる心の成長変化ですよ。

ジオさん、こんにちは。

生きる意味が少しぼやけているのですね。
それこそが大人になってきている証拠なのです。大人になるのは体だけではありません。心も変化します。
 私も同じ時期がありましたよ。そこから人間は食べるために生きているだけでなく、自分の命を何に使うかという課題が出てくるのです。第一の目的はもちろん新しい命を育てること。そして第二の目的として自分はどうしてこの世に生まれたのかを考え探す生き方が始まります。そのための勉強でもあります。
 宗教は、特に仏教はそういう中から生まれました。あなたと同じ悩みを何不自由なく育った王子であったお釈迦さまも持ち、そしてすべてをすてて修行をして、その悩みを解決したのですよ。

今は受験勉強で忙しくしなければならないと思いますが、少し時間があれば、心の疲れを取るためにも、仏教の本を読んで見て下さいね。高校生であれば、手塚治虫の漫画『ブッダ』は良いですよ。あなたと同じ悩んでいるお釈迦さまが読めます。

がんばって、人生の意味を見つけてくださいね。もちろんすぐには見つかりません。一生をかけて見つけるのです。応援します。いつでも疑問になったら連絡してくださいね。合掌

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命はとても儚いものです。例えるならロウソクの火です。ロウソクの長さが寿命、しかし、ひとたび強い風が吹けば一瞬で火は消えてしまうのです。
あなたは今後何十年も生きていると思っているでしょうが、はたしてそれは正しいのでしょうか?
もしかしたら、数年後、あるいは、数日後に強い風が吹くかもしれないのですよ。
だからこそ、今日という1日を精一杯生きるのです。
やるべきこと、やりたいこと、言うべきこと、言いたいこと、聞くべきこと、聞きたいこと、など、今日できることはやっておきましょう。
いつ強い風が吹いても後悔することの無いように。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