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悲惨な出来事と仏の慈悲

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いつもお世話になり誠にありがとうございます。また疑問に感じることがありまして、質問をさせていただきます。
良きアドバイスを頂けたら幸いに思います。

ニュースなどで無差別殺傷事件や大きな自然災害のニュースなどが報道されており、テレビを見るたびに暗い悲しい気持ちになる今日この頃ですが、、、。

そういった悲惨な出来事に、仏様のお慈悲は届かないものなのでしょうか?

もし神様や仏様が本当にいらっしゃるならば、そういった悲しい出来事は起こらないようにも思うのですが。

良きアドバイスを頂けたら幸いに思います。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【仏性】

”テレビを見るたびに暗い悲しい気持ちになる今日この頃ですが”
たしかに痛ましい事件、事故、災害のニュースは後を絶たない。

しかし、あなたはそれに胸を痛めている。
きっと、あなたのような気持ちになる人は少なくないだろう。
つまり、悲惨な出来事を目の当たりにし胸を痛め傷つきながらも、あなたのようにものを憐れみ育もうとする優しい心【慈悲】が芽生える者もいる。

さあ、みんな!! こんなときだからこそ菩薩道を歩もうよ!!
神仏は、誰もが持ち合わせている【善意】と【良心】に呼びかけている。

神仏は雲の上に住んでいるわけではない。あなたの心に宿るもの。
そして、仏はあなたがなるべきもの。あなたが目指すべき目標だ。

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仏って、何?

前回のご質問で吉武師がおっしゃっていますね。読み直してみましょう。

>注意しなければいけないのは実体論に陥ることです。死後に浄土という実体世界があり、そこに生まれ変わる、そしてそこで仏になって、今度は誰かを救うためにまた人となってこの世に生まれ変わってくるという考えです。これは浄土真宗でもなければ仏教でもないでしょう。
https://hasunoha.jp/questions/27359

今回の亀山師の「水とは仏様の慈悲」も吉武師の「お浄土は「はたらき」」と全く同じことです。

そうした時に、「神様や仏様が本当にいらっしゃるならば、そういった悲しい出来事は起こらない」…これは神様や仏様を実体論で考えていらっしゃるわけです。さぁ、ここの混乱を乗り越えないと仏教は分かりません。こんな風に仏教が仏教として届いていないのは哀しいことです。「神の存在を信じますか?」「奇跡を信じますか?」これはキリスト教の問いです。

その固定観念をブチ壊すべく、いくつかリンクを貼っておきます。

・仏とは?神とは?
https://hasunoha.jp/questions/4497

・3種類の仏様
https://hasunoha.jp/questions/11443

・仏教的な発想
https://hasunoha.jp/questions/3160

最後に、TVの「ぶっちゃけ寺」での東賢性師の名言も引用しておきます。

「仏様の救いって何かと私も本当によく聞かれるんですけど、仏様っていうのは自分の足で歩かない限り助けてくれないんですよ。だから仏さんの救いって何ですかっていうことを、ある弟子が聞いたら、仏はあなたの苦しみを拭い去ることもしない、あなたの手を引っ張って悟りへ導びかない、あなたの苦しみに同情もしない、私はただただ真実を説くだけだと。つまり、真理・真実を説いてあなた考えなさいと。だから自分の足で歩けるかどうかをやっぱり仏様は見ている。」

だからこそ、私が、自分が、仏様の慈悲を届けたいですね。
ますます混乱したでしょうが(笑)ぜひ乗り越えていただきたいです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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全ては仏様の慈悲の中で起きている。

こんばんは。亀山純史と申します。若葉さんのご質問に対する、私なりの回答を述べさせていただきます。

ここに水槽の中に金魚がいるとしましょう。この金魚は水が張られた水槽の中で、餌をもらいながら生きています。水槽の中の水は、水槽の中で行き渡っていない箇所はなく、水槽全体に行き渡っています。当然その水は、金魚や金魚の餌にも行き渡っています。そしてその水があるおかげで、餌は餌として水中に漂うことが出来ますし、金魚も生きて行けるのです。
このとき、水槽の中の水とは仏様の慈悲であり、金魚は私たち、そして餌はこの世の出来事です。仏様の慈悲があるから、私たちは生きて行くことが出来るのです。そして仏様の慈悲の中で、様々な出来事は起きているのです。ただ、仏様の慈悲は、出来事の原因ではありません。出来事の原因は個々にあるですから、この世では悲惨な出来事も、その個々の原因によって起きてしまうのです。

