死にたいです
前回は質問に答えてくださりありがとうございました。
今の私は周りに頼れる人もなく孤独感を感じ、独り身で生きることに意味を感じません。
また、生きていても誰の役に立てるとも思えません。何事に対しても興味を持てません。
ただただ無気力で現状を何とかしなければという気持ちはありますが、実際は身体が動かず、心療内科に通院はしていますが、それ以外は食事をすることさえ苦痛で何もできません。
元々人間不信なところもあり、周りに迷惑をかけるだけだし、いっそのこと死んだ方が楽なのでは?という気持ちになります。
こんな状態で生きることに意味はありますか?
死ぬことは本当に悪いことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
答え探しをしている旅路
「生死一如」とありますように命は紙一重であります。
死を考える。生きる意味を考える。とても素晴らしく深い考えをお持ちですよ。
幼少期なら興味あることに没頭してしまう煩悩なまま生きます。泣きたいときは泣き、笑いたいときは笑うように。
しかし、大人になるに連れて経験体験され、培ってきた心の収納が汚れてくるのが大人です。だからこそ、心身を清らかにするため善いことを積む心が芽生えるのです。
今、死を考えることは生きる意味をしっかり探そうとしてしている最中と感じます。
・楽しいことを探さなくてもいいのです。
・やりたいことを見つけなくてもいいのです。
・死を連想させることも考えなくていいのです。
死を考えていることは生きることの深さを知る大きな直前まで辿り着いておられます。
ノートに生死の感じたことを書き出してみてください。書き出しているうちに、生きる光が自ずとの見出されていきます。そのときに何を求めていたのか答えがでてきます。もちろん前向きな思考回路です。
こうしてhasunohaへ投稿される勇気をお持ちであることは、生きる力を持っておられ、苦心の人々を救える人になられます。
合掌
物事自体に善悪があるのではない
ご相談拝読しました。
死にたいと思う事自体、死ぬこと自体、特定の死に方自体
に善悪があるのではないでしょう。
善悪は人の心が決めるとは言います。
まあ仏教的にはそれだけでは当たらずとも遠からずというか不十分なところがあるようにも思いますが、しかし大事なポイントの一つでもあります。
世間には自殺を悪く言うような風潮もあるのかもしれません。ではあなた自身はどうでしょうか?ここに問うたということは迷いがあるということでしょう。その迷いがあるうちは少なくとも善ではないでしょう。
善因楽果・悪因苦果と仏教ではいいます。善き原因は楽をもたらし、悪しき原因は苦をもたらす。
では善き原因・悪しき原因とは何かというと、楽をもたらすような因を善因と言い、苦をもたらすような因を悪因と言います。結果論の様に見えるかもしれませんが、これは仏教は常に「今」に目を向けるからです。「今という果」から遡って因を見るのですね。
さて、先日とある檀家さんの家にお参りにいきました。そこには可愛い猫がいて会うのが楽しみなのです。お勤めを終えてから触らせてもらおうと思っていたのですが読経中に猫の動きが目に入り違和感を持ちました。読経後によく見ると後ろ脚が一本なくなっていました。ここで
「嗚呼、かわいそうに」
と思うのはこちらだけで、猫は何の気にもせずに遊んでいました。これは動物にはあれこれと迷い計らう心がないからでしょう。動物園の檻の中の動物も「もう生きている意味なんかない」と発狂したりしませんものね。
彼らにとっては脚がない事も、檻の中にいることも悪因ではないのです。
でも私たち人間は悩みますね。悩むことが悪い事でもないのです。悩むからこそ見えてくる世界があります。悩むことは尊い事なのです。同じことをしているようでも悩みに悩んで一周回って同じことをしているのではやはり深さが違うものです。
あなたがもし、世間や他の考えとは別にあなた自身として死ぬ事が悪い事なのではないかと少しでも感じる部分があるのならきちんとそこに向き合い確かめていきましょう。
心療内科に通うのも、ここに質問するのも、苦しくても食事をするのも、全部あなたが迷い計らう以前にしている生への営みではないでしょうか。
色々考えて出したものではなく、それ以前に自然としているものに答えがあるのかもしれません。
あなたは独りではありません
拝読させて頂きました。
あなたは今頼れる人もなく孤独感を味わい辛い思いや悲しみの中にいらっしゃり、心身ともに疲れてしまって無気力になってしまい、死にたいと思っておられるのでしょうか。
あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そのように死にたいと思ってしまうお気持ちをよろしければゆっくりとこの場所でもお話なさってみて下さいね。人それぞれに悩み迷い苦しみがあります。
あなたが今抱えていらっしゃるお気持ちをどうかお聞かせください。
あなたは決して独りではありませんからね。もうすでに私達とつながっておられます。
この場所でもどうぞあなたのお気持ちを伺いながらあなたとのご縁を深めていくことはできると思います。
今すぐに悩み迷い苦しみが全て解決することでもありませんけれどもこれからあなたのお気持ちや状態を伺いながらこれから生きていくことのヒントが見つかることもあるかと思います。
生命はそれぞれに与えられたものですから一概に答えは出てはきません。
生きていく中で試行錯誤を繰り返しながらじっくりとその意味や価値や答えを見つけ出していくことかと思います。そしてその先に必ず死が待ってます。
少しゆっくりと呼吸を繰り返しながら心を落ち着けてみて下さいね。そしてあなたのお気持ちをゆっくりと振り返りながらあなたのお話をここで書いてみて下さいね。
あなたをいつでもお待ちしています。
繰り返しですが、あなたは決して独りではありませんからね。
仏教を身近にしていくところから
まる様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
モノゴトの意味や価値や理由というものは、実体として、これだと決定して言えるようなものはなく、因縁(原因と条件)次第となって参ります。
また、更には、そのモノゴトを捉える自分の心の因縁次第というところにもなって参ります。
まあ、意味や価値や理由というものは、最初から「無い」というわけでも、また、最初から「有る」というわけでもなく、因縁次第にてあり得ているというものとなります。
いかにして、善き意味・理由・価値を見いだせ得る因縁を調えるべきか、そのヒントが仏教にはたくさんございます。
是非、まずは身近にできるものから仏教に入って頂きたいところとなります。もちろん、このhasunohaからも。どうか頼りにして下さいませ。
川口英俊 合掌