家族葬について
幼なじみの父親が亡くなりました。
小さい時からかわいがってくれたおいちゃんです。
葬式の日程を聞くと
家族葬だから遠慮して欲しいと返答。
おいちゃんの仕事、友人関係も断るとのこと。
最後にお別れがしたかったのですが
別の意味で涙が出ました・・・
最近、こういうの多いんですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
広島では家族葬が増えています。
私も広島在住ですが、家族葬用の葬儀会館が新築されたり、従来の会館が家族葬用にリフォームされたりと、家族葬の割合は急増しています。経済的なことだけでなく、身内だけでゆっくり見送れるのも理由の一つでしょう。故人と本当に親しい方やお参りしたい方にはお参りしていただくべきでしょうが、故人の交友関係がしっかり把握できない場合、誰にも失礼が無いように家族限定にしてしまうのも仕方ありません。
しかし、御葬儀が済んでから自宅に弔問客が度々訪れて、昔ながらの御葬儀をした方が実は楽だったという場合も多いです。浦上師の仰せのように、落ちついてからご自宅やお墓にお参りされるのがよろしいかと思います。
家族葬や密葬でも大切な法縁。しっかりと勤めて参ります。
親しい方との突然の別れ、お辛いことでしょう。
家族葬。。。最近は、増えてきました。ご家族だけの少人数での お式という形ですが。ご近所にも知らせない、香典も 参拝も遠慮願うというような 考えの場合もあります。
ご家族が、今後のお付き合いも含め、制限しているようで、なんだか残念だなと思ってしまいます。
故人が生きてこられた人生の中で、様々な方との関わりがあったわけで。皆で 偲びながら、いのちの学びの場にしていくのが、通夜 葬儀であっていただきたい。
家族葬や 密葬であっても、私たち僧侶は、大切な法縁であると考え しっかりと勤めさせていただいています。
家族葬の良し悪し
えーちゃんさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。
幼なじみのお父さまが亡くなられ、悲しんでいらっしゃるとのこと。
また、最後のお別れが出来ず、別の悲しみにも襲われているのですね。
至らずながら、心中お察しいたします。
さて、最近ご家族やお身内だけでの葬儀が増えています。
亡くなった本人に面識が無く、通夜振る舞いの席で大笑いするような輩がいなくなったのは良いのですが、反面えーちゃんさんのように本当にお別れをしたい人をもシャットアウトしてしまう問題もあります。
もともとお通夜・葬儀には、「家族と故人の別れ」という私的な役割と、「知人友人と故人の別れ」という社会的な役割があると考えています。
ところが後者をあまり考えず、亡くなる側は子や孫に負担をかけたくないと「家族だけでいいから」と言い、ご家族はその言葉を「遺言で」と錦の御旗にしてしまう。
たとえば「20年も寝たきりで亡くなった100歳の方」という場合で、ご本人の知人もほとんどいないのであれば、ご家族だけでよいと思います。
今回亡くなった方は70〜80代でしょうか? 現役から退いてしばらく経っているかと思いますが、現にえーちゃんさんのように悲しんでいる方がいるのですから、少し柔軟にして頂ければよかったのではないかと思います。
とは言っても今回は時間も無いでしょうし、後日お宅に行ってお参りをさせて頂くか、納骨後でしたらお墓参りをさせて頂くのはいかがでしょうか?
