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49日までしか悲しんではいけないの?

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夫が亡くなってもうすぐ納骨です。
49日までは魂は近くにいてそれから修行の旅に出るから悲しむのは49日までじゃないと未練が残って修行に出られなくなって悪霊になるとかそんな感じのことを聞きました。
49日までしか悲しんではいけないのですか?
皆さんはそんなにすぐに割りきれるものなんでしょうか?
亡くなった後、魂があるものと仮定して、修行に出ると言うことは、側に居てくれないのでしょうか?
よく49日まで変わったことが起こるとか聞きますが、何も起きません。
必ず起こるというものでも無いとはおもいますがなんだか寂しいです。側にいないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どうぞ悲しんでください。

お釈迦さまも
「悲しむのは〇〇日まで」
なんて仰っていませんから
どうぞ安心して泣いてください。

逆の立場で
あなたがお浄土に往っていたとしたら
夫が悲しんでいるのをどのように感じるでしょうか?
悲しんでくれて有難いと感じるか
もうそんなに悲しまなくてもいいよと感じるか
旦那さまも同じ思いなんじゃないでしょうか?

亡くなった方は成仏されましたから
我々のそばには仏さまとして寄り添ってくださっています。
そのような存在だとイメージしてみてください。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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49日とは

49日とは忌中が明ける日のことであり、100ケ日を卒哭忌(泣くのを卒業する日)と申します。
宗派によって考え方が違います。49日の間は仏様になれず、49日になって成仏すると考える宗派や、浄土真宗のように亡くなったその時に浄土に往生すると考えるところもあります。ただ、亡くなった方への悲しみは49日や100日で終わることはありません。悲しみが癒えるまで十分悲しんでください。それが亡くなられた方へのご供養になるのです。その方を思い続けることこそ大切なのではないでしょうか?その悲しみが感謝に変わるときまで、その方を大切に思ってください。亡くなった方はお浄土に帰られて仏様になられて、仏の知恵と慈悲の働きを身につけて残してきた者を助けるために今も働いてくださっています。そのお働きがあなたにこの質問の機会を与えて下さったように思えます。あなたを助けようとする、今はなき方の働きであるのです。そして、今はなき方にしてもらったこと、してあげたこと、できなかったことを考えてみましょう。その悲しみが、いつかきっと感謝に変わりますよ。  合掌

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おきもち

悲しみの長さは人それぞれです。あなたにとって良い期間を。

鵺杜さんへ、こんにちは。

49日までしか悲しんでいけないことなんてありませんよ。
その霊界の情報は誤った解釈です。
悲しみがあるからこそ、49日以降も一周忌も三回忌も少しずつ間を広げながら供養をするのです。肉体はなくなり、魂がどうなるかは私たちはリアルに知ることはできません。あくまでも年忌の魂のあり方は儀礼での仮定でしかりありません。

後は私たちの観念の中で生き続けるのです。あなたが夫のことを忘れなければ、いつでも心の中におられます。それが一番リアリティのある実感だと思います。そして、亡くなった方と共に生きる生活が始まるのです。その亡くなったリアリティを感じる方法として読経をしたりあるいは法要をしたりするのです。

そしてリアリティを実感すればするほど、亡くなった人が一番喜ぶことは何か?と考えることになります。もし夫があなたを愛していたのであれば、あなたが悲しまずに楽しく幸せに生きることが一番の彼の喜びなのだと実感することになります。

その気持ちになることもやはり時間が必要です。その悲しみがおさまる時間も人それぞれなのです。鵺杜さんもしばらくは悲しみと共に歩みながら、あらたな生活を築いていってください。お祈りします。

合掌

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悲しみは苦しみ

悲しむよりは、悲しまない方が良いのです。
だって悲しみは苦痛ですから。
苦痛は少ない方が良いでしょう。

お釈迦様のそばでいつも世話をしているアーナンダさんという弟子がいました。
あるとき、お釈迦様は自分の死が近いことをアーナンダさんに告げました。
アーナンダさんは動揺して悲しみました。
それに対してお釈迦様は、悲しむなと諭しました。
諸行無常、人が死ぬのは当然だというのがお釈迦様の教えなのですから。
その後、お釈迦様が亡くなったとき、お釈迦様の弟子達の中ですでに悟っている人々は悲しみませんでした。お釈迦様の教えをちゃんと理解している人は、お釈迦様が亡くなっても平気だったのです。
反対に、お釈迦様の教えをまだ悟っていない人々は、お釈迦様の死を悲しみ苦しんだのです。
お釈迦様は、人々が悲しみ苦しむのを推奨されていのです。
旦那さんも浄土で仏様や菩薩様のお仲間になられているかもしれません。
その場合、ジャバ世界にいる私達が悲しみ苦しんでいる姿を見て、「悲しむ必要はないよ」とあきれているかもしれませんね。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
ずっと悲しんでいると夫が悪霊になったりするのではないかと心配しておりました。
(そういうことを言う人もいるので)

