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正しい過去の使い方

回答数回答 4
有り難し有り難し 82

誇れる過去なんてなんもないです。
過去の栄光なんてないです。
恥や、失敗ばかりの暗い過去です。
後悔だらけです。自分の過去を、誰にも絶対に知られたくないです。
どうやって、扱っていけばいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どんな不幸な過去もおかげさま

過去をサイテーなままにしているから、それが原因となって、今の苦しみに縁起するのです。
過去に感謝して善きものとして肯定すれば、それが今の支えになるように縁起されるのです。
どんな悲惨な一日でさえ、今、おかげさまと言ってみなさい。
必ず、それが機縁、縁起となって、今の心の状態が良いものに変わります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あるがままに


みんな、誇れる過去ばかりじゃないですよ。

私も、過去の事は、他人にお話し出来ません。

ロクデナシです。

失敗や、恥どころか、有り得ない生き方でした。今思うと、消してしまいたい、いっぱい人を傷付けていきてきました。

でも、今、想える事は、それも全て私自身です。

全ての経験が、無駄ではありませんでした。

今よりも、一歩、いや、半歩でも、進めたら良いのではないでしょうか。

今までの経験があるから。 立ち止まる事も、出来ますし。

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有り難し
おきもち

ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

普通です

後悔だらけ、普通ですよ。
過去を誇れる方に対しては、私も「羨ましいなぁ」と思う事があります。けど、だからと言って羨ましがっても何にもならない。一瞬で終わりです。羨ましがり続けない。止めようと思わずとも、すぐ消えていきます。残るのは精々「良かったね」ぐらいかしら。
私があなたと大きく違うのは、「誰にも絶対に知られたくない」と思うかどうかですね。
既に知っている人は知っている。そして、私の過去になど、ほぼ全ての人は興味ないのです。まぁ、振られたとか叱られたとか受験に落ちたとか人を泣かせたとか、色々ありますが、「実はそうなんだ。若気の至りで申し訳ない」という結論を持っていますから。
あなたの問いはいつも簡潔でありますが、断片的でもあります。これもあなたの「知られたくない、尻尾を出したくない」という気持ちの表れかもしれませんが、匿名相談サイトであなたの事を特定しようなんていう人は、恐らく1人もいませんよ。断片的な質問には、多分一般論しか返ってこないはずです。個別の相談ができるのが、ここhasunohaの良いところ(と思っています)なのですから。今までの回答から「この坊さんたち、信頼できそう」と感じているなら、もう少し踏み込んだ話でも書けるのではないでしょうか?

(追記)
「お礼」、拝見しました。そう、良いところに気がつかれましたね。坊さんたちは、大抵がタフです。それはやっぱり、仏教を実践しているのがプラスに作用していると思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

大きな目標の前の失敗は栄光である

これから誇らしく輝かしい過去を作ればよい。
大きな失敗は栄光となる。
挑戦しないことが恥だと知ることです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

そうですね。ありがとうございます
昔の自分を誇れる人とか裏山しいです。

普通なんですね。

みんな結構タフなんですね。

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