えーちゃんさんのお気持ちは、きっと故人さんに伝わっていると思います。
お別れするということ
家族葬の問題は、実は深い問題のようです。
中には直葬という形で、もっと儀式を省こうとする場合もあります。
浦上さんのご指摘のように、社会的な死をあまり考えないようになってきているのでしょう。
えーちゃんさんの思いは、お墓参りやおうちに伺ってお参りさせていただき、お伝えするのが、私もよいと思います。
あるおうちのお葬式を、いわゆる家族葬でつとめたことがあります。
跡継ぎさんは遠く離れた土地での生活があり、なくなった方のゆかりのある人も、あまりいないとのことで、小さな葬儀を選択されました。
喪主さんといろいろお話しする機会があったのですが、慌ただしい中での選択で、会場の都合などもあり、家族葬とされたのですが、このような形で送っていいのか、という思いもお持ちのようでした。
聞くところによると、直葬や家族葬を葬儀屋さんも遺族の方に勧めることがあるようですが、その場合、ご遺族がきちんと亡き人とお別れしていないという思いを抱かれることも多いのだそうです。
経済的な面からの選択としてこのような小さい葬儀を選ぶことを否定する気持ちは全くありませんが、何か大切なことを置き去りにしているような気がしてなりません。
葬儀のあり方について、最近はいろいろと言われておりますが、故人にとって、遺族にとって、そして周りの人々にとって、よりよい葬儀を考えるときに来ているようですね。
最近、家族葬ばかりです。
私も同じ経験をしました。
お世話になった人、恩師、恩人などの葬式に身内以外の焼香を遠慮する傾向。理由は他の僧侶が書くとおりです。弔電も送れないことがありました。僧侶の世界も実は家族葬みたいに弟子や近隣の寺院さんで済ませる傾向にあります。
私の恩師がご遷化された時も告別式、お通夜に行けるかどうか、近親者にお伺いを立てて、「告別式はやめたほうがいいよ。お通夜は居場所無いよ。」などと言われ、結局、お通夜の前に焼香に行きました。よくよく考えてみると悔しいやら虚しいやらでしたが、ご遺体を拝めて良かったと思いました。周りの反応は賛否両論でした。「葬式の邪魔するなよ。」と言った人もいました。私は「なんやそれ。」と思います。でも後悔はしていません。私の身内が亡くなったときはこのような人が訊ねてきても変に断ることがないようにしたいと思う決意が湧きました。
えーちゃんさんお通夜でも告別式でもあなたが思うまま行動しなさい。自分が後悔しないような選択をしてください。悪いことはしてないのですから自信をもって行動してください。さらに自分が嫌だと思ったことは他の人にもしないで下さい。
後日談を期待してます。
家族の形が変わってきています
えーちゃん様へ
まだまだ当山の方では
少ない傾向にあります。
しかしながら増えてきている流れを感じております。
家族の形が変化していく中で
親戚との付き合いなど、いろいろ変化をしている
一つの表れであると認識しております。
「最後にお別れがしたかったのですが」とありますが
ぜひその気持ちを大切にされまして
後日お伺いするというのはどうでしょうか。合掌
仏縁・法縁と追善供養・功徳回向について
えーちゃん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
家族葬は確かに増えているのではないかとは存じます。かく言う拙生はお葬儀のお勤めは拙寺の方針上ほとんどございませんので実情は分かりかねますが、葬儀社さんからの情報ではかなり多くなってきていると聞き及びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/家族葬
家族葬については、上記ウィキペディアのページにて概要、メリット、デメリットもある程度詳しくまとめられているのではないかと存じます。
大規模であろうと小規模であろうと、ご葬儀は、故人への授戒・引導を扱う(授戒・引導を扱わない宗派もあります)大切な仏縁の儀式であると共に、縁故者・参列者の皆様には、故人の生前の遺徳を偲び、哀悼の意を表して御供養を致すための儀式でもあり、また、「仏縁」、中田様のおっしゃられている「法縁」にも与(あずか)れる大切な儀式であるかとも存じております。
特に、仏縁・法縁に与ることによって、私たちにおいても今の人生のありようを改めて顧みる機会、後生のことをしっかりと考える機会として、仏教に則った生き方を調えていくための一つの機縁に致したいところとなります。
ご葬儀の形態については、もちろん、費用・時間・煩雑さ等、現実的な葬送に係る問題も色々と控えてはございますが、できるだけ、故人、遺族はもちろん、縁故者・参列者たちにおいても納得・満足の頂けるような形にて調えて参りたいものでございます。
とは言え、何よりも、故人が、輪廻の迷苦を離れて、しっかりと仏道を修していくことができますようにとして、遺族・縁故者におきましては、ほんの少しでもその力となれますようにとして、追善供養・功徳回向に勤めて参りたいところとなります。
拙小論「追善供養・功徳回向の考え方について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html
えーちゃん様におかれましても、ご弔問、お墓参りにおきまして、亡きおいちゃんが無事に仏道を修して、悟り・涅槃へと至れますようにとしての御供養と併せて、亡きおいちゃんへと恩返しとなるような生き方についても少しくお考えを頂けましたら幸いに存じております。
川口英俊 合掌