金剛座寺 染川智勇様

生きていくのは辛いことの方が多い気がします。その中で夫は私の希望でした。
その希望が失われた今、悲しみにくれることしか出来ませんでした。今は思い出すことも辛いですが、確かに悲しまずに楽しく幸せに生きることが一番の彼の望みなのかもしれません。
まだ時間はかかりそうですが少しずつ思い出しながら生きていこうと思います。
ありがとうございました。

真證寺 竹内好宏様

夫のことを想い続けることが供養になるのですね。今は辛いですが間違いなく思い続けています。夫に届いているのですね。目には見えなくとも感じられるよう想い続けていこうと思います。ありがとうございました。

願誉浄史様

御回答ありがとうございます。
お釈迦様はそうかもしれません。
ですがこの場合私には悲しまないと言う選択肢は無いように思うのです。
夫は39歳で亡くなりました。あまりに早すぎて「人が死ぬのは当然だ」という言葉が人の死をひどく軽く言われているように感じてしまいます。39歳で亡くなるのと100歳で亡くなるのとでは訳が違います。夫は入籍後3週間で亡くなったのです。これから二人で頑張ろうという矢先のことで悲しむなと言うのは酷なことだと思うのです。
確かに悲しむよりは悲しまない方がいいのかもしれませんが胸のざわつきが収まらないのです。私にはまだ悟ることはできそうもありません。夫が亡くなって平気ではいられないです。

林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様

そうですね。
逆の立場で考えると笑っていてほしいです。
幸せになって欲しいです。
でも今は悲しさや寂しさが勝ってしまいます。
仏様として寄り添ってくれているのならきっと今は夫も悲しんでいるのでしょう。
すぐには悲しみは癒えませんが少しずつ笑顔になれるように努力使用と思います。
ありがとうございました。

「法事・法要・49日」問答一覧

菩提寺不明、法事を忘れた!

見つけてくださってありがとうございます。お恥ずかしい話です。 祖父の命日も三回忌もすっかり忘れてしまいました。そして、菩提寺不明、故人と私は違う宗派な状態ですが、宗派が違うお寺さんに拝んでもらってもいいのでしょうか。 私は、臨済宗妙心寺派の宗派です。 私の父方の祖父(故人)は、私と同居しておらず、おじ夫婦と一緒に暮らしていました。元々おじ夫婦は、私と同じ宗派だったのですが、おじが仏教系の新興宗教に入りました。祖父はわけもわからないまま、その新興宗教に入っています。 おじの新興宗教入会(?)がきっかけで、おじと他の兄弟で分裂し、音信不通です。 時間がたつにつれ、私の父は故人に、兄弟達は病気に、で、動けるのが私だけとなりました。 おじは新興宗教(先祖供養を大切にしている、とネットに書いてありました)に一生懸命な人なので、もしかすると、法事をしたのかもしれません。宗派によってはしないのかもしれません。しかし、歴代の同じ宗派の先祖の法事をやらなかったことを考えると、祖父も…と考えてしまいます。 三回忌も命日も忘れ、どうしようと悩んでいます。 三回忌に間に合っていないのに法事をしてもいいのでしょうか。 位牌もなにもない、菩提寺もわからないですし、宗派が違うのですが、お寺さんにお願いしてもよいのでしょうか。 唯一わかるのは、お墓です。 よろしくお願いします。

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亡き父の年忌法要をあげたくありません

年少のときに母が精神疾患を発病。 父は、大して面倒も診ずに放置。 母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。 しかし私が小学生の時に再発。 その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、 自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。 私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。 その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。 母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。 父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。 そんな父も数年前に他界。 家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。 墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。 骨も適当に海洋散骨したい気分です。 そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。 墓は父方の墓です。母も入っています。 父方の先祖はあったこともありません。 相談です。 父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。 寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。 なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。 父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。 お知恵を拝借ください。

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僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

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亡くなった母についての質問です

いつも参考になる回答ありがとうございます。 母が亡くなってから、明日で四十九日となります。四十九日に関して気になったことを質問をさせていただきます。 五七日の翌日、祖母の下へ母が来たそうなのですが、その時母が「私何か悪い事したかな」と言っていたそうです。 調べてみたところ、五七日は生まれ変わり先が決まる日だと書いてあったので、自分は勝手に「生まれ変わり先が、母にとって良くない結果だったのかな」と考えてしまいました。 お坊様は母の発言についてどのように考えますか? また、四十九日までは、母が見守っているのだと思って過ごしていたので気持ちが少し落ち着いていたのですが、四十九日経つと母の魂があの世へ旅立ってしまうということを知り、不安になってしまいました。 「すぐに生まれ変わるのか」「見守っているのか」「修行などをして過ごしているのか」など、様々なことを考えてしまいます。(そもそも四十九日や、その日までの解釈が間違っているかもしれないですが) 旅立ったあとは、何をしているのでしょうか? 色々と考えてしまいすぎて、あまり良くないと思いますが、気になってしまいます。答えられる範囲でいいので、回答いただけると幸いです。 拙い文章で長々と申し訳ございません。

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質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