以上が私からの回答です。悲惨な事件、事故、そして自然災害が起きている昨今、私も考えたことのある問いでした。ご質問、ありがとうございました。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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お亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
浄土宗的な話になりますが。
彼らはこの世で命を失くしましたが、しかし、それは決して彼らが消滅したわけではありません。
極楽浄土に往き生まれたのです。
極楽浄土とは阿弥陀仏が造った国であります。
阿弥陀仏は、この世で仏と成れなかった人達を極楽浄土に導き、仏となるように手解きして教えてくれる仏様なのです。
また、極楽浄土は再会の場所でもあります。
ご遺族や友人達は、先に亡くなった人と、いつかは極楽浄土で再び会うことができるのです。
このような、人々を極楽浄土に迎えることで救いとろうという事が、阿弥陀仏の慈悲なのです。
また、釈迦牟尼仏(お釈迦さま)は、この現世で生きる為の知恵を、たくさん教えてくれています。それも釈迦牟尼仏の慈悲であります。それで苦しみから救われた人はたくさんいるのです。
他にも沢山の仏様がおられます。それぞれの方法で私たちを救おうと働きかけておられるのです。
ですから、どうか心配しないでください。
そして共に祈りましょう。
お亡くなりになった方が救われますように。
南無阿弥陀仏

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

大慈様。
仏様には、法身、報身、応身の三身があることがわかりました。まだ私自身十分理解できてませんが、これから学んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

亀山様。
水槽の例えで仏様のお慈悲をお教えいただき、誠にありがとうございました。

転落院様、三宅様。
励ましと極楽浄土のお教え、誠にありがとうございました。

まだまだ勉強不足で未熟者ですが、今後ともご指導の程よろしくお願いいたします。

「仏教における慈悲」問答一覧

無償で人を助け続けることについて

はじめまして。 無償で人の要求に応え(助け)続けることとは、仏教的には何なのか、続けることに嫌な気持ちを持つ理由は何なのか、嫌になった場合はどうしたら良いのか、などお話伺いたいです。 きっかけはバイトです。 現在北欧に住んでおり、仕事はレストランでのバイトです。バイト先にはジプシーが大抵1日3人ほど来ます。 ジプシーとは、道で物乞いをするホームレスのような人々のことです。ヨーロッパで多く見かけられ、北欧にもいます。 彼らは決まって「カップとお湯をくれ」と横柄な態度で要求してきます。 私の何人かの同僚は、一切断っています。 理由は、1人の要求に応えると他のジプシーがどんどん来てお店がお客さんとジプシーで忙しくなるから、とのこと。 他の同僚と私は、たかがお湯を渡したところで減るものは無いし(店としては、カップ代の損失)、無銭でご飯を要求されているわけでも無いので、毎回要求されたら渡してきました。これで誰かが助かるなら渡した方が良いし、渡さないのは冷たいとも思ってました。 しかし、繰り返されるごとに段々嫌な気持ちになるようになりました。 お店が忙しいある日、1人のジプシーがいつも通り要求してきました。彼は2つ欲しいと言いました。ただでさえ忙しくてイライラしてるところに、嫌だなと思い始めてたジプシーの要求が来て、私は腹が立ちました。この怒りから早く解放されるために、彼に早く帰ってもらいたくて、私は2つお湯を渡しました。 ところが続けてまた別の1人のジプシーがお店にやって来てお湯を要求してきました。私の苛立ちは更に悪化して、お湯が無くなったと嘘をついて彼に早く立ち去ってもらおうとしました。 しかし彼はもらうまで帰ろうとしませんでした。なぜなら、前のジプシーが2つももらってるところを見たからです。 結局別のスタッフにお湯が無くなったことを説明してもらい、彼に帰ってもらいました。 なぜ私は、人助けを段々嫌になっていったのか、なぜある人は助けてある人には怒ったのか、自分の人助けへの感情や思考がわからなくなりました。お湯をあげる行為は1分で済み、それ以外の損害は私にはありません。 仏教的に、人助けとは何なのでしょうか、そもそも助けるという考えが誤っていますか。私の感情や思考方法について何かヒントがあれば教えてください。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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慈悲の心を持つためには?

私は精神に病気を持ち、人生で2度の自殺を経験しています 生きる意欲がわいてこないというわけではなく、食べていくために働かなければならないということが受け入れられず、死のうとしました それはすでに自分の中で消化しすでに悩みではありません 問題は、食べていくために嫌な仕事をひたすらやり、その姿勢から同僚や上司をとても苦しめてしまったということです 今はその仕事をやめて無職ですが、以前人を苦しめてまで生きていた頃の自分を思い出すと、とてもやるせない気持ちになります 生きていくために仕方がない、それで周囲を傷つけてしまった こんなことなら死んでいたほうがはるかにましかもしれない、そういう道もあったんだと考えています 今は生きることに迷いもなく、死んでいくことも怖くはありませんし、私はあの世を信じていないので裁かれる心配もありません ただ、どうしても昔の自分の生き方に後悔を持って、今はそれに苦しんでいます 仮に因果応報が私の身に降りかかったとしても覚悟をして生きているので素直に裁かれるつもりはありません ただ、覚悟だけを頼りに生きると周囲の人にも覚悟を求めてしまい以前の自分と何も変わりません 自分は十分に傷ついたと思いますが、それを優しさに変えることができません 慈悲の気持ちを持つにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 15
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