49日までしか悲しんではいけないの?
夫が亡くなってもうすぐ納骨です。
49日までは魂は近くにいてそれから修行の旅に出るから悲しむのは49日までじゃないと未練が残って修行に出られなくなって悪霊になるとかそんな感じのことを聞きました。
49日までしか悲しんではいけないのですか?
皆さんはそんなにすぐに割りきれるものなんでしょうか?
亡くなった後、魂があるものと仮定して、修行に出ると言うことは、側に居てくれないのでしょうか?
よく49日まで変わったことが起こるとか聞きますが、何も起きません。
必ず起こるというものでも無いとはおもいますがなんだか寂しいです。側にいないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうぞ悲しんでください。
お釈迦さまも
「悲しむのは〇〇日まで」
なんて仰っていませんから
どうぞ安心して泣いてください。
逆の立場で
あなたがお浄土に往っていたとしたら
夫が悲しんでいるのをどのように感じるでしょうか?
悲しんでくれて有難いと感じるか
もうそんなに悲しまなくてもいいよと感じるか
旦那さまも同じ思いなんじゃないでしょうか?
亡くなった方は成仏されましたから
我々のそばには仏さまとして寄り添ってくださっています。
そのような存在だとイメージしてみてください。
49日とは
49日とは忌中が明ける日のことであり、100ケ日を卒哭忌(泣くのを卒業する日)と申します。
宗派によって考え方が違います。49日の間は仏様になれず、49日になって成仏すると考える宗派や、浄土真宗のように亡くなったその時に浄土に往生すると考えるところもあります。ただ、亡くなった方への悲しみは49日や100日で終わることはありません。悲しみが癒えるまで十分悲しんでください。それが亡くなられた方へのご供養になるのです。その方を思い続けることこそ大切なのではないでしょうか?その悲しみが感謝に変わるときまで、その方を大切に思ってください。亡くなった方はお浄土に帰られて仏様になられて、仏の知恵と慈悲の働きを身につけて残してきた者を助けるために今も働いてくださっています。そのお働きがあなたにこの質問の機会を与えて下さったように思えます。あなたを助けようとする、今はなき方の働きであるのです。そして、今はなき方にしてもらったこと、してあげたこと、できなかったことを考えてみましょう。その悲しみが、いつかきっと感謝に変わりますよ。 合掌
悲しみの長さは人それぞれです。あなたにとって良い期間を。
鵺杜さんへ、こんにちは。
49日までしか悲しんでいけないことなんてありませんよ。
その霊界の情報は誤った解釈です。
悲しみがあるからこそ、49日以降も一周忌も三回忌も少しずつ間を広げながら供養をするのです。肉体はなくなり、魂がどうなるかは私たちはリアルに知ることはできません。あくまでも年忌の魂のあり方は儀礼での仮定でしかりありません。
後は私たちの観念の中で生き続けるのです。あなたが夫のことを忘れなければ、いつでも心の中におられます。それが一番リアリティのある実感だと思います。そして、亡くなった方と共に生きる生活が始まるのです。その亡くなったリアリティを感じる方法として読経をしたりあるいは法要をしたりするのです。
そしてリアリティを実感すればするほど、亡くなった人が一番喜ぶことは何か?と考えることになります。もし夫があなたを愛していたのであれば、あなたが悲しまずに楽しく幸せに生きることが一番の彼の喜びなのだと実感することになります。
その気持ちになることもやはり時間が必要です。その悲しみがおさまる時間も人それぞれなのです。鵺杜さんもしばらくは悲しみと共に歩みながら、あらたな生活を築いていってください。お祈りします。
合掌
悲しみは苦しみ
悲しむよりは、悲しまない方が良いのです。
だって悲しみは苦痛ですから。
苦痛は少ない方が良いでしょう。
お釈迦様のそばでいつも世話をしているアーナンダさんという弟子がいました。
あるとき、お釈迦様は自分の死が近いことをアーナンダさんに告げました。
アーナンダさんは動揺して悲しみました。
それに対してお釈迦様は、悲しむなと諭しました。
諸行無常、人が死ぬのは当然だというのがお釈迦様の教えなのですから。
その後、お釈迦様が亡くなったとき、お釈迦様の弟子達の中ですでに悟っている人々は悲しみませんでした。お釈迦様の教えをちゃんと理解している人は、お釈迦様が亡くなっても平気だったのです。
反対に、お釈迦様の教えをまだ悟っていない人々は、お釈迦様の死を悲しみ苦しんだのです。
お釈迦様は、人々が悲しみ苦しむのを推奨されていのです。
旦那さんも浄土で仏様や菩薩様のお仲間になられているかもしれません。
その場合、ジャバ世界にいる私達が悲しみ苦しんでいる姿を見て、「悲しむ必要はないよ」とあきれているかもしれませんね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
ずっと悲しんでいると夫が悪霊になったりするのではないかと心配しておりました。
(そういうことを言う人もいるので)
金剛座寺 染川智勇様
生きていくのは辛いことの方が多い気がします。その中で夫は私の希望でした。
その希望が失われた今、悲しみにくれることしか出来ませんでした。今は思い出すことも辛いですが、確かに悲しまずに楽しく幸せに生きることが一番の彼の望みなのかもしれません。
まだ時間はかかりそうですが少しずつ思い出しながら生きていこうと思います。
ありがとうございました。
真證寺 竹内好宏様
夫のことを想い続けることが供養になるのですね。今は辛いですが間違いなく思い続けています。夫に届いているのですね。目には見えなくとも感じられるよう想い続けていこうと思います。ありがとうございました。
願誉浄史様
御回答ありがとうございます。
お釈迦様はそうかもしれません。
ですがこの場合私には悲しまないと言う選択肢は無いように思うのです。
夫は39歳で亡くなりました。あまりに早すぎて「人が死ぬのは当然だ」という言葉が人の死をひどく軽く言われているように感じてしまいます。39歳で亡くなるのと100歳で亡くなるのとでは訳が違います。夫は入籍後3週間で亡くなったのです。これから二人で頑張ろうという矢先のことで悲しむなと言うのは酷なことだと思うのです。
確かに悲しむよりは悲しまない方がいいのかもしれませんが胸のざわつきが収まらないのです。私にはまだ悟ることはできそうもありません。夫が亡くなって平気ではいられないです。
林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様
そうですね。
逆の立場で考えると笑っていてほしいです。
幸せになって欲しいです。
でも今は悲しさや寂しさが勝ってしまいます。
仏様として寄り添ってくれているのならきっと今は夫も悲しんでいるのでしょう。
すぐには悲しみは癒えませんが少しずつ笑顔になれるように努力使用と思います。
ありがとうございました